第9話 こんな風になりたい?
「ふんふんふーん♪」
雪乃が鼻歌混じりに料理をしている。
そして俺は部屋の片付けをしながらそんな彼女と会話をしている。
「せんぱーい、煮るのと焼くのどっちがいいですか?」
「え、それはもちろん魚の話だよね…」
「ふふ、今日は魚しかありませんよ?おかしなせんぱい♪」
「はは…」
今日からこの部屋で雪乃と二人きり。
そんな事実が俺を襲う中、雪乃は機嫌が良さそうである。
だから怖いのだ…
そしてトントンと包丁で野菜を切っているのだが、その音がピタリと止まった。
「そういえばせんぱい、お引越しの荷物の中にエロ本がなかったみたいですね」
「え、いや俺はあんまりそういうの読まないから…」
「でもスマホも持ってなかったですよね?どうやって処理してたんですか?」
「そ、それは別になんとでも…」
「なんとでも?ふーん、いつでも連れ込める女がいたってことなんですね。誰ですか?今ここに呼べますか?」
包丁がまな板に突き刺さった…
「だ、だからそんなのいないんだって!被害妄想だよお前の…」
あ、しまった…
「被害妄想?ああ、そうですよね…私ってヒステリックなんですもんね。せんぱい、私自分で死ぬの怖いので寝てる時にそっと包丁で刺してくれませんか?」
「い、いやだよ!それに本当に浮気なんかしたことないから!」
「本当?」
「本当だって…」
「よかった、せんぱいはずっとここで私と一緒ですもんね♪」
「そ、そうだな…」
この定期的にくる発作のような妄想はなんなんだ…
「さて、ご飯にしましょうか!今日はせんぱいが活躍してくれたから鯛にしましたよ♪」
「おお、うまそうだなー!」
そして一度片付けの手を止めて、雪乃の手料理をいただきながら学校の話になった。
「でも今日の北条みたいな奴ってまだクラスにいるのか?」
「うーん、私が知ってるのはあの人くらいかな?男子はみんな北条君の手下みたいだったし…」
「そうか、ならいいけど…」
「でも昨日のメンバーはまだいいですけど、来てなかった女子に面倒な子はいるんですよね」
「まぁ女子の方が陰湿とか言うもんな…」
「なんでせんぱいがそんなに女子事情に詳しいのかな?やっぱり女の子大好きなんですね」
「一般論だよそんなの…」
「じゃあその一般論のモデルになった女の子って誰なのかな?」
「そ、それは…」
雪乃だと言えばこいつのことを陰湿と言ってるに等しい…
でも他の女の子の名前は嘘でも出せないし…
「言えない人がいるんですね?」
「ち、違う俺はお前以外の女の子と親しくなんかしたことないって!」
「へぇー、まぁせんぱいの頑張りに免じてクラスメイトと話すくらいは許してあげてもいいですけどね?」
「ほ、本当か?それは助かる…」
「やっぱり話したいんですね」
「ち、違うそうじゃなくて…」
雪乃の右手がピクリと動いた瞬間に雪乃の携帯が鳴った。
そして箸を置いて携帯の画面を見る雪乃の表情はみるみる明るくなっていく。
「と、友達からか?」
「ええ、マッキーからです♪見てください、せんぱいのことも書いてますよ?」
須藤さんからきていたメールには『彼氏さんって携帯持ってないんだね、だから今日はありがとうって伝えておいてね』と書かれていた。
これってヤバいよね…
雪乃が笑いながら尋ねてくる。
「せんぱい、携帯ほしいですか?」
「え、いや別にあったら便利だけど…」
「ふふ、いいですよ?明日一緒に見にいきましょう?」
「え、いいの?」
あれ?怒ってない…
やっぱり今日のことで少し雪乃も優しくなったのかな?
「さ、それより食べましょう?冷めちゃいますから♪」
「そうだな、食べよう食べよう…」
二人で食事を終えたあと、雪乃が洗い物をしてくれている間に段ボールの荷物をある程度片付け終えた。
「さぁせんぱい、お風呂入りましょ♪」
「え、一緒にとかじゃないよね?」
「もちろんそのつもりでーす♪だってー、私がお風呂に入ってる間にせんぱい何するかわかんないでしょ?」
「何もできないよ…」
実はというか雪乃がこんな感じなので俺たちは別に初めてではない。
ただ、初めての時に妙にキスが上手いといわれて唇を洗濯バサミで半日つままれていた時は苦痛だった…
「で、でも今日は別でもいいんじゃないか?まだ片付け残ってるし…」
「恥ずかしいんですかー?ふふ、せんぱいは照れ屋さんですね♪でもいいですよ、今日はせんぱいが先に入ってください!」
なんか今日の雪乃は本当に素直だな…
でも少しずつ俺も信用してもらえてるのかな?
「せんぱーい、お風呂沸きましたよ!」
「ああ、ありがとう雪乃」
「ふふ、なんか新婚さんみたい♪」
家事もよくできるし、こういうところは女の子らしいというか…
でも雪乃は案外いい奥さんになるかもな。
別に浮気したいわけでもないし、この体さえどうにかなれば俺もきちんと雪乃のことも考えてやらないといけないかな…
まぁしかし風呂はいいよな、1日の疲れが吹っ飛ぶ。
不死身になってからも風呂は一日のほぼ唯一と言える楽しみだった。
おお、湯気がいい感じだ。
よーし、一気に…それ!
「…あっつー!!」
え、熱湯!?
一瞬で体の皮膚が爛れたが回復した。
もちろん風呂場から飛び出して雪乃に思わず詰め寄った。
「おい、風呂の温度おかしいぞ!?熱湯じゃないか…」
「やん♪せんぱい丸見えですよ!」
「あ、ごめん…じゃなくて!」
「あー、あれ熱湯入れてますから熱いですよねー」
「いや普通の人は死ぬよ…何に怒ってるんだ…」
「せんぱいは普通じゃないから大丈夫ですよ♪それに私は怒ってませんよ?明日はきっとカラオケの件でみんなからモテモテなんだろうなーって思うとイライラしたりしてませんよ?」
「まだ来てもない明日のことで怒られても…」
それにちょっと日本語変だよ…
「まぁでも、明日のことと言えばやっぱり北条は大丈夫かな?」
「その時はまたせんぱいが一発かましてやってください!ね、女の子に優しいせ・ん・ぱ・い♪」
「ぜ、善処します…」
結局煮湯のような風呂には入らずシャワーを浴びて寝ることにした。
「せんぱい、腕枕してください♪」
「うん、いいけど…」
「ふふ、せんぱいって体細いのに腕とかすごくたくましくて男の人って感じなんですよね。大好き♥」
こうして側で雪乃とイチャイチャしている瞬間は本当に幸せだと思う。
それはもちろん雪乃が可愛いから、そんな彼女が側で微笑んでくれるから、いつまでもこうしていたいと思えるから。
などというものではない…
雪乃がもうすぐ寝るからだ。
彼女が寝てる間だけは俺は解放される。
そして雪乃は程なくして眠りについた。
俺はしばしの休息を得た…
そして翌朝
「おはようございます、せんぱい♪今日は時間がないからパンにしましたね!」
「おはよう雪乃。ん…なんかいい匂い」
「海外からバター仕入れたんです、これ美味しいですよ♪」
「ん!美味い!」
「本当ですか?やったー♪」
ああ、眩しい笑顔だ…
でもそのバターナイフはいつまで持っているつもりなんだろう…
それでも雪乃の機嫌は良いので無事に家を出て二人で登校した。
少し教室に入る時に緊張した。
昨日は勢いで盛り上がっていたが、それでもやはり俺に対するみんなの視線というものは怖かった。
それに北条とやらも…
彼が仕返しを企んだり俺のことで雪乃にまで危害を加えたりしないかという心配もあった。
「おはようみんな♪」
雪乃が教室のドアを開けて大きな声で挨拶をした。
全員がこっちに注目している…
しかし俺の予想とは少し違う反応が返ってきた。
「あ、不死川君だ!」
「聞いたよー、昨日すごかったんだって?」
「やっぱり歳上って頼りになるなー!」
「あ、ああ…いや、そこまでじゃ…」
「せんぱい、一躍人気者ですね♪」
「み、みたいだな…」
俺は人に対する考え方を少しだけ改めた。
この体は確かに化け物だが、正しいことにその力を使えば受け入れてくれる人間もいるのかもしれない。
そんなことを考えながら調子づいてクラスの人間と話をしていると北条が入ってきた。
そして今まで祭りのように盛り上がっていた教室は一気に静かになった。
こっちに北条が向かってくるのが見えた。
目の前に立ったと思った瞬間に北条の右手拳が俺の顔面に飛んできた。
「ぐぁっ!」
思いきり殴られた。
急なことにクラスが再びざわざわと騒がしくなる気配を感じながらも俺は冷静だった。多分殴られそうだなと予感がしていたのだろうか。
「な、なにするんだよ…」
「むかつくわマジで、こっちこいや」
「いやでもHR《ホームルーム》が…」
「そんなもん関係ない!」
そういって北条が外に飛び出した。
ついてこい、というわけか…
雪乃が心配そうに寄ってくる。
「せんぱい…」
「大丈夫だよこれくらい。ちょっと懲らしめてくるかな」
「いえ、せんぱいはここにいてください。私がいきます」
「え、いやそんなこと…」
雪乃の顔を見て俺は言葉を失った。
もう俺のことなど見てもいなくて、復讐の鬼と化したような目で廊下の方をみながらブツブツと何かを呟いている。
「私のせんぱいをなぐった…私のせんぱいを…」
そして勢いよく飛び出していこうとする雪乃を止めようとするとすごい顔で睨まれて足が止まってしまった。
雪乃が出て行ったあと、唖然としていた俺は須藤さんから声をかけられたことで我に返った。
「ねぇ彼氏さん、雪乃が行っちゃったよ…」
「はっ!そうだ、行かないと…」
確かに危ない…
雪乃と北条の姿を探した。
非常階段の方で声がする…こっちか?
そして誰もいないはずの非常階段前で北条と雪乃が…いや雪乃が何かもっている…
北条は腰を抜かしている…
「ねぇ、あんた私のせんぱいなぐったよね?死ぬ?いえ、死ぬしかないわね」
「や、やめろ…なんでバターナイフなんか持ってるんだよ…」
「ああ、これはせんぱいのバターを塗ってあげたものなの。でもね、これ特注だから結構切れるんだよ?やってみる?」
「お、お前は関係ないだろ!俺は不死川に…」
「だーかーらー、せんぱいとは後で勝手に好きにしたらいいの。でもね、私のせんぱいに手を出した以上はね?そのベラベラとうるさい舌を引っこ抜いてあげようか?」
「や、やめろ雪乃!」
なぜかバターナイフを持っ雪乃と、脅されて尻もちをついている北条の間に立ち雪乃を止めた。
「あ、せんぱい。大丈夫ですよ、こんなクズ消してやりますから」
「ダ、ダメだって!お前が加害者になるのは嫌だって言っただろ?」
「なんでですか?」
「せ、せっかく一緒に住んでこれからだろ?だからそれしまえ…」
「…わかりました♪せんぱいが言うのなら私やめますね!」
雪乃は構えていた手を降ろした。
そして振り向くと半泣きの北条が完全に腰を抜かしている…
しかしこの期に及んでまだ悪態をついてくるあたりはさすがというべきなのか。
「お、お前こんなことしてタダですむと思うなよ?このメンヘラ女!」
しかし雪乃はスッと俺の横に来て、またナイフを出してきた。
「やめろ」と俺が言う前に彼女が話し出した。
「え、誰がメンヘラって?別に先生に言いたかったら好きにしたら?私、せんぱいがいてくれたら他に何もいらないから。でもね…もし変なこと言って私とせんぱいの楽しい学校生活を壊すんなら、こうしてやる!」
「がはっ!!」
なぜか俺の腹に思いきりバターナイフが突き刺さった…
怯える北条に雪乃が静かに語りかける。
「!?」
「北条君もこんな風になりたくないよね?」
「あ、あ…」
「あれ、まだわからないかな?ね、せんぱいも痛いのに、ね!」
「がはぅ!」
また刺された…いや治るけど痛みはあるんだよ雪乃…
北条が震えた声で雪乃に尋ねるが、また彼女は淡々と答えている。
「な、何してんだお前…」
「え、せんぱいは私のものだから私は何してもいいの。でもね、人のものを勝手に傷つけたらダメだってこと、わかる?」
「え、あ…」
「わかる?」
「わ、わかった!ごめんなさいもうしません!」
「だそうですよ、せんぱい♪今日はいっぱい刺されたから保健室にいきましょ♪」
俺はバターナイフを腹に刺したまま雪乃に手を引かれて保健室へ向かわされた。
去り際に北条を見ると、どうやら失禁していた…
「おい雪乃…無茶しすぎだ…」
「でも私、せんぱいのこと殴ったあいつが許せなくてー」
「それなら姫川さんの時もお前が助けられたんじゃないのか…?」
「え、なんで姫ちゃんの為にそこまでしないといけないんですか?私はせんぱいにだけ尽くす女ですよ♪」
「そ、そうか…でも串刺しはやめてくれよ…」
そう言って雪乃のピンクのかわいいポーチの中には一体何が入っているのだろうと、腹のナイフを抜きながら想像していると雪乃が足を止めて振り向きざまにこういった。
「せんぱいが浮気したら、相手の女もそうなりますよ?」
雪乃の右手がポッケに入っている。ポケットの中で何かがカチカチと音を立てている。
「でもせんぱいは浮気なんかしませんもんね♪」
「も、もちろんだよ、あはは…」
俺の足音が静かな廊下に響く。
彼女のポケットの中では何かがまだカチカチと音を立てる。
その音をかき消すように授業開始のチャイムが鳴り響いた。
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