第6話 秘めた信念

 ノエルは今にも零れそうに涙をためて、感情爆発のままどうしようもなく駄々をこねるみたいに首を左右に振った。千切れた涙が粒になって舞う。

 これが大人だったらヒステリーと言う名が与えられただろう。


「きっとお父様はあの子を引き取ってあたしよりも可愛がって育てる気なんだわ!」


 飲み物を飲んでたら間違いなく噴いてたね。

 おいおい何て極端な思考回路だよ。


 絶対ないだろ。


 誰のために村周辺の森に魔物除けの結界なんて高額な魔法を頼んだと思ってるんだよ。親の心子知らずってやつか。

 きっと村長はアイラ姫がこの国の王女とまでは思わなくとも、どこかの高貴な家の令嬢だって村長スキルで嗅ぎ取ったんだろう。そういう相手を歓待しておいて損はない。回り回っていつどこでそれが役に立つかわからないしな。

 だから村長は客人たちを丁重に持て成した。

 きっと彼女たちがまだいるからノエルは家に帰りたくないなんて言い出したんだ。

 でも知らなかった。


 まさかこいつがファザコンだったなんて……。


 だって前世や前前世じゃ親なんてガマ口の財布とか金ヅルとでも思っていそうな話しぶりだったから。


「お前、四の五の言わずにいいから帰れ」

「いやっ」

「村長は心配してるよ」

「してないっ」

「いいやしてる。断言してもいい」


 俺の強い言葉に、彼女は反論の言葉を呑み込んだ。

 話を聞けとばかりに俺が睨んでいたせいかもしれない。


「わかるか? 客人によくしてやるのは村長の仕事の一つなんだよ。それを理解できないと、この先お前の我が儘のせいで大事な父親が誰かから嫌な目に遭わされるかもしれない。そうなってもいいのか?」


 どこかの貴族の気分を損ねて、村長ごとこの村が焼き討ちに遭う可能性もゼロじゃない。

 村が不遇に追いやられるなんて逆行前にはなかった展開だけど、予期せぬアイラ姫出現の件もあるし、今までと何かが違って万が一俺がいない間にそうなってしまったらと考えれば心配にもなった。

 故に、ここで会ったが百年目……じゃなくて、全く嬉しくはないけど何かの縁だしついでだから諭してみることにした。。


「あ、あたしのせいで? そんなの嫌よ。大好きなお父様が誰かに虐められるのは絶対に嫌!」

「だろう。だからへそを曲げてないで早く帰ってやれって」


 ノエルは下唇を噛んでしばし俯きがちに葛藤していた。

 だけどややあってこくりと頷く。


「……わかったわ。帰る」


 おおー、この頃はまだ素直さがちょっと残っていたのか。ずっとこれくらいでいればいいんだよ。そうすればたぶんこの先こいつとくっ付くだろう元親友だって将来苦労はしないだろうし。まああいつは苦労を苦労って思ってはいなかったろうけどな。

 良い事したなあと一人勝手な満足を覚えていると、しかしノエルは殊勝な言葉に反してその場を動かない。

 何かまだ文句でもあるのか?

 内心ちょっと身構えて待っていると、何を思ったのか彼女は手を差し出してきた。

 掌を上に向けているから、何かをくれって催促の意味なのか?

 気を悪くしたから慰謝料寄越せなんて言わないよな?


「さっきの薬草頂戴」

「え、要んの?」


 素で今日一番の砕けた口調になった。


「あんたが嘘をついてないか確かめるのよ。もしも雑草だったら、明日から毎日あたしの家に来て床掃除しなさいよ」

「床掃除って……まさか村長宅は使用人に不自由してたのか? ほらみろお前我が儘三昧であれ欲しいこれ欲しいってねだってるんだろ。だから金がなくなるんだぞ…」

「足りてるわよ! 草が食料のあんたと一緒にしないで!」

「だからそこまで貧しくねえって!」


 草食動物か俺は……ってああもう子供相手に何をムキになっているんだかな。

 言い合いでこれ以上時を費やすのだって無駄だし。

 俺は肩を上下させて疲れた息を吐くと、言われた通りにさっきの薬草を手渡してやった。大人しく受け取って矯めつ眇めつしていたノエルはその視線を俺へと向けてくる。


「これは何に効くの?」

「あー、腰痛とか膝関節の痛みにもいいみたいだよ」

「まだ子供なのに貧しいと大変なのね」


 まだ言うか。まあいい、いちいち気にしない気にしない。

 三つ子の魂百までならぬ逆行後までを体現しているのか、同情を口にしつつ貧民の雑魚はお呼びでないわと侮蔑と優越の眼差しを送ってきていたノエルは、ここでその視線をどこか不安そうで控えめなものにした。


「ねえ……本当にお父様はあたしを心配していると思う?」

「してるだろ。この周辺に魔物が入って来ないのは村長がお前のために結界を頼んだからだし」

「え、出ないのは魔物がいないからじゃないの?」

「なわけないだろ。結界を抜ければウヨウヨいるよ。試しに出てみれば?」


 顔色を少し悪くしてごくりと唾を呑みこんだノエルは、そっけない態度の俺から目を逸らし、地面に置いていた俺の他の荷物に目をやった。


「だ、だからあんたは木剣を持ってるの? 外に出る気なの?」


 俺の木剣ストックは複数あって、一応そのうちの一本を持参している。他に必要なら祖母ちゃんのとこで造るし、買えもするだろう。


「お前に関係ないだろ。薬草やったんだし早く帰れって」

「か、帰るわよ!」


 折角の薬草なのに素手でギュッと握り締めちゃったから、一部潰れてるってそれ。ああ何て勿体ない。

 黙って見ていると、彼女はやや俯きがちにして盗み見るように周囲に視線を走らせて、帰路の一歩を右に行くか左に行くか前か後ろかで爪先をうろうろとさせた。


「……お前、森の中で迷っていたわけじゃないよな?」


 癇癪に任せて家を飛び出して、結果森で迷子になってここで途方に暮れてましたとか言わないだろ、まさか……な。

 だからさっきも戻ってきて様子を窺っていたなんても言わないだろ、まさか……な。

 果たして、ノエルは羞恥になのか真っ赤になって再び涙を浮かべた。


 え、俺のせい? ねえ?

 村長のせいじゃなく?

 はあぁ~、どうしてこうなるんだよ。


「村まで送れって?」

「別に頼んでない!」

「あっそ、じゃあな。俺ももう行くわ」


 背を向けたら、アイラ姫にそうされたように後ろの裾を掴まれた。


「何だよ?」


 肩越しに見れば、ノエルは意地っ張りの権化のような面持ちでむっつりと黙り込んでいる。


「離してくれ。迷ってないんだろ?」

「……ッ」


 しわの寄っていた眉間が余計に寄せられ小さなしわを増やした。

 こいつ本当に無駄にプライドが高いんだな。

 はあー、と何度目かの溜息が出た。


「村が見える所までなら案内してやるから、放せよな。服が伸びる」


 下向きだった顔がぱっと上がって、その青緑の双眸には涙のせいで星屑が散っていた。

 嬉しそうに目をぱっちりと見開いている。


 ……え、こいつノエルだよな?


 こんな普通の可愛らしい女の子みたいな表情も出来るのか。

 てっきり高慢ちきな顔しかできないように顔面筋が凝り固まっているのかと思ってた。


「ほら行くぞ」


 裾の解放と行動開始を促せば、あっさりと手は離れ……なかった。


「おい何でまだ掴んでるんだよ。動きづらいだろ」

「だって……あんたが逃げるかもしれないじゃない」

「逃げるって、そんな姑息な真似しねえよ」


 ああいやしたか? アイラ姫の時。でもあれは姑息じゃない、断じて! 狡くも保身のためだ!

 結局俺は更なる問答も面倒で荷物を拾ってくっ付き虫をそのままに、村が見える場所まで連れてってやった。


「ここでいいだろ。もう放せよ」


 今度こそ指が離れ、ノエルは俺の後ろから横に移動し、隠しようもない安堵を浮かべた横顔を晒した。

 さっさと行けばいいのに、どうしてか彼女は中々動こうとしない。


「ねえ、名前は?」

「…………」


 ここでそう来るか。教えるのは些か、いや大きな抵抗がある。ぶっちゃけ関わりたくない。


「ねえってば、黙ってないでよ」


 えー、どうするかな。


「ねえっ無視しないでよ!」

「あっこらっ、大きな声出すなって教えるから……!」


 万が一まだこの村にいるアイラ姫たちに見つかったらどうするんだよっ。昨日の子ってバレるだろ。


「エイドだよエイド、ワーナー家のエイド!」

「エイド、エイド……。うん、エイドね!」


 俺が声を潜めて早口で捲し立てれば、ノエルは確認後も俺の名を小さくもう何度か口内で繰り返した。意味不明で不気味だ。送ってくれてありがとうとか可愛い感謝の言葉がないのは、まあ予想通りだった。


「じゃあな。アイラ様たちだってそんな何泊もしないだろうし、あんまり気にするなよ」


 ノエルの顔から表情が消えた。


「……どうしてあの子の名前を知ってるの?」


 腹の底からの低音が聞こえた。

 まあ知っているから知っているとしか答えようがない。答えないけど。

 ただ、不機嫌っぽく聞こえるのは何でだ?


「あの子を見掛けて、こっそり調べたのね。やっぱり可愛い子狙いの変態ストーカーだったんだ」

「は? そういうんじゃな…」

「あんたなんて誰もお呼びじゃないだから! バーーーーッッカ!」


 ノエルは俗に言う捨て台詞ってやつをばっちり言うと怒った様子で走り去って行った。


「え、何今の? なあ……?」


 俺が何したの? 誰か教えてくれ……。

 でもまあいいか。これでもうこっちを嫌ってくれて、親友が殺人者に豹変するような未来にならなくて済むのなら……。


「――ってやべ、馬車に遅れる!」


 その後全力疾走して何とかギリギリ間に合った。

 先払い制の馬車に乗車賃を払って荷物を抱えて乗り込んで、息を切らした俺は母方の祖母の住む海辺の街へと一人遠路を向かったのだった。


 その後、三年は村に戻らなかった。


 両親は俺の意思を尊重してくれて村を出る許しをくれた。でも条件があって定期的に手紙を出すことと、季節の折り目折り目に必ず帰省すべしってのを約束させられた。


 村には二度の逆行前と同時期に国王様の巡幸があったらしいけど、その頃村にいなかった俺には関係ない。


 アイラ姫にもノエルにも元親友にも一度も会わずに十歳になった俺は、言わずもがなのシーハイの祖母ちゃんの所で過ごしている。


 勿論鍛錬修練だって怠ってはいない。

 こっそり確実に強くなっているぜ、へへっ。

 登山で言う所の四合目くらいには実力も上がっているはずだ。

 今の強さなら、貴族や豪商が用いるようなコネも伝手もなしに、純粋な実力だけで王国軍の隊長に余裕で抜擢されるだろう。

 因みにこの国の軍は各方面の駐屯地ごとに大きく十前後の隊に分かれているのが普通で。隊長はその一つを任される立場だ。王国全土を合わせたら百くらいの隊はあると思う。各隊の人数は常に変動し、必要に応じて増減させると言う形を取っていて定員自体がない。少数精鋭ってところから数で押し切る方針のところまでと様々だ。そんな中で任務によって更に小隊やなんかに分かれるって仕組みを取っている。

 十歳でこの強さならまあまあ順調ってとこだ。

 ちょっと脱線するけど、セカンドライフで上官だった下級貴族の男は、頭脳も身体能力もまあ不相応な立場に就いていたってわけ。そんな奴の下に配属された俺は一言で言えば「不運」だった。


 話を戻すと、祖母ちゃんにはロードワークや散歩に行くと言って海辺で魔物と戦ったり筋トレしたり、見つけた近場の龍脈に赴いて気を練って心力を高めたり、魔核で修練したり能力上昇効果のあるポーションを試したりと、俺はこの三年そんな日々を送った。


 ――全ては、英雄だった俺が倒したあの凶悪な魔物を、この人生でも再び俺が倒すため。


 俺が強さに固執するのは理不尽な死を回避って面だけじゃなく、二度目人生で俺がその魔物を倒さなかったせいで、魔物全般が王国民に及ぼした被害が倍増したと知っているからだ。


 高々魔物一匹にって思うけど、その魔物が曲者だったってわけ。


 バタフライ効果なのか俺に課された因果なのか、二度目人生じゃだから普段は市街地に出ないような厄介な魔物が悪さをして結果俺は処刑されるに至った。無辜の国民の命も沢山散った。


 対魔物において、俺は二度目人生と同じてつは踏まない。


 だから早く、もっともっと強くなりたい。


「いらっしゃーいませー。今日も美味しい薬草パンが焼けてますよー」


 とは言え、ごくごく普通の少年としての生活を送るために声を張り上げ、今日も俺は祖母ちゃんの店でパンを売る!

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