第5話 ルアー・フィッシングはイヤラシイ

   

「そろそろいいかな……」

 銀髪紫眼の男は突然、私から視線を逸らして、湖面に目を向けました。「いいかな」も私に対する質問ではなく、独り言のようです。

「お嬢さんの釣りを邪魔したくないから、すぐ立ち去るつもりだ。でも、せっかくキャストしたからね。一気に糸を巻くのではなく、この一回だけは釣らせてもらうよ」

 おのれが操るルアーを見続けていますが、これは私への言葉でしょう。話し相手に目を向けることなく、言葉だけを投げかけてくるというのは、なんとも失礼な態度です。

 ちなみに『糸を巻く』というのは、魔法竿に特有の用語ですが、私も理解は出来ました。

 魔法竿から長々と伸びた道糸ラインは、逆に短くして竿に収納する際にも、やはり魔力を用います。その行為について、糸を「縮める」とか「引き込む」とかいうのではなく『巻く』と表現するのです。

「……」

 私は敢えて口にしませんでしたが。

 そうやって『一回』ルアー・フィッシングをするだけで、釣り場が思いっきり荒らされるということ、彼はわかっていないのでしょうか?

 露骨に顔をしかめて、私が湖面に目を向けると……。

 彼のルアーはバシャバシャと派手な音を立てて、左右に首を振りながら、ヨロヨロとこちらに向かってきます。ルアーの形そのものが、水の抵抗を受けてそういう挙動を示すように作られているのでしょう。それに加えて、彼の巻き方のテクニックもあるのかもしれません。

 とにかく、まるで水面でもがく虫あるいは弱った小魚のような動きでしたが、少し進んだだけで、ピタリと止まってしまいました。

「あら?」

 不思議に思って彼の方を見れば、銀髪紫眼の男は平然としています。また湖に視線を戻すと、既にルアーは動き出していました。

 しばらく眺め続けていると、また止まります。そして、また動き出します。

「ああ、ストップ・アンド・ゴーですのね」

 私が納得の呟きを口にすると、彼は相変わらず私の方を見ようとしないまま、口元にニヤリと笑みを浮かべました。

「詳しいじゃないか、お嬢さん」


――――――――――――


 ストップ・アンド・ゴー。

 知識だけは、私の頭の中にもありました。ルアー・フィッシングをやらない私でも知っているような、基本中の基本のテクニックです。

 いくら構造的にそれっぽく動いたり音を出したりするルアーであっても、ずっと続いたら不自然。苦しんでいる虫や小魚らしくありません。例えば、人間が崖下に落ちて助けを呼ぶ場合だって、一定のリズムで「助けてー! 助けてー!」と叫び続けるのではなく、叫んだり休んだりになるはず。それと同じ話です。

 単調な動きではルアーだとバレてしまう。だから、止まったり動いたりしてアクセントをつける。さらに魚の気配を感じたら、それに応じて動かし方も変える。

 これが、ルアー・フィッシングの基本だそうです。

 そして、この「単調にならないよう変化をつけて、特に相手の反応を見ながら」というのが、私がルアー・フィッシングを嫌う理由の一つにもなっていました。


 感覚的な話になってしまいますが……。

 なんだかイヤラシイと思いませんか?

 私が「単調にならないよう変化をつけて、特に相手の反応を見ながら」というのを聞いて、真っ先に頭に浮かんだのは、殿方が女性を愛撫する話。アングラな書物で読んだ、閨房の物語でした。

 もちろん私自身は経験ありませんから、あくまでも書物で読んだ受け売りですが、どんな快感でも同じものが単調に続くと気持ち良くないそうです。だから殿方は女性の反応を見ながら、愛撫を止めたり再開したり、別のやり方を混ぜたりするそうです。

 ほら、これ、ルアーの動かし方にそっくりじゃないですか! そもそもルアーを動かす以前に、色々な釣り場を歩き回ってキャストしているのですから、その時点でもう「あちこちで魚の反応を見ている」ということですよね。

 だからルアー・フィッシングは、相手が女性ではなく魚に変わっただけで、基本は殿方の愛撫と同じなのです!

 ……と、私は考えてしまうのですが。

 これを言ったら「ルアー・フィッシングと閨房の話を重ね合わせるなんて、お前の方がイヤラシイ」と返されそうなので、絶対に口外しないことにしています。


――――――――――――


「それくらい知っていますわ。釣り人としては常識でしょう?」

「もしかして、お嬢さんもルアー、使うのかな?」

「まさか!」

 大声を上げてしまいました。驚いて彼が一瞬、こちらを見たくらいです。

「そうか。それは残念」

 湖に視線を戻して、そう呟きました。

 少しだけ、美しいテノール・ボイスが寂しそうにかげりました。でもイケメン男性にそう言われたからといって、私の心は動きませんよ? 手竿派の私にとって、ルアー・フィッシングは天敵なのですから!

「ところで、お嬢さん。この湖は、よく釣れるのかい?」

 糸を巻いてルアーにアクションを付けながら、彼は話を続けます。釣りに集中して、早く終わらせてくれたらいいのに!

「ええ、良い湖ですわ。地元の庶民からは、ルーセル湖と呼ばれていますのよ」

 敢えて通称の――お母様が勝手に命名した――『ルーセル湖』を口にしました。もしかすると無意識のうちに「ここは私の湖です」と主張したくなったのかもしれません。

 少し恥ずかしくなり、反省した私は、言葉を加えました。

七耀マスセブンライト・トラウトが、よく釣れますの。七耀マスセブンライト・トラウトも一応、ルアー・フィッシングの対象魚ですわよね?」

 釣れるのかと聞かれたのですから、どんな魚が釣れるのか、それを教えてあげるのが親切な対応のはず。

「他にも、エサ釣りで暗黒ダークバスや湖ナマズが釣れることもありますから、おそらくルアーならば……」

 暗黒ダークバスは有名な肉食魚フィッシュ・イーターであり、さらに他の魚への攻撃性も高いと聞きます。ルアー・フィッシングの代表的な対象魚でしょう。

 だから名前を挙げてみたところ、

「ほう、それは楽しみだ」

 彼の口から漏れたのは、満足そうな声。思わず、こちらも嬉しくなるほどでした。

 しかし。

 ようやく訪れた和やかな空気は、すぐにかき消されることになったのでした。


 バシャッという大きな水音。

 湖面から聞こえてきたそれは、私が反射的にそちらを向くほど、激しいものでした。

 見れば、男の操るルアーは、姿を消していました。水面に浮かぶタイプだったはずなのに、水中に引き摺り込まれています。

「釣れたのですね!」

 たとえ釣り方は違っていても――天敵と呼べるくらいだとしても――、同じ釣り人です。釣れた時には素直に称賛したくなりますし、その場に立ち会えば、私も嬉しくなります。

 いつの間にか身を乗り出していた私は、彼の方を振り返りました。

 寝かせるように横向きだった魔法竿を、グッと立てています。その竿のしなり具合から、獲物の大きさが私にも伝わってきました。

「凄いわ! 大物よ!」

「まだだ! まだヒットしただけだ!」


 そうです。針に魚が掛かったからといって、釣り上げたわけではありません。特にルアー・フィッシングの対象魚はよく暴れますから、ここからでも針が外れることは多いのでしょう。

 そして。

 ルアー・フィッシングでも、手竿によるウキ釣りでも、これは同じだと思いますが……。

 針に掛かってから釣り上げるまでの、魚とのやり取り。その間に感触として伝わってくる、魚のヒキ。

 これこそが、魚釣りの醍醐味なのです!

 銀髪紫眼の男は今、その最も幸せな段階に突入したのでした。

   

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