ドラゴンのお伽噺 ~炎の竜~

笹月美鶴

ドラゴンのお伽噺 ~炎の竜~

 昔昔あるところに、真っ赤なドラゴンがおりました。

 赤いドラゴンは炎の竜。

 炎を吐く山の奥深く、熱くて狭い真っ赤な部屋で、たったひとりで生まれました。

 炎から生まれたのか、卵から生まれたのか、それは彼にもわからない。


 熱く輝く赤い液体に満たされた部屋にいる彼の体は真っ赤な炎に包まれて、ずっと激しく燃えている。

 彼のそばに親はいない。友達も、誰もいない。生まれたときから今までずっと彼のそばには誰もいなかった。それが彼のあたりまえ。

 彼にとっては広い、岩に囲まれた空間。そこにたったひとりで生まれ、そこでただ、生きてきた。

 赤い産湯につかり、炎のゆりかごに揺られる小さなドラゴン。

 たとえ親がいなくとも、そこは彼にとって心地よい場所。安心して眠れるあたたかな彼の家。



 生まれてから、どれくらいの時がたっただろう。

 真っ赤な部屋の赤い液体がにわかに泡立ち、いつもと違う不吉な地響きが小さなドラゴンを不安にさせる。

 揺れはどんどん大きくなって、小さなドラゴンはなすすべもなくころころと部屋の中をあちらこちらと転がります。


 地の底から響く突然の轟音。


 次の瞬間、浮遊感とともに小さなドラゴンは赤い海を泳いでいた。

 山が小さなドラゴンもろとも天井の穴の外へと勢いよく液体を吐いたのだ。

 あっという間に小さなドラゴンは天高く放り出され、気がつくと、そこは何もない空間。

 上を向いているのか下を向いているのかもわからずただばたばたと手足を動かす。

 はじめて肌に感じる冷たい風。その凍るような冷たさに体についた赤い液体があっという間に黒く硬いものに変化して、彼の体を締めつける。

 小さなドラゴンは必死に翼を羽ばたかせ、体にまとわりつく黒い塊を振り落とす。

 風が小さなドラゴンの体をなめるように吹きすぎる。そのうちだんだん肌が大気に慣れたのか、はじめは凍るように感じた風が心地よいものにかわっていく。


 風を切って飛びながら、しっかり目をあけまわりを見る。その目に映ったのは、彼方まで広がる青い空。


 いつも見上げた穴から見える小さな光。怖くて近づけなかった穴の外。

 それがとてつもなく広い世界なのだと、はじめて知った。



 山からあふれた液体が炎を上げながら赤い川となって流れ、白煙を巻き起こし、あっという間に視界を奪う。小さなドラゴンは小さな翼で必死に飛んで、やっと煙から抜け出した。


 煙の先にあったのは、美しい緑の大地。色あざやかな、輝く世界。


 木に囲まれた見晴らしのいい丘にそっと降りてみる。小さなドラゴンの足が地面についたとたん、一瞬にして草花が燃え上がり、緑の絨毯が黒い土くれに変わる。

 戸惑いながらふとまわりを見ると、木の陰からいくつもの目が自分を見ているのに気がついた。

 そのうちの一匹が、興味深げに小さなドラゴンにそろそろと近づいてくる。

 はじめて見る自分以外の生き物。小さなドラゴンは戸惑いと喜びに身を震わせ、そっと手をのばす。

 しかし炎に包まれる彼をみて、小さな生き物はあまりの熱さに逃げていく。その光景を見た他の生き物たちも、あっという間に逃げていく。

 逃げる彼らを追いかけて近くにあった木に近づいたとたん、彼がさわるまでもなく木が次々に炎を上げて燃えさかる。


 その炎は逃げ遅れた生き物たちを包み込み、断末魔の悲鳴が響く。

 はじめて見る草、木、花、生き物。

 美しい風景が、きれいなものが、生き物が、すべてが燃えて、消えてしまう。


 小さなドラゴンが近寄っただけで、何もかも燃える。叫び声を上げて、灰になる。

 そんなつもりはないのに。誰かと一緒にいたいのに。みんなと仲良くしたいのに。

 できない。できない。

 やっと広い世界に出て、自分以外に生き物がいるんだと知った。やっと一人でいなくていい。そう思ったのに。

 僕がみんなを傷つける。すべてを傷つける。すべてを壊す。すべてを灰にする。

 彼は由緒正しき炎の竜。その身に炎をまとう、炎の神。そして親のいない、小さな子ども。

 何も知らない、何もわからない。自分を見つめることができるには、あまりにも幼すぎる、小さなドラゴン。



 小さなドラゴンは寂しげに天を仰ぐ。

 帰ろう。僕の家へ。あの、あたたかい真っ赤な部屋へ。誰も入れないあの部屋へ。


 ひとりで生きれば誰も傷つけない。誰も傷つけなければ僕の心も傷つかない。


 ふわり、と彼は飛ぶ。涙のしずくが地を焦がす。

 小さなドラゴンはさがした。家への入り口を。でも、そこにあるのはどこまでも続く黒い岩肌。

 暖かな家だった山の形はすっかり変わってどこが自分の家なのかわからない。

 どこかに隙間があるはず。部屋へと入る隙間が。家に帰る入り口が。

 小さなドラゴンは必死にさがした。でも、どうしても見つからない。


 さがして、さがして、そのうちに、空に黒い雲が垂れ込める。


 暗い空の下、ふうっと吐いた炎の息が、彼の姿を明るく照らす。

 ぽつり、ぽつり。雨粒が天から降り注ぐ。

 水のしずくが小さなドラゴンの肌にあたるたび、ジュっと音を立てて白煙が上がる。

 雨はやがて嵐となり、激しい雨が山から流れた赤い川を闇の色に染めていく。



 山のてっぺんに燃え続ける炎。それはいつしか降り注いだ雨の終わりとともに見えなくなった。

 小さなドラゴンが家に帰れたのか、どこか遠くへ去ったのか、それとも、息絶えたのか……。


 それは誰にもわからない。

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