第10話 祖母ちゃんはノエル推し?

 店内には飲食スペースはないから、祖母ちゃんが気を利かせて奥から椅子を出してきた。

 でも一脚出した所で意図を酌んだ護衛の二人は自分たちには不要だと固辞し、その一脚をアイラ姫に勧めた。

 アイラ姫が着席したのを見届けると祖母ちゃんは「それじゃあごゆっくり」と俺たちを残して厨房へと引っ込んでいく。

 え、これは予想外、俺を一人にしないでっ!

 祖母ちゃんにくっ付いて行きたいのは山々だったけど、さすがに二度もアイラ姫の前から悲劇のヒロインよろしく駆け去るわけにもいかない。……本当はそうしたいけど、たぶん護衛の二人に首根っこを掴まれて阻止される気がするから実行はしない。

 それにさ、祖母ちゃんに三年前の話を聞かれるのは色々と不都合でもあったから、足に縋って引き止めたりはしなかった。


 ……ああ因みにロクナ村を出てここで暮らそうって決めた三年前は「馬鹿言ってないでさっさとお帰り」ってにべもなく叩き出されそうになったから一も二もなく縋った。


 その結果は今の俺を見てもらえればわかる。


 アハハ人間捨て身で何でもやってみるべきだよな。


 祖母ちゃんの背中が奥に消えるまでを目で追っていた俺は、立ったままアイラ姫を振り返る。

 あ、まずった。必然的に彼女を見下ろす形になったせいか、護衛たちの視線がマジで痛い。うちの姫様を見下ろすとはいい度胸だ小童が……って噴出する怒気が文字を形作ちゃってるよ。なあどんな原理!?


 さすがに俺も失礼だって気付いて、その場に正座した。


 片膝立ちで跪くって選択もできたけど、正座した。

 だって俺はこの人生で彼女に忠誠を誓うつもりはない。

 君を護るよって騎士みたいにカッコ付けるつもりだってない。

 だから正座でいい。

 うんまあでもさ、靴履いたままの正座って結構やりにくいよな。我慢して背筋を伸ばすけどさ。だって護衛たちの無礼は許さない的な厳しい目が刺さるし……。

 俺の正座に目を丸くしていたアイラ姫だったけど、俺がそのまま黙って待っているとその小さな口をようやく押し開く。


「わたし、わたし、本当にずっとずっとあなたにお会いしたかったのです! 何らかの形で恩返しをしたくてここへと参りました」

「あ、そうなんですかー。だけどお礼なんて考えなくていいんですよー。目の前で窮地に陥っている人がいて、俺で助けられるならそうするのが当然ですから気を遣わなくて平気です。見返りを求めたわけじゃないですし、感謝の言葉をこうして掛けてもらっただけで報われてます。十分なんですー」


 見るからに営業スマイルな俺の言葉は、裏を返せばあなたじゃなくても助けた、お礼云々はもういいから帰れって意味合いも含んでいる。アイラ姫は聡くも気付いたようでしょげた風に目線を下げた。

 護衛たちは俺の謙遜とでも思ったのか、落ち込むアイラ姫を見つめて微かに怪訝さを滲ませた。

 俺は何食わぬ顔で言葉を続ける。


「そういうわけですし、護衛のお二人も今日はもう遅いのでアイラ様を宿泊場所にどうかお連れ下さい。嘘ではなく本当にお気持ちだけで結構ですので、そこもご理解頂ければ幸いです。皆さまのご健勝とご多幸を心より願っています。どうぞ道中くれぐれもお気を付けて」


 婉曲なもう帰れ宣言に護衛たちもようやく俺が歓迎していないんだって察したようで表情が険しくなった。けどあくまでも低姿勢であからさまに失礼な言葉を使っているわけじゃないからか、怒るに怒れないようだった。二人共根が生真面目で堅物っぽいもんな。


「……わかりました。これで失礼します。二人共、行きましょう」


 面と向かって文句を言えないイライラのせいでピリピリする護衛たちの空気を感じ取ったんだろう、アイラ姫がやや慌てたように二人を引き連れて店を出て行こうとした。


「あ、そうだアイラ様、俺冒険者にも王国軍人にもなりませんのでどうかご安心を」


 三年前にどうしてか彼女がそんな心配をしていたのを思い出し、去り際に言っておこうと思い付いてそう言ってやったら、彼女は店の入口で足を止め、虚を突かれたような瞬きの後でどこか安堵した顔になって頷いた。


「はい」


 俺は冒険者にはならない。


 だけど、魔物は倒す。


 王国軍にも入らない。


 だけど、陰ながら軍の助けにはなろう。


 皆には内緒で、な。


 冷淡にアイラ姫を追い払ったも同然の対応に心が痛まなかったわけじゃない。きっともうこれで本当に縁は切れただろう。


 でもそれでいい。


 彼女は俺とは関わらない彼女の人生を歩めばいいと思う。


 たださ、せめて小さな事一つでもいいから、彼女を安心させてやるくらいはしてもいいよな。


 ……まあそうは言っても、俺も割り切っているようでまだ割り切れていない部分もあるんだろう、感傷未満の切なさのような曖昧な感情が胸を満たしていた。

 一応は見送りがてら軒先に出て、三人が乗って来たんだろう馬車が遠ざかる夜のシーハイの街並みを、佇んで静かに眺めた。


「おやおや、やけに静かだと思ったら、何だいお客さんたちはもう帰ったのかい?」


 店の中に戻った俺は、他に休める椅子もなかったのでアイラ姫が座っていた椅子に腰かけて、しばらく一人でつらつらと取り留めのない思考を回していたけど、割って入った祖母ちゃんの声でハッと我に返った。


「ああうんまあ、時間も早くないからな。それに向こうも何かと忙しい相手だから」


 それまでの物思いを中断してお茶を濁す俺に、祖母ちゃんはすぐには相槌も返事もせず俺をただただ静かな目で眺めた。


「……そうかい。まあ人の縁は奇なるもの、さ」


 ややあって意味深な言葉を口にする。

 それはアイラ姫がまた来るかもしれないのか、二度と来ないのか、どちらとも取れる曖昧な表現だった。


「ところで、エイドはどんな子が好みなんだい? 訊いたこと無かったね」

「い、いきなり何だよ」

「いいじゃないかい。ついでに知っておこうと思ってねえ」


 祖母ちゃんからのストレートに恥ずかしい問いに、俺は頭の後ろを掻き掻き渋々といった体で答えてやる。恥ずかしがって「そ、そんなの知るか」って反抗期みたいな態度を取る精神年齢はとっくに過ぎてるもんな。


「……俺に一途な子」

「なるほどね」


 何がなるほどなのか、短い返答に祖母ちゃんはにんまりとした。


「じゃあノエルちゃんなんてピッタリじゃないかい?」

「はあああ!? 冗談!」


 そんな馬鹿は休み休みすら言ってほしくないね。

 大体どうしてここでノエルが出てくるんだよ。

 あいつとはこの三年会ってすらないけど、嫌がらせで手紙を送ってくるくらいに仲が悪い。


 しかも三日に一度って頻度で。


 これが月に一度ならまあ、村の女王様が下僕を気にかけて送って来なすったのか暇人めって呆れただろう。

 でも三日に一通はさすがに多すぎだ。どう考えても嫌がらせだ。しかも金に飽かせて送り付けてきた高級便箋の数々は後々弁償しろとか因縁を付けられそうで心配だしうっかり捨てられなかった。封書自体に念が込められていそうだったから要らない被害を出さないためにも全部取ってある。

 封すら開けていない。

 開けたら発動する呪いとかもあるからな。三つ子の魂百までのあのノエルが寄越した手紙なんだ、用心には用心をだろ。ノエル繋がりで言えば、季節の節目節目にロクナ村に帰る度村長と顔を合わせる頻度が妙に高くて、いちいちやけに朗らかな笑顔で「君は手紙は好きか?」って訊いてくるんだよ。意味不明で怖い。


 俺の拒否っぷりに祖母ちゃんは残念な生き物でも見るみたいな目をした。はあ~、と盛大な溜息もつく。


「さっきの子もそうだけどね、エイド、お前さんはもっと女心を学んだ方がいいさね」

「えー、けどあの二人はない」


 たとえどんなに魅力的なレディだろうと、死亡フラグに関わってくる相手とは極力距離を置きたい。


「エイドは時々驚くくらいに大人なようで、この手の話題に関してはやっぱりまだまだ子供だねえ。そんなことを言ってると、今に泣きを見るよ?」

「ハハハ大袈裟だな~」


 真面目に取り合わない俺に処置なしと首をゆるゆると振った祖母ちゃんは厨房の方へと爪先を向けた。

 予言のようなその言葉が的中したのは俺がもう少し大きくなってからだったけど、今の俺はそんな望まないミラクルを知る由もなく、祖母ちゃんの後を追って厨房に入ると片付けを手伝った。


 祖母ちゃんは俺がどうしてほろりして飛び出したのか、そしてアイラ姫との関係も、一切何も訊いてはこなかった。


 ただいつも以上に作業を命じられて手を動かしていると、その間はマイ剣の心の傷とかアイラ姫への微かな罪悪感とか、何だか色々な思考のごちゃごちゃも忘れていられた。

 その精神的なワンクッションがあったおかげで、店裏手の家に帰る頃には気分もだいぶ落ち着いていた。

 詳細までは聞かずとも、俺に必要なものはわかっていたんだろう。

 祖母ちゃんには感謝だ。





 心に波紋が立ったあの夜以降は概ねいつも通りの日常を送っていた俺は、ある日使っていた剣に綻びができたので修理のためにメイヤー武器店を訪れていた。

 アイラ姫の護衛二人に触発された俺の修行は今までになく力が入りはかどって、ここ二月余りの能力上昇は自分の予想以上に堅調だ。

 だけど絶好調故に、剣に思った以上の負荷を掛けてしまった結果、とうとう剣の耐性の限界値を超しちゃったってわけだ。


 しかもこれが初めてじゃない。


 アイラ姫の来店から半月経った頃に刃零れして研ぎをお願いしたし、一月後にはポッキリ剣の途中から折ってしまった。


 これまで不注意で剣を折った経験はなかったから、自分でもちょっと呆然としたっけ。


 それで今までのよりも強度のある新品を買ったものの、結局は今日のこの日にもまた大きく破損、剣身には大きなヒビが走っていた。

 戦闘終了後に生じた現象だったのは良かった。最中だったら素手で戦わないといけない所だった。相手は余裕で倒せる魔イカだったけど、そいつに素手でタコ殴りか……。

 ああいうナ魔物なまもの系はぬめりが気色悪いんだよ。想像したらげんなりした。

 とにもかくにもすぐさま砂浜から引き上げて、メイヤーさん営むこの武器店に直行したって次第だ。

 これはまた新品を買わないといけないよなあ。

 魔物討伐兼鍛錬の付属的なメリットで戦利品や素材を換金した蓄えが結構あるから、汎用品価格なら何度と剣を買った所でお金の心配はない。


 だけどこの調子じゃ、予想よりも早く俺が汎用品水準じゃ間に合わなくなる。


 たとえば魔物との戦闘中に初めの一振りで剣を駄目にしてしまうかもしれない。

 いわば、剣の強度と俺の力が釣り合わず、俺自身で剣そのものを破壊してしまうってわけだ。


「おじさん、今日買うのとは別に、剣の注文をしたいんですけど」


 壁や棚に陳列された武器を見ていた俺は手に取っていた剣を置くと、思い立ったが吉日と早速カウンターで帳簿か何かをめくっていたメイヤーさんへと切り出した。

 彼は鍛冶職人でもあるから、今のうちに相応の剣の製作を依頼しておこうと思ったんだ。

 だっていざ標準以上の良い剣を欲しいなーと思っても、即日手に入るわけじゃない。

 そういう剣は製作にも時間が掛かる。まあ、たまたま試作的に打ったのがあったとか、依頼主が辞退したとか例外はあるとは思うけど。


「いいぞ、どんな剣をお望みだ?」

「魔法剣です」

「魔法剣だって? まさか坊主は魔法が使えるのか?」

「……内緒ですよ?」


 俺が魔物と戦っていて真剣を所持している事実は、この街ではおじさんしか知らない。

 今だって客がいないからこうして話しているけど、他の客がいる時は俺も不用意な発言はしない。ただ剣に憧れて店に見に来ている少年を演じている。


「そうか、坊主は魔法剣士だったのか」


 やけにしみじみと呟きちょっと困ったように眉尻を下げるメイヤーさんの様子から、俺は内心で雲行きの怪しさを感じ取った。

 以前は市販レベルの剣じゃ満足できなくなったら相談に乗ってくれるって言っていたのに、あれは社交辞令みたいなものだったのか?

 それとも、おじさんが製作してくれるっていう、そういう意味で言ったつもりはなかったとか?


 そして案の定彼は言った。


「申し訳ないが、おじさんには無理だ」

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