第6話 雪山の醜聞
次の日、警察署のオフィスにて。
朝のブリーフィング中、彼は反対の登山道の調査結果を刑事たちに聞いた。
「えーと言われた通り、反対の登山道を調べたところ……特に何の痕跡も得られませんでした」と刑事が言う。
「結局何だったんです?」結果は出なかったことを聞いた中村は昨日の彼の切羽詰まった様子を思い出しながら聞いた。
「……とりあえず、写真をよこせ」と目頭を押さえながら言う彼。その姿は、痕跡が無くて焦っているというよりも、そこまで考えが行っていないのかと暗に伝えているように思えた。
「ほら、痕跡があるじゃないか」と写真の下の方を指さした。
そして「おい、お前には何が見える」とスマホの電源をつけ彼女に聞いた。
『チッ。なんだよ』
「……いま、舌打ちしなかった?」
彼は写真をスマホのカメラの前に置く。
『これは車の痕跡?…………まさか』と何かを理解したような彼女。流石、推理の速さは折り紙付きだ。
「そうそのまさか」それに答える彼。
「おい、そこの二人だけで理解してないでさっさと説明してくれ」周りの刑事たちはすこし怪訝な様子だった。
彼はその様子を見てにやりと笑いこう言う。
「まあ、本人たちも交えて説明した方がいいだろ。行くぞ」
そう言って刑事課を出ようとした彼だったが、急に後ろを振り返り、さっきのにやりとした笑い顔を張り付けたまま、
「先に鹿野正枝に家に行っててくれ」そう言って、交通課の方に足を向けた。
先に行っててくれ、と言った彼ではあったが、交通課との謎の交渉が早く終わったのか、刑事達が警察署を出たあたりで走って追いついてきた。
そして、30分後、彼らは鹿野正枝の家に到着した。なぜか彼はGT-Rからスノーモービルを引きずってきていた。
インターホンを押してすぐ、中から鹿野正枝が姿を現した。やはり、この前のように鹿野の目は泳いでいる。
「何でしょうか? こんなに大挙して……」と少し警戒しながら聞いてくる。その姿は最後の砦を守る武士を思わせた。
「答え合わせですよ。雪に隠された真相のね」
その様子を見ながら、彼は片目を閉じ、まるで女性を社交ダンスに誘うようにきざに告げた。
和室に移動し、彼らは鹿野と向き合う。
「単刀直入に言いましょう。……今回の犯人はあなただ。鹿野正枝さん」
一瞬の沈黙。その沈黙を破ったのは彼と彼女以外の全員だった。
「え?」と鹿野。「は?」と周りの刑事たちの腑抜けたような声が響く。
「これから僕が説明する間は、口を挟まないでもらいたい。疑問は後でいくらでも」と一応言っておく。説明している途中の質問ほど煩わしいものはない。
「え、あのぉ……」
「口を挟むなーっ! 人がしゃべろうとしている時に口を挟めと学校で教えているのか?」
誰が発したかもわからない気弱な声に怒鳴った後、彼は咳ばらいを一つして、導き出した推論を語り始めた。
「まずはどうやってやったかを順序立てて説明させていたただこう。まずあなたは1週間分の天気予報を確認し、いつ大雪が降るかを確認した。そして、大雪の日あなたは被害者が猟に出る時どの道で行くかを確認した。あなたはどの道で行ったかは知らないといっていたがそれは嘘だ。現にあなたはあの時右上――いわば利き手の方向を見ながら説明していた。これは人が嘘をついているときに出る一つの心理的な現象です。多分いつもの道は使わず、登山道を使うと被害者はあなたに言ったのでしょう。そして、被害者が猟に出た直後、あなたは反対の登山道から山を登り、頂上に到達。そして被害者が登っているであろう登山道を熊の足を模した靴を履いて下山。それから予め用意していた大きく、そして太い材木で被害者の腹を殴り、殺害。その後あなたは熊による犯行と見せかけるために被害者の顔を鉄製の熊手かなんかで引き裂いた。……以上が今僕が持てる全力で推理した一つの真実です」
彼はすべてを語り終え、一息つく。頭を動かしなら長い時間話したことによる酸欠で目の前が明滅して見える。
「……」
すべてを聞いた鹿野は押し黙ったままだった。
「そうか、だからあの足跡には爪先が無かったのか」と一人の刑事が納得したように言う。
「ああ。坂道を下るわけですから、転ばないように重心はかかと側に傾く。おまけに普段履くことのない動物の足跡の靴をはいた状態での下山なわけだから、さらに重心はかかと側に行く。まあ、爪先の後は残ったんだろうが層が薄くて雪に埋もれてしまったんだろうねえ。電話を何回か取り落としたのもきっと手が寒さでかじかんだからだろう」
だが、ここで徹底的に推理のお披露目による攻撃を受けていた鹿野が決死の反撃に出た。そう、彼女にはまだ残された最後のカードがある。
「で、でもこれを私一人でできたというの? 材木とか……あと移動とか!! わたしにそんなっ、そんな力があるわけないじゃない!!」
「確かに……。材木を人間一人が動物の足の靴をはいた状態で持つのは不可能だ」
この鹿野正枝の決死の叫びに何人かの刑事が肯定を示した。確かに雪道という悪条件かつ一人でこの犯行を行うのはよっぽどの力持ちでないと無理だ。
この鹿野正枝の事実を突いた正論により場の空気は鹿野正枝を支持する空気に切り替わりかけていた。
……だが、その反撃も「ホームズ」の異名を持つ彼には通用しない。こうやって反撃してくることは百も承知。今の鹿野正枝は、彼の掌の上で台本通りに踊っている踊り子にすぎない。
「ええ、確かにあなた一人では不可能でしょう。だから協力者が必要なんですよ」
「それは誰なんだ?」周りの刑事達の声に焦りが混じる。
「……入ってきてください、新村義正さん」
彼はその刑事たちの様子にため息を一つついて、庭に向けて呼びかけた。
「失礼します……」と少し小さくなりながら新村が入ってくる。
「この人が今回の協力者ですよね?」
新村の肩を叩きながら鹿野に尋ねる彼。
その意味を理解したのか新村が強張った声で聞く。
「なんで……?」
彼はそれを横目で確認してガソリンスタンドで見つけたパズルのピース、その当てはまるところを示す。
「簡単なことですよ。1週間前あなたはガソリンスタンドに行き、自分の車にガソリンを入れた。それにも関わらず、警察の捜索はエンストしているという理由で徒歩で向かった。さて、車を何に使ったのでしょうか?」
「それは、え、えと」としどろもどろになりながら言い訳しようとする新村。良くも悪くもこの男は嘘をつくことは下手だ。
それを無視し、彼は説明を続ける。
「まず、事件当日あなたは車で鹿野さんの家に向かい、材木と鹿野さんを車に乗せ、反対の登山道から山を登った」
「……」新村は黙っている。
「そのあと鹿野さん同様、熊の足を模したスリッパをはき、登山道を下りていき、材木で腹を殴って殺害。その後は横の木々の間を縫って山頂に向かい、車で来た道を下山した」
「…………」
「ガソリンを食ってしまったのは雪道対応のタイヤで無かったからでしょうねえ」
と話し終え、
「何か異論は?」とどめを刺すように聞いた。
新村はただうつむいて黙っている。
その新村の様子を見た周りの刑事たちはそれを肯定と受け取り、「流石はホームズだ」と感嘆の声が漏れる。
刑事たちが2人を拘束しようと手錠を片手に近づいた。手錠を見せてもただ押し黙っているだけだったので、刑事達はなんの警戒もなしに新村達に近づく。今、刑事達の目にはこの2人は無抵抗の罠にかかった獲物に等しいのだろう。
すると、今まで押し黙ったままの新村の体が小刻みに震え始めた。周りの刑事達もそれに気づきはしたが、そのまま近づき、手錠をかけるため、今まさに手首を掴もうとしている。
――彼にはその様子が新村が何かを葛藤しているように思えた。そう、刑事達は肝心なことを忘れていたのだ。狩りにおいて、一番用心すべきは死にかけの獣であるということを。
彼はこの瞬間、新村が何をしようとしているのか雷撃のような速さで理解したが脳から口までの神経伝達は間に合わなかった。彼がまずいの三文字を言い終えるより早く、新村は「おい! 逃げますよ!!」と半狂乱になって鹿野を掴んで庭に出て走り去って行く。
場に0.5秒と満たない沈黙の霜が降りるが「追え!!」と、犯人が逃げたことを理解した刑事たちも勢いよく、獲物にとびかかる猟犬の如く庭に飛び出す。
そして、飛び出したと同時に彼らが聞いたのはスノーモービルの駆動音だった。
慌てて音のする方を向くと前方には旧スキー場を駆け上っていくスノーモービルが見える。鹿野家の脇にレンタカーのステッカーを貼った軽トラックが止められていたので、恐らくそれに載せられていたのだろう。新村は、彼によって「10分で済む」と急に呼び出されたので、どこかにスノーモービルを運び出す途中で来たのかもしれない。それとも、この事態を予め予見していた可能性もある。なんであれ、彼はこういう場合に備えて、交通課からスノーモービルを借りてきていたのだ。
彼は「俺が追う!!」と予め交通課に依頼し、用意されていたスノーモービルに乗り込む。
『運転できるんですか?』
「実は僕、電動ドアムルシエラゴ乗りでね」
『は? あれ手動ですよ』
エンジン音を出しながら雪を吹き飛ばしていく2台のスノーモービル。
ただ、その距離は一向に縮まらない。
「おい、聞こえるかアイリーン」と彼は胸ポケットから少しはみ出たスマホに聞く。
『何ですか?』
「お前の全力を出せ!! あるんだろ? 熱透視の能力が!!」
まだ彼女が使っていないもう一つの能力――それこそが熱透視だ。熱透視を駆使することで関節の動き、筋肉の動きを感知し、次の動きを予想することが可能となる。
『分かりました。熱透視を開始します』という彼女の声ともに、キュイーーーンという音が鳴る。多分、今彼のスマホのカメラに彼女が持つ熱透視のプログラムがインストールされているのだろう。
数秒後、『右に動きます』と彼女が言う。案の定、前を行くスノーモービルは少し右に曲がる。
それを認めた彼は右に曲がり、ショートカットをするように後を追う。
しかし、それを見た新村たちは今度は左に避けてしまう。
そのいたちごっこが1分ほど繰り返された。
『無駄じゃないですか? これ』と彼女が言う。どうやらこのAIには心配という2文字もプログラミングされているらしい。
しかし、彼は不敵に笑い、
「いや、でもポイントには誘い込めた」と彼女に告げる。
『ポイント?』と彼女が聞くと同時に彼が声を張り上げる。
「後ろばっかじゃなく、前を気にした方がいいぜ!! 見ろ!! お前たちの死神が迫ってきているぞ!!」
……そして、新村たちは前から列をなして飛ぶように降りてきているパトカーに気づいたのだった。
「雪道対応のパトカーだッ!」
そのうちの一台がドリフトしながらスノーモービルに突進し、新村たちの動きを止め、それを他のパトカーが取り囲んだのだった。
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