第4話

「何なんだよこりゃあ」

 私は呆然と口を開けてそれを見上げるしかなかった。それは怪物だった。ただし体は金属製だ。明らかに機械ではなかったが、それを構成している要素は機械的だった。普通の存在ではなかった。見ているだけで背筋に寒気が走る。

「体は機械に近いか。新鮮だな」

 そう言ってカエデは皮肉げに笑った。獣は私達に威嚇のつもりなのか吠え続けている。それだけで死にそうな気がするほど禍々しい声だった。そして獣はカエデに飛びかかった。しかしそれは跳びかかったと認識するだけでやっとなほどの速度だった。重機なみに巨大な鉄塊が獣の速度で飛んでいった。普通の人間なら成す術なく押し潰されて終わりだろうがカエデは違う。正確に獣の頭部を狙い蹴りを繰り出していた。しかし、私にそれを捉える動体視力はない。それが分かったのはカエデを見ると獣の頭部があったところに足をまっすぐ伸ばして止まっていたからだ。私は一撃でやったのかと思ったが違うようだった。カエデの表情が苦々しい。

「やはり無理か」

 次の瞬間、獣の体が初めと同じ砂状に爆散し、カエデを取り囲んだ。カエデは間一髪そこから逃れる。カエデを捕らえそこねた砂は再び固まり獣の形に戻った。

「体が砂状だから殴っても蹴っても無駄ってことか」

「これはやっかいだな。だが幸いお前は眼中にないようだ。とばっちりを食わないように避難しておけ」

 避難しておけと言われて避難するのも何だか気が引けた。これだけの強敵だ。戦力は多いほうがいいのではないか。大体私はここまで何もしていない。ただカエデに守られているだけである。何か手を貸したかった。しかし、目の前でまたすさまじい速度で動く獣を見ると何かできるとは思えなかった。

 カエデと獣は激しい攻防を繰り広げながら、ホールを所狭しと動き回る。流れは一見一方的だった。カエデのどの攻撃も砂の体には通用しない。ただただ獣がカエデに襲いかかり続けていた。しかし対するカエデはその上をいく速度で攻撃を避け、その合間に殴りつけてみたり、蹴りつけたりしていた。だがどの攻撃も本気ではない。あくまで様子見といった感じだった。そしてようやく獣の牙がカエデを捕らえたりもしたが、やはり不死身のカエデはあっという間に再生してしまう。お互いに相手を捉えてもに殺すことが出来ないという状況だった。

 しかし、実際の所優勢なのはカエデであった。獣は勢いこそ激しい物の、その動きをほぼ完璧にカエデにいなされている。たまに当たるのはわざとのようだ。カエデは相手の戦力を図っているのだった。

 私はただ呆然とその戦いを見ている。はっきり言って私の目には起こっていることの1割も捕らえられては居ない。今までの流れもおおまかなものだ。ただ鉄の塊と赤い人影が高速で移動していることしか分からない。ホールの備え付け家具が粉々になりながら宙を舞っていた。

 突如獣がその猛攻を止める。一声咆哮したかと思うと尾がむくむくと盛り上がり始めた。そして切れ目が何本も入りぱっくりと別れた。尾は10本の触手となった。

「ほう、変異できるのか」

 獣は触手をカエデに打ちつけながら、再びカエデに襲いかかる。カエデは攻撃を避けきれていなかった。何回かに一回触手が掠っている。攻め手の増えた獣にカエデはその優勢を奪われていた。流石のカエデも牙を含め11有る攻撃を捌き切れないようだった。触手は振り回すという言葉では表せないほど高速で振るわれている。ほとんど攻撃の隙間などない

 獣はあの触手で動きを抑制し、必殺の機械を伺っているようだった。すなわち牙でくらいつく瞬間である。カエデの表情にもさきほどまでの余裕は失われていた。歯を食いしばって攻撃をかわし、ほんのわずかな隙に攻撃している。

 私も焦る。先ほどまでぼーっと見ていてもいつかカエデが勝つかと思っていたが甘かった。さすがに罠を張ってまでカエデとぶつけるだけあって、この獣は特殊で強かった。おそらく体を変形させるのがこいつの性質なのだろう。それも動きを捉えられない状況に合わせて的確に変化させた。放っておいたらどんどん状況に合わせて強くなっていくのかもしれない。いくらカエデが不死身とはいえ度を超えて強力な攻撃を受けたらどうなるかは分からない。そしてこの獣はそれを実現出来る可能性があった。

 しかし私が何かするより先に獣の牙がカエデを捉えた。獣はばっくりとカエデの上半身を丸々食いちぎった。吹き飛ぶカエデの下半身。私は息を飲んだ。噴水のように血が吹き出すが、しかし下半身だけで足を踏みしめ体勢を立て直した。そして吹き出す血が形を作り、やがて肉となり赤い着物となり元通りの上半身となった。

「やるな。思っていたより随分強敵じゃないか」

カエデは言った。見下すでもなく恐れるでもなく、初めと同じ調子である。

 獣が再び吠える。分かれた尾の先が赤く光り始めた。続いて爪も牙も光り始める。高熱を帯びているようだった。さらに背中がもこもこと膨れ上がり巨大な砲身が形作られた。

「砲弾より速く触手を振るえるくせに今更大砲か?」

 カエデは訝しんだが、それは砲弾を打ち出すための砲身ではなかった。甲高い音が響き、青白く光る。そして何本もの電流の束が放たれた。

「何だ?」

 カエデはとりあえずそれをかわす。電流の当たった所はきれいに抉り取られていた。それは衝撃だの、そういった力で付いた跡ではないようだった。切り口に異常に乱れがない。まるでそこが消滅してしまたっかのようだった。これは、架空兵器好きの友人に聞いた情報と一緒ならプラズマカノンというやつではないだろうか。プラズマカノンの中には分子結合を強引に分離させるものがあるとかなんとか言っていたと思う。それかもしれなかった。この獣は牙ではカエデを殺しきれないと理解し、殺せる兵装を作り上げたのだ。この化け物の性質は底なしなのかもしれない。理論上でしか存在していない兵器まで作り上げたのだ。

「それはちょっとまずいぞ。触ったら完全に消滅するかもしれない」

「消滅か。大層な兵器を作るじゃないか。喰らったら流石にまずそうだな」

 再び電流の束が放たれる。カエデはそれをかわすが、その先に10本の触手が襲いかかった。カエデはそれの何本かを受ける。熱により簡単に体は引き裂かれた。瞬時に回復するが再び触手、さらに獣が牙を剥いて飛びかかる。しかも、跳びかかりながらプラズマカノンを放つという離れ業を見せた。カエデは後ろに飛んで逃げるしかない。しかし触手も電流もそこを逃さず狙ってくる。

 流石に危機的だった。このままではカエデは死ぬかもしれない。完全に消滅させられたら不死身のカエデといえど再生できないかもしれない。そうして眺めている今もカエデは刻一刻と追い詰められている。このまま黙って見ているわけにはいかなかった。かといってどうしたものか。そもそも人間の動きでは近づくことさえできそうにない。どうにか近づいた所で下手な手出しをすれば一瞬で細切れにされそうだ。しかし放っておけばカエデが殺される。

 獣が吠え、プラズマカノンが放たれる。カエデはもはや限界と思ったのか、思い切り獣の懐に踏み込んだ。触手が襲いかかり、体が引き裂かれるが構わず前進する。それで電流の束は躱すことができた。しかし獣はその牙でもってカエデに襲いかかる。

 しかしカエデはそれにも構わず、そのまま渾身の拳を叩き込んだ。それは今までで一番力のこもった本気の一撃だった。砂になるかと思われた獣だったが、砂になる間もなくその衝撃をもろに受けていた。呻く獣。それからようやく砂になり、苦しみを紛らわすようにホールをぐるぐる回り始めた。衝撃は獣に致命傷を与えることはできなかったようだ。

「だめか。やっかいな奴だ」

「弱点でもあればいいんだがな」

「一応攻撃すると奴が若干庇う部分がある。ただそれは逐一移動しているようだ。恐らくあの砂粒の一つに核のようなものがあるんだろう」

「それで今思い切り殴ったのか」

「ああ。だが届く衝撃が弱すぎる。核を破壊しきれない。やれやれ手詰まりだぞ」

「一度に全体に攻撃すればいいのか」

「何か考えがあるのか」

「ああ、少しな」

 私は気分が静かに昂っていた。高校の物理の時間を思い出す。物質の形態とその性質の授業内容である。もう2度と思い出すこともないだろうと思っていたがこんな所で必要になるとは思いもしなかった。まぁ、将来化け物と戦うことに備えて勉強している奴なんていないだろうが。とにかく私にも何かできるかもしれなかった。私は手持ちの道具を確認する。

「もう一度あいつをぶん殴る事はできるか」

「殴るだけならな。ただまた砂になるだけだぞ」

「それでいいんだ。とにかくあいつをもう一度砂状にしてくれ」

 獣は砂状の状態から再び形を成しはじめていた。また足から順に構成されていく。ただし先ほどの装備はそのままだ。獣は恨みがましい唸り声を上げ、またカエデに攻撃を始めた。カエデは私を巻き込まない方向に飛び退く。

「なるべく私の近くで砂にしてくれよ!」

「無茶を言う奴だ」

 危険は百も承知である。私は普段他人のために体を張るとかいう人格者ではない。しかしこのままではカエデが死んでしまう。それはどうにも受け入れ難かった。なので少しくらいの危険は味わうしかなかった。そういう風に曲りなりに他人のために勇気を出したというのは新しい発見であった。ただ無為に日々を過ごしているだけかと思っていたが私もバカにできない。

 カエデは極限の攻防の中徐々に私に合わせるように位置を調整していた。私はそのときに備え身構える。獣は相変わらずの猛攻である。ホールにあったもので元の形を保っているものは殆ど無い。

 もうあと少しという所まで来て、カエデが再び拳を握りしめた時だった。獣が再び咆哮する。。すると背中の砲塔が新たに2門生まれた。合計3本である。さらに小型の支援機のようなものも吐出された。小刻みに宙を旋回しながらカエデの動きに合わせレーザーを照射する。

「もはや何でもありだな」

 しかしカエデはためらわず獣の懐に飛び込んでいく。そこに3本の電流の束が放たれ、触手と支援機と牙と、獣はカエデに総攻撃を仕掛けてきた。赤い着物は構わず突っ込んだ。支援機のレーザーを受け、触手にその身を刻まれ、最後に牙が襲いかかる。カエデが見ていたのはプラズマカノンだけだった。獣の本命は3本の電流の束であり、それ以外はそれへの囮にすぎなかった。その他はプラズマカノンに比べれば大したモノではなかった。当たった所で一瞬で再生するのだ。それらに当たる事が前提の捨て身の立ち回りをすればプラズマカノンはぎりぎりで躱すことが出来た。カエデはそうして殆ど八つ裂きといえる体で獣に拳が届く所まで飛び込んだ。そしてバックリと開いた顎を両手で掴み獣をねじ伏せた。怪物は地面に叩きつけられる。そこへまたカエデは渾身の拳を叩き込んだ。

獣ごと地面が大きく砕ける。獣は再びうめき声を上げ、砂状に変化していった。

「砂になったぞ」

「よし、これでいい」

 私は宙に舞う粒子を見る。いい塩梅の密度である。私は作っておいた紙の玉を手のひらに載せ、そして懐からライターを取り出した。私は玉に火をつけた。

「何をするつもりだ」

「痛い思いをしたくなかったら隠れろ」

 カエデはよく分かっていないようだがとりあえず飛び退いた。私は手近なテーブルの破片を盾として構え燃える紙の玉を振りかぶる。

「吹き飛べ」

 私は火の玉を宙に舞う砂の渦に投げつけた。

 砂なんかの粉状の粒子というのは特殊であるらしい。固体でありながら流体の特性があるとか何とかだったりで、現代科学でも解明できない謎が多いそうだ。そんな不思議な粉粒体だがこれが空中に舞うと危険なのである。粉粒体はその体積に比べ表面積が大きいため大変燃えやすい。可燃性の物質で周囲に十分な酸素がある状態、つまり燃焼する粉粒子がその燃焼に十分な酸素を取り込める薄さで広がっているような状態では爆発的に燃え広がるのである。それは小麦粉で起きれば穀物サイロを吹き飛ばすほどだそうだ。粉塵爆発というやつだ。そして、今のような燃焼する金属が調度良く立ち込めているような状態ではまさしくそういう現象は起きるのだった。

 火の玉は私の全力の投擲のかいあって砂状の獣に届いた。そして届いた瞬間に獣の砂状の体に引火した。火は次々と粒子から粒子に連続してついていく。つまり大爆発が起こった。巨大な火球がホールに熱風を巻き起こした。私は歯を食いしばりそれに耐え、カエデは遠くからそれを眺めていた。獣の砂状の体は残らず火がついていた。チリチリと音を立てそれは床に降り積もった。

「ざまぁみやがれ」

 私は言った。しかし降り積もった灰はまだ死んではいなかった。もぞもぞと蠢き一つに集まろうとしていた。

「まだ死なないのか」

「いっぱしの異形ということだ。それにしても驚いたぞ。まさか本当に砂の全てにに攻撃するとは」

「物理のある高校に通ったやつならだれでも思いついたさ」

「いや感謝するぞ。私だけでは多分殺せなかったからな」

「いや、まだ死んでないぞ。どうするんだ」

「それは大丈夫だ。後始末なら私がする」

 カエデはゆっくりと灰を見渡す。目を細めてじっくりと灰の中の核を探す。

「あれか」

 そう言ってカエデは灰の固まりのひとつに近づいていく。そしてその固まりを思い切り踏みつけた。すると散らばった灰が全てビクンと飛び跳ね、その姿勢で固まった。それとともに物凄い叫び声が響き渡った。私はあまりに精神を掻きむしる音で耳を強く塞いだ。どこから出ているのか分からない叫び声はしばらく続き、それが終わると灰はゆっくりと地面に落ち、黒い煤となって空気中に消えていった。

「これであいつは完全に死んだ。ご苦労様。改めてお礼を言うぞ」

 私はようやく安堵し、そして変に気恥ずかしくなった。殆どは前に出て戦ってくれたカエデのおかげであり、私がしたことなど大したことではなかったと自分でも思った。しかし、やはりうれしいものであった。

「いや、どういたしまして」

 私は答えた。

「さて、ではいよいよ本命に向かうとするか」

「おう」

 私達は瓦礫にまみれたホールを後にし、中央演算室へと続く通路を進んだ。

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