第7話 アヤカの日記②

「どーぞ、粗茶だけどね」


 大家さんは常套句を口にしながら座った。

 対面だ。椅子も机も座布団もなく、急須と茶碗だけが私達の前にあった。数は二つ。大家さんと私の分である。


「あ、はい——いただきます」


 ぎくしゃくとしながら茶碗を持った。

 大家さんは私を見ると、微笑んだ。

 その表情は、私とさして変わらないような若さに満ちていた。

 が、それは外見だけのようだった。私には把握できない何かが、大家さんの内部に渦巻いているように感じられた。それは決して不快なものではない。

 私はやけに恥ずかしくなった。心の内を見破られているような気分。


「それでどうしたの、今日は」

 大家さんはお茶を啜った。

「えーっと……何て呼べばいいかな。君の名前は確か——」


「——アヤカ、です」


「ああ、そうか。そうだ、そうだ。『アーちゃん』って呼ばれてたっけ、お母さんに」

 記憶力が落ちたかなァ、と悔しそうに大家さんは言った。

「で、アヤカちゃんはさ。懐かしさに突き動かされてココに来たの?」


「あ、はい……あの」

 ドクン、と心臓が脈打つ。けれどそれも一瞬だった。

「私、昔、ここで不思議な体験をした記憶があるんです。今日はそれを確かめにきました」


「へえ」

 大家さんの笑みは崩れない。

 見ようによっては、顔に張り付いた仮面のようにも見える。

「そうなんだ」


「はい」

 私は茶碗を置いた。

「頑張って話しても必死に説明しても、誰にも信じてもらえないこと……私自身にも疑問が生まれてしまったことなんです。だから私はアパートを訪れることにしたんです。記憶を裏付ける何かがあるかな、と思って」


「ふうん」

 大家さんは両手を挙げた。身体を伸ばしているらしい。まるで猫のようだった。

「で、それは見つかったの?」


「あ、いえ、まだ——です。じつは、さっき着いたばかりなので……」


「ああ、そっか」

 大家さんは朗らかに笑った。

「あたし、邪魔しちゃったかな」


「いえ、そんな」

 私は首と両手を大きく振っていた。

「邪魔なわけがないです。それに大家さんにお話を聴かせていただいたほうが、なんだか良いような気がします」


「あたし?」

 自分を指差す大家さん。

「なんか話すことあるかな」


「あると思います」

 私は断言していた。考えなしに、口が動いた。

「大家さん、ちょっと不思議な感じがします」


「不思議?」

 大家さんは目を、ぱちくり、とさせた。

「君、鋭いなァ」


「鋭い?」


「うん」

 実はね、と大家さんは言ってニヤリと笑う。

「あたし、魔法使いなんだ」

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