第13話 また出現だよ、アイラ姫!

「――三百五十万!」

「――三百六十万!」

「うぐぐ、三百六十一!」


 開始金額は百万。

 オークション会場は一品目から熱気の渦に見舞われている。

 この国の勤め人は一月大体三十万前後で暮らしているから、この額はまあ、普通に考えれば結構なお買い物だ。

 因みにこの国の通貨単位は「ファン」だ。

 正確には「ファンタジ」なんだけど、いちいち「十ファンタジ」「百万ファンタジ」なんて言うのは長いので、国内では「ファン」で通じる。


「いい加減諦めろよ。三百六十三!」

「そっちこそだ、三百六十五!」

「へっ勝手にそこで喧嘩してろ、三百七十でどうだ!」


 予想通りなのか予想以上なのか、複数の希望者が未だに競り合っている。

 海流の瞳はそんな熱意に溢れる競売人たちを静かにその表面の不可思議な光沢に映し込んでいる。


「ちみちみ吊り上げてて面倒だな。四百でどうだあああっ!」

「おお、四百万が出たかあ~」


 おお、とか言いつつもメイヤーさんは然程驚いていないような様子で余裕って顔をしている。


「まあ妥当だろうな。初見の品には珍しくない額だ」

「へえ、そうなんですか」


 そこまでオークションに詳しくない俺には妥当な相場はわからない。既存の品の流通価格なら結構詳しいけどな。


「でも、高値で買って実は役に立たない物でしたってなったら激怒するんじゃ……?」

「確かにそういうリスクも含まれているが、もしもあの海龍の瞳が初めて世に出た価値ある物だった場合は、より高値で転売できる。物によっちゃ桁が一つ二つ違ってもくるから当たった場合のリターンが大きいんだよ」


 そうか、だから躍起になって落札しようとしているのか。

 あの真珠のような球体はなるほど上流階級の人間には受けそうだ。

 見た目はとても綺麗だし、仮に素材としての使い勝手が全くなく価値がなくとも、高貴な者のインテリアとして飾っておく分には十分見合う。

 まあ見た目だけで言えばの話だけど。


「四百程度で何を偉そうに。四百一万!」

「何だと? 偉そうなのはお前だろ! 四百十!」


 また小競り合いのようにして値が少しずつ上がっていく。それと同時に競り客同士の感情のぶつかり合いもヒートアップしていて、睨み合う大人たちの雰囲気は今や剣呑だ。


「メイヤーさん、あの人たち大丈夫ですかね?」

「さあなあ、殴り合いになる時はなるからなあ」

「え……それはまずいのでは……」

「いやなあ、こうなってくると金額の上下っつーより、最早意地と意地のぶつかり合いなんだよ。海の商人魂ってのか? そんなのでよく喧嘩になるんだ」


 だからメイヤーさんはさっき「荒れる」って言ったのか。王都じゃ絶対に考えられない粗野さだなそれは。オークションで喧嘩なんてしたら即つまみ出されて出禁だよ。

 金額が五百万ファンを目前にした辺りで、いよいよ会場の空気もかなりギスギスして一触即発に近いものになっている。


「こりゃ五百って誰かが言った瞬間に乱闘騒ぎになりそうだな」

「あー、誰も諦める様子はなさそうですもんね」


 諦めたくはないけど、これ以上値を上げるのも苦しい。

 残っている複数人の心境はそんな具合だろうな。

 だから五百に上げた時点でまた振り出しに戻った感は否めず、何くそまだ仕掛けて来るのかこの野郎って堪忍袋の緒も切れるってわけだ。

 ていうかどうするんだよ。新たに出品される度にこう徒に時間を使って険悪になるんじゃ、今日のオークションは夜中まで掛かるんじゃないか?


 小さく嘆息していると、とうとう誰かが「五百万」と宣言した。


 あー……。

 ガタタと激しい音を立てて何人もが席から勢いよく立ち上がった。

 大半が男性だけど中には女性の姿もある。見た感じ彼女たちも腕っ節は強そうだ。

 会場はやんややんやと囃し立てるような者と、迷惑そうに眉をひそめている者に分かれている。俺とメイヤーさんは後者に近い。


「あの、誰かが止めなくていいんですか? それこそ会場の係の人たちは何してるんだって感じですけど」

「まあ主催者側もさすがに容認の限度があるだろうから、危険と判断したら止めには入るよ」

「じゃあそれまでは傍観してろってことですか?」

「概ねは」

「それは……」


 正直腹立たしい。どうして誰も公正な場を乱すのを止めないんだ?

 感情的になって殴り合ったらすっきりするのか?

 青春野郎たちの間でそういう場面もなくはないだろうけど、ここじゃ駄目だろ。荒事に慣れていない人だって一定数いるはずだし、とばっちりで怪我でもしたら大変だ。

 五百万を告げたのはどこかの男性商人で、その一人へと一番距離の近い競合相手が拳を握って飛び掛かろうとした所で、俺は我慢できずにぐっと歯噛みした。

 隠していた身体能力を晒して今にも仲裁のために跳躍しようかという矢先、


「――一千万」


 唐突に、まさに突然の飛躍で大台に乗った金額に、会場内が水を打ったように静まり返った。

 血気盛んになっていた者たちは間抜け面を披露し、司会の女性もやや戸惑って声の出所を眺め、俺とメイヤーさんも間抜け面の括りに漏れない顔になっていた。


「あ、ええと一千万出ました。そ、それではコールしますね。一千万、一回……一千万、二回……」


 コール三回で落札者が確定するのが決まりだ。


「ええと本当に他に居ませんね~?」


 女性が二度の一千万コールをして念押しする。

 しかしもう誰も値を吊り上げる者はいない。それまで熱狂していた者たちもいつの間にか腰を下ろしピタリと口を噤んでいる。

 皆が皆、一千万はさすがに出せない様子だった。


 その沈黙の上を無情にも、いやある意味温情なのかもしれないけど、三回目の一千万コールが流れた。


 この決定は覆らない。落札者の確定に場内はどこかホッとしたような空気で満たされた。


「それでは、一千万ファンで海龍の瞳、二十四番の方が落札!」


 欲しい品がある時は番号札を上げて金額を叫ぶ。

 魚市場や野菜市場みたいな所だと指で示す所もあるみたいだけど、ここは声も届くので直接一声上げるって手法らしい。

 番号札は乗船時に配られている物を使っている。

 何のことはない、数字が書かれた長方形の木札だ。

 メイヤーさんだけじゃなく俺の方にも配ってくれたけど、欲しい商品は被らないだろうし彼と兼用でも支障はなかったとは思う。

 メイヤーさん情報によれば、二十四番の札を持つ落札者は複数の貴族の後ろ盾のある商人らしく、一千万ファンくらいの出費じゃ余裕なんだとか。

 よく観察すれば壮年の商人で、毎日美味いものを食べているのか恰幅がよく、着ている服もシャツにズボンの普段着の俺たちとは異なりきちんとした正装で、しかも上等そうだった。

 横を向いて誰かの指示に頷くようにしながら愛想笑いを浮かべている。きっと彼のパトロンの一角が傍に居るんだろう。

 海龍の瞳の落札も、そのパトロンの意向に違いない。


 男性商人の横にずらりと三人腰かけて仮面を付けているのがパトロンご一行だろうな。


 仮面で顔を隠しているなんて余程素性を明かしたくないんだな。そういう人間も中にはいるから別に不思議じゃない。現にこの会場には他にもちらほらと仮面で顔を隠している人たちがいる。


 ふと、その中の白髪の一人に目が止まったけど、俺は何でもなかったように視線を外した。


 いや~何となく白い髪の色とか背格好とか師匠に似ている気がしないでもなかったけど、ハハハそんな偶然あるわけないだろ。


 むしろ俺が気にすべきはたった今落札した商人の連れたちの方だ。


 入口にチケット売り場があったら大人二枚に子供一枚って注文しているはずだ。

 あの三人は……というか主に古代魔法剣を椅子の脇に立て掛けている大人の女性と思しき相手には覚えがある。


 どちらかと言えば彼女の剣の方に。


 あー……これは確定だろ。俺が元相棒を見間違うはずがない。


 うん、まあ、仮面を付けているって言っても髪とか服装とか装備とかはそのまんまで、全然隠せてないよなって時あるだろ?

 彼らはそれだった……。

 ぶっちゃけ大きく脱力したかった。メイヤーさんがいるからしないけど。


 何でここにまで来てるんだよ……アイラ姫ご一行様は……っ。


 あの子供仮面は十中八九アイラ姫だ。

 で、他二人はパン屋に同行していた護衛の男女。

 向こうは俺に気付いているのかいないのか…………いや確実に気付いてんなあれは!


 だってさっきからあの子供仮面がめっちゃこっち見てるもん!


 ひーっ何で!?

 俺は何となく視線に耐え切れず、メイヤーさんの陰に体を隠すようにした。

 ここ一月感じていた探るような視線とはまた違った緊張感を強いられる。

 えー、この前ぞんざいに追い返したよな俺。態度悪かったよな俺。壁作ったつもりだったんだけど通じてなかったのか?

 いやそんなはずはないって、何かしょんぼりして帰ってったし。

 じゃあ何でまた懲りずにこの街に来てるんだ?


 ……アイラ姫、案外図太い説?


 ハハハハいやいやいやいやいや~~それはないだろーー。

 だっていつも気遣い屋で控えめで遠慮がちだったし。

 まあだけどやっぱり……俺に用事だよな。


 そもそもどうして一国のお姫様が何でもない平民の俺に興味持ってるの?


 魔狼から助けた件は別として、俺は世間的には目立った活躍なんて一つもしてないんですけどね。


「どうした坊主?」

「えっ、いや何でもないです」

「本当かあ?」

「あはは」


 はー、ここで取り乱しても仕方ないじゃないか。

 オークションが終わったら何とか接触なしに出られるようにするとして、今はステージに集中だ。

 心配そうに見下ろしてくる隣のメイヤーさんを遠慮がちに見やる。


「その、今の凄い値が付きましたけど、メイヤーさんはああいうのには興味がないんですか?」

「興味がなくはないが、得体の知れないものには手を出さない主義でなあ」

「なるほど」


 確かに、どんなに見た目が美しくても何かわからない物を手に入れた所で、使い道が不明なままじゃ文字通りの宝の持ち腐れだ。とりわけメイヤーさんみたいな自分で材料を見繕って一から剣を打つ職人兼商人をやっていると現実的に物を考えるのかもしれない。

 きっとあの海龍の瞳はどこかの……そう例えばこの国の王家でインテリアにされるのが相応しいよ。

 のっけからの大盛り上がりというか乱闘騒ぎに発展しかけた会場内では、既に次の品の競りが始まろうとしている。

 いきり立っていた商人たちもすっかり冷静さを取り戻していた。


 カラス同士で餌を取り合っている所にいきなりオオワシが現れたら、そりゃ度肝を抜かれて目も醒めるよな。


 二品目は小箱に入った何からしく、司会の女性が自らで蓋を開け中身を披露した。

 今度は大粒の宝石の付いた耳飾りで、一品目程の盛り上がりには欠けたけどそこそこの値で落札された。三品目四品目五品目、と次々と珍しいものが出て来ては順調に落札されていく。

 もうそろそろ十品を数えると言う頃、メイヤーさんが競りに参加して海底にしか造られないという鉱物の塊を落札した。

 そして更にステージ上を出品物と競り合う声が行き交って、とうとうラストの二十品目になる。

 品数は開催回によって増減があるのは普通だけど、今日はやや多いそうだ。


「とうとう最後になったなあ。今度こそは魔法剣だといいが……」

「そう願います」


 今日はこれまで魔法武器の類は一切出てきていなかった。

 落胆がないと言えば嘘になる。


「たとえ今回はなくても次回もありますし、メイヤーさんがそんな気に病まないで下さいよ。それにまだ最後の品は何かわからないですし」


 そう話しているうちに、係の女性がしずしずとした足取りで布に包まれた細長い物体を運んできた。

 細長い形的にもしかしたら剣や槍の類かもって期待できる。

 しかも微かに魔法の気配がする。

 これはもしかしてもしかするのかも。

 今日この場に武器は出てきたけど、どれもちょっと物珍しいだけの普通武器だったから、俺は競りに臨まなかった。

 ステージ中央の台上に置かれた布包みを係の女性が広げていく。


 中から出てきたのは、期待通りの一振りの剣……ではなく、剣なのか違うのかもわからない、強いて言えば焼けた木材の化石があったらこんな風だろうという珍品だった。


 黒っぽい棒のような物に土砂がこびりついたと言っても過言じゃない。

 とにかく、一品目と同じく一体何なのかわからない物だった。

 唯一、一品目の海龍の瞳と違うのは、見た目に華が全くないという点だ。


「何だありゃ? 黒々として、海底人の墨か?」

「さ、さあ俺にもよくわかりません」


 いやいや海底人って……。墨って……。

 メイヤーさんも可笑しな例え方をする。

 でもマジな話、ホントに何なんだあれ?

 魔法的な「素材」なのか「武器」なのかもわからない。

 俺たち同様に他の皆も席近くの知り合いと顔を見合わせたりしているから、やっぱり誰も何かわからないんだろう。

 俺は大人しく司会の言葉を待った。

 あれが何かわからなくても来歴くらいは説明があるはずだ。


「本日最後の品は、底引き網に引っ掛かったという魔法素材です。詳しい性質はわかりませんでしたが、魔力を宿しているのは確かな品です」


 魔法……「素材」……?


 俺自身もその可能性は思い付いてはいたけど、いざ他人の口からそうだと断言されると急激な違和感が湧いた。


 本当にあれは魔法素材なのか?


 ジッと目を凝らしても光沢もない黒い中身を透視できるわけでもないし、何も掴めない。

 あたかも焦げとか消し炭がまんま化石化したような細長い真っ黒な物体は、ただただ海底の一部と同化したまま沈黙している。


「魔法素材だってんなら、あれで武器の依頼をするなり魔力を利用するなり、使い道は幾つか考えられるな」


 メイヤーさんが「まあおじさんには扱えない代物だがなあ」なんてあれが魔法武器じゃなかった落胆を紛らわすように苦笑した。

 真実あれが魔法素材なら周囲に付着した土砂を取り除けば使い物にはなるだろう。ただ、魔力は宿してはいるけど詳しい属性が不明ってわけで、使い手の体質に合う合わないも生じて来ると思う。


「メイヤーさん、俺、あれが欲しいです」


 無意識か、ハッと気付けば俺はそう口走っていた。


「何だって? 本気か?」

「ええと、はい」


 彼が驚くのも無理はない。

 インテリアには向かないし、俺の目的は魔法素材じゃなく魔法武器だ。

 後々魔法剣を打ってもらうための素材を集めておく予定も、今の所はない。

 それに、一品目の熱狂がまた繰り返されるリスクもある。


 でも、どうしてだか手に入れないと駄目な気がした。


 かつての相棒剣が俺を選んだように、あの物体も誰か主人を呼んでいるように思えたからだ。


 さっきのアイラ姫の眼差しじゃないけど、何かこうさ……訴えかけてくるんだよ!!


 きっとそれは俺じゃなくてもいいんだろう、だけど縁あって俺はここにいる。


 俺がいて、そいつに気付いた。


 気性の荒い商人たちを相手に競売に興じる覚悟を固め、手の中の番号木札をぎゅっと握り締めた。

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