だら級日記
金星人
玉手車両
朝から幾分か時間が経ち、単位面積当たりの光量が増えたが、空気はパリッとしていている。
とある用があり電車に乗って外出した。
駅の階段を降りていると丁度電車が来た。運が良い。
車内で曲を聴きたかったので慌ててその器具を取り出すが電車がキイィーっといって止まる。邪魔にならないようにさっとサイドに避けるが平日の昼間なので開いたドアから降車する人は居ないどころか座っている人も疎ら。もう一年以上混雑した電車に乗る生活から離れたのに無意識に反応として出てしまうのに少しがっかりする。
取り出せたイヤホンを片手に乗車すると窓から差す太陽光が人が邪魔せず床にまで達している。そのマットで暖かい反射がとても心地良い。
私は椅子に掛けて好きな音楽を耳にしながら読みかけの文庫本を読み出す。
通過する電柱に揺られる射し込んだ軟らかい反射光に囲まれながら好きな音楽とフェイドアウトした隙に聞こえてくる無機質な合成音声のアナウンス。腰から伝わる微妙な振動。端の席に座った為に戸の隙間からふーっと風が吹いてきてそれが程よく頬を冷やす。上下に繰り返し動かす視界からは小説の世界。
とても気分が良い。ぼぉーっと出来る。嫌な仕事で頭がぼぉーっとするのとは訳が違う。これは本格的なぼーっ、なのだ。心の底からこれは天国なんじゃないかと思ったりする。いっそこのまま向かいの電車と事故を起こして即死させてくれれば結構楽な死に方になるかもしれない。
また車窓からの風景は手前に畑が広がりそれらの間に走るコンクリの道を辿っていくとどれもこれも見た目が同じで建つ向きまで揃っている家がづらっと並ぶ。その奥には工場から生える煙突がもくもくと煙を揚げ、更にその向こうには山々がうんともすんとも言わず連なっている。何とも言えない無造作加減が堪らなく美しい。どれも自分が居なくてもある筈のものだ。 電車のゴワゴワした椅子も休耕中でバリバリに乾いた畑も意味もなく取り敢えず建てた風の家も無言で誰かの肺を汚す煙も開発には不向きな山々も。
必ず私が見てしまった時点で何かしら変化はしているわけなのだが、これ程マクロなものなら400nmから700nmを用いた観測になど引っ掛からない。どれもそこにただ在るのだ。その距離感が安心感とでも言うべきものを与えてくれる。今日は聞こえなかったが、もし向かい側におじさんが座って大きなイビキを掻いても全くこの心地よさを壊しはしないだろう。彼はただ寝たいからイビキを掻いて寝ているわけで別に私に向けられたものではない。やはり其処にも距離感がある。
然しそれらとは真逆の奴等がいる。
広告である。
こいつらには本当に腹が立つ。向かい端の席の上、ドアの真ん中ら辺、網棚の上の曲面、次の駅を表示する画面の隣のモニター、ビラビラと揺れる何枚もの宙吊り、三角形状の手すりの上にくっついた缶の形のもの。挙げ出せばきりがない程うじゃうじゃいる。いや、いると言うより寄って来やがる。なるべく見ないように慌てて目を閉じても時既に遅し。先ほどまで見ていた軟らかく殺風景な「空気」はあっという間に消えて赤、黄色、度ピンクで塗りたくられたあいつらが
「あなたのお腹に纏わりつく脂肪もこれでスッキリ!」、
「あなた、もしかしてそれ過払い金かも!?」、
「あなたもこれでムダ毛処理から卒業!」、
「あなたも先ずはお申し込みを!面倒な手続き不要」、
「あなたもこの口紅で上品な印象に!」、
「あなたもこの冬で遅れた勉強を巻き返せ!」
とギャーギャー叫びながら脳の中を荒らし回る。何もしなくても、寧ろ拒んでもグイグイとにじり寄ってくる。
全く、纏わりつくあんたらの方がごちゃごちゃで、度が過ぎていてムダで面倒で下品である。巻き返して来なくて結構。脳内不法侵入罪で死刑になってほしい、と、私はもう怒っちゃうのである。
又、使われている俳優もイラつく。どいつもこいつも似たような顔付きで同じような薄ら笑い。それ以外の表情は出来んのか! あっかんべぇしながら豚鼻して似かっと笑ってみろと言ったってやるわけがない。詰めたシリコンがづれてしまったら事だものな!筆箱に油性ペンを仕込んでいなかったのが大変悔しい。持っていたら間違いなく太字の方でおでこに猿のようなシワ、目からビーム、耳毛鼻毛ボーボー、頬っぺたにグルグル渦巻き、口周りにはこれでもかと言うぐらい点々のヒゲ、歯は真っ黒に、顎には真ん中にケツ割れをくっきり描いてやる。1人がそうなるだけでグンと車内の雰囲気が良くなるはすだ。
皆が同じ顔付きと微笑みで私を見てくるなんてまさしく近未来のSFホラーだ。不気味極まりない。ある意味でタイムマシン。足をボルトで伸ばしたり胸と尻を詰め物でパンパンに膨れ上がらせたり顎をルーターで削ったり、挙げ句の果てに遺伝子整形までも普通の世の中になったらきっとこんな感じになるのだろう。みんな同じなのに美しいと思い込んだ恥部を丸出しにして求めてもないのに見せてくる。恐ろしいったらありゃしない。
そんなことを考えながら立ち上がって電車を降りようとドア前に立ったが止まっても開かない。あら?と思うと後ろのドアが開いた。うるさい広告画面の隣で反対側のドアが開きますの表示。少々恥ずかしく、下を向きながら下車した。
全くこれも広告のせいだ、と思いながら__。
だら級日記 金星人 @kinseijin-ltesd
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