第23話 帰ってくれ……。2
真っ直ぐ視線を向けた俺の問い掛けに、レースの利いた女の子らしいドレス姿のアイラ姫はちょっとキョドってから、まるで不意打ちされて慌てたように下を向いてしまった。
別に怒ったわけでも脅したわけでもないんだけどなあ。
そんな反応にちょっと困ってしまった俺も視線を逸らす。
逸らした先じゃ、アイラ姫たちと空気を画するようにして師匠がむしゃむしゃとパンに齧りついている。
「……」
頼む空気読んでくれ……とは言えず、言った所で無駄でもあるから言わない。
彼の傍には祖母ちゃんがいて原材料やその産地、具材の種類を問われたのか説明をしてやっていた。話に耳を傾け感心しきりにしながらも、遠慮もへったくれもなくなった師匠がちょうど手に取った分で、先に皆で囲んだ台上のパン籠にはもう一つもパンがなくなった。
身内たち同様にこの人だけは逆行前と全く変わらないから、俺は少しだけホッとして笑いたくなった。
「あの……エイド君」
どこか躊躇うように投げ掛けられた声に目を戻せば、ようやっと顔を上げたらしいアイラ姫がおずおずとして俺の方に進み出てくる。彼女の二人の護衛たちは彼女の背後に左右に分かれて控えているけど、その表情には実に隙がない。
「わ、わたしが今日お会いしに来ましたのは、その……お誘いをするためです!」
お誘い?
「ええと何のでしょう?」
ダンスパーティーのなんて言わないよな。だとしたら行かないよ。
一つ瞬いて俺が続きを待っていると、彼女は腕輪型の魔法収納から何かを取り出した。
持ち主が水に濡れても魔法収納に仕舞われている一切は濡れる心配はない。現実とは隔絶された空間だからだ。まあ極たま~に欠陥品が水漏れしたなんて話を聞いたりはするけど。
アイラ姫が手に持ったのは「お誘い」の言葉通り、招待状なんかを入れるような小さめの封筒だった。
「ええと、その、まずはこれをどうぞ……っ」
「あ、はあ……」
ずずいっと両手で勢いよく突き出されて僅かに身を引いたものの、俺はとりあえず受け取った。
彼女はここで封書を開けるのを待っている。ノエルの手紙みたいに未開封のまま放置するのは無理そうだった。
わざわざこの街まで来て何で船に乗ったのかは藪蛇の予感しかないから追究しないまでも、手紙まで用意する程の用件があるんだろう。
俺は封筒の表面に目を落とした。
エイド・ワーナー様、と綺麗なカリグラフィーで記されている。
この精緻な文字は、どう見てもそれ専門の人間が書いた公式な手紙だ。てっきりノエルみたいに直筆かつ私的な物かと思ったけど、そうじゃないらしい。
アイラ姫はやり遂げた~って顔をしてどこかホッとしている。
この封書ってそんなにも重要なものなのか?
一体中身は何だ、と警戒心が湧く。
するとここで護衛の一人、無口そうな見た目の青年の方が口を開いた。王国軍人に定番の髪型と同じ刈り上げスタイルの彼は凛々しいって言えばそうだけど、にこりともしない仏頂面だから近寄り難いとも言える。
「心して読むように。本来なら以前ここに来た日に渡す予定だったのを、小僧貴様が無礼千万にも頑なだったために姫様はそう出来なかったのだ」
「ニ、ニール! あれはっあの時はっ、わ、わたしが突然押し掛けたのがいけなかったのです。そのように言わないで下さい」
俺への明らかな非難にアイラ姫がわたわたとして護衛を振り返って窘める。
ふーん、この自称小生野郎は「ニール」ってのか。
一つ言わせてもらえば、今日だって突然だけどな。
「コホン、私からもよろしいですか姫様、あなた様はこの国のいと貴き王女様なのです。こんな
「ニール!」
アイラ姫は今度は反対後方の女護衛に怒ってみせた。
――ってお宅も「ニール」かい!
紛らわしいな。いや覚えるのは楽か。
どう見てもこの
そもそもアイラ姫はどうして俺を巻き込もうとするんだよ。
本当は色々と言ってやりたいけど、まあいい、今は手紙を読むのが先だ。
俺は彼女たちが見つめる前で
……ん?
そこでふと封蝋の刻印に注意が向く。
これって……。
てっきり王家かアイラ姫専用の紋章だと思ったから初めよく見なかったそれは、俺の知るとある学術機関のものだった。
開いた書物に根を張る一本の大樹を模した紋章。
王都にある王立学園の校章だ。
学園からの郵便物には大体これが捺されている。
生えている木は確かカバノキだったっけ。見た目こそ優雅なカバノキは、しかし実は物凄く逆境に強い木で、他の木が生えないような荒れ地にも生えるらしい。
故に、開拓の木、と呼ばれもするんだとか。
学園の学徒には時に多くの試練が降りかかる。だからカバノキなんだろう。書物は知恵や知識の海の象徴で、それらを糧にしてカバノキのように逆境に耐え乗り越え、そして新たな道を拓いていけというのが設立時の理念だって聞いた。
学園の名を念頭に中身を開けば、案の定の答えが一枚のしっかりした厚手の紙面の上部に記されている。
王立学園への入学のご案内、とそうあった。
……って、は? 入学案内だって?
何だそりゃ。
「……まさか、俺にここに入学しろと?」
だって誰かを推薦してくれって雰囲気じゃないしな。
ひしひしと嬉しくない予感を大きくする俺が問えば、アイラ姫はこくりと小さく頷いた。絶望のビンゴ……ッ!
そうか、護衛の言う通りなら前回と今回の来訪目的はこれか。
王立学園と言や、アイラ姫は既に在籍しているはずだ。
王侯貴族たちがわんさといる学校にド平民の俺を放り込むってのかい。平民の生徒も一定数いるけど、狼の群に羊を放つのと一緒で俺には面倒事しか振り掛からない。一度目人生で縁あって十五歳の時に半年だけ通ったけど、俺に絡んできて平民だと小馬鹿にしてくれた胸糞悪いボンボン連中を残らず叩きのめして終わったよ。
その後そいつらの親とかが激怒したらしいけど、師匠が少々灸を据えたらしく報復的なものは一切なかった。
むしろ、俺が英雄への道を歩む過程で名が知れてくると当時の謝罪共々腰を低くして挨拶に来たっけなあ。詳細は訊ねなかったけどホント師匠は一体何したんだか。
で、現在、お宅何してくれてんのって文句を向けたい相手はアイラ姫だ。
こうやって入学案内状というか最早これ自体が入学許可証なんだろうけど、そんな物を持ってくる時点で学園上層部との折衝は終えていて、俺がうんとさえ言えば明日にも編入が可能に違いない。
専属護衛の件はもう時効って考えて良いだろう。二人も優秀なのが傍にくっ付いているからな。
だから今度は同窓生になってくれってのか?
内心辟易としつつ黙っていると、アイラ姫が頭を下げた。
「改めて、先程は助けて頂き本当にありがとうございました。見た通りエイド君は魔法も使えますし、学園にそれを伝えれば特待生として優遇してもらえます。現在は学校には通ってらっしゃらないようですし、ここは一つどうでしょう?」
いやいやここは一つどうでしょうって、俺たちは商談か何かの最中だっけ?
それに、今日海で俺の魔法を初めて見た際もあんまり驚いてなかったよな。まるで使えるって知っていたみたいにさ。
もしかしてノエルみたいに密偵雇ってんの?
けど心力の修練はしても不用意に自己の魔法を行使したことは今日までなかったはずだ。バレるはずがないんだけどなあ。んー考えてもわからん。疑問はあるけど後に回すか。今は学園の件に集中だ。
俺は案内状を折り畳んで封筒に仕舞うと、その封筒をアイラ姫へと差し出した。
「申し訳ありませんけど、お受けできません」
「え……。あのその、今すぐにと言うわけではなくて、そちらの準備が整ってからでも全然よろしいのです。特待生でしたら王都での衣食住にも不自由しませんし、他にご希望の住まいがございましたら、こちらで諸々の手配をしても構いません!」
必死に訴えるアイラ姫に嘘や悪意なんてものは微塵も感じない。心から俺のために動いてくれようとしているのは伝わってくる。やっぱりこの子は善良だよ。
だけど、良くも悪くも蝶よ花よと育てられた生粋の王女様なんだよな。
きっと彼女は俺みたいな平民の学徒があの学園で理不尽な目に遭っている現実を知らない。だから無神経にも入学を勧めてきた。そこは敢えて言ってやるつもりはないけど、いずれ知る。
この先、王立学園じゃ平民と貴族で対立するって一大イベントが起きるからな。
貴族の子弟だらけだった学園の生徒会の顔触れもその学内革命で一新されるはずだ。それが俺の通った半年間で起きた目立った出来事だ。まっ五年も先の話だけど。
「俺がもしも学校に通うとしても、この街の学校に通います。知ってる顔も多いですし付き合うのに気兼ねしない立場の者がほとんどですからね」
ここでアイラ姫は悲痛な顔付きになった。
「それはこの街の学校に通われている方々が皆貴族ではないからでしょうか。王立学園には一部で平民だ貴族だと差別するきらいがあるからなのですか?」
驚いた。実情を知っていたのか。
まあ考えてみれば不思議じゃない。自分が通っている学校の良からぬ空気くらいはいくら彼女でも気付くか。
「巷の噂に聞く学園のそう言った風潮を敬遠しているのは否定しません。アイラ様はそれでも俺を通わせたいですか? 俺が貴族たちから虐げられてもいいと?」
ちょっと意地悪な問い方だとは思ったけど、話を辞退に持って行くには仕方がない。
「そ、そんなわけありませんっ!」
思った通り、アイラ姫はちょっと泣きそうになりながら全力で否定してくれた。
……ごめん。でも俺はこんな方法しか思い付かない男なんだよ。気に掛けてくれなくていいんだ。
「でっですがご安心を! もしもエイド君を虐げるなどした者には、わたしが直々に罰を与えますので! ……地獄の底に行った方がマシなくらいにボコボコのメタメタにして泣きながら贖罪したいと乞わせてやります」
「……え?」
今、何か聞こえたな~。俺が度肝を抜かれて固まっていると、
「エイド君? どうかされたのですか? 青い顔をなさって」
アイラ姫がキョトンとした。
あ、あれ~? 低い声の恐ろしい台詞が聞こえた気がしたけどなあ。あれあれえ~この子全然普通なんだけど? 幻聴だった?
「小僧のためになるのは気に食わないが、姫様を悲しませる者にはこの小生めがとことん制裁を加えて地獄送りにしてやりましょうぞ……!」
ああ何だ、男ニールの意気込んだ言葉だったのか。ハハハ良かったてっきり……。
「アイラ様、恩返しなら以前も言いましたけど本当に気を遣わなくていいんですよ」
「いいえいいえ、恩返しなどと言う高尚なものではないのです。その気持ちが皆無とは申しませんけれど、その……わ、わたしがエイド君と一緒に学生をしたいからなのです!」
「俺と一緒に? どうしてまた……」
きゃーッ何その可愛い動機!
やべえ、心臓がまたハカハカしてきたよ。これしきのことでもう年かねわしも。
やっぱりこの子小悪魔憑いてるんじゃないの?
「心配だからです。エイド君が近くに居ないと、とてもその、案じてしまって駄目なんです」
差し出したままの案内状を取り落としそうになった。
ええとお宅は心配性の田舎のおかんか何かです?
「俺、アイラ様から見てそんなに頼りないように見えるんですか?」
「ち、違います、決してそんな風ではなくて、その、あの…………あぅう」
とうとう黙りこんでしまった彼女は、一体全体何をどう心配しているのかよくわからないけど、とにかく俺は王立学園には通わない。
「この際ハッキリ言いますと、学内の勢力図なんてどうでも良くて、俺はこの街を出るつもりはないんですよ」
「えっ?」
「だってこの大事な店がありますから」
店内をゆるりと見回す。
「アイラ様、俺は冒険者にも軍人にも専属護衛にもなりません。もちろん王立学園の生徒にも。――俺はパン屋になるんです」
俺は胸を張って柔らかに微笑んだ。
アイラ姫がゆっくりと目を瞠る。
「だからご期待には添えません」
これは今の俺の夢であり願いであり決意だ。
「パン屋さん……ですか……」
アイラ姫は不思議な呪文でも聞かされたように呆けた顔で「パン屋さんに……」ともう一度だけ呟きながら、俺が差し出したままでいた案内状の封筒を大人しく引き取った。
余程意外だったのか、じーっと俺の方をキングオブ凝視って感じの目で見つめてやがて薄ら頬を染めちょっと口元を綻ばせる。
「エイド君と街のパン屋さん……それはとても心躍る未来ですね。ええ、ええ、毎日このバターの香りに囲まれての甘く香ばしい生活は最高だと思います!」
香ばしい生活って何?
「それはどうも……」
まあ多少の訝しさは捨て置いて、俺は手放しで褒められてついついへへっと照れ笑いを浮かべる。
「エイド君には素敵過ぎる夢がございましたのに、わたしの方で勝手して申し訳ありませんでした」
アイラ姫は手に持つ封書を自身の腕環へと近付け収納した。
平民の俺が王立学園を卒業すればまず間違いなく一目置かれる存在になれる。そしてそんな利を求めて在学している平民出身者は少なくない。きっと彼女は俺の将来の一助となるようにって思って案内状を手配してくれたんだろう。その気持ちには感謝だよ。
「わたしじゃ何のお役にも立たないかもしれないですけれど、エイド君の夢を全力で応援致します。そうするからにはわたしもエイド君のお祖母様に弟子入り致しま…」
「――いいえええっそこはお気持ちだけで結構ですうううっ!」
俺の精神がすり減る!
「あ、そ、そうですか。それでは時々ここにパンを買いに来ても宜しいでしょうか」
「そっ……それはもちろんですよ。あははは」
それ即ち接点ができるって意味で、危うく頬が引き攣りそうになった。
嬉しそうに安堵したアイラ姫は何を思ったのか俺の両手を握ってくる。
「わたしはまだまだ不束者ですが、これから先末永く宜しくお願い致しますね?」
「え、あ」
どうするのかと思えば、俺を神様か何かのように崇めているみたいに一度目を閉じ、握った俺の手を自分の方に引き寄せた。彼女の吐息がしっかりと掛かる。
あったけ~……じゃ・な・く・てッ!
されるがままに戸惑う俺が言葉も出ないでいると、直後彼女の薄い瞼が持ち上げられる。
綺麗な綺麗な緑色の眼差しが俺を真っ直ぐに捉えた。
「……っ」
握られた両手が急に汗ばんでくる。
頬が上気しそうになって思わず息を全力で止めちゃったよ。
アイラ姫はどうしてなのか、俺を目の前にしてとても幸せそうな顔をしている。
思えば、会う度にそうだった。
俺を見て大切な相手に対するみたいな目をしていた。
彼女は一体俺をどう思っているんだろう。
友情の括りなのか、それとも……。
アイラ姫には魅了の魔法なんて使えなかったはずだ。なのに彼女の澄んだ瞳から目が離せない。
「宜しくお願い致します、エイド君」
「あ、ああ、こちらこそ……?」
主な思考がぐるぐるしてしまって上の空だったせいか、釣られて無意識にそう返していた俺は自分の声にハッと我に返った。
……女子ってやっぱり予想もつかない怖い生き物だよなって、そう思った。
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