第79話

 巨大な体躯を持ったウルスは、それでも『天翔る脚』の力は失われていないようで空中から爪を振るう。それだけでまるで暴風な風圧が響き渡る。


 だが、その全てが見えているとでも言わんばかりにメリッサは全ての攻撃を俺の周囲を忙しなく駆けながら対応していく。爪と大剣が混じり合う度に飛び散る火花、ひどく鈍い金属音。


「メリッサ、お前……あの速度についていけるのか」

「当然じゃない。あれだけ的がでかいんだからいなすくらいは訳ないわ。それに、いつも言ってるでしょ。魔物の動きはよく見ておきなさいって。速すぎて見えなくても、本能のままに襲ってくる相手が攻撃してくる箇所くらいは見えてくる、のっ!」


 十ほどの剣戟を経て、ついにメリッサの大剣がウルスの腕を斬りつけ、一度距離が出来た。


 そうは言うがメリッサもそれなりにキツいらしく、珍しく肩で息をしていた。


 当たり前だ、いくらメリッサにも俺の『災害』のブーストがかかってるとはいえ、相手は『災害』そのもの。しかも、一度のミスも許されない迎撃だ。肉体的にも精神的にも疲労は凄まじいものだろう。


 だが、傷を負った事でウルスは警戒を強めたのか、神殿の外周を歩くようにうなり声を上げながら様子を見ている。


 が、こちらが疲れているのに向こうを休ませるわけがない。その間はトゥイの射撃とマリンの魔法で牽制を入れた。


「ねえっ! あんたは今何してんの? あんたの魔剣なら何でも斬れるでしょ!?」

「今は煙の硬度を高めてるんだ。初めてだから勝手がな……相手も俺ほどの防御力じゃないにしても『災害』の力を持ってる。だから、より固い一撃を仕上げてんだよ。固いもの同士がぶつかればより固い方が勝つだろ? もう少し……次の一撃を防いでくれ。それで、俺はウルスに致命傷を与える」

「……信じるわよっ!」

「ああ、任せろ」


 本来俺の全身に行き渡る『蔓龍の皮膚』の強度を全て剣に込める……まさに全身全霊の攻撃だ。


 その高まっていく魔圧に耐えきれなかったように、ついにウルスが矢と魔法の嵐を突き抜け、体のあちこちを傷つけながら襲いかかってきた。


 それをメリッサはいなすでもなく、真正面から受け止める。ウルスの爪が斬れるかメリッサの大剣が折れるのが先か……そんなタイミングで、十分に煙が溜まった。


「メリッサ、いいぞ! 煙流剣術――『煙火の太刀』!」


 俺がそう叫ぶと、メリッサは刃の角度を変えてウルスを俺の方へ流した。迫る爪を左手で受け止め……そう、この一撃を受け止める調整に苦労していた……そして、大上段から魔剣を振り下ろし、ウルスの胸部から脚まで一直線に斬りつけた。


 先ほどまでの小さな切り傷じゃない……骨にまで達するような深い傷だった。


「……そうか、満足か。ウルス」


 それほどの傷を付けられて、獣神化も解けつつある中……瞳を白くさせながらもウルスは頬が裂けるほど笑っていた。


 ドサリと巨体が倒れ込み、血だまりが広がる。どこまでも、血まみれ。だが、それでいい。この国に流れた血は全て俺のものだ。他の誰の責任でもない。


「……ふ、ふっ……そやつを倒した所で、争いは終わらん。妾の幻術があれば……」

「そうか……なら、殺さないとな」


 俺は水を差すような偽聖女の声に、未だ鮮血が滴る魔剣を向ける。すると、ようやく偽聖女は顔から余裕を無くし、瞳の中で光を回す。


「わ、妾を殺せば民共の洗脳は解けんぞ!? 永遠にセシリアの事など信じられん! 妾達の術は死後もなお強まるのだ! だ、だから……見逃してくれ?」

「だったら、一つだけもう一度洗脳をかけてもらおうか」

「妾にも任務がある……偽聖女が自分じゃなんて言えんぞ……」

「いいや、『全ての元凶はシルバーウルフにある』と宣言するだけでいい。ただし、思い切り強く広く伝わるようにな」


 俺の言葉に、訝しむ様子を見せる偽聖女。だが、もう一度剣を上げるとぼふっと尻からボサボサになった狐の尻尾が生えてきた。これが正体か……。


「……いいぜぇ。もしそいつがそうしなかったら、俺が殺してやらぁ……俺の枷はこの国の平穏を守ること……。他国からの陰謀を止める義務はねぇが、聖女の加護を絶やさねぇためなら俺が動く理由にもならぁ……」

「なっ……ウルス、お主……妾を裏切るというのか!?」

「はっ。俺がいつテメエとお仲間になったんだ……? 俺ぁ負けた。敗者には敗者の義務ってモンがあんだよ……女は黙ってろ」


 あんな傷を負っている男とは思えないほどの圧を伴った言葉に、偽聖女は呑まれて黙り込む。そして、渋々といった様子で頷いた。


「それだけなら構わん……『シルバーウルフ』と妾に関わりはないからのう。今度はお主が国盗りでもするのか?」

「ま、そんなとこだ……じゃあ、早速龍神族を呼んで、セシリアの所に向かうか……」


 立ち去ろうとしたその瞬間、背後からウルスの笑い声が小さく聞こえた。


「悪ぃ事考えてんな、強敵よぅ」

「そりゃ、お互い様だろ?」

「はっ……そうだな」


 ◇


 そして戦いが終わり、聖女は龍神族によって上空へ運ばれ、国中の民の注目が集まることになる。


 俺はその背後に立ち、それぞれの浮島を眺める。西の反乱軍は壊滅状態、東の国王軍は動かず。そして、南の浮島から……複数の龍神族が誰かを連れて飛び上がってきた。その背には、無傷のセシリアが乗っていた。


 しかし、その割には妙に焦った様子で俺が乗っている龍神族に乗り換える。


「勇者様! 南の皆が……毒に……!」

「分かってる。ヤサイの毒素が効いてきたんだろ。安心しろ。全部片付ける」


 俺はそこでセシリアの首を掴み、拡声の魔道具を使って全浮島に聞こえるよう声を張り上げた。


「俺達は『シルバーウルフ』! この名前を知らねえとは言わねえよな!? さ、そこであんたらが認める聖女様からのお言葉だ!」


 十分に全方位から視線を感じる状態で、拡声の魔道具を偽聖女に向ける。


「……妾から言えるのは、『全ての元凶はシルバーウルフが悪い』。それだけじゃ」


 だからどうした、とでも言わんばかりのふて腐れようだ。まあ、分からないだろうな。ずっとあの神殿に籠もりきりだったこいつには……今、聖ノ国で『シルバーウルフ』という名がいかなる意味を持つのか、ということが。


 西からは怒号のような恨み節。今回の件においてはあらゆる意味で被害者だったと言えるだろう。


 ――うちの兵器をことごとく壊しやがったのがあいつか……!?

 ――俺達、って……そんな奴がどうして聖女様と?


 東からは静かな怒り。自分達が必死の思いで守っていた聖ノ国の平穏を乱した者の中に『シルバーウルフ』は当然含まれる。


 ――セシリア様をどうする気だ!?

 ――早く我等が聖女を返せ! この国には必要なんだ、聖女様が……!


 南からはただただ苦しむ声。今まで対岸の火事だと思っていたがついに実害が及んでしまったその他大勢。


 ――苦しい……吐き気が、止まらん……。

 ――畜生、聖女だ……聖女様、助けてくれ!


 ……まあ、仕込みはこんなもんで十分か。俺は項垂れている偽聖女に話を向ける。


「おい、お前が聖女なんだろ? 助けてやれよ、あいつらを」

「……」


 沈黙を貫く。が、この場においてそれは「自分では無理だ」と言っているようなものだ。そして、その真意までは伝わらなくていい。反乱軍に「どうしたんだ聖女様は」と思わせるだけでもいい。


 疑念の中に意外な真実が飛び出てくれば、人間は自然と信じてしまうもの。だから、嘘吐きも悪者も全ては俺だけでいい。


「じゃあ、お前でもいいや……お前が、聖女か? セシリア――」

「……はい。私こそが真の聖女です」

「なら、今ここで証明してみせろ。あの程度の毒、聖女なら救えて当然だよな?」


 セシリアはこくりと頷いて、南の浮島に向かって聖女の加護を発動する……それと同時に、俺の『浄化』をブーストさせてふりかけておいたが。


「天にまします、われらの父よ。あなたの栄光を賛美します。ここに、巫女たるわれに加護を……われらが民に救いを、争いに終わりを」


 ぱぁ、と目に見えるはずもない聖気のようなものがセシリアから広がるのが見えるようだった。その祝福の風は南の浮島を包み込み、天に紫色の毒素が吸い込まれていく。


 種明かしをすれば単純な話だ。ウルスが『災害』の力を使って偽聖女を聖女に仕立て上げた事をさらに大げさに見せているだけ。


 だが……毒を、水害を、矢の跡を、全て元通りに修復し、地面にのたうち回っていた民達が次々に立ち上がるその様を、奇跡と思わない者は居まい。


 ――聖女、本当の聖女様だ……!


 そんな声が大きくなりつつある。だが、確証にまでは至らない。全国民が信じるには至らない。特に反乱軍からは混乱の色が見える。


「……セシリア、それでいいんだ。後は任せろ」


 俺はそう告げて、拡声の魔道具をセシリアに渡した。そして、セシリアを突き放して魔剣を高く掲げて……他者からはセシリアを襲おうとしていると見られるように……そっと呟いた。


「頼むぜ……『雷の制裁』」


 瞬間、天から雷撃が振ってきた。溜める時間などない、躱す手段などはない。俺にまとわりついた雷はそのままに、俺は偽聖女と共に龍神族の背から落ちていった。遠い遠い、地面に向かって。


「悪は、裁かれた……セシリアを殺そうとした俺を神様は許さなかった」


 ……なんてな。この雷は俺を襲ったのではなく纏われるために現れたのだ。地面すれすれまで落ちた所で……灰色の鱗をした龍神族に受け止められた。


「あれ、グレイか。てっきりロアナが来ると思ってたんだけどな」


 グレイが脚に付けている籠からはマリンとトゥイ、そしてメリッサが見える。あらかじめこうして合流することは決まっていたのだ。


 だが、本当ならロアナとの打ち合わせだったのだが……。


「ふふ。ロアナの奴も一枚噛みたいと言うのでな。目覚めるぞ、龍神様が……」


 そうグレイが笑った瞬間、上空から強い光が見えた。そして現れたのは……橙色を眩いほどに輝かせた巨大な神龍……。


「って、あれがロアナか!?」

「族長の我の娘という時点で気付いても良さそうなものだが……」

「いや、だって龍神様にはもう会えないって……ロアナ自身が言ってたんだぞ?」

「それはそうだ。大陸各地に散らばる『神の力』のうち一つをお主が持っているとは思うまい。だが、『災害』と『神の力』が出会った時点でロアナが龍神様として覚醒するのは決まっておった。聞かなかったか? ロアナは一族のために契約することもままならん、と」

「聞いてたけど……まあいいや。要は、龍神様がもう一度その威光でセシリアの後ろ盾になってくれるって事か?」

「そうなるな」


 なら、安心か……散々失って、それでも諦めなかったセシリアだ。そのくらいのご褒美はあってしかるべきだろう。


「もう下ろしてくれていいぞ。これにて一件落着――」


 もはや懐かしくもある樹海に降り立った時、暗がりから一人の男……いや、魔族か? 誰かが歩み出てきた。


「一件落着――といけば良かったなあ、リーフ。待ってたぜ……」


 その顔が光に照らされて……俺は思わず言葉も忘れて息を呑んだ。刈り込まれた金髪に屈強な体、そして……額には一本の角。魔族であり、人間としての魔力も残した何者か。


「……ビクター」


 そう、それは……死んだと思っていた俺の幼馴染みだった。




○後書き

明日4/7から各書店様で『パイプ使いは紫煙を纏う』が発売されます。イラストも素晴らしいので是非書店まで行ってみてください。詳しくはツイッターへ。

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