第16話 リンEND


 僕はどれほどの間、思考を止めていたのだろうか。


 解らないことはやはり解らなかった。先が見えないどころではない。指針にしていた目標物が幻影だったと分かると、何をしていたのかすら分からなくなる。うう、と口から言葉が漏れた——その時だった。心に、針のような思考回路が突き刺さった。


「……目指すものはあるだろ」


 口が勝手に動いたようだ。

 まるでボクではない僕が、勝手に喋っているみたいだ。

 目標物など先から目の前にあったじゃないか。

 僕はそれをずっと見ていたじゃないか——。


「——立て」

 僕は己に言う。

「立ってさっきの女性を追いかけるんだ」


 根拠はないが、確信はあった。

 僕はあの人と離れたくなかった。

 リンとは別物に考え始めていた『サツキ』という女性と、ずっと一緒に居たかった。眺めていた背中は追いかけるに値すると思った。


 楽しかったのだ。彼女と一緒に過ごした三日間は、幸せに満ちていたのだ。

 幸福の意味を考えた。答えは出なかった。それはいつだって、失くした後に気づくのかもしれない。だから、失った後に己の不幸に気づく。そして、過ぎ去りし幸福を教えられるのだ。


 ——そうか。そうなのか。だからこそ、僕は悲しいのだ。今がとても悲しいのだ。

 ——そうだ。そうなのだ。だからこそ、お前は悲しいのだ。今がとても悲しいのだ。


 僕はボクへと訴えかけた。不思議なことに、ボクの中に僕が居た。それはボクであり僕じゃなかった。

 ボクじゃない僕は、声を張り上げていた。追え、追え、追え——。


「立って玄関へ行って靴を履け。とにかくどこでもいいから探し回るんだ」


 さあ、と僕の中の僕は言った。さあ——、


「——行くんだ!」


 僕は飛び跳ねるようにして立ち上がった。

 彼女の背中を求めて、外の世界を求めた。


 ドアは目の前だ。外界などすぐにたどり着く。あとは彼女を探すだけだった。

 玄関ドアに手を掛けたとき、唐突に猫の鳴き声がした。裏庭の猫が鳴いているのだろう。僕には判る。それは決してリンではない。

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