第52話 カナエ⑤

 どこをどう歩いてたどり着いたのだろうか。気が付くとあたしはベンチに座っていた。どこだろうここは、と考えるも、見覚えはなかった。相当遠くへと来てしまったらしい。

 手がない。

 私の手がない。

 私の手は足とあわせて、三本だけ……。

 ぼんやりと空を眺めるが、どうもオカシイ。

 なにがおかしいのだろう。考える。手が無いこと? いやそれ以上におかしい。

 太陽は白く、空は青かった。普通だ。

 普通か?

 本当に普通だろうか。

 青い空?

 白い太陽?

 白い穴?

 白?


「あ……」


 私は吸い込まれるように、太陽を見つめた。

 その瞬間だった。

 私の意識はブラックアウトした。変わりに白い太陽をスクリーンにして映像がよみがえった。白黒映画のように、音の無い追体験が始まった。

 そしてそこには——私が猫だった頃の映像が鮮明にうつっていた。


「あ……あ……」


 頭にガツンと硬球があたったような衝撃。

 そうだ。

 そうじゃないか。

 私は猫だった。

 私はなぜ今の今まで、人として暮らしていたのだろう。

 私の名前は『マキ カナエ』だ。

 姉として慕っていたマキユカリが死んだ後……私は人間として生きていたのだ! 私はそれを忘れていた。そして『世の中さえもが、私が猫だったことを忘れていた』ようだった。

 全てを悟った瞬間、私は意識の本流に飲み込まれた。

 スクリーンだった白い太陽がどんどんと眼前に迫ってくる。近づくと分かった。それはわずかに発光していた。そして丸いと思っていたソレは、近づけば近づくほど、でこぼことしていることに気がついた。まるで人が幾人も重なっているようにデコボコと……。

 不思議と気持ち悪くは無い。むしろ、その中に入りたいとさえ思った。そこには何の障害もなく、何の弊害もなく、ただただ安穏な感情だけが漂っているように思えた。


「ああ……ユカリ……」


 思わずつぶやいたのは誰の口か。その瞬間、私はものすごい力に押し退けられた。

 顔をしかめて、太陽から目を逸らした。

 奇妙なほどに頭がクリアになっていた。全てを理解するとは、このようなことを言うのではないだろうか。

 今なら分かる。あと少しだった。あと少しで私は『飲み込まれるところだった』。

 空を見る。太陽はオレンジ色をしており、先ほどの白さはなかった。

 しかし、どこかにあの白い太陽が浮かんでいることを感じていた。なにか、特殊なパイプで、あの白い世界と体がつながっているように思えた。


「……あっ」


 私は自分の体を見下ろして驚く。左手と右手が揃っていた。まるで始めから存在していたかのように。

 そして、私は実感した。新しい手には、何か特殊な力が宿っていることに気がついた。


「これがユカリのいっていた……」


 白い世界から譲り受けた力。

 私はなぜ猫から人になったのだろう。それは分からない。しかし頭の中に、それを可能とするほどの実感と力が明確になっている。私はどうやら「アレ」とつながったようだ。

 空を見る。

 青空だ。

 私は、やっとやるべき使命を思い出した。

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