第23話 モミジ⑥


 モミジの服は色あせていた。そして汚れていた。

 そんな服でモミジはベッドに寝転がろうとした。太郎は寸前でそれを止めた。瞬間、記憶が蘇った。色あせてはいたが、やはり今のモミジと変わりはない、と太郎は苦笑した。


 まずはモミジに服を与えよう、と思いつく。

 久しぶりにタンスを漁った。大きなTシャツと短パンを与えると、モミジはさらに幼く見えた。中身を知ったせいかもしれない。

 身体も風呂場で洗わせようとした。が、一緒に入ろうと言って聞かないモミジを、必死に宥める羽目になってしまった。昔はよく一緒に入っていた。しかし、それは猫の時だ。人の形をしていない。


 諭し続けていたらモミジが泣き出しそうになったので、太郎は嘆息した後に、いい加減にしろ、と頭をはたいた。パコン、といい音がした。中身が空洞になっているに違いない。


 モミジはすぐに泣いた。それも太郎をジッと見つめたまま、静かに涙だけを流し続けた。手は力強く握り締められて真っ白だ。太郎は土下座をするしかなかった。


 結局、風呂に入っているモミジと、外から会話を交わすという折衷案が生まれ、事なきを得た。ナゾナゾをしたのは久しぶりだった。

 ばあちゃんと遊んだっけ、と太郎は懐古した。もしかすると、モミジもばあちゃんに教えてもらったのかもしれない。


 そして現在、モミジは太郎のベッドに寝転がっている。猫のように丸まって、目を瞑っていた——のなら可愛いものだが、ベッドの上をごろごろと転がり続けては、布団を蹴落としていた。


「うーん」とモミジは言った。

「なんかお布団小さくなったね。あとちょっと臭いね」


「馬鹿やろう」

 太郎は言葉を返した。

「お前がでっかくなったんだろうが。匂いはゴメンなさいとしかいいようがない。今週はまだ干せてない」


 太郎は外を見た。いまにも振り出しそうな曇天。梅雨の季節はジメジメとしていて、心にまでカビが生えそうだ。最近は、雨を見ているだけで陰鬱になってしまう。


「あ、そうか。モミジ、大きくなったんだァ」

 モミジは自分の身体を触った後に、えへェ、と笑った。

「大きいってすごいなァ」


「しかしな。お前、どうしてそんな姿になってんだよ」


「え?」

 身体をまさぐっていたモミジの手が止まった。太郎の初めて見る顔をモミジはした。

「どういうこと?」


「どういうって——つまり、猫の姿じゃ駄目だったのか、と思ったんだけどさ」

「うーん……」


 どうしてだろォ、とモミジは寝たまま腕を組んだ。


「気が付いたら、こういう身体になってたんだよねェ」

「なんだ。分からねえのかよ。ばあちゃんは、なんて言ってるんだよ」

「知らない」

「知らないってお前……」

「タローのおばあちゃんは、モミジに教えてくれるんだけど……なんかねェ、教えて欲しい時に教えてくれるわけじゃないんだよ」

「たまに教えてくれるってことか」


「うん。聞こえてくる」

 モミジは起き上がった。

「ここに来るにはどうすればいいとか、お洋服は着ないといけませんとか」

「服……」


 太郎は考えた。おそらく服は拾ったものだ。バックにしたってそうに違いないが、なぜか、靴だけは履いていなかった。


「お前さ」と太郎は聞いてみた。

「靴を履けって言われなかったのか?」


「うん」

 コクコク、と頷くモミジ。

「言われた」


「見つからなかったのか?」

「見つけたよ」

「失くしたのか?」

「失くしてないよ」


「お前、まさか」

 嫌な予感がした。

「履くの嫌だったんじゃないだろうな」


「うん。あれ、イヤ」

「お前、靴を捨てたな?」


「ううん」とモミジは首を振る。

「投げただけ」


「投げた……」


 ばあちゃんも大変だったんだろうなァ……。


「まあいい……とにかくさ俺はお前が帰ってきてくれて嬉しいと思ってる。これは本心だぞ」

「うん? 帰ってくる? モミジ、どこか行ってたの?」


「どこかって、そりゃあ」

 どっちだろうな、と考えた。

「お前の場合は——」


 天国じゃねえのかな、と続けようとした太郎の口は、しかし最初の一文字さえ発することが出来なかった。突如として、哀しみが胸に去来していた。

 だから、太郎は気づけなかった。布団を力一杯握っているモミジの変化に、気づけなかった。

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