第25話 モミジ⑧


「お前さ」

 太郎は言った。言うしかない、と思った。

「死んだんだよ。わかってるのか?」


 答えはすぐに返ってきた。


「知ってるよ、ちゃんと」

 モミジは笑った。

「バイクっていうのにぶつかったんでしょ? その後は覚えてないけど……でも、おばあちゃんが教えてくれたんだ。死ぬってことと生きるってこと」


「そっか……バイクか」


 知っていたのか、と太郎は安心した。

 なぜ安心したのかは解らなかった。不明だった死因が、いまやっと明らかになったからだろうか。


「死ぬのはねェ」

 モミジは、うーん、と腕を組みながら言った。

「悲しいことなんだよね? 悲しいのは、泣いちゃうようなことだよね」


「まあ、そうだな。死ぬってことは悲しいことなんだろうな、多分」

「じゃあ、生きるのは悲しくないの?」


「いや、それは」

 禅問答のような切り返しに、太郎は面食らった。

「生きてたって悲しいことはあるさ。つうか、生きてるから悲しいんだ。生きているものが、死んだものをみとることが、悲しいんだろ?」


「じゃあ、死んじゃうモノたちは、悲しくないの?」

「いや、死ぬのも……悲しいんじゃないかな、わからない」


 わからない、と回答を放棄したにもかかわらず、モミジの言葉は止まらない。


「じゃあじゃあ、死ぬモノたちは、死ぬまでは悲しくなくて、死んじゃったら悲しくなるの?」

「いや。生きてるときだけ悲しい、だろうな。もしくは、生きてるから悲しい、とか。だって、死んだら考えられないだろ? 感情もなくなるから。だから、死んでいく自分が悲しいんだろう。憶測だが」

「悲しいっていうのは、生きてるときだけ?」

「感じたり、考えたりするのは生きてる時だけだからな」


「じゃあ」とモミジは言って首を傾げた。

「モミジは生きてるの? 考えてるよ、ナゾナゾとか」


「それは……」

 煙草に伸びそうになった手を押さえながら太郎は言った。

「脳が動いているかいないかといえば、ネコのお前は死んでいるが……でも確かに、さっきの話の流れからすると……お前は、生きていると言えるのかもしれない。もしくは、俺が言ってることが全部間違ってるだけかもしれない。幽霊の定義なんて、わからないからな……」


「ふーん。モミジは幽霊なのかァ」

「いや……わからねえけどさ」


 幽霊がいたとして、彼ら彼女らに悲しみは存在するのだろうか。

 うらみ、つらみは、本当に、幽霊の本質なのだろうか。悲喜交々、さまざまな感情が、実体の無い幽霊のアイデンティティならば、悲しみは生きる者だけの特権ではないといえる。


「ふーん、そっかそっかァ」

 解ったのか解っていないのか判然としない風にモミジは言った。それから、でも、と先を続けた。

「でもね、モミジはちゃんと帰ってくるよ。考えなくても帰ってくるんだよ。だってここがモミジのお家なんでしょ? だから、モミジは考えなくたって帰ってくるよ?」


「……そうだな」


 ここは二人の家だった。そして二人と一匹の家でもあった。どんな状態だろうと帰る場所はここしかない。引っ越さないのはひとえにそれが原因なのだろう。うすれていく記憶に、しがみついているのだ。


「ずっと変わらないんだよ。モミジはここに帰ってくるんだよ。それは考えなくたって出来ることなんだよ。生きてるとか死んでるとかじゃなくて、ずっとずっと変わらないことなんだよ」


 ずっと変わらない——モミジにとっては何気ない一語なのだろう。しかし太郎の胸には深く突き刺さった。


「……変わるさ」

 太郎の声が変化した。視線を下げて、無意味に動かしていた指先を眺めはじめた。

「時間が経てば変わるさ。俺もお前も、変わるんだよ。生きてりゃ変わっちまう。風景だって、思い出だって、なんだって、時間が経てば変わっちまうよ」


「え?」

 モミジの身体は強張った。

「か、かわらないよ? それはモミジが死んだから言ってるの?」

 モミジは布団を力いっぱい握っていた。しかし太郎の視界には入らない。

「モミジ、戻ってくるよ。いつまでも、変わらないよ?」


「お前は、変わらないのかもな」

 太郎は投げやりに言った。

「でも俺は変わった。もう戻れない」


「……なんで?」


「なんで、って聞かれてもな」

 太郎は鼻で笑った。自嘲の笑みだった。

「生きるってのはそういうもんなんだよ」


「関係ないよ」


 モミジは笑った。

 しかしそれはぎこちない笑みだった。指先で頬を上げているようにもみえたが、太郎はまだ気づかなかった。

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