第78話
「ちっ……こんなもん!」
ウルスはどうにか煙の呪縛から逃れたように天井近くまで跳ね上がる。それはそうだ、逃がしてやったのだから。
必殺力のない煙での呪縛をしたのは、傷が『超速再生』するまでの時間……そして、この術を試すまでの時間が稼ぎたかっただけだ。
「な、んだテメエ……その姿は」
「さあな。俺は残念ながら自分で自分の姿を見ることができない」
だが、見下ろせば細長く赤い煙が幾重にも重なって全身を覆っているのが見える。パイプをまた吸えば、その煙はさらに濃くなる……が、放っておけば解けてしまうだろう。
これは俺の考えた『災害』と『森羅万象』の複合技。『煙の鎧』だ。
『蔓龍の皮膚』の防御力は凄まじい。だが、常に全身を気張っていると魔力が枯渇してしまう。それでいて攻撃にまで『災害』の力を全力で使っていれば、そりゃいくら魔力があっても足りやしない。
「……この煙は、俺の反応に合わせて移動する。要は攻撃さえ防げれりゃいい。難しい事はない……そう、何もなかったんだ。お前を見てて気付いたよ。『災害』の力に甘えてちゃダメだ。ちゃんと効率良く使わないと、ってな……」
そして、そのコントロールにはきっと莫大な時間が必要になるのだろう。『災害』のコントロールのみにおいて、俺はウルスに劣っている。
だが、俺には『森羅万象』がある。『身体強化』がある。『超速再生』がある。いくらでもスキルは身につけられるのだ。なら、どうしてそれを使わない手があるだろうか。
「そ、んな付け焼き刃で……この俺と戦うつもりかぁ!?」
「いや、そんな事は思っちゃいないさ。けど……俺にはお前にないものがある」
ウルスの蹴りに合わせて煙が右腕に移動する。そして、ガキン! と重たい音がしてその蹴りを弾いた。今まではただゴムの塊を蹴っていたような感覚だったろうが……この衝撃、ウルスの足にもダメージが与えられているだろう。
「ちっ……反射攻撃か。こりゃ厄介なもんだなぁ!」
そう嗤うウルスはそれでも楽しそうに全力で突っ込んでくる。だが、その勢いをそのまま受ける馬鹿はいない。煙を前方に伸ばして勢いを殺し、再び『煙の鎧』で弾く。
「悪いな、俺は馬鹿でよ。急場にならないとこれだって手を思いつかねえんだ。それに……お前もそこの妖狐を使ってメリッサと戦わせやがったんだ。卑怯とは言わねえだろうな?」
ウルスが眉をひそめた瞬間……警戒して身を固めた瞬間、神速の矢が後方から撃ち出される。そしてその矢は、確かにウルスの腕に突き刺さった。僅かに吹き出る血を見て、胸がわくっとする。
ああ、待ってたぜ――!
「リーフ様、遅れましたが……トゥイ、助太刀に参りました!」
「良し、その位置から援護してくれ! 俺が守る!」
トゥイの凜とした声が神殿に響き、俺は即座に反応した。矢が通じるとなれば、あの縦横無尽の移動への牽制にもなるはずだ。
「ちっ……そんなもん、ぶち殺せばいいだけだろうがよぅ!」
ウルスは矢の連撃が鬱陶しかったのか、俺を飛び越えてトゥイへ飛びかかる……が、いくらなんでも風以上の速度で動く煙からは逃れられない。
トゥイの目の前でウルスの体は完全に捕らえられてしまった。もがこうがどうしようが相手は煙だ。
「俺の魔香に不可能はねえ。『蔓龍の皮膚』の硬度を持った変幻自在の煙、とくとご堪能あれ」
そして、一方でトゥイは十分に弓を引き絞っていた。それを見てぎょっとする気配が見える背中に、俺が魔剣を片手に飛びかかる。
「な、んで……俺の襲撃にびくともしてねぇんだ……!」
「リーフ様が守ると仰ったのです。ならば、それは絶対なのですよ!」
そう、俺は確かにそう告げた。凄いのは、本当にそれを信じてくれた事だ。
そして、珠を十分に廻して煙を纏った魔剣はウルスの背中を綺麗に斬った。斬れた。毛皮にじわりと血が滲み、ポタポタと滴り落ちる。やはり、そういうことか。
「お前……『災害』の力を速度でコントロールしてたんだな。速く動けば動くほど力が強まる。『天翔る脚』はそういう仕組みだ。だから常に動き回ってたんだ。だけど、こうして捕らえちまえば俺の剣でも通じる程度の力しかまとってねえ」
「……さあなぁ。何の話をしてるのか見当も付かねえぜ」
「とぼけるなんてらくしねえな。まあいい……次の一撃で、全てを決めてやるよ」
俺はそう告げて、一撃必殺の構えを取る。どこからどう見ても隙だらけだ。もちろんそれをウルスが黙って見逃すはずがない。だが、俺は何故か信じていた。
「いっくよー! 『サンダー・ランス』!」
そこに、マリンの魔法が入り込む事を。こいつらはいつだってそうだ。俺が危ない時はいつだって助けてくれる。なら、どうして俺が彼女らを信じない事があるだろうか。
魔族さえ撃ち落とした大魔法を食らったウルスは全身黒焦げになって煙を上げながら地面に転げ落ちた。流石に死角からの雷撃には反応できないか。
俺とウルスの『災害』の違いはそこにもある。俺は俺より固い奴に出会っても取れる手はいくらでもあるが、ウルスは自分より速い攻撃を繰り出されればそれまでだ。
もちろん、『災害』と呼ばれるからにはその速度は誰にも捉えられるはずがない……はずだった。
「光の速度で動いちゃあ、自分の肉体が保たねえもんな。ウルス」
ここで、スキルを複数使える俺と一つの『樹の魂』しか食べてないウルスとの差が出た。俺は俺の防御力を貫通する奴が現れても、『超速再生』があるのだから。
まるでズルだな……まあ、俺だって強くなるためなら手段は選ばない。そこに俺のスキルや仲間だってもちろん含まれているのだ。
「仲間に、『災害』の補助だと……そんな事が、可能だったのか……」
「お前みたいに自分一人が王で頂点って考えも嫌いじゃねえけど……もう少し他人の気持ちを考える余裕があれば、思いついたはずだ」
もう、詰みだ。天空を舞う熊は撃ち落とされた。攻略法も看破され、採れる手など……。
「く、くっくっ……いいぜぇ。この技を使うのは久しぶりだ……『獣神化』ぁ!」
だが、ウルスとて『災害』の持ち主であり国のトップと認められるほどの猛者。そう簡単に諦めたりはしない。
その姿が……俺にはどうしても好ましく思えた。この国の混乱を生み出したのはこいつらなのに。セシリアが泣く羽目になったのはこいつらのせいなのに。
どうか許してくれ。強敵と戦うこの感覚に血がたぎる俺を。
「リーフ様、『獣神化』は獣人族が使う最後の切り札です。己を忘れ本能に身を落とす事になりますが、肉体の性質を最大限に引き上げる……危険な技です」
「……ちっ。もう話せねえのか。まあ、いいや。自棄になったら負けだぜ……後は俺に一撃、任せてくれよ」
白銀の光を放ちながら、みるみるうちに巨大化していくウルスに対して、俺は魔剣に煙を纏わせ珠を廻し続ける。防御を捨て、溜めも必要な特大攻撃……でなきゃ、あの巨体は倒せまい。
――GRYYAAAA――!!
もはやそれは獣の咆吼。正真正銘、獣神となったウルスは脇目も振らず俺に飛びかかってくる。だが、魔香の溜めはもう少し――!
その瞬間、ガキン! と金属がぶつかる音がしてウルスの突進がいなされた。あのパワーを捌ききれる奴なんて……。
土煙と魔香の煙が入り乱れる空間から、ザッと姿を現したのは大剣を振るい終わった赤髪の『剣神』――。
「……よう、お目覚めか?」
「待たせたわね。あいつの迎撃はあたしに任せて。あたしは……あんたを守る、盾になるわ。ただの盾じゃない、近づく敵全てを切り裂く盾に……それが、あんたと共に立つってことだと思うから」
「任せた。次の接近で最後になる……頼りにしてるぜ、メリッサ!」
『盾の剣神』が、今ここに誕生したのだった。
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