騎士が護るもの


 ある大国が、まだ英雄もいない小さな国だった頃。

 その国にある貧民街で、一人の男の子が生まれた。


 彼は物心がつくまで娼婦しょうふに育てられたが、残念ながら彼女は男の子の産みの親ではなかった。

 その娼婦が流行り病であっけなく死ぬと、まだ幼かった少年は盗みをして生活をしのぐようになった。

 孤独な彼は一人で生きるために、必要なことはなんでもやった。


 しかしそんな日々は長く続かなかった。

 運悪く、街を巡回していた衛兵に捕まってしまったのだ。

 縄に縛られた彼はこのまま死ぬか、戦争に駆り出される兵士として生きるかを選ばされる。

 まだ何もさぬまま死にたくなかった少年はもちろん兵士になることを選んだが、その扱いは奴隷も同然だった。

 それでも、彼は生きるために……死に物狂いで戦った。


 幸か不幸か、その国では戦争に事欠かなかった。

 なか無謀むぼうに近い戦い方ではあったが、数を重ねるうちに生き残るコツを徐々じょじょに学んでいった。

 そうして青年はいつしか、敵国にも恐れられるほどの兵士となったのだ。


 ある年、青年が戦争の功賞こうしょうを王よりたまわるために登城とうじょうすることになった。

 もはや王との謁見えっけん程度では緊張もしなくなっていた彼だが――その時は違っていた。

 なぜなら、この国の王に嫁いできたという、清純そうな美しい姫に出会ったからだ。


 彼は一目ひとめ見た瞬間、可憐な彼女に呆気なく心を奪われた。

 ……しかしそれは、到底叶わぬ恋であった。


 奴隷同然、それもいつ死ぬかも分からぬただの一兵士いちへいしが、王を差し置いて一国の姫と結ばれるはずがない。

 そう自分に言い聞かせ、祝宴で褒賞を受け取った青年は華やかな雰囲気を放つ城から逃げるように立ち去ることにした。


 その途中、偶然にも城の中庭なかにわたたずむ姫を見つけた。

 侍女もまだつけていない彼女は、草の一つも生えぬ武骨ぶこつな石造りの庭を寂しげに見つめている。

 青年は思わず声を掛けそうになる衝動しょうどうをどうにか抑えたが、意外にも話し掛けてきたのは姫の方だった。

 青年に気付いた彼女は、にっこりと愛想よく彼に近付いていく。


「こんにちは、可愛い兵隊さん」


 それはまるで、はかなくもりんと咲く、一輪の花のような笑顔だった。


 ――たとえこの人と結ばれずとも、彼女がいるこの場所を守ろう。

 単純ながらそう決意した騎士の青年は、更にも増して戦争で活躍するようになった。

 そして遠征した土地で咲く綺麗な花を見つけては、城で待つ彼女に贈った。

 時には持ち帰る途中で枯れてしまうこともあったが、それでも彼女が見せてくれる太陽のような笑顔がたまらなく嬉しかった。


 そうしていつしか、彼にとって彼女は生きる理由の全てになった。

 相変わらず自国の王は侵略した国の美姫びきを集めては城に置いていくので、美しいと褒めそやさられていた彼女もいつしか飽きられ、やがて放置されるようになった。

 かえってそれは彼女の自由が増えたので、二人は陰で喜んでいたのだが。


 しかしそれは――騎士である筈の彼に、とある野望の炎を心にともらせてしまった。


 ――おのれの全てをけて、彼女を自分のものにしたい。



 そして再び時は過ぎ。

 ある小国との小競こぜり合いを制した祝勝会。

 王はいつも通り、格別の活躍をした、すでに英雄となりつつある騎士の青年に望みの褒美ほうびを問うた。

 彼は騎士が貧民出身であることを知っていたので、もはや定番となった「王の望むままに」という言葉が返ってくるのを、玉座ぎょくざで肘をつきながら待っていた。


 しかし騎士が口にしたのは――この国の英雄と正式に認められたあかつきには、私が望む姫を下げ渡して欲しい――という前代未聞ぜんだいみもんの言葉だった。


 王は激高げきこうし、近衛兵このえへいにこの身の程知らずの不埒者ふらちものを処刑するよう命令を下そうとしたが、彼の隣にいた宰相がそれを引き留めた。

 宰相は、どうせ正妃せいひでもない他国の端女はしためなぞ、英雄の眼前に吊るす餌にしてやればよろしい、と王に進言したのだ。

 それもそうだ、とさも自分が考えたかのように王はそれを採用すると、寛大かんだいな心で「よかろう」と騎士に伝えた。



 その後の騎士は、更に輪をかけて無茶な戦い方をするようになった。

 たった一つの願いは、愛しの彼女を救う事。

 それ以外の感情は要らないと、人形のように戦場で殺戮さつりくを繰り返す。

 単身で敵の軍隊に特攻したり、奇襲をかけて敵将の首を討ち取ったり。


 そんな戦略もない死と隣り合わせの戦闘を繰り返すうち、彼はついに致命的なミスを犯す。


 とある国での潜入任務中に、何者かの襲撃を受けたのだ。

 それは人が居ないはずの森で、完璧に潜伏せんぷくしていたところを背後から襲われるという、精鋭である彼からしても思いも寄らぬものだった。

 なんとか反撃を食らわせ、どうにか森の先に撤退したが、こちらもかなりの痛手を負った。


 ――もう、あの姫様には会えないのか。

 迷った森の中で、彼は心身ともに満身創痍まんしんそういだった。

 脳内は絶望に染まりながらも、表情を一つも変えずにフラフラと人の居ない森を彷徨さまよう。


 意識ももう途絶えそうになったその時。

 甘い匂いが立ち込めるしげみの奥に、黒い人影を見つけた。


 ――その人物は、この森のあるじであり守人もりびと

 そしてこれこそがノーフェイスと呼ばれた英雄と、香煙の魔女との邂逅であった。

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