第9話 おじさんとラブ

 シーハイのとある武器専門店では、今日も店仕舞いするかと店主の中年男性が軒先に出てきた所だった。


 名をバリー・メイヤーと言う。


 因みに店名は先祖代々の家名をそのままに、メイヤー武器店と言った。


「さーてと今日も終わった終わっ――ぬおっ!?」


 一日の仕事が終わって晴れ晴れとした気分で軒先の立て看板を回収しようとした彼は、伸ばした逞しい腕をビクッと大きく震わせた。


 何故なら、立て看板の横に一人の少年が置き物よろしく蹲っている。


 手を止めたメイヤーは男らしい太い眉を持ち上げぎょっと両目を見開いたまま、無言の少年を見下ろした。


「……ぼ、坊主、もう暗いのにこんな所で一人でどうした?」


 若干、いやかなり引き攣った顔つきで、彼は接客時には絶対にしないような尻ごみした声を出す。

 それ程にどんよりとして沈んだオーラが少年の周囲に広がっていたからだ。濁った川の水が空気に溶ければこんな風になる、と彼は思った。


 この黒髪の少年とはちょっとした知り合いだ。


 比較的近所というのもあるが、三年くらい前この店のご新規さんとして剣を購入してくれて以来、剣の手入れ道具やら剣帯などの必要な周辺物をちょくちょく買いに来てくれる上客でもある。

 両腕で両膝を抱き締め微動だにしない少年はボーっと生気のない幽鬼のような顔で前方の一点を見つめ、ともすればこのまま朝まで喋らないかと思われたが、メイヤーがいやいやもう少しだけ様子を見てみよう、と忍耐強く待っていると小さく口を開いた。


「俺、大事な古い友人を取られたんです」

「友人を? ……そうか。それは辛かったな。まあそう気を落とすな。人生色々ある」


 メイヤーはきっとこの少年はガールフレンドに鞍替えされたのだろうと推測して同情した。それにしてもまだ十歳くらいなのに最近の子は随分とマセているなと内心苦笑もした。


「ですよね。いつまでも未練たらたらでいたら、駄目になりますよね……三度目まで」

「三度目? もしや既に二度も振られ……? ってああいやいや、そそそうだぞ。気持ちの整理を付けたら次に行け、な? おじさんで良ければいつでも相談に乗るからよ」


 大人の男の親身な言葉に胸を打たれたのかもしれない、少年はようやくメイヤーへと目を向けた。


「おじさん……ッ、じゃあ一つだけお願いしてもいいですか?」

「おうよ、言ってみろ」


 かくして傷心の少年エイド・ワーナーは涙目で訴えた。


「俺のこの先の唯一無二を、おじさんに任せてもいいですか?」

「……え……ええと?」


 唯一無二、それは一体全体どう言う意味だ……としばしメイヤーは二の句が継げなかった。


 まさかのおじさんとラブか、とも思った。


 しかし、自分のラブは既に妻のものだとかぶりを振る。

 だが、傷心の子供を自分が拒絶してこれ以上傷を深くするのも忍びない。よって断りは後日入れようと決めた。


「お、おじさんに出来る範囲でならな」

「……ッ、ありがとうおじさん! 一生大事にするって誓うよ!」

「えッ……あ、ああそうか? はは……は……そいつぁ~良かった……」


 この日メイヤーは「一晩夜風に吹かれて心の整理をしたいんです」とまだ落ち込むエイドを説得して家に帰らせたが、大きな誤解が解けたのは武器修理の依頼をしにエイドが再び店を訪れた時だ。約半月の空白があった。

 余談だが、それまでメイヤーは随分と深刻な悩みでも抱え込んだような様子で、妻からは「まさかあなた借金でもしたの? それとも他に女が?」といわれのない猜疑の目を向けられたと言う。





 泣いて火照った顔が冷えるのを待って、俺は武器店からトボトボとした足取りでパン屋に戻った。

 遠目でもわかったけど、店前の軒下には祖母ちゃんと先の三人が立っている。

 まあ帰ってはいないと思ってはいた。


 何かは知らないけど俺に用があったんだろうし。


 客人たちの中で明らかな最年少の金髪美少女は、街路の先に俺を見つけるまで落ち着かない様子できょろきょろとしていたけど、俺を視認すると表情を明るくして駆け寄ってくる。


「エイド君!」


 ……アイラ姫。


 え、てゆーかあ、こんな風に思ったのは店を飛び出す前も数えて二回目だけどお、どうしてこの人がここに居んの?

 さっきは途中からもうマイ剣の衝撃で一杯一杯でうっかり存在ごと霞んでたけど。

 なあ、何で?


 そもそも俺の名前を知っているのが解せない。


 だって三年前での一件で、俺は俺の素性を彼女に悟られなかったはずだ。


 村を訪れた時に誰かが話した……?

 いやだけど、村の人間は子供らしく木剣でチャンバラごっこしているんだろう程度にしか思っていなかったはずで、易々と魔狼を狩れる子供だとは知らなかったはずだから、いくらアイラ姫たちが近隣の少年を調べても俺には結び付かないと思っていたんだけど……。

 そういやいつだかの帰省時に母親が「アイラちゃんって可愛い子がうちに来たのよ」とか何とか言っていた気もするな。その時にバレた?

 いやいやあ~それもないな。王様一家と違って実家には俺の姿絵一つないはずだし。

 そもそもわざわざ画家を呼んで絵を描かせるような裕福な村人は少ない。まあ村長宅なら愛娘の絵が何枚もあるだろうけど。

 あ、まさかその愛娘か?

 ……いやそれもないか。あいつの性格じゃわざわざ嫌いな相手に話しかけたりしないだろ。

 うーん、マジでどこで俺の素性がバレた?

 素性さえわかれば、俺はここにいる事実を隠してはいなかったから、関係者伝いに現在地なんて簡単に割れる。そうなれば、彼女たちがここをどうやって知ったのかは重要じゃなくなる。

 アイラ姫に訊いたら素直に答えてくれるだろうか。

 あ、もしや単に祖母ちゃんから聞いただけか? ……その線猛烈にありそう。


 ただ、そうだとしても知って間もない割には発音が親し気って言うか、一度目人生で聞き慣れていた呼ばれた感じと一緒でちょっとまごつきそうになった。


 まあ真相はさておき、今の心境はこれだ。

 さっきもろに泣いちゃったから滅茶苦茶体裁が悪いっ。


「ええと、因みにそちら様はどちら様ですか?」


 羞恥心を押し殺し、どうすべきかと思案し、とりあえずトボケてみた。

 知らぬ存ぜぬ人違いですで通してお帰り願おうか。


「え、あの、もしかして覚えていらっしゃらないのでしょうか……」

「ええーと、ボクたちどこかでお会いしましたっけ?」

「……ッ、さ、三年前に助けて頂いたのです。ロクナ村の近くの森で魔狼…」

「ぎゃーーーーーーーーッ!」


 君きみいいい! 祖母ちゃんに聞かれてまずい単語を出さないでくれないか!


 俺の突然の絶叫に、護衛ズが警戒するような目を向けて来る。片手を腰の剣に掛けてるし、一歩間違えば俺問答無用で斬られるんじゃ……。祖母ちゃんは「何だいこの子は」って呆れ目で、アイラ姫に至っては戸惑ったように俺を見つめた。


「し、失礼。ちょっと苦手な虫が」

「そうなのですか? 苦手な虫がいるのですか。それは……新発見です」

「え?」


 アイラ姫が何故か嬉しげにふふふと小さく笑ったから、俺は思わず凝視した。

 視線を受けた彼女は急に赤くなってしどろもどろに両手を顔の前で振る。


「いいえあのその何でもないのです!」


 何でもないって感じじゃなかったよな。まあ本人が触れて欲しくないみたいだし、これ以上突っ込まない方がいいか。それよりも俺が気にすべき事項があるしな。


「ええと、つまりはボクが魔狼からあなたの危ない所を助けた、と?」


 魔狼の部分を極力小さくして、しかもコソコソ話の要領でアイラ姫の耳の方に顔を近付けて確認すれば、彼女は何故かその耳を赤くしてコクリと頷いた。


「はい、その節は本当にありがとうございました。改めてお礼をしたくて、ずっとあなたにお会いできたらと願っていました。ですが、中々遠出の許可が降りなくて……今になってしまったのです」

「そうなんですか。ハハハ恩義に篤い方なんですね。けど三年前ですか……。ロクナ村……はボクの実家がありますけど」


 俺は常とは別人のようにってか別人仕様で畏まり、わざとらしく顎に手を当て考え込むようにした。


「三年前……、三年前……」


 ゆるゆるとかぶりを振る。


「生憎と色々忙しくしていまして、沢山の方とも会ったので判然とはしませんね。申し訳ないです、何しろ記憶力が悪いもので」

「そ、そんなわけありません! エイド君の記憶力は抜群ですよね」

「へ?」

「あっ、ああいいえその、見るからに抜群そうに見えます! そ、そうご自分でも思いませんか?」

「え、そうですか? そう言われるとそんな気もしてきます。そちらこそ見るからにお優しそうですし、才女の相をお持ちですよ、ハハハハ」

「え、え、ありがとうございます。エイド君のお顔も、す、素敵です」

「それはどうも」


 世辞の投げ合い。九歳十歳の会話なのかこれは?

 現に彼女の後ろの護衛たちは不可解そうな顔だ。

 アイラ姫の言うように、確かに俺は記憶力が良い。へっだから私怨は忘れない質でね……って違う違う。ここは無難にやり過ごさないといけないんだったよ。


「んー、えー、ああっ今思い出しました! あの時の! 森の中でお会いした時は侍女のお二人もいましたよね。……確かお二人はミランダさんとエマさんで、あなたのお名前はあ~~~~……アイラ様!」

「そっそうですアイラです! 良かった思い出して下さったのですね!」


 アイラ姫は頗る嬉しそうにしてより俺の方に近付いた。ぶつかりそうになって俺が思わず一歩下がれば、きゅっと手を握ってきた。護衛たちが一瞬止めようと動きかけたから内心ひいっ斬られるって半ば本気で危惧したよ。まあ賢明にも恐怖は顔に出さず愛想笑いを張り付けたけどな。


「あれからの道中は平気でしたか?」

「はい、物取りに襲われましたけれど、正体不明の正義の味方が救って下さったおかげで事なきを得ました。その方にはエイド君へと同じくらいに今も心から感謝しています」

「へ、へえ、それは良かったですね」

「はい!」


 アイラ姫はにこにことして俺を見ている。

 俺は不意にばっちり目が合ってしまい、キョトンとしてパチパチと何度も瞬いた。


 何だか俺に言われてるみたいだって思ったから。


 あの時は半裸の覆面だったし姿を見せたのはほぼ一瞬だったし、バレて……ないよな?


 にこにこにこにこ、にこってアイラ姫がした。


 ……え。

 まさか。

 考えてみれば、強盗を無力化できるような子供なんて直近で出会った俺くらいしか連想されない気もする。背中に嫌な汗が滲む。

 だから血眼になって……かどうかはしらないけど俺を捜し出した?

 彼女には俺が魔物相手に立ち回れる人間だって既に知られている。王族と平民。身分には天と地の差がある俺たちは、普通なら言葉を交わす機会だってない。

 大体にしてもう会わないと思っていたのに……。


 護衛になれってまた誘ってくるつもりなのか?


 そ、それとも、あの時に根に持たれるような何か粗相をして、こうして凄腕の護衛を引き連れての私刑の実行に来たとか? よくよく見れば護衛の二人は顔色一つ変えないで曲者をくびり殺しそうな冷徹な雰囲気を漂わせている。

 ひいいいっそれは勘弁っ。王女の専属護衛をやってるくらいだから、そこらの軍の隊長なんて片手でいける強さだろ。今の俺じゃ到底勝てる気がしない。死にたくねえーッ! 今すぐ回れ右で逃げるか? ああああ駄目だ祖母ちゃんを残して行けるかあっ。

 いや待て落ち着け俺。まだそうと決まったわけじゃない。バレてるって決まったわけじゃない。向こうはそれ以上何も言って来ないし!


「こほん、アイラさ…」


 まずは冷静に俺に何の用事なのかを訊ねようとすると、


「あの、さっきはどうして泣かれたのですか?」


 アイラ姫の声の方が一歩早かった。

 っつかそこ蒸し返してくんのかい!

 かつての俺の知っていた彼女は気遣い屋で優しかったから、きっと目の前の彼女もそうなんだろうって思うけど、ここはスルーしてくれるのが優しさだあー!


 護衛の姉さんの剣が逆行前の俺の剣だったので、先を越されて悔しくて泣きました……なーんて言えるか。


 頭のおかしな奴だって思われる。

 ……――ん? あれ? それで良くないか?

 何で俺に関わろうとしてくるのか知らないけど、変人って思わせれば関わりたくなくなるんじゃないの? ねえ?

 よし、俺は決めたよ。


「後ろの二人はアイラ様の護衛の方ですよね。そのうちの女性の方の剣がかつての俺の剣だったので、他の人の手にあって悲しくてつい……」


 よよよ、と大仰に目頭を押さえて鼻を啜る。


 俺とアイラ姫の間に妙な沈黙が流れた。


 彼女は大きくゆっくりと息を呑む。


「ほ……本当なのですかそれは?」

「……え?」

「本当にそうなのですか!?」

「え、いや、ハハハ冗談ですよ」


 奇人変人って思われようって決めたばかりなのに、思わず撤回しちゃったよ俺……。


 だってさ、何だか怖いくらい真に迫ったように驚かれて、さすがにちょっと怖気付いた。


 俺がやや体を引いて答えれば、勢い込んでいたアイラ姫はハッと我に返って自らの剣幕を恥じ入るように体を引いた。


「あ……ええと、そうですよね」


 細々とした溜息と共に、彼女は大きな落胆を見せた。

 内心怪訝に思ったけど、いつまでも路上で立ち話をしているわけにもいかない。さっきから歩道の半分を塞いでいたから、ちょっと通行の邪魔になっていた。


「エイドも帰って来たことだし、お嬢さん方、一先ひとまずは店に入らないかい?」


 俺と同じ思考に至ったのか祖母ちゃんがそう促してくれて、俺たちは各々頷いてぞろぞろと店に入った。

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