第7話 魔イカは絶対不味いと思う
ノエルがファザコンなら俺はきっと
まあそれはいいとして、祖母ちゃんの営む街のパン屋じゃ、俺の勧めで普通のパンのみならず薬草入りのパンも売られるようになった。
――魔物除けパン。
幾種類かある薬草パンの一つに、そんな物もある。
冒険者の使用するその手の効力に特化したポーション類やアイテムに比べれば効果は多少劣るけど、街の人たちには好評を博しているようで、連日売り切れる人気パンでもある。
薬草は当初は俺が密かに近隣の野山で採ったものを、街に来た行商人から買ったと誤魔化していたけど、お試し売りで大好評だったからと本格的な売り出しが始まると、祖母ちゃんは街の薬剤店に出向いて定期的な卸しの算段をつけた。
パンの味は祖母ちゃんのさすがは熟練の職人技術と知識で、フルーツやスパイスなんかを上手く混ぜ込んで薬草臭くはなっていない。これも人気の理由の一つだと思う。消費者は素直だ。俺だっていくら魔物除け効果があろうと不味いパンは食べたくないもんな。
魔物除けの薬草のにおいは独特だから尚の事だ。まあ例外的に世の中にはそれが好きなにおいだって人もいるとは思うけど。
「祖母ちゃん、ちょっと外走ってくるよ」
「あいよー行ってらっしゃい。気を付けるんだよー」
「わかってる。行って来ます」
今日も夕方よりちょっと前の定時で店番を終えた俺は、無難な理由を口に店の扉を開ける。
ここらの子供は学校に通う子供と家業を手伝う子供の割合が半々だ。俺は文字も読めるしこの十歳って年齢で学ぶべき事柄は既に頭に入っているので、ハッキリ言って初等学校に通う必要がない。だから後者だ。
店から一歩出て店番で凝った体を解すように各所の筋を伸ばす。
その流れで街路に視線を巡らせた。石畳や煉瓦が使われたここの街並みはとても整然としていて綺麗だ。鉄製の馬車の装具とか農具なんかは潮風で錆びが早いけど、まあそれも新鮮な魚介類と引き換えなら安いものだと思うし、そもそも錆止め処理の手間を怠らなければそんなすぐに駄目にはならない。
貴族の所有する船舶なんかじゃ、中には高額な費用を払って魔法で状態を維持されている物もあるみたいだけど、魔法の効力だって有限で、放置しておけば薄れてしまうから定期的に掛け直さないといけない。
加えて、更新頻度は魔法の難易度と比例していて面倒なものほど多くを要する。
要するに、余程の金持ちじゃなきゃ船一隻に錆止め魔法なんて掛けないってわけ。
「さってっと、行くか」
適度な準備運動を終えると俺は早速と走り出した。初めは軽く、次第に速く。
祖母ちゃんは俺がここシーハイの街の中を走るだけだと思っているだろうな。
ロクナ村のようにここにも魔物除け結界があるおかげで、街の中には魔物は出て来ない。
日課のように俺は整備された石畳を駆け、程なく道を曲がって海辺の方へと向かった。
この街シーハイは岬の街だ。
街の一部に灯台が建てられているトウタン岬という高い海食崖を有する場所があり、そこが同名のトウタン半島の先端部というわけだ。
因みにシーハイはそのトウタン半島に幾つかある街の一つ。
シーハイではトウタン岬が最も海抜が高く、その周辺に行くにつれて緩やかに下る丘陵のようになっている。
シーハイの家々は主にその下り坂に造られ、更に下って行くと船着き場やその先の砂浜に下りることができた。
左右の街の景色を横目に長く緩やかに続く下り道を俺は軽快なステップで進む。
目的地は斜め前方に広がる海……じゃあなく、砂浜だ。
漁師や商人で賑わう桟橋や岸壁仕様の船着き場と違って、砂浜には人目もひと気もほとんどない。
しかも、魔物が出る。
まあ、魔物が出るからひと気がないのかもしれないけどさ。
シーハイに張られた魔物除けの結界はあくまでも街の中限定で、砂浜は含まれていない。
ロクナ村は周囲の森に張ってあったから村そのものには実は結界がない。ただ森の結界が防護壁みたいな役割を果たしていたから村への魔物の侵入は俺の知る限りなかった。
話を戻すと、俺は砂浜へと魔物討伐に向かっていた。
魔物はランダムに海から
だから、日によっては仕方がなく砂浜から小舟経由で海に出る漁師たちから魔除けパンは重宝されている。
日々鍛えている冒険者でもない普通の人間が魔物に遭遇すれば、運が良ければ逃げられるけど、悪いといつぞやのアイラ姫たちのような事態になる。
あの時はたまたま俺が通り掛かったから助かったけど、皆が皆救い手が現れるとは限らない。
そう言えばあれ以来アイラ姫は危険な旅路を決行していないよな?
そうである事を願う。
後で知ったけど、彼女のあの馬車旅はやっぱりこっそり城を抜け出したものだったらしい。ロクナ村を出た所で保護されて城に戻って父王から大目玉を食らったんだとか。
だからなのか巡幸にも同行させてもらえなかったようだ。
国王がロクナ村を訪れ村人たちに王都で造らせた宝飾品を下賜したのは、厚遇を受けたと喜んでいた娘の礼も兼ねてだったらしい。
きっと村長は財宝でも掘り当てたように内心うはうはで小躍りしていただろうな。村長スキルによる歓待が功を奏したんだから。
アイラ姫はいなかったんだし、彼の一人娘が変な癇癪を起こす面倒もなかったはずだ。
「おっラッキー、今日もいるいる~」
夜へと下る橙の空の下、完全に誰もいない砂浜に到着した俺はほくほくとした顔で片手で
逢魔が時。
文字通り、魔物が現れやすい時間帯は夕方と相場が決まっている。
魔狼のような縄張りを持つ魔物は別だけど、それ以外の魔物は日暮れ時に最も多くどこからか出没してくるんだよ。
だから冒険者の中には逢魔が時を敢えて狙って目当ての魔物との遭遇を目論んだり、逆に一般の人は魔物が多く
そして、魔物出現に関してこの海辺も例に漏れない。
どう見ても人間じゃない見た目の魔物――十本足で立つ緑と黒の縞模様の魔イカが二匹に、体は人っぽいけど青い肌で顔が醜悪な魚の魚人一体――が海から上がって来ていた。
魔物除けの結界に阻まれて街に入れずに砂浜をうろうろしている。
一イカ二イカ三魚人で、本日最初の討伐相手としては上々だ。
ここで俺は左手の人差し指にはめた青銀色の指環に意識を集中させた。
右手に剣を。
そう念じた一呼吸後、魔法の指環に収納されていたシンプルな両刃剣が右手の中にふっと現れる。
落とさないよう柄をしっかりと握りしめた。
祖母ちゃんの店で手伝いをしてもらったお小遣いと、ロクナ村で密かに溜めていた対魔物戦の戦利品を換金したお金で、俺はちょっとお子様にはお高い魔法の収納指輪を購入していた。
田舎のロクナ村よりは交易によって人口も多いこの街は、俺みたいな子供が物品の換金に訪れても噂にはならない。
だからここで難なく全部売ることができた。
ワケあり客も珍しくないんだろうし、こういう競合店の多いだろう店は信用が第一だろうから顧客の情報は固く守られるはずだ。祖母ちゃんに知られる心配はしなかった。
因みに戦利品っていうのは大抵が何かの素材か稀に硬貨や宝石だ。
魔物の構成物の一部分が消滅時に奇跡的に消えずに形を留めた素材はともかく、硬貨や宝石は魔物自身が襲った人間から奪ったりどこかで見つけたものだろう。カラスがキラキラする物体を好んで、中には集めるやつがいるのと同じだ。
収納指環さえあれば、俺みたいな子供が道端で真剣を携帯していると不審がられる心配も目立つ心配もない。
もう木剣で我慢する必要もなかった。
質店とは違い、剣を買う時に武器専門店の店主には多少渋られたけど、さらっと木剣での素振りを見せたらその店主は顎に手を当て唸った末に真剣を一振り売ってくれた。
店頭にあった武器は国内どこの武器店でも入手可能な強度だけど、刃の澄み具合や柄の握り易さ一つ取っても、どれも作りが丁寧だった。
『坊主、この先店頭の品じゃ強度が足りなくなったら、話を聞いてやる』
店主のおじさんは武器職人でもあるらしくて、有難くもそんな事を言ってくれたけど、俺にはぶっちゃけ剣の当てがあった。
名剣と言って良い俺だけの剣が。
一度目人生で英雄だった俺が二十歳の時に見出した唯一無二の剣だ。その剣で凶悪な魔物の数々を屠った。
……俺が出会った中で最も強かったあの魔物も。
一度目人生と同じ場所にかつてのマイ剣があるなら、俺はきっとそれをまた手にするだろう。
まあ今の俺じゃまだまだ未熟過ぎて剣に辿り着く前に、その地に棲息する魔物たちに殺られるのが落ちだろう。でもきっと待ってろよ、マイ剣。俺の相棒。
砂浜の魔物たちは結界を抜けて下り立った俺の姿を視認すると、それぞれが獲物を見つけた歓喜に震えた。
魔イカ二匹は電気でも走ったように足を痙攣させ、魚人の方はギザギザした歯を剥き出して器用にもにやっとした。
その笑みが多対一の戦闘開始の合図。
人間を屠るのが存在と歓喜の本質たる魔物たちは俺目掛けて一直線に進んでくる。
俺は剣先を斜め後方に下げて構えたまま砂の上を駆け出した。
「いつもの如く走りにくいな」
砂浜って一歩ごとに足を取られるし蹴り出しにも硬い地面以上の脚力が要る。ホント結構足腰にくるんだよ。その分筋トレには適しているけど。
海からの襲来者たちもその点はこっちと変わらない。
魔イカたちの方はズザザズザザと砂を掻き分けるように十本足を引き摺って歩きにくそうにしているし、魚人の方は二本足だから俺と同じような踏ん張りを要求される。
足を取られる面倒を無くそうと、俺は踏み込みに一層の力を込めて敵の懐位置まで一気に跳躍した。
便宜的に一号二号と名付けた魔イカのうちの一号の方にまずは勢いよく剣身を振り下ろす。
「イカ刺しいいいー……万歳っ!!」
一撃必殺の名の下に一号をやや斜めに縦二つにした。中心を真っ直ぐだと軟骨があって引っ掛かるんだよー。
次に着地と同時に片足を軸にして体を反転させて二号をこちらは上下真っ二つに断った。でかい鍋で揚げれば巨大ゲソ揚げの出来上がりだよな。上の方はぶつ切りにしてイカリングかな。うん、まあ、普通のイカじゃないから食べられはしないけど。
二体の魔イカは砂浜に倒れ、その体は塵になって消えていく。
そう、基本的に魔物は死ぬと消えるから食べられない。そうは言っても目の前にホカホカの状態で出された所で、緑と黒の毒々しいシマシマイカなんて食べる気にはならない。
残ったのは魚人だ。
厳密には魔イカと別種だから仲間ってわけじゃないけど、同じ海の者同士連帯意識みたいなのがあったのか、それとも単純に明らかな敵の俺に戦闘意欲が刺激されて興奮したのか、いきり立った雄叫びを上げた。
――ギョエエエエエエーーーーッ!
まあ、魚人だし……。
声の美醜はともかく、人間より余程太い魚人の太腿がもりっと一回り太くなって、さっきの俺以上の跳躍で以て肉薄してくる。
くっ、これは回避している暇はない。最早有効手段はあれしかない。
あろう事か、もう眼前に迫ろうとしていた魚人に背を向けた俺は、素早く屈んで砂浜の砂を手に握り、勢いをそのまま回転運動に変えて振り返りざま大きく腕を振るった。
魚人が「ギョエーッ」と眼を押さえた。
砂をさ、思い切りぶっかけてやったんだ。
これが闘技場なんかでの戦闘だと「何て卑怯なっ!」と観客は憤ること必至な戦法だ。
ふっ、だがここは無法地帯のフィールドだあっ!
相手は人を好んで襲う魔物だし遠慮は要らない。たとえ後ろ指を差されようと勝利のためなら何のその。
だってここでの負けはそれ即ち死に直結する。
まんまと俺の砂掛け戦法を受けた魚人は目が見えなくて怯んだようだった。
その隙を見逃すわけがない。
「んっっっりゃあああああああーーーーッ!!」
下から渾身の力で振り上げた俺の剣が、魚人を一体この世から消し去ったのだった。
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