第80話


 聖ノ国に久しぶりの拍手喝采が巻き起こっていた。龍神様の威光を受けた聖女の復権……いや、生まれ変わりと、この戦争の収束を見届けて歓喜に沸いたのだ。


「セシリア様! 信じていましたぞ!」

「せいじょさまー、苦しいの治った! ありがと!」

「さっきの雷は、『聖女の守護』か……? じゃあ、俺達は、間違えていたのか……?」

「んなこと今はいいだろ! 後で俺達反乱軍はしかるべき処分を受ければいい。今はただ、無益な争いが終わった……いや、始まる前に終わらせてくれた聖女様に感謝だ!」


 様々な言葉が龍神族の翼より早く行き交う。そのただ中にいるセシリアの心中は複雑なものだった。


「……」


 起こるべき争いを止めてくれたのは『銀狼』だ。龍神族を味方に付けてくれたのも、南の浮島から始まるはずだった毒の蔓延を防いだのも……。


 ただ一言、「助けて」と口にしただけで彼らは本当に全身全霊で応えてくれた。この国の悪を全て倒して、この国で混沌と化していた敵意の矛先を自分達に向けて……それでも何も要らぬとばかりに地上へ落ちていった。


「それで……それだけで、あなた達は良かったの? ねえ、勇者様……」

「あいつらはそんな事気にしてないんじゃないかな。汚名も悪役も戦いも、嫌な事全部引き受けて……でも、あんな満足そうな顔で落ちていったじゃん。ボクにも、どうしてそんなことができたのかは分からないけど……」


 そっとセシリアにだけ聞こえるように龍神様として目覚めたロアナは囁く。ヒーローの鎮圧、偽聖女の排除、戦争への横やり……そして、龍神様の最誕と真の聖女の覚醒。


 それを何かの冗談のようにこなしていった彼らの事を、ロアナとセシリアはきっと忘れない。そう思って、ロアナは思わず苦笑した。


「もしかしたら……それだけで良かったのかもしれないね」

「私達が、覚えておくだけで……」

「冒険者ってのは、金塊を酒に換えるような連中だからね。分からないものだよ」


 そこへ、傷だらけのまま縛られたウルスを乗せた大型の龍神族と国王がセシリアの元まで舞い上がってきた。


 そして、セシリアが持っていた拡声の魔道具を手にし、声高々に述べる。


「民よ、聖ノ国が始まって以来の内乱は終わった。我が娘、セシリア……真の聖女の手によって。しかし、それだけで全ては終わらないだろう。そこで、ヒーロー・ウルスの口から全てを白状してもらうことにした」


 せっつかれたウルスは、いくらかか細い声で、それでも魔道具に届く程度の音量で騙り始める。


「俺ぁ……争いを見たかった。だが、俺の手によって起こすことはできねえ。だから、魔導王国から送り込まれてきた偽聖女を利用した。さっき、落ちていった奴がいたろ……俺が真の聖女だと騙った奴だ。今回の戦争が起こった理由は、全て俺の口から説明できらぁ」


 その言葉に、国王軍は耐えて良かったと涙し、反乱軍は取り返しのつかない間違いをしてしまったと青ざめ、南の住民はこれからの行く末に視線を泳がせた。


(敗者としての義務は果たすぜ……負けたよ、お前にはよ。だが、気をつけるんだな、『災害』の力は必ず争いを呼び込む。なあ、お前さんがこれからどんな地獄を歩むのか……いいや、きっとお前なら楽々と乗り越えちまうんだろうな。見たかったぜ、お前の覇道を……)


「……起きてしまったものは仕方ない。過去は変えられない。だが、未来を決めるのは私達だ。争いの上に手を結び、陰謀の表で団結し、傷ついた敵を愛してみせよ! これは神の試練である! 乗り越えてみせよ、聖ノ国よ!!」


 だが、国王の一喝で全ての不安が収まった。許していいのか、許されていいのか、そんな思いを消し飛ばす大音声。


 それが聖ノ国の民の性質。国王だからどうだという問題ではない。全ては神の采配。なら……何者も恨まずにいていいのかもしれない。これはきっと、この国がさらに繁栄するにあたって必要な争いだったのだから。


 それに……民衆の目からしてみれば、全ての元凶は消えてしまったのだ。なら、今すぐとは言わずとも……神の国はより強く生まれ変わるのかもしれない。そんな希望を見せた。


 ――後にこの戦乱はとある大事件の引き金になるのだが……その大元とされるこの戦いの記録。そこに、ヒーローを打ち倒した者の名が刻まれることはなかった。



 ◇


「ビクター……」


 そして、俺は今樹海に降りてきて幼馴染みと対面していた……魔族の血が混じってしまった、変わり果てた幼馴染みと。


 憎い奴だとは思っていたけど……こうなると、あの日逃した手が悔やまれる。


「……ここで戦るか?」

「いいや。今のオレじゃテメエにゃ敵わねえ。聖ノ国での戦いを見て確信した。だが……オレは半分魔族になった。テメエに挑戦するのは、この力を鍛え上げてからだ」

「だったら、なんでお前はこんなとこに居るんだ?」


 俺の問いかけに、ビクターはふっと笑う。


「今回、ヒーローウルスをぶつけたのは賭けだった。あいつにテメエが殺されちまうかもって話だった。それに、この下らねえ戦争ごっこに潰される心配もあった。だが……その程度な訳けねえよなぁ?」

「何だよ……で、何をしにきたんだ?」

「宣戦布告だよ」


 ビクターはぐっと俺に拳をぶつけようとする……それはまさに、チャンピオンに対する挑戦者の姿だった。


「オレは絶対に、この力でテメエの上に立つ。当然、人間は全部食い物だ。そのくらい割り切らなきゃ、この力を自在に扱えねえ……」

「……今ここで仕留めとけって話か?」

「はっ。んな事できねえくせに吹くなよ。テメエには絶対的な弱点がある……それは、他人を殺すのに躊躇いがあるってとこだ。いくら憎かろうが悪かろうがテメエは殺さねえ。断言しとくぜ……それがテメエを殺す」


 そう言い残して、ビクターは樹海の中へと去っていった……手を出すこともなく……油断も慢心もすることなく、俺を弱者として見ることなく、対等な人間として。


 ……この場でビクターを殺さなかった事を、俺はきっと悔いるだろう。だけど、あいつの言うとおりだ。俺は殺すことに躊躇している。


「追いますか? 私達なら、立ち向かえます」

「そうだよー。魔族の血が混じった人間なんて……放っておくと面倒な事になるよ?」


 トゥイとマリンはそう言うが……きっと、無駄だ。あいつはあくまで俺の力に敵わないとみただけで、こいつらに敵わないとは言ってない。追えばきっと、奴は躊躇なく殺すのだろう。


「いや……やめとこう。別にケンカを仕掛けられたわけじゃないんだ。聖ノ国での仕事も終わったし……元の冒険者生活に戻ろうぜ」

「賢明ね……あの殺気、尋常じゃないわよ。いつかはぶつかるにしても、消耗した今じゃないわ」


 メリッサの言うとおり……今じゃない。あいつとぶつかるのは……もっと相応しい舞台がある。


「さっ。帝国に戻って乾杯上げようぜ。セシリアも上手くやるだろ……稼ぎもねえ、功績にもならねえ、リルさんには怒られる。それでもまあ、悪くない旅だったんじゃないか?」


 そうして帰路に着こうとした俺達を、グレイが呼び止めた。


「どうせなら、我が里で祝杯を挙げてはいかんか?」

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