第22話 帰ってくれ……。1

 いくら心に分厚い鉄板を入れても、いとも簡単に貫かれる。


 俺は激しい狼狽の中、こんな小悪魔なアイラ姫も正直悪くないって思っていた。


 これはこれで可愛い…………ああああ~~~~っっ、目を覚ませ俺っ、この愚か者があああっ!


 思い切り叫んで頭を抱えて蹲りたかったけど皆の手前堪えた。

 彼女への恋はもうとっくに遠い過去だって、別人と同じだって何度も言い聞かせてるのに、どうして未だにこんな気持ちになるんだよ。彼女が変態野盗に連れ去られそうになった時だってそうだ。怒りに取り乱した。

 感情を思い切り掻き回される、それが嫌だったってのに……。


 このかつての恋をそっとしておいてほしかった。


 想定外の搦め手に、俺の感情は沸き立って波立って渦巻いて、彼女への愛しさが込み上げた。

 俺はきっとどこかおかしい。

 精神的には大人な俺がこんな子供の女の子に変だろロリコンかって話じゃない。


 年なんて関係なく、アイラ姫だからこうなるんだ。


 赤面を隠せない程、心底本気で照れるんだ。


 全くさ、これは何か逃れられない業なのか?

 心拍数を下げて気持ちを落ち着けて無様な顔の赤みを引かせたいのに、中々そうできない自分がもどかしい。バッチリ合っていた視線だけは苦労して何とか彼女から剥がしたものの、それ以上はどうすべきかわからずに、一先ず足元を見つめた。

 面と向かってもう会いに来ないでくれって直接的な拒絶の表明さえできない。

 蓋を開けてみれば俺ってばこんな情けない奴だったらしい。

 今なら断言できる。一度目の俺は皆から英雄って言われて天狗になってて立場も弁えずに王女様に公然告白までした勘違い野郎だってな。


 店内は未だ誰一人として声を発さない。


 それぞれにマイペースな師匠とシオン、加えてやや驚いているメイヤーさんのパンを咀嚼し嚥下する音だけが聞こえている。ノエルはどうしてか知らないけど俺みたいに顔を真っ赤にしてわなわな震えているし、男女の護衛は俺を凝視して俺の反応を窺っている。

 アイラ姫はもう小悪魔な笑みは浮かべていないけどその表情はすごく嬉しい出来事があった人そのもので、期待に胸が一杯で言葉が出ないかのようだった。


「――何だい何だい、皆して静かにしていると思ったら、パンがお口に合わなかったかい?」


 そんな皆のバラエティ豊かなだんまりに終止符を打ったのは祖母ちゃんだった。


 ああその顔「不味い」「合わない」って言われるなんてこれっぽっちも思ってないな。

 水中で息を止めているのにも似た変な力みが抜けていく。ゴリゴリに張ってあった超強力な拘束結界が一瞬で霧散したらきっとこんな気分だよ。

 皆はパン籠を置いて一旦奥に引っ込んでいた祖母ちゃんに、美味しかったって旨の感想を返していた。


「祖母ちゃんのパンをアイラ様に美味しいと言って頂けて光栄です」


 ようやく何とか顔から赤みを引かせた俺は、何とか取り繕って愛想笑いを張りつける。アイラ姫は「わたしこそこのように美味しいパンを味わえて光栄です」なんて返してきた。うーん、小悪魔みたいって感じたのは俺の勝手で過剰な反応だったのかもしれない。


「あ、そうだ祖母ちゃん、この際皆に店のパンを手土産に持たせてやってよ」

「それはいい考えだ。皆エイドのお友達のようだから特別に大サービスするよ。特にメイヤーさんには日頃からよくよくお世話になってもいるしねえ」

「えっ……」


 言いながら既に動いてカウンター裏からパンを入れるための紙袋を手に取っていた祖母ちゃんは、テキパキと店内のパンを数個ずつ人数分の紙袋に詰めていく。

 バターの香り漂う店の中、祖母ちゃんが有無を言わさずパン袋を一人一人に手渡す姿を見つめ、俺はやや青い顔で薄らとした汗を掌に握った。

 今の意味深な発言は……。


「武器を買ったのバレてたんだ」

「エイドの修行の方もね。おかげ様で砂浜が格段に綺麗になったらしいじゃないか」

「いやゴミ拾いと違うし、魔物は海から来るから綺麗になったかは微妙だけど……そっちも知ってたのか」


 祖母ちゃんは口の端を引き上げてにまっとした。


「あたしを誰だと思ってるんだい?」

「……俺の祖母ちゃんだよ」


 秘密がバレないようにって俺の苦心は全くの徒労だったらしい。


「まあ、頭ごなしに小言は言わないけどね、これだけ言っておくよ。くれぐれも死んだりするんじゃないよ。無理のない範囲で頑張りな」

「祖母ちゃん……」


 祖母ちゃんの夫、つまりは俺の母方の祖父ちゃんは片手間の冒険者だった。

 本職はパン屋だけど、人から頼まれたり誘われれば出掛けるってわけだったらしい。そんな祖父ちゃんは、友人に請われて出向いた魔物討伐から帰って来なかった。

 俺もまだ小さく、記憶にも残っていない時分の話だ。

 生死がはっきりわかったわけでもなかったらしく、いつ帰ってきてもまた一緒にお店をできるようにしておきたいって言ってたな。いつもは気丈なくせに妙にしんみりした声だったのをよく覚えている。

 腰痛が酷い日でも、俺の煎じた薬草茶を飲みながら休まず営業している祖母ちゃんのパン屋。

 今までずっと一人で切り盛りしてきたのには、そんな健気な理由がある。


 まだ明言はしていないけど、俺はこの海の街が好きだし、店を継ぐよ。


 これが冒険者にも王国軍人にも、もちろん王女様の専属護衛にもならない俺の選択だ。


 そうしたら今度は祖母ちゃんが俺の助手をやってくれよな。


「うん、頑張る。俺百まで生きるから」

「それは良いね。エイドの子や孫やひ孫や玄孫、そのもっと先の子たちにあたしを囲ませとくれよ?」


 いやいやそうなると最早人間の寿命じゃないだろ。壮大な家族集合だな。

 だけど、まあ、もしもそんな普通じゃ有り得ないけど最高に笑顔になれる光景を見られるなら、それはそれで破格の未来だよ。


 気持ちが和めば俺の中には根本的な疑問が湧いてくる。


 てゆーか、そもそも皆どうして俺の所に集まってんの?


 確かに港から店に移動を促したのは俺だけど、それは師匠とメイヤーさんに対してだ。

 だからその二人はわかる。

 アイラ姫一行は何か用がありそうだし、港で用件を訊かなかった俺の落ち度だから百歩譲ってわかる。

 でもノエルとシオンと黒服、店内に入っているのは連中のごく一部だけど、彼らはどうしてここまで付いてきたんだよ? 帰らないの? そもそもシオンは具合悪くなかったっけ?

 店の外を見ると手配したんだろう復路用の箱馬車が停まっている。二頭立てだから馬力があって速そうだ。ダーリング侯爵家のコネがあれば豪華四頭立てもできたんだろうけど、村までは細道もあるからこれなんだろうな。関係ないけど俺が帰省に使う乗合馬車は何を隠そう一頭立てだ。

 二人と黒服さんたちはさっさと帰ればいいのになあ。

 突然遊びに来たお前らに悠長に構ってやってる暇はないんだ。面談予定が立て込んでるんだよこっちは。

 しかしまあここに居るもんは仕方がないと、俺はノエルたちからお帰り願うつもりで向き直る。


「今更だけど、久しぶりだなシオン」

「あ、うん久しぶり」

「具合はどうだ?」

「まだちょっと」

「そうか、じゃあ大事を取ってノエル共々早く帰れ。またな」

「え?」


 戸惑うシオンからノエルに目を向ける。


「お前も助けてやったんだし、恩に感じてもう帰れよ」

「それどういう理屈よ! もちろん助けてもらったのは感謝してるわ」

「ハイじゃまたな~。道中気を付けてな~」


 俺は強引にシオンとノエルの背を押して店の外に出そうと試みる。


「えっやだちょっと待ってよ! そう言えばあんた船に居たって言ってたけど、本当にあの船に乗ってたの?」

「乗ってたよ」

「でもだったらどうやって岸壁まで来たのよ?」


 ああノエルは気を失って海に沈んでたから、俺が剣に乗ってすいすい~っと颯爽と飛んできたのは見てないんだよな。


「飛剣魔法ってわかるか? それでだよ」

「聞いたことはあるけど、じゃああんた本当に船に居たのね」

「ああ、だからそうだって言ってるだろ」


 すると彼女はむっつりとして黙ってしまった。でも近くの柱に手を掛けて踏ん張る力は緩めない。風呂に入れられたくない猫かこいつは。赤毛猫め。シオンは痩身を生かしてさりげに俺の押し出しを回避したし、何なんだ。おい黒服さんたちとりあえず仕事してノエルだけでも連れてけよな。


「何でここで怒るんだよ。意味不明だな」

「だってあんたってば前以てその子に誘われて、船で逢引してたってわけでしょ!」


 逢引?


「おお九歳でよくそんな言葉知ってたなー偉い偉い」

「シオンが本にあったって教えてくれたのよ」

「お前ら普段どんな会話してんだよ……」


 些かの脱力を感じた俺は、ノエルとシオンの組み合わせってのもあってドロドロの愛憎劇が頭に浮かんだ。俺もう刺されるの嫌だよ。

 一方、ノエルから無礼千万にも指を突き付けられたアイラ姫は「逢引……」と小さく呟いて赤くなってしゃがみ込んでしまった。王女様の教養からすれば知っていても不思議じゃないけど破廉恥には聞こえるのかもしれない。

 言葉一つでこんなうぶで可愛らしい反応するなんて、さっきの小悪魔はやっぱり俺の考え過ぎで子供の無邪気さだったんだな。


「あのなあ、肉じゃあるまいしアイビキなんてそんなわけあるかよ。大体アイラ様に非常に失礼だろ。……俺たちの身分差を考えても普通にないだろ」


 最後の方を小声で告げれば、ノエルはそれも尤もだと思ったのか立てていた気を静めたようだった。


「まあそうよね。あたしの方がよっぽど釣り合ってるわよね」


 ん? それはダーリング家の令息とって話か?

 いきなり飛躍したな。まあ確かに身分差的には平民で一村民の俺と王女様よりは狭まってるよな。こいつ建前じゃ嫌だ嫌だ言ってても、何だかんだで本音じゃ満更でもないってわけだ。女心は複雑だなー。


「言っとくけどなあ、俺だって途中まではアイラ様が乗船してるなんて知らなかったんだからな」

「本当に? だってあんた可愛い子狙いの変態ストーカー…」

「違わい! 本当に知らなかったって。もしも事前に彼女が乗るって知ってたら、俺だって乗船を思い止まったよ」


 ノエルは意外そうに瞬いた。

 アイラ姫は「え」と傷付いたような目をした。護衛たちが殺気立つ。


「あっいやほら王家の方と一緒の船で同じ空気吸うなんて平民の俺にはとても恐れ多かったんですよ! ディスってるわけじゃありませんからね? ね? 俺小心者なんです!」

「あんた、――もしかして避けてるの?」


 おーーーーいノエルウウウッ!

 図星だけど、本人の居る所でそれ言うか、言っちゃうか!?


「お前ホント人の気持ちなんかお構いなしのノエル様だよな!」

「はあ!?」


 眉を吊り上げノエルは反発も露わにしたけど、俺はさ……指摘にあからさまにぎくりとしちゃったよ。

 やべえだろ。もう誤魔化せない。

 自分の失態にだらだらと冷汗が滝のように流れてくんですけど~。ああでも一縷の望みに懸けて願う、どうか聞いていませんように聞こえてても空気読めない天然発揮で意味がわかっていませんようにッ。

 アイラ姫を地味にディスりながら、ぐぎぎぎとぎこちない首の動きでチラ見すれば、彼女の目から光が消えていた。


「ひっ……!」


 普段は凄く綺麗な緑のはずなのに、木の暗いほらみたいな目の色してるんですけどッ。初めて見る彼女のホラーな表情に凍りつく。口が乾き無意識にゴクリと唾を呑みこんだ俺はその闇に呑まれたらアウトだよって恐恐となっていた。

 これまでの三度の人生で対峙してきたどんな魔物よりも恐怖を感じるのは何故かなー?

 護衛たちは姫様を退けるなど言語道断とばかりに睨んでくる。でもさ近付いても駄目遠ざけても駄目って不条理も甚だしいよお宅ら。


「そう言えばそうだよね、エイド君は魔法剣に乗れるんだよね、一部始終をずっと見ていたけど凄かったよ!」


 ちよっと時間ロスあり過ぎの返しだけどナイスシオン、天の助け……!


「あ、おう、そっか。ハハハそうなんだよ。本当にそうなんだよシオン! 今度後ろに乗せてやるよ!」

「ホント? わあ嬉しいなあ~」

「ずるいわよシオンだけ!」

「ずるいです」


 女子二人の文句はスルー。

 シオンの言葉に「ホントホント」と俺は大きく何度も首肯して、傍に寄って後ろに回った。

 だって猛烈に女子たちから距離を取りたかった。


「だけど今日じゃないぞ。今度は今度だ。今日はだから気を付けて帰れよ」

「わかった。じゃあ約束だよ」


 シオンは穏やかな空気を纏ったまま、パンの袋と重い辞典を両腕に大事に抱え直した。


「ノエル様今日は帰りましょう」

「もう? 嫌よまだ居るわ」

「うーん、一度引いてみるのも駆け引きの一つですよ、案外効果覿面てきめんな場合もあるみたいです」

「……それホント?」

「はい。先日読んだハチミツ婦人の指南書に書いてありました」


 ハチミツ婦人? 誰だそりゃ。後で知ったけど巷で大人気の恋愛バイブルの著者らしかった。プロフィールは一切不明なミステリアスな貴婦人なんだとか。ド田舎のロクナ村にいてよく知ってたな。しかも読んだのか……。知った刹那は本格的に二人の日常会話が気になったよ俺……。


「へえ、そうなの。へえ……」

「それに彼の動向は今まで通り密偵に逐一入れさせるつもりなんですよね。でしたらここで無理をして下手を打つようなリスクは避けるべきです」

「……それは確かに、そうよね」


 何がどう作用したのか、ノエルは急に聞き分けが良くなって、これも何がどうしてなのか横目で俺を見据えた。

 ただ、密偵とか逐一報告って何だろうな、ハハ……。監視されてたのか俺。でも師匠以外からの長時間の視線は感じなかったから、定時チェックだったり周辺への聞き込みに終始していたんだろう。

 はあ、それにしてもノエルはシオンまで巻き込んで何を企んでいるのやら。良い予感はしないよ。


「じゃあ帰る。それじゃあねエイド。また手紙書くから」

「あー、無理しなくていいよ」

「書くわ!」

「はいはい……」

「またねエイド君。とても久しぶりに話せて嬉しかったよ。おじさんたちに何か伝言はある?」

「あ、じゃあとりあえず俺は元気でやってますって言っといてくれ。じゃあな」

「わかった」


 で、黒服共々あっさり帰って行った。

 ちゃんと礼儀正しく祖母ちゃんにお礼は忘れずにだ。

 一つ目の台風が一過して何だか拍子抜けした俺は、気付けば店先まで出てしばらくポカンとして去りゆく彼らの馬車の背を見送っていたよ……。





 店内に戻った俺は、外の空気を吸ったおかげか気分一新と残る皆の前に立った。

 次はアイラ姫かメイヤーさんだな。

 そう思っていると、心配して残ってくれていたんだろうメイヤーさんは、祖母ちゃんがいるから自分がいる必要もないだろうと判断したのか、はたまた空気を読んだのか、必要最低限の会話と挨拶をして帰って行った。

 ホッとしたけど、有難いやら申し訳ないやらだ。

 日を改めて今日のお礼をしに行こう。

 店先でまた見送った俺は、戻りつつドアベルの鳴る下でちょっと疲れた心地で顔を上げた。

 一時闇落ちしたかと危ぶまれたアイラ姫は、すっかり元通りの可愛らしい姿で立っている。あれは疲れが見せた幻覚だったとか?


「アイラ様。今日は一体俺に何の御用ですか?」


 探りや前置き、お日柄も宜しくなんて挨拶の口上や社交辞令はもう面倒で、俺は直球を投げた。

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