第2話

 私達は地下鉄を降り、中央駅の正面入口エントランスに居た。平日ながらものすごい人である。もうそろそろ出勤ラッシュは終わろうとしているはずだが改札からも正面入口からも人通りが途絶える事はなかった。私はこの人混みが苦手である。通勤時間に電車を使うことはめったに無い。今日久々に使ってみてあのすし詰めの車内に居る苦痛を思い出したのだった。

「すごい人だったな・・・・」

 隣ではカエデがげっそりしている。誰でもあの人混みにはうんざりするだろう。地方から出てきたならなおさらだ。しかしカエデの元気のなさはそれによるものだけではないようだった。何でも陽の光が苦手だとかで、家から出た時からこの調子である。遠回りになる地下鉄を選んだのもそのためだった。何らかの持病があるのかもしれない。深く詮索することは止めておいた。

「で、ターミナルはどこにあるんだ」

「ここから歩いて5分ほどのところだ。そこのドアを抜ければ右手に見える」

「そうかようやくか。まったく驚くことばかりだったぞこの街は」

 カエデはぐったりと息を漏らす。実際カエデは驚いてばかりだった。ここまでにあった全てこの街独自のテクノロジーに目を丸くしていた。その他にも地下鉄に驚き、車内の人混みに驚き、痴漢騒ぎに驚き、中央駅の大きさに驚きいていた。いや、そもそも自動改札というものから驚いていた。この街が珍しいものばかりなのは分かるが、少しばかりものを知らなさすぎるように思われた。自動改札くらい何十年も前から使われている。地方でももうほとんどの所で導入済みだ。地下鉄だってそうである。よほどの田舎から来たとしか思えなかったが、今時そんなど田舎があるとも思えない。本当に妙な少女だった。考えにくいがひょっとしてこの身なりで日本人ではないのかもしれない。

 私達は正面入口を抜けて街へ出た。途端に目の前に聳える超高層ビルの足元が目に入る。ただの壁にしか見えないが見上げればその先は雲に隠れるほどに高い。それが前にも右にも左にも、振り返れば後ろにも延々続いている。空には立体映像の広告が浮かび、その間を縫うように飛行船が宣伝文句をたれながら飛んでいた。道路には無人自動車が走り回り、清掃ロボットだの、配達用ドローンだのが歩道を忙しく動きまわっている。歩く人の量も大概多いがここでは主役にはなれない。街はそれらが発する音の波で満ち溢れていた。私はこの情景を「やかましい」の一言でまとめることにしている。いちいち興味を示していては切りがないのである。

 後ろでカエデが小さくうめき声を漏らした。この街にというよりは陽の光にだろう。その目はこの光景への興味がありありと浮かんでいた。

「すさまじいなこれは。少し、いや大分ショックだ。人間の文明はここまで進んでいたのか」

「妙な言い方をするな。あんまりよそ見して歩くなよ。ここはぶつかるものばっかりだからな」

 私は右手に見える大きく市章が描かれたビル、ターミナルビルへ向かって歩き出した。あそこがこの第4新東京という人工島のど真ん中である。周りの景色がさっぱり見えないのでそう言われても実感が沸かないのだが。

 道にあふれる人やらロボットやら。その流れをかき分けて進むのは経験のないものには中々難しい。私も初めてこの街に来た時は戸惑ったものだ。人混みは経験があったが、ここには人以外のものも行き来している。それに戸惑いながら歩くと行きたい所へ行けないのである。そしてカエデはまさしくその状態にあった。

「待ってくれ。そっちへ行けない」

入ってからものの数秒で私達ははぐれてしまった。人の流れの向こうから声がする。

「そこを動くなよ。私がそっちへ行く」

「ああ、すまん」

 私は来た方向へ戻り、さらに進んでようやく赤い着物を見つけた。流されるままどんどん移動していた。周りの人間が奇異の視線を向けている。今更だがこのハイテク都市に前時代的な赤い着物の少女は浮いていた。私は人をかき分け何とかその元へたどりつく。

「どうもお前には難易度が高いようだな」

「むぅ。そのようだな」

 そういうカエデの上を巡回中の警備ドローンが通り過ぎていった。カエデは小さく悲鳴を上げる。

「しかしあそこへ行きたいならどうしたってここを通らなくてはならんぞ」

 私はターミナルビルを見る。もう目と鼻の先、少し歩けばたどり着ける場所にあるのだ。何せ中央駅事態がターミナルビルに務める人間のために可能な限りビルに近い所にたてられたのである。しかしこのままではあそこにたどりつくのは至難の業である。私はどうしたものかと考える。こうして立ち止まっている間にも通り過ぎる人々から非難がましい視線を向けられているのだ。もういっそタクシーを使おうか。しかしこんな距離で使うのは財布の中身から考えてかなり悔しい。だが仕方がない。そう思って道の側へ行こうとした私だったが、

「ならばこうしよう」

 カエデはそう言って私の手を握った。ふむ。なるほど確かに合理的な方法である。これならはぐれる心配もないだろう。カエデは私の動きに従ってあるくだけでいい。しかし、

「まぁ別にいいんだが。結構恥ずかしいんだな」

「気にするな。とっとと行こう」

 そう堂々と言い放つカエデは何だか自分より年上かと思ってしまう程であった。私は自分がひどく馬鹿らしい人間に思えてきた。周りからどう思われてるとか自意識過剰なことは考えないでおこう。私の中の何かが吹っ切れた気がした。私達は手と手をつないで歩きだした。

 実際手をつないで歩くというのは人混みを歩く時スムーズであった。私がかき分けそれにカエデが続く。遅れがちかどうかもしっかり分かる。そういうわけで私達は順調にターミナルへ近づいていた。

「でかすぎて感覚が狂うな。こんな大きな建物は初めてだ」

「ここにあるものはお前の故郷にはないものばかりみたいだな。一体どんな場所なんだ」

「山の中だな。人との交流はまったくない。」

「ははぁ、山奥か。なら大分違うだろうな」

 となると余程の山奥なのだろう。文明が届かないほどの山奥なんて今の時代にもあったのか。かなり貴重であると思う。ちょっとした田舎程度にはテクノロジーはあっという間に入り込んでしまうのだ。私にはカエデの故郷がどんな場所か想像もつかなかった。

「友達とか居ないのか。一緒に遊ぶような」

「居るに居るが、一緒に遊ぶというのはあんまりないなぁ。まぁ私が四六時中寝てるからなんだが。あいつらどうしてるかな」

「そんなに寝るのか? よく分からんな。起きてる時は何するんだ。山で遊ぶとかか」

「お前田舎者をばかにしてるな。そんな事はしない。大体趣味に当てているな」

「趣味があるのか」

「ああ、管理人ような事をやっている」

「趣味が管理人・・・・?」

 カエデはやはりよく分からない事を言う。不思議ちゃんなのか、それともひょっとして山奥のしきたりなんかに関わる事か何かなのか。前読んだホラー小説の昔の田舎とはそんな感じのしきたりばかりあった。

 そうして私達はようやくターミナルの元までやってきた。ターミナルの周りには深い深い堀が掘られており、四方からそこにかかった橋で出入りする作りになっている。それぞれの橋には検問所があり通行を厳しく制限していた。私達の前にある第一ブリッジにももちろん鋼鉄のゲートを構えた検問所があった。武装した警備員が3人居り、さらに何台もの警備用無人機が飛び回っていた。

「ここまでだな。これ以上入ったら警察行きだ」

「うーむ」

 カエデは腰に手を当てて何やら考えている。間近で見ると改めてわかるがターミナルの警備は厳重である。この深い堀を始め、警備する人間やマシンの数も半端ではない。この中にあるものが世界最高レベルの技術の塊なのだから仕方がない。プラントは日用機器から軍事兵器まで様々なものを世界最高水準で作っているし、演算装置は秒単位で山ほどの機密情報を処理している。ここは今のこの国の重要拠点の一つとなのだ。

 カエデはどんな用事があるのかどうしても中に入るのをあきらめられないようだった。大方好奇心によるものだと思っていたが、その眼差しはかなり険しい。まるで目の前のものを巨大な異形と見なしているかのようだった。

「お前一体ここになんの用があるんだ」

「まぁ、いわゆる趣味なんだがな。お前は帰った方がいいぞ。ここまで連れてきてくれてありがとうよ」

 そう言ってカエデはゲートに向かって歩き始めた。

「おい、、待て。ホントに捕まるぞ」

 カエデはそのままスタスタとゲートの前まで行ってしまった。

「何だい君。ここは一般人は立ち入り禁止だよ」

 ゲートの窓口係員の気の良さそうなおっさんがカエデを呼び止める。

「すまんな。この先に用があるんだ」

 カエデはそう言って手のひらを立てて軽く会釈するとそのまま歩いて行ってしまう。私は走り寄ってカエデの肩を掴んだ。

「おい、本当に何考えてんだ。冗談じゃないんだぞ」

「分かっているとも。大真面目にやっているんだ。私はこの先にあるものを破壊しなくてはならん」

「はぁ!?」

 何を言っているんだこいつは。妙なやつだとは思っていたがここまでおかしいとは思わなかった。冗談にしても笑えない。それは完全に犯罪行為である。そもそもこの厳重な警備を見て設備を破壊するという発想がわけわからん。

「ちょっと。そのお嬢さん大丈夫かい。熱でもあるんじゃないのか」

 窓口のおっさんはむしろ心配そうである。ゲートを守る警備員も不審そうに見ている。

「すいません。帰ったらよく言い聞かせますんで。おい、ほら行くぞ」

 そう言ってカエデを引っ張って連れて行こうとしたが私は立ち止まらざるを得なかった。無人機がけたたましいアラートを発しながら私の前に降りてきたからである。双翼に突いたエンジンか巻き起こす風で目を開けるのが難しい。

「ただちに停止しなさい。腕を頭の後ろに回し地面に伏せなさい。繰り返します・・・」

 無人機は私達に犯罪者用の警告音声を発してくる。何だ俺達が何をしたんだ。確かに少し怪しい行動はしていたが何もこんな大層な扱いを受けるほどではないはずだ。

「何だ何だ何事だ」

 窓口のおっさんも戸惑っている。後ろを見れば警備員たちも同様だった。やはり普通の状態ではないらしい。私は事情はよく分からなかったがとりあえず警告に従い腕を頭の後ろに回し地面に伏せる。かなりみじめだが仕方がない。もし誤作動だとすれば反抗すれば何をされるか分からない。

「ふん。そちらはやる気満々というわか」

 しかしカエデはこの状況で嫌に冷静だった。忌々しげな声色である。私はカエデの着物の裾を引っ張り警告に従うよう促す。だが、カエデより先に無人機の方が行動を起こした。

「警告に対する反抗と判断。あなた方をS級危険因子と認識します。条例124条第2項に従い危険因子に対する戦闘行為を開始します。付近の一般人の方々はただちに避難してください」

 無人機の下部が開きごついリニアガトリングが現れた。銃身はまっすぐ私達を向いている。何だろうかひょっとして なんだか、この無人機は私達を射殺しようとしてはいないか。いやおかしい。いくらなんでもそれはおかしい。誤作動を起こしていたとしてのここまでするのはおかしい。銃器の使用は最後の手段のはずである。それに対する私達は何もしていないに等しいのである。何だこれは何が起こっているのだ。無人機の後ろでは人だかりが叫び声を響かせながら散っていく。後ろではおっさんや警備員がわめきながら走り去っていく。私は状況が全く分からずうずくまっている。しかしカエデは先ほどまでと何ら変わりなく立っている。

 無人機は戸惑う私を待ってはくれない。銃身に弾丸が装填される駆動音。そしてリニアレールに高圧電流を流す変圧器の甲高い音。私はわけが分からなかったが、次の瞬間にはあそこから秒間何十発という弾丸が放たれるとわかった。そしてそれを受ける自分は蜂の巣になるだろうと思った。

 そしてその先を考える事はできなかった。しかしそれは私の頭が吹っ飛んだからではなかった。また意味不明の状況が訪れたからである。私は宙を舞っていた。地上ニ十数メートル。先ほどまでの騒ぎは遥か下だった。散っていく人だかり。急いで逃げ出す警備員達。銃口を向ける無人機。そして何かを宙に放ったように腕を振り上げているカエデ。赤い着物の裾がひるがえっている。

 宙にいる私を差し置いて。無人機はとうとう発砲した。すさまじい銃弾の嵐がカエデを襲った。銃撃で砂埃があがるほどであった。私は息を詰まらせそれを見届ける。銃撃で巻き上がった砂埃の中からは無残な死体が現れる事を覚悟した。しかし、煙が晴れて現れたのは先ほどまでと変わらず立っている生きたカエデだった。目の覚めるような赤い着物が

「ふむ。中々の威力だな。だが、この程度では私は死なんぞ」

 カエデは何か言った。それに答えるように再び甲高い音、その後の銃撃の嵐。今度こそしっかりと目撃した。カエデの体が撃ち抜かれるのを。血しぶきが飛び、赤い着物ごと体が抉れるのを。しかしその欠損はテレビの逆回しを見ているかのように一瞬で元通りになる。抉れては元に戻りを繰り返している。カエデはそうやって立ち続けている。

「だから殺せないと言っているだろう。世界最高の頭脳とやらの学習能力はその程度なのか。そろそろこちらも動くぞ。死なんと言っても痛いものは痛いからな」

 カエデの姿が消える。その後に大きな金属音。一方の金属が一方の金属を引き裂く音だ。それは無人機に鉄板が突き刺さる音だった。無人機にその体より一回りほども大きい鉄板が突き刺さっていた。見れば路面を構成しているパネルの一つが引剥がされている。それが投げつけられたのだ。無人機は煙を上げて地面に落下した。そしてそ私ももうまもなく地面に衝突する所だった。しかし私の体は鼻先すれすれに地面が迫った所で停止した。カエデが背中を掴んで私を拾ったのだった。

「だから帰れと言っただろうに。多分もう後戻りできんぞ」

「お、お前一体何なんだよ」

 私はどもりながらカエデに問いかける。しかしカエデは答えず前を見据えている。見れば10機以上の無人機が集まってきていた。やかましいアラートが何重にも重なっている。

「危険因子2名を発見。条例第124条第2項に従い戦闘行動を開始します。付近の一般人の方々は直ちに避難して下さい」

 また警告音声。そして全機の機体下部に機関銃が展開される。

「ほら言わんこっちゃない」

 一斉に機関銃が火を吹いた。人間一人を殺すにはあまりに過多な銃弾の雨が浴びせられる。しかしそれは遥か下方の光景だった。私は再び宙を舞っていた。カエデに抱えられゲートを軽々と飛び越え、ターミナルビルへ続く第一ブリッジの上方に居た。ゲートがあっという間に鉄くずになるのを尻目に私達はターミナルの入り口に落ちていく。

「こうなったら仕方ないお前も中に入るんだ。攻撃対象にされた以上行ける所までついてくるしかない」

 カエデは小脇に抱えた私に言った。相変わらず何が何だか分からなかったが、どうやら大変なことに巻き込まれたようだった。何故か機械達が暴走しているのだ。この高所からならよく分かる。あたり警備ロボットの全てがカエデと私に目掛けて集まっていた。先ほどの無人機の後ろにも沢山のロボットが集まっている。しかしそれに輪をかけて異常なのは私を抱えているカエデだ。何で私を抱えたまま軽々と橋一つ分跳躍しているのだ。何で銃弾の雨を浴びても死なずあまつさえ再生しているのだ。何であんな馬鹿でかい鉄板を軽々と投げられるのだ。本当に人混みに流されていた少女と同一人物なのか。サイボーグ技術の結晶と言うにはあまりに現実離れしている。この少女は何者なんだ。数秒のうちに私の頭は疑問符で埋め尽くされた。そしてそのままカエデに抱えられターミナルの入り口前に降り立った。

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