第35話 ハルキ⑦
外では太陽が跋扈していた。オレ様を止めることなんかできねえだろ、とえばっているようだった。午後三時の暑さは殺人的だった。汗は出るも、風が無いから身体は冷えない。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。おれには関係の無い音だと、分かっている。しかしなんとなく身構えてしまうのは、人間の性だけが原因というわけではない。
「暑いですね」
ハルキは労わるようにおれを見た。気遣われているようで心地が悪かった。
「そうだな」
それだけを返して、おれは歩き続けた。肌に浮いた汗がべたついて、気持ちが悪い。
既に、平常時並みの思考力は取り戻していた。
おれは自分の意思で歩いている。が、その代償に、ハルキに対する不信感が湧いていた。なぜあのような嘘をつくのか、そして、何故おれに近づいてきたのか。解らないことだらけだ。
理性は己を諌め続けた。はやくコイツから離れたほうが良い。普通じゃない。
だがそれが出来ない。なぜかハルキが気になってしまう。不思議な感覚は、不信感を上回っていた。
「あまり外には居たくないんだ」
前方に目を向けながら言った。
「それに、出歩くなら夜のほうが良い」
「やけるからですか?」
「え?」
ハルキは自分の腕を指差した。
「皮膚のことですよ。ナツキさんって肌が白いですもんね」
「ああ……違うよ。別に、焼けたっていいんだ。そうじゃなくて……」
「そうじゃないなら、なんですか?」
「いや」
頭に浮かんだ事項をおれは消去した。
「なんでもない」
それより、と続ける。
「どうやって金を用意するんだ? たいした金額でもないけど、ゼロから生み出すってなるとキツイもんがあるぜ」
「ナツキさんは、お金持ってますか?」
「一○八円」
「それじゃあ駄目ですね」
「ダメダメだよ」
「それじゃあ十本分です」
「十本?」
「空き缶を探しましょう」
「空き缶?」
「はい。ついてきてください。こっちです」
◇
軽い既視感を覚えながら、おれはハルキの背を追った。
ハルキの案内によってたどり着いたのは、市民会館の前だった。自動販売機の並んだスペースに鉄製の箱がある。目的はそれのようだった。ハルキは嬉しそうに指差すと、これです、と言った。もう片方の手には、道中に拾っていた空き缶が握られている。
「これをこうすると、ですね」
前面に取っ手があり、それをひっぱると、横倒しにした缶を一つだけ入れられるようなポケットが出てきた。ハルキは取っ手を掴むと、その仕掛けを実際にやって見せた。
「ここに空き缶を入れまして……」
ハルキは鉄製のポケットに空き缶を入れると、慎重にそれを閉めた。チャリン、とすぐに音がする。これまた前面部に設けられた別の穴から、十円玉が一つだけ落ちてきたようだった。
「これ、空き缶回収ってことか? 市が提供してるリサイクル装置?」
「そうです」
ハルキは大切そうに十円玉をポケットにしまった。
「マキさんが教えてくれたんです。すごいですよね、本当に。ゴミを集めればお金がもらえるんですよ。イッセキニチョウ、というそうです」
意味はわかりませんけど、とハルキは笑顔で付け足した。
「今日の分としては、百二十本——つまり一人が六十本づつ空き缶を集めればいいわけか」
世界が広がりを見せた気がした。
「はい。そうなりますね」とハルキは力強く頷いた。
ふむ、とおれは考える。なかなか良いじゃないか。これなら意外と簡単そうだ——と、そう考えていた数時間前の自分を全力で殴ってやりたかった。
結論から言えば、一日に六十本の空き缶を見つけるということは骨の折れる作業だった。
おしなべて言える世の理として、自分が思いついたことは他人だって思いついていることが多い、のである。
つまり、空き缶でお金を稼ごうとする人間は、おれたち以外にもたくさん居たのだ。よって、町中のゴミ箱を漁っても、手に入る空き缶は少ないのだった。
しかし、はいそうですか、と諦めるわけにはいかない。町中を練り歩き、なんとか五十本までは集めることができた。
収集中、もう少し楽な方法があるのではないか、とたびたび考えていた。だが、そんな方法はいつだって思いつかない。ようするに、これが今のおれの限界というわけだ。
時計を見る元気が残っていたのは何時ごろまでだっただろうか。段々と身体が重くなってきた。疲れからだろう。ポケットの中も重いが、それは十円玉が五十枚も入っているからだ。
「あと十本か……」
ふと、空き缶集めを真剣に行なっている自分というものを客観視してしまった。冷静に自身を俯瞰してみる。唐突に馬鹿らしくなった。
そもそも自分はハルキを見つけなければならないのだ。なのに何故、空き缶を探しまわっているのだ。家なんて無くてもいいじゃないか。ハルキを探すことだけに力を注ぐべきではないのか。
しかし、思考は傾かなかった。現状を維持しようとしていた。空き缶を見つけようじゃないか、という気分がふつふつと湧いてくる。
まさか、とぞっとした。おれは奴が言った台詞に身を任せているのだろうか。僕があなたの探しているハルキです、という馬鹿げた台詞に。
「くそっ」
悪態をつきながら公園内のゴミ箱を漁った。近くで遊んでいた子供連れの母親がおれを見て、眉をひそめた。目があってしまうも、すぐに向こうから逸らしてしまった。どうでもいいよ、なんとでも思ってくれ。おれは自棄になって、ゴミ箱に頭を突っ込んだ。
それから間もない頃である。
「ちょっときみ」と背に声が掛かった。
振り向くと、嫌な職種の人間が目に映った。紺の制服を着た天敵——交番勤務の警察官だ。
「なにをしているの?」と男は言った。
定年間近であろうおじさんだった。しかしやはりそこは警察官。その目は鋭く、油断がない。
「いえ、別に」
にべなく答えた。いますぐ逃げよう、と黙考する。捕まってはならない。名前を明かすことさえ、ご法度だ。
「君は、一体、なにをしているんだい?」
挙動に不信を覚えたのか、警察官は身を一歩分近づけてきた。
ゆっくりと発音される言葉は、いつ訪れるかもしれない攻勢に備えている為だろう。
おれは無言に徹した。そうして無言のまま、身を翻した。思い切り、地面を蹴る。ポケットの十円玉がジャラジャラと音を立てた。
「こらッ!」
明白な怒声がすぐに飛んできた。
「きみ、待ちなさい!」
やはり反応が早い。さすがに慣れているだけのことはある。
でもねおまわりさん、とおれは心中で語りかけた。相手が悪いよ、相手が。おれはまだ若いんだ。大人相手だからこそ体力では負けない。だから逃げ切れるんだ。おまわりだろうがなんだろうが、大人ではないおれだからこそ、逃げ切ることができるんだ——。
自己催眠へ誘うように、ただただ単調に、ただただひたすらに走った。順路などお構いなしだった。聞こえるのは呼吸音と足音、そして、ポケットの十円玉があばれる音の三つだけだった。しばらくすると、おれの足は自然に止まった。限界は遠いが、走る必要がなくなったからだ。
汗をぬぐい、後ろを振り返った。追ってくる影はない。いつ警察官を巻いたのかは覚えていなかった。追っ手の有無さえ、確認していなかった。途中から走ることだけに夢中になっていたからだ。風を切りながら走っている最中は、心が羽のように軽くなった。
空を仰いだ。そろそろ日も落ちる。いつの間に移ろったのだろうか。過ぎていく時間に目を向けていなかった。空き缶探しか逃走かのどちらかに、気を取られ過ぎていたのだろう。
「……帰るか」
ぼそり、と呟いてから、疑問が沸いた。
どこに帰るだって?——そりゃあ、あのおんぼろアパートに、だ。
「くそっ」
何十分かぶりの悪態をついた。
おれは帰る場所を定めていた。居場所など既に決めていた。
踊らされているようで、気分が悪くなった。それでも帰れる場所はひとつだけだった。
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