第36話 ハルキ⑧

「なんとか足りたな」


 おれたちは百二十四枚の十円玉を眺めていた。百枚以上の汚れた十円玉は、随分と頼りがいのあるものに見えた。


「良かったです」


 ハルキは嬉しそうに言った。おれが規定枚数に達していなかったことを、責める様子はない。


「……悪いな」

 おれが謝ると、ハルキはぽかんとした。


「なにがですか?」

「いや……お前は集めたけど、おれは六十枚も集められなかったから。お前が缶を多く集めておいてくれたから、事なきを得たわけだ」

「でも、百二十枚集まったじゃないですか」

「一人六十枚って決まりだったろ。おれが集めたのは五十枚だけだ。フェアじゃない」

「目標ですよ、それは。決まってなんかいないです」

「どっちでも同じだろ。とにかくおれは集められなかった。失敗だ」

「目標に失敗なんてありません。それに二人居るんですから、二人でやればいいんですよ」


 そういうもんでもねえよ、と悪態をついたおれだったが、悪い気はしていなかった。表情へ出さないように努める。なんだか負けた気がして悔しいからだ。

 二人で黙々と、十円玉をビニール袋に入れはじめた。袋はすぐに重くなり、手には独特の金属臭がこびりついた。これで明日も居られますね、とハルキは喜び、おれは、ああ、と頷いた。

 二人並んで、台所で手を洗っている最中だった。「あの」とハルキが遠慮がちに言った。


「なんだよ? ほらタオル。昼間にマキさんが置いてった」

「あ。ありがとうございます。えっと、お話をしたいんですが」

「話?」

「ナツキさんのお兄さんの……ハルキさんのお話です」


 ——ハルキ兄ちゃん。

 心臓が跳ねた。ドキン、という脈と共に体温が上がった気がした。肌を覆うような、じっとりとした汗が滲み出てくる。先ほどまでの安寧は幻だったかのように消え去った。


「……どこで調べたんだ?」

「なにが、ですか?」

「ハルキ兄ちゃんのことだ」

「それは……あなたから聞きました。僕はあなたの探しているハルキですから」

「ハルキ——」


 ハルキの目は何かを訴えていた。切実な思いを秘めているようだった。しかし、おれを揺さぶったのは荒れた心だけだった。短く息を吐くと、ハルキに詰め寄り、襟首を手で掴んだ。


「——ふざけんなよ、お前!!」


 ハルキは首を振った。


「ふざけてなんかいません」


 随分と冷静に見えるハルキに、感情はなおのこと反応した。馬鹿にするのもいい加減にしろ、と叫ぶ。


「お前、本当に何者なんだ? なんでおれに近づいたんだよ! なんでハルキ兄ちゃんの話が出るんだ!?」

「だから僕はあなたの——」

「——黙れ!!」


 おれはハルキの胸を突いた。

 ハルキはよろめきながら下がった。信じてもらえませんか、と小さく言う。うつむき、表情は隠れていた。

 胸に罪悪感が芽生えたが、気が付かない振りをした。


「話しは終わりだ」


 おれは玄関へ向かった。ドアを開ける。


「じゃあな」


 反応はなかった。期待などしていない。ドアが閉まる音を背に聞きながら、おれは駆け出した。

 風を切って走りたかった。身体が冷えるぐらい、早く、長く、走りたかった。

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