第13話 リン⑥

 リンの行きたい場所とは自然公園だった。市内の端にあるそこは、動物も入場できるために、昔よくリンと遊びに訪れた場所だった。

 しかし、今考えてみると可笑しな話である。なぜ僕は猫を一匹だけ連れて、こんな場所に遊びにきたのだろうか。傍目から見なくても驚異的に寂しい男だった。


「昔さ、よくここに遊びに来たね」と彼女は言った。

「そうだね」と僕は返した。「リンと一緒に来たね」

「でも、たまに三人だったじゃない。正確には二人と一匹だけど」

「え? そうだっけ」

「ええ、確かにそういう事が多かった。女の人が居たわ。あの人、誰だったの?」


 僕らは今、舗装された道の上を歩いている。自然公園というだけあって、当然、辺りには木が乱立していた。整然さを求められる心とは正反対の姿である。


「ああ、妹かな」

 そう言われてみると、一緒に来たこともあるような気がした。

「リンは妹を知らないんだっけ」


「そう。よく覚えてないわ」


 リンは首を横に振るだけだった。無表情のまま遠くを眺めていた。ただ単に興味がないだけのようだ。しかし、僕には見えない他の何かを見ているようにもみえた。


 夕陽が地平線へ消えていく途中で、僕らは帰路へつくことを決めた。リンは何か後ろ髪を引かれるものがあったのか、かすかに躊躇う様子を見せていた。

 もしかすると思い出の人と来たことがあるのかもしれない。先ほどから、その人のことを考えていたのだろうか。

 リンはいつかそいつの元へ帰っていくのか、と考えると、僕も少し悲しくなった。


   ◇◇◇


 リンを外に連れて行くために外出用のキャリー・ケースを購入した。白の簡易なケースで、格子の間からリンの姿を窺うことができた。

 ふーふーと唸っているリンは、きっと『私をこんなとこに入れるなんて、あんた馬鹿じゃないの』と言っているのだと思われた。しかし外に出すと電車には乗れないのだし、我慢してもらうしかなかった。

 よって僕とリンは常に一緒だった。世間ではそれを運命共同体と呼んでいる。


   ◇◇◇


 三日目の夜にリンは言った。


「外出する時には、いつも、私をケースに入れていたわね」

「いや、そうしないと人間社会に入り込むことができないんだよ、リンは」

「そのおかげで君の星の廻りまで背負うことになるのよね。まあ、反対も然りだけど」

「どういうこと?」

「つまりさ、君の運勢が悪いとする」

「うん」

「で、君は石に躓いたあげくにドブに嵌ったとする」

「地味だね……」


「そうするとさ」

 リンは猫が背筋を伸ばすようにして、腕を上にあげた。

「私にも石で転んだ衝撃はくるし、ドブにも嵌る可能性があるわ」


「確かにね。そうか、そうなるとリンの運勢が悪いと、ケースをもっている僕に及ぶのか」

「そうそう。そう考えるとケースに入っている分、まだ私のほうが安全かもね」

「最悪じゃないか僕の人生」

 リンは嬉しそうに笑った。

「なにかを囲うってことは、その責任を負うってことよ」

「そうだね、異論はない」


「つまりさァ」

 リンは滑るように僕へと近づいた。

「責任、ってのを取ってほしいの」

「ドブに嵌ろうよ、一緒にさ」


 僕は布団に滑り込んだ。

 なによ、と言ってリンは膨れた。僕の胸は馬鹿みたいに高鳴っていた。

 一体、この生活はいつまで続くのだろうか——その悩みは新鮮で、まるで生まれてはじめて気にしたかのように、僕自身へと訴えかけていた。


   ◇


 夢を見た。


 猫のリンと歩く夢だ。僕は手にケースを持っている。

 僕らは運命共同体だから絶対に分かれることはない、という確信を僕は持っていた。もはや、不可分の存在なのである。


 だから僕らは一緒に歩いた。

 どこまでも一緒に歩いた。

 道中、誰かに声を掛けられて僕は振り返った。

 視界に映るのは見知った顔——それは人間の姿になったリンだった。

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