第48話 カナエ①
あたしの名前はカナエという。
鼎と書いてカナエと読むらしい。家族上の立場は妹である。ということで、当然ながらあたしには姉が居た。
あたしはその姉に抱かれながら道を進んでいた。散歩中だった。目的という目的はない。順路も決まっていないので、そぞろ歩く、と言ったほうが正しいのかもしれない。
空が赤いわよ、と姉が教えてくれた。夕方ってそういうものでしょ、とあたしが返すと、可愛くない奴だねェ、と呆れられる。自分への評価?、と恍けると、頭を軽く叩かれた——そういった事が繰り返されるだけ。でも飽きない。嫌いではないからだと思う。不思議なものだ。
そんな遣り取りが終盤にさしかかった頃だった。突然、背後から声がした。
「マキ先輩」
姉はすぐに振り向いた。ああ、と小さく声をあげる。口元では笑っていたが、楽しそうには見えなかった。
声を掛けてきたのは女性のようだった。姉と比べると背は低い。頬の色が濃いのは、冬の寒さのせいだろう。
久しぶりね、と姉が言う。大学の帰りです、と女性は言った。最近どう、と姉が言うと、忙しいです、と溌剌として女性は答えた。それから思い出したように、大丈夫ですか? と付け足した。
「なんのこと?」
姉は無知を装った。
「先々月、お母さまがお亡くなりになったと耳に挟んだので……」
「ああ」
そんなことか、とでもいうように姉は頷いた。
「平気、平気。問題なんてないわ」
「そうですか……?」
女性は所在なさげに視線を泳がせた。あたしに視点が合うと、口を開いた。「お散歩中ですか?」
「うん。妹と散歩」
「妹さんですか……?」
「そうよ。頼りないから抱っこしてあげてるの」
ね、と姉はあたしを見た。うん、とあたしは言う。姉の腕の中から、こんにちは、と言った。女性はぎこちなく笑うだけだった。
「そう……ですか」
「じゃあ、わたし行くね」
姉はシュタ、と左手をあげた。一方的に別れを告げると、歩き出す。女性はぼーっとしたままあたし達を眺めていたが、さようなら、と小さく呟くと背を向けた。
しばらく無言のまま揺られた。姉の速度は一定だった。数分たったところで、あたしはやっと質問した。
「あの人、だれ?」
「高校時代の後輩」
姉はつまらなそうに言った。
「住所教えたことあるしね。母親のことでわたしに会いに来た。それが偶然、道で出会ったってわけ。以上、本人談」
「ああ。女子高に通ってた時の後輩?」
「そう」
「あたしのことを見て驚いてたね、あの人」
「そう?」
「あたしの身体が不完全だからかな」
「どういうことよ」
「足が一本ないでしょ、あたし」
「足、だけに、足りてない、ってね」
「もういいよ。聞き飽きたよ、それ」
あっそう、と姉は言う。
「まあ、それが原因ではないことは確かね」
「ふーん」
「アンタが可愛いから驚いたのよ、きっと」
「ああ、そっか……?」
まあいいや、とあたしは言った。
「それはそうと、あの人と喋ってるとき楽しそうじゃなかったね」
「あの子、わたしのことが気になるのよ。憧れの先輩、っていう感じ」
「へえ?」
「でもさ、うわべだけしか見てくれない子なんだ。だからあまり話したくないかな」
「ふーん。嫌いなタイプなんだね」
「嫌いじゃなくて、苦手なのよ」
「同じじゃん」
姉がむっとなり、違うわよ、と言ったのと、家の前にあたし達がたどり着いたのとは同時のことだった。
我が家はおんぼろアパートである。今にも倒壊しそうではあるが、案外、綺麗なところが売りであるらしい。
らしい、というのは全てが姉の評価だからだ。大家である姉の言うことは、信用ならない。親バカみたいなものだろう。
あたし達は管理がてら、アパートの一室に住んでいた。
「今日の夕飯は何にしようかなァ」
姉は、鼻歌まじりに玄関ドアへ鍵を差し込んだ。ガチャ、と開錠音が響く。
ドアに手を掛けた姉を見上げて、あたしは言う。
「夕飯なんていつも同じだ」
「あら、失礼な奴」
姉は左手であたしの頭を叩いた。
「食べたくないというわけね?」
「そんな事は言ってない」
「なら、おだまり」
「はァい」
あたし達は、クスクス、と笑い合いながら玄関ドアをくぐり抜けた。音を立てて閉まるドア。嗅ぎ慣れた部屋の匂いに包まれる。それは帰宅を実感させた。
外出時間は一時間ほどだ。途中、例外的な出会いはあったが、つまり計一時間の散歩から帰宅したということだった。
家事などの、生活に必要な作業は出発前に終えている。あとはご飯を食べてお風呂に入り、そして寝るだけだった。
昨日と同様の流れである。最近の生活はずっとこんな調子だった。
正直な話、あたしとしてはもう少し楽しく遊びたいのだが、まあ、無理な話のような気がするので黙っている。変化のなさには参るが、文句を言える立場でもない。ご飯を食べられるだけでもマシなのだろう。
ああ、そうだ。一つ忘れていた。
姉は寝る前にはいつも必ず、両親と祖父母の位牌に手を合わせることを忘れない。これは大事なことらしい。主には、自分のためだ、と言っていた。そのときばかりはあたしも黙って目を瞑る。手を合わせることはしない。
と、まあ、そんな感じの日々をあたし達は生きていた。
ちなみに——あたしは実の妹ではなかったが、それでもあたしは家族の一員らしい。不思議なものである。
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