第21話 油断ならない指ぱく

「さあさあ遠慮せずにお食べ。お前さんたちタイミングが良かったね。焼き立てだよ」


 祖母ちゃんの促しに、感謝の言葉をそれぞれ口にする面々の手が、香ばしい湯気を立てるパン籠へと伸ばされる。

 ここには他にも棚や台にパンが並んでいる……というかぽつぽつと残っている。いつもの如く午後って時間的にもう売り切れている棚がほとんどだったけど。


 俺は、いや港にいた俺たち皆は祖母ちゃんの店に来ていた。


 濡れ鼠組の俺たちの服は師匠が親切心なのか魔法でさらっと乾かしてくれたし、アイラ姫たちはとっくに仮面を外している。

 乾燥魔法は塩分除去も込みだったのかどこもベタ付かず、女子二人は着替える手間も省けて嬉しそうだったっけ。

 余談だけど、魔法は攻撃意思がなければ人間や使用者には優しいってか無害だ。でも考えなしに使えば、衣服なんかの物質は当然魔法で劣化したり破損したりと何かと傷む。

 乾燥魔法だって例外じゃない。

 だけど師匠はそもそも繊維じゃなく衣類に染みた水分とか塩分に魔法を与えたから、服が破れる心配はなかった。でなきゃ俺も女児二人もあられもない姿になってたよ。

 彼に師事するまでは魔法は使えたけど両親からは人前では使わないように言われていたのもあって、人に向けたことはなく服が破れてきゃーっなんて被害は出なかった。まあそもそも子供で素人の魔法威力なんて高が知れていたし、使ったとしても大した劣化現象は起きなかったに違いない。

 顕著な影響が出始めるのは、王国軍に戦力魔法使いとして起用される水準が境と言っていい。

 詳しく言えば、箒に乗って空を飛べればその境を超えている。


 とにもかくにも、一流の魔法使いたる者、的確に魔法対象物を指定して魔法を行使するべしってのが基本なんだと師匠から初めて教わったんだよな。


 師匠曰く、物質は目には見えないとても細かな粒からできているとか何とか。

 そんな概念を教わった時はちんぷんかんぷんだったけど、それを頭に叩きこんで魔法の調節とか方向性を練習するうちに感覚的に理解出来るようになった。

 言うまでもなく心力の修練も必須だ。

 その結果、格段に失敗も減ってイメージ通りの効果を与えられるようになった。魔法の精度が上がったんだ。

 彼の指導のおかげで英雄視されるようになって、さすが伊達に年食ってないなって率直に称えたら、褒めてないって不機嫌になって空間転移魔法で猛獣ならぬ猛魔獣なサラマンダーが群でうようよいる溶岩洞窟に飛ばされたっけなー。いくら俺でも集団はキツかった。溶岩に落っこちそうにもなったしあの時はマジで死ぬかと思ったよ……。まあその少し後に本当に死んだけど。

 まだ営業中だったにもかかわらず、俺たちの姿を見て一時的に店を閉めてくれた祖母ちゃんは、皆が二、三個は食べられるだけのパンをわざわざ奥から運んできてくれた。補充分の売り物だったんだろうに突発的な来客に快く提供してくれて、我が祖母ながらつくづく太っ腹な御仁だよ。


 因みに、今は店頭のパン置き台の一つをぐるりと皆で取り囲んでいる状態だ。


「い、いいのかい本当に? 本当の本当に?」


 俺も含めたこの場の大半がパンを各々の手に取っている中、もたもたしている師匠が向かい側から俺に熱視線を送ってくる。

 美食家の彼からすると、絶対に超絶美味いこの祖母ちゃんのパンは、むしろ恐れ多くて手が出せないって感じなのかもしれない。

 内心苦笑しつつどうぞと頷けば、師匠は勇気を得てか飛び上がらんばかりに喜々としてペロリと舌嘗めずりをした。小花がいつになく沢山出てきて浮遊してるし。この後床に落ちて散らばるんだろうし床掃除が大変だな。食用花なら落ちる前にもらうのになあ。生憎と適さない種類だから残念だ。


「そ、それじゃあ頂くとしようかな! ……こほん、因みにナイフとフォークなんかは…」

「ないですよッ。ステーキじゃないんですし普通に手で掴んで食べて下さい」


 大体師匠あなた紳士っぽい言葉を吐いてますけど、涎ヨダレ。口元すんごい状態になってますからね。待てされている犬かい全く。

 食い気駄々漏れの彼は今や貴族然とした雰囲気の欠片もなくとんでもない顔だ。

 ほら~アイラ姫の女護衛とノエルが師匠を見て心底気持ち悪そうにしてるー。まあ気持ちはわからなくもない。

 シオンは全く興味がないのかさっさと片手に取ってパクつきながら台の空いている部分を利用して辞典を読んでいる。男護衛は抜け目ないような目で師匠を注視している。きっとそこ知れない師匠の何か――食い意地じゃないとは思う――を感じ取っているんだろう。


 このアイラ姫の護衛二人とは、実は逆行前では面識がなかった。


 三度目人生でのご新規さんなんだよな。


 だから俺の中に彼らについての情報が一切ない。


 一体どんな力を秘めた二人なんだろう。

 双方実力者ってのは感じ取ったよ。片方は元マイ剣の主人になるほどだし。それもあって、うんやっぱアイラ姫には関わらない方が身のためだよなーって思ってる。

 まあでも正直な所、アイラ姫を害さなければ敵になる心配もないんだろう。

 さっき海に落ちた時はだからかなりヒヤヒヤした。

 二人をくっ付けたままそこそこ海中に沈んだ所で我に返った俺は、慌てて指環から魔法剣を出してそれを足場に二人を両脇に抱えて海上に戻ったんだよ。

 だけど王家の護衛二人は小僧貴様の踏ん張りが足りないせいで我らの姫様がずぶ濡れにおなりになったって目が言ってた。

 特に女護衛の方が猛烈に。


 でもあれ俺のせいじゃないよ。


 むしろお宅らの猪姫のせいだよ。


 まあ言ったら怖いから言わなかったけど。落ちてすみませんでしたって無難に平謝りした。

 黒服たちの方は随分と青い顔であわあわしていたけど、ノエルを助けたのは本日これで二回目だからか特に文句を言ってくる様子はなかった。

 シオンはずっと三角座りで読書。メイヤーさんは動揺こそしたけど心配はしてないって顔だったし、師匠は相変わらず機嫌良さそうで腹の中は読めなかった。

 覚醒させたばっかの魔法剣を使いこなしている俺に、押し付け……いやいや託した甲斐があったって満足していたのかもしれない。

 話をパン屋に戻すと、メイヤーさんは俺たちの状況を見て苦笑している。早くも二個目のパンを頬張ってな。


 アイラ姫は……ええと、どうしてだろうな、俺の隣に立っているのはいいとして、パンも取らずに服の裾をギュッと掴んでくる。


 もう逃げないよ……。

 だから頼むから放してくれ。

 護衛たちの視線がマジで痛いから。


「ええと、アイラ様、良ければ祖母ちゃんのパン食べませんか? 味は保証しますよ」


 親切心と解放願望から俺手ずからパンを取ってやれば、彼女はやっと俺から手を離して両手で恭しく受け取った。

 いやいや普通逆だろ……ってああほらまた視線が突き刺さる。


「姫様、では小生めが毒見を」


 当然のお役目か、一人称小生男が一歩近付いて手を伸ばしたけど、アイラ姫はパンを護るように体ごと拒んだ。


「必要ありません。これはお持ち帰りです」


 お持ち帰り?


「ああ必要なら後で祖母ちゃんに言って包んでもらいますよ?」

「そういうのではありません。コレだからこそ、持って帰って保管します」


 ……はい?


 お食べにならないのですか?


「えっとわざわざ保管用に持ち帰らなくても……。王都にだって美味しいパン屋はありますでしょうし。うちの店の焼き立てパンはここでしか味わえないですから、どうせならあったかいうちに是非ご賞味下さい」


 俺が丁寧に勧めれば、彼女はジッと俺を見てゆっくり首を振る。


「いいえ。これはエイド君から初めて手ずから頂いたパンなので」

「……」


 えーーーーっと、どういう意味?


 冗談じゃなく本気でそれコレクションすんの?

 だって一介のパンだよ?

 練って焼いた小麦粉だよ?

 王女様なんだしもっと高級な小麦粉のパンを食べ慣れてるだろ。今は一昔前みたいに白パンが珍しいってわけでもないんだし。

 まあうちの店にはライ麦とかその他の雑穀が入っているのも普通にあるけど。で、究極は薬草な。ああその薬草パンはおかげさまで既に売り切れだ。シーハイの皆さんあざっす!

 少し戸惑いはしたものの、俺は無理にからからと明るく笑ってみせた。

 きっと冗談だろうから何冗談言ってるんだよってニュアンスで笑い飛ばすつもりだったんだ。


「あははは、まさかそれでパンの剥製でも造るつもりですか?」

「当然です!」

「――どうか普通に食べてくれっ!」


 ああもう素で突っ込み入れちゃったじゃねえか!


 わーッごめんなさいごめんなさい護衛の人殺気立たないで!

 はあ、それにしても後でカビが生えたとかカピカピに硬くなってたとか品質劣化でクレーム入れられても困るから、食べる気がないなら仕方がない、俺が食べるか。無理に押し付けたも同然だしな。

 そう思ってパンを取り戻そうとした矢先、


「この場で食べないのなら私が食そう」


 師匠があっさりと彼女のパンを空間転移させて自分の口元に持って行った。

 空間転移魔法は空間それ自体に作用するから、パンが木っ端微塵になるとか破裂するなんていう問題は起きない。


「あ……」


 アイラ姫は大きく目を見開いて愕然とし、ややあってじわりと涙を浮かべた。


 対する師匠は「このパンへの冒涜は看過できないものでね」なんてさも人格者っぽく言ったけど、それでもさあ~ちょっと大人としてもう少し考えてくれって思うよ。美食を愛するが故に全く悪気がないのはわかるけどさ。

 アイラ姫は今にも泣き出しそうだ。

 なあどうするよ師匠。ゴチでした~とか言ってまさか逃げたりしないよな?

 師匠のせいなんだし、もう過去とは言え弟子も連帯責任を負うべき?

 ああそう言えばまだ魔法剣については何も話していない。そんな時間はなかったし、皆が帰った後でじっくりと腰を据えて話すつもりだったからだけど、剣を俺にくれ逃げもさせねえよ。

 へっへっまあ祖母ちゃんのパンさえあれば師匠に一人残ってもらうのは簡単だ。


 それに、弟子になれって発言の真意も問いたかった。


「あーええとアイラ様、泣かないで下さい。やっぱり食べたかったですよね。ならこのパンをどうぞ。店のパンは本当に俺の自慢なんです」


 困り果てた俺はふと思い付いて、自分の手にしていたパンを彼女の口に押し付けた。


「んむぐ!?」

「あっちょっとエイド何してんのよ!」


 アイラ姫とは反対隣のノエルが声を尖らせたけど、アイラ姫は涙も引っ込んだのか目を丸くしたのち、落とさないように手で押さえると少しずつゆっくりと咀嚼した。


 ――俺の食べ掛けのパンを。


 あ、いや食べ掛けって言っても、歯型のある部分はきちんと手でちぎったから汚くないよ大丈夫……なーんて呑気にしてはいられない。

 考えてみれば鼻たれ小僧の俺が自分の食いさしを勝手に高貴な姫様の口に押し付けたっていうこの上ない無礼に、護衛たちが怒らないわけがない。実際それぞれの剣に手をやった。

 うああああだよな! 普通に考えてアウトだろこれ!

 二度目人生での過酷な軍隊経験のせいだ。野営地じゃ大半の皆が腹を空かせていたから誰かがパンを残しても、別の誰かがその残りを食べていた。回し食いとかにも抵抗なかったからついうっかりやらかしちゃったよ。


「わーっ! ほらほら見ての通り毒見したも同然って言うか、毒は入ってませんからご安心を!」


 俺は滝のような汗を掻き掻き大袈裟なジェスチャーも交えて慌てて護衛二人に弁解した。


 だけどそれに気を取られていたせいで、俺の手に残った方、つまり俺の本当の意味での食いさしに注意を向けていなかった。


「……美味しいです。御代わり下さい」


 横で上がったアイラ姫の控えめな声が動いて、手の先に何かが触れた。


 ん? 何だ?


 疑問と共に見やった俺は、見やった瞬間に瞠目して固まった。


 アイラ姫が俺の手に残っていた方のパンまで食べたからだ。


 しかも、俺の手先にパクついて。


 確実に指に当たった唇が離れて、でも俺はまだ呆然として彼女を見つめた。


 ドキドキドキと、ヤバいくらいに、心臓が尋常じゃないくらいに五月蠅い。

 で、でも相手が彼女じゃなくても、不意打ちで可愛い子にこんなことされたら誰だって、本当にマジに世の男なら大半がこうなるに決まってる…………と思う。


「ちょっとエイドあんたねえっ!」


 俺の腕を掴んで揺さぶるノエルが何故か俺に怒ってくる。俺のせいなの?


「ご馳走様でした。本当にとても美味しいパンですね」


 絶句し、赤面する俺を前に、満足そうなアイラ姫ははにかみながら可愛らしく小首を傾げると、極めつけとばかりにぺろりと唇をなめた。


 ……え?


 記憶にあるのはもっと大人の彼女の控えめで奥ゆかしい微笑みだ。

 これは子供ゆえの無邪気さなのか?

 果たしてそうなのか?


 どう見てもかつては見られなかった積極性としか思えないんだけど。


 そりゃあこの人生は俺が何もしていない部分でも、一度目とも二度目ともどこかしら何かしら異なっている不可解さがある。


 耳横でノエルの歯ぎしりが聞こえた。

 三者三様の皆の沈黙が視界の端にある。

 シオンが一枚ページを捲り、乾いた紙の擦れる音が妙に鼓膜に響く。

 ……俺は一つ言いたい。

 いや是非とも言わせてくれ。


 ――――誰だあああっ、これッ……!!


 彼女は小悪魔の幽霊に取り憑かれたのかもしれないと、俺は半分自分でもアホらしいとは思いつつ、思考のもう半分ではとても深刻に危惧していた。

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