鋼鉄都市と吸血鬼

第1話

 私はリョウマ・アサギ。この第4新東京の下町でしがないデザイナーをやっている。田舎からここに越してきてもう3年になる。デザイナーといっても絵を描いたりとかいうしっかりした職業ではない。月に数件のホームページデザインなどをこなしているだけで、ほとんど無職と同じ生活をしている。預金残高は常に空で、電気や水道代の支払いは滞りがち。まったくもって夢のないうだつのあがらない日々を送っている。

 私はその日、馴染みの飲み屋でいつもより量を飲んで酔っ払っていた。酒は強い方ではないものの、ろれつが回らなくなることはそうないのだが、この日はまともに会話する事もできないくらいに酔っていた。こうくすんだ毎日を送っていてはたまにうっぷんを晴らしたくなる日もあるのである。まともな人に言わせると、かなり落ちぶれてる、らしいがそんなことは気にしない。正確には気になりつつも考えないようにしているのであるが。

 とにかく私は酔っていた。酔って家に向かっていた。下町は静かである、都市部のように近代的なやかましいモノはない。雑多でごみごみとしているが温かみのある町並みである。私は酔い覚ましに夜風に当たろうと堤防に上がった。川は真っ黒な水をこんこんとたたえている。この街は河口付近なので川幅は広く流れは穏やかである。私は歩道に据え付けられているベンチに腰掛けた。涼しい風が吹いている。しばらく座ればグラグラ揺れる視界もまともになるだろう。そう思って一層深く腰かけた時だった。

「もし。少しものをたずねてもよいだろうか」

 ふいに声が聞こえた。少し驚いて声の合った方を見ると見慣れない服装の少女が立っていた。これは教科書か何かでしか見たことがない。確か着物とか言うやつだ。全世紀の衣類である。本土の方では夏祭り何かでも着たらしいが最近は、特にこの第4新東京ではあまり見ない。色は目の覚めるような赤だった。髪は黒髪で頭頂部の方で団子状にまとめられていた。これも教科書で読んだ昭和の髪型である。昔からそのままタイムスリップしてきたような少女だった。質問されたので私は答える。

「はい、なんでしょう。分かる範囲で良ければお答えします」

 努めて紳士的な口調であった。

「ターミナルビルとはどこにあるのかな」

 この街に住むものなら誰でも知っている質問だ。

「この街の方じゃなさそうですね」

「ああ、外から来たものでな。勝手が分からんのだ」

「ターミナルビルは名前の通り都心の真ん中です。あそこには中央演算装置が組み込まれていて、この第4東京のネットワークシステムの全てを統括しています」

「そう、その演算装置に用があるんだ。ターミナルビルまで連れて行ってもらえないだろうか」

「残念ながらあそこは一般人の立ち入りは厳禁なんですよ」

「大丈夫だ連れて行ってもらうだけでいい。後は自分で何とかする」

 何とかするという言葉に引っかかったが、今は酔っ払っているので深く考えが及ばない。何か妙な事を言っているなと思う程度である。

「しかしね、今はもう夜中なんですよ。電車なんかも動いてる本数は少ないし、何より申し訳ないことに私がもう限界なんです」

「限界?傷でも負っているのか?」

「傷なんかじゃありませんよ。突飛なことを言いますね。単に酔っ払っているんです。飲み過ぎたんですよ」

「ははぁ、酒か。それはいかんな。飲み過ぎは体に毒だぞ。特に君らは体が弱いんだから」

 少女は快活に笑う。さっきから妙な事を言う子である。そして年の割にやけに態度が尊大である。尊大過ぎて憤りを超えて畏怖を覚える。やけにたよりになる感じがする。

「そうか、それはいけないな。では一晩待つとしよう」

「それがいいでしょう。では、私はこれで」

 私はよこっらと腰を上げる。まだ足元がふらつくが、視界の調子は良好だ。大分酔いも覚めたらしい。人と会話していたおかげだろうか。ここから家までならそう距離もない。後は部屋に戻ってベッドに入るだけだ。風呂は明日の朝にしよう。そう思って少女に一礼する。

「おや、帰るのか。では私も少しお邪魔させてもらうとしよう。」

「え」

 少女はいたって真面目であった。

「だめですよ。男は狼なんだ。年頃の女の子が知らない男の家に泊まるもんじゃありません」

「ははぁ。その点は気にしなくても大丈夫だぞ」

「何故です」

「理由は言えないがまったくもって気にしなくていい。お前が私に何かしようとしても返り討ちにする自身もある。大体気にしすぎなんじゃないか。何もなければ何の問題もないんだ」

「いや、だめです。私の家にあげるわけにはいきません」

 私は自分の倫理に従いつっぱね続けた。この少女は世の中を全然知らないようだ。普通見ず知らずの男の家に年頃の女の子が上がるものではない。そう思う。イケメンとか人格者とか限られた人々はそうでもないのかもしれないが普通はそういうものである。

「でもそれでは今夜の宿がないんだ。路上で寝ろというのか」

「ホテル何かがあるでしょう。お金がないなら貸しますよ」

「うーん、ホテルかぁ。あんまり記録に残るような行動はとりたくないんだな」

「だめですホテルに泊まって下さい。はい、お金」

 私は紙幣を押し付ける。そして、「それでは」と言って歩き出した。振り返る事もない。情けをかけてはならない。大体私の方が気まずいのだ。見ず知らずの少女を家に上げる度胸がそもそもない。

「うーむ、仕方ない。あんまりこういう事はしたくないんだが」

 少女はそう背後で言ったかと思うと小走りで私の前に回り込んだ。そしてまっすぐ私の目をみつめてくる。何だろうかお色気作戦のつもりだろうか。その手には乗らない。私はすっっと視線を逸らす。しかしどうしたことか。少女は私の頭を両手で掴み、ぐいっと視線を戻した。また真ん前に少女の瞳が来る。

「私の目を見るんだ」

「おおう?」

 すると何だか頭がぼーっとしてきた。また酒が回り出したのだろうか。今日は妙な酔い方をするものだ。

「お前の家に連れて行ってくれ」

「はいよー」

 何か言った。ああそうだ、この少女を家に連れて行くと言ったんだ。そうだそうとも。初めからそのつもりだったのだった。ならば早く家に行かなくては。私は先頭に立って歩き出す。心なしか体が軽い。何かに導かれているかのようだ。

「こっちだよー」

「すまないな。ところでだ。お前名前はなんというんだ。明日行動を共にするなら呼び名があった方が都合がいい」

「私はリョウマ・アサギという名前だよー。貧乏な暇人だよー」

「そこまでの情報は求めていなかったが。いやはや、やはり暗示は慣れんな。私はカエデという。よろしく頼む」

「はいよー」

 私は夜道を少女を連れて歩く。深夜の下町は静かだった。遠くで犬の鳴き声が聞こえるくらいか。本土ならスモッグと暑い雲で見ない星空も、海上都市のここならよく見える。私は少女に聞かれても居ないのに星座のこと何かを話した。やけに良い気分であった。それを見るたび少女は何だか申し訳無さそうにしていたがそれも気にならない。私は少女を連れて、飲み屋から出た時には考えられないほどの軽い足取りで家に帰った。

                          ○

 目が覚めるとベッドで寝ていた。一体どうしただろうか。昨日飲み屋から出たあたりからの記憶が無い。いや、うっすらとはある。確かあの後川に向かってそれから、

「やぁ、おはよう。案外早起きだったな」

 突然の声に驚き振り向くと少女が居た。教科書でしか見たことのない赤い着物を纏った、全体的に古めかしい少女だった。私はしかし何だか記憶に在るような気がして頭を回転させた。二日酔いではっきりしなかったが、ようやく思い出した。そうであった。私は少女に、カエデにターミナルに連れて行くよう頼まれたのだ。しかし遅いので明日にしようと我が家に泊めたのだ。ん、おかしい。何かおかしい。何故少女を泊めたのか。おかしい。私は未成年の女子を家に泊めるなどという事はしないはずだ。酒を飲んでいようが絶対しないはずだ。おかしい。しかし自分で連れてきた所までしっかりと覚えている。何かが妙だった。

「まぁ、あまり考えるなよ。お前は私を家に連れてくるとすぐにベッドで寝てしまったぞ。何のいかがわしいこともなかった。それでいいじゃないか」

 それでいいのだろうか。いや、良くはない。自分が取るはずのない行動を自分がとっていたのだ。不安にならないはずがない。しかしいくら考えても答えは出なかった。病院に行くほどのこともなかろうが、何だか恐ろしい気持ちであった。

「何はともあれ朝になった。行動を開始しよう」

「行動・・・。ああ、ターミナルのことか」

 ターミナル。街の中枢が集まった施設。ネットワークを統括する中央演算装置を始め、インフラ設備、統合プラントなど、数多くの機能が集中している。そのため防衛機構も厳重で、無数の警備隊は元より、ネットワークにおける防壁から、自動で展開する銃火器類も豊富であるという。その場所へ行くのだった。

「そもそも何でターミナルに行くんだ。見に行っても別に面白く無いぞ.。立ち入り禁止ばっかりだし。これといって外見が特徴的なわけでもない」

「お前口調が随分違うな。酔ったら性格が変わるタイプか」

「え、そうだったか。すまない」

「別に構わん。まぁ私はちょっとターミナルで知りたいことがあるんだ。大したことじゃない」

「ふーん。観光か」

「観光とは違うな。調査といったところだ」

「調査ねぇ。よく分からないな」

 妙な少女だ、と思いながらテレビに声をかけてスイッチを入れる。朝のニュースが映った。丁度ターミナルビルに関する報道だった。中央演算装置の指揮の元、統合プラントが自動的に拡張されていくシステムが管理研究者のインタビューを交えて解説されていた。

「これがターミナルビルの中だ。これは地下の統合プラントだな。街の機能を発展させる新しい設備はここから生まれるんだ。それも人間が指示を与えれば機械達が勝手にやってくれる」

「勝手に、か。この現代は随分機械に依存しているんだな」

「まぁな。サイバースペースとかもあるし、もう切っても切り離せんだろうな」

 サイバースペースは10年前開発された技術のことだ。ネット上に機械が擬似空間を作りだし、人間は神経系にコネクタを繋ぐことでそこに入り込める。ネットワークに関係する仕事は元より、それ以外の仕事も気軽にネットの深い部分まで操れるため爆発的に広まっていった。その内記憶情報の出し入れやら、脳の機能の拡張やらとんでもないことまでできるようになり、今や世界に深く根付いている。

「お前は機械が恐ろしいとは思わんのか」

「別に。便利でいいなとしか。って、お前まさかカルトじゃないだろうな。機械化反対論者の」

 ありえることだった。それならさっきの調査という言葉にもうなずける。だったとしたら口に出して聞くのはまずかった、と言ってから気づいた。もしカルトならそれを知った私は何かされるかもしれない。しかしカエデは眉を寄せて首をひねっただけだった。

「カルト?なんだそれは。機械化反対というのは違うぞ。機械が嫌いなわけではないしな」

 どうも本心で言っているようだった。私はほっと胸を撫で下ろした。

「それならいいんだけどな。そういうやつが事件を起こしたりもしたからなぁ」

 2年前にカルト宗教の信者がターミナル前で暴動を起こしたことがあった。規模が小さかったため警備隊によってあっという間に沈静化されたが、この都市に敵意を持つものの存在を思い知らされた事件だった。信者たちの常軌を逸した熱気も印象的だった。

「そうか、何かすまないなぁ」

「ん?」

「いや、何でもないんだ」

 カエデは罰が悪そうに口ごもった。ニュースはここ最近の行方不明者についての報道に変わっていた。

 1月ほど前からだろうか。都市心において謎の失踪事件が度々起きるようになっていた。数が少ない内は騒がれなかったが、増えてくると組織的連続誘拐事件として、警察が本格的に捜査を始めたのだ。しかし2週間経った今も捜査に進展はない。そしてこの事件の妙なのは現場付近に居合わせた人間が揃って大きな影を見たと言っていることだった。巷では某国が最新兵器を使った実験を行っているのでは、という噂まで流れている。いずれにしても妙な事件なので最近のニュースの冒頭には大体この事件についての報道が入る。

「失踪事件か」

「ああ、でもそんなに数が多いわけじゃない。起きるのは大体が都心だし、それも夜だ。私達は特に気にしなくてもいい」

 私は必死に取り繕う。気づかない内にこの街に愛着のようなものが湧いていたらしい。

「そうか、だが気をつけるに越したことはないだろうな」

 何故かカエデは険しい表情だった。故郷で似たような事件でもあったのかもしれない。今の時代は進んだ文明に反して退廃的な事件が多い。

 私は端末を開き、新着メールを問い合わせる。新着メールはなし。つまり仕事もないということだ。もう2週間近く依頼がない。私はがっかりし、これからの事を考えて気が重くなった。しかし、これで今日はフリーであることが決定した。この際だからカエデとターミナルまで行って気晴らしをしよう。最近気晴らしばかりである。私はテーブルの上の財布を手に取る。昨日渡した金は律儀にも財布の上に返されていた。

「やぁ、ありがたい。借りた金を返してくれる奴に会うのは久々だ」

「随分殺伐とした人間関係のようだな」

「類は智を呼ぶんだよな。じゃあ行くとしよう」

「うむ。よろしく頼む」

 私は財布をポケットに突っ込むと玄関へ向かった。ターミナルへは電車を乗り継いで1時間弱といったところである。靴を履いて外にでると生憎の曇り空でだった。これでは都心のビルは最上部が見えないだろう。PRポスターにも使われる晴天の下の摩天楼を見せられそうになく、少し残念であった。

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