第18話 モミジ①

 二階建てのアパートメントハウスの前に、一人の少女が立っていた。閑静な住宅街の中で、そっと息を潜めているような建物を見上げて、少女はホッと息を吐いた。


「やっと着いた……疲れたなあ」


 肩が落ちてしまったが、ため息は我慢した。

 福が逃げていく、と教えられたからだ。

 少女は思いついたように手鏡を取り出した。ボロボロの手鏡だった。少女はそれを開くと、自分の顔を確認し始めた。


 黒い髪は耳をおおい、アゴの辺りで揺れていた。汚くはない。枝毛すらない。薄い唇はちゃんと潤っている。瞼は眠けを訴えてはいなかった。


 少女は右手で手鏡を支えると、自由になった左手を顔へ近づけた。

 ほっぺたに人差し指を当ててから腕に力を入れると、口元を含めた頬が上へと押された。歪ではあるが、急造の笑顔が出来上がった。


「大丈夫。ちゃんと笑える」と少女は声に出して言ってみる。


 すぐに心の中にも、可愛い笑顔ですよ、という言葉が浮かんできた。

 自然と口元はほころび、人差し指は要らなくなった。落ちていた肩もいつの間にか元に戻っている。


 少女は赤い小さな肩掛けバックをかけていた。そこに手鏡を仕舞おうとした。ぎこちない手つきでファスナの取っ手をつまみ、口を開いた。

 丁寧に手鏡を入れる。それからもう一度つまみを掴んだ。引っ張る——しかし、ファスナは閉まらない。どんなに力を入れても閉まらない。


「あれえ?」


 少女は首を傾げた。

 どうやらファスナ部分が壊れてしまったようだった。だが、彼女には故障原因がわからない。


 バックは新品ではなかった。綺麗でもなかった。赤色だったはずの合皮レザーは既に薄い桃色へと変色していた。

 しかし少女に気にしている様子はない。ファスナが壊れた事にもやはり関心がないようだった。まァいいかァ、と言って、少女は口の開いたバックを肩にかけ直した。


「それじゃあ、しゅっぱーつ」


 少女は目的地を指さした。思考は既に、次の段階へと移っていた。アパート二階、右端のドア——そこが彼女の目的地だ。

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