第76話

 天井が開けた神殿の中で俺とメリッサは剣を打ち込み合っていた。いつかの訓練とは全く違う。メリッサは本気で俺を殺しに来ているのだから、当然だが。


 二度、三度と剣が振るわれる。それだけで俺はいつの間にか神殿の壁を背負う形になるまで追い込まれてしまった。やはり、剣技じゃ敵わないか……。


「……リーフはいつもそう――心にいるのはトゥイ――頼りにされるのはマリン――」

「んな事……言ったこともなければ思ったこともねえよ! 皆俺の大事な仲間だ! 催眠なんかに呑まれてんじゃねえよ、メリッサ!」


 足でメリッサの大剣を押し返して叫ぶ。だが、依然としてメリッサは大剣を構える。身をかがめて大剣を振り回すように横薙ぎに……俺はそれを今度は『蔓龍の皮膚』を発動させて背で受けた。


 すると、偽聖女がケタケタと笑った。


「お主よ、催眠というものを勘違いしてはおらぬか? 全く別の人格に出来るなら苦労せんわ。対象が心の内に抱えた不満を抉りだし、少しだけ認知を変える。それが催眠じゃよ。つまり、本人に裏切る心が無ければそうはならんのじゃよ」

「ちっ……詭弁だな。人間なんざ色々思うもんだろ。俺だって贅沢の限りを尽くして酒飲み歩いて暴れ倒したいって思いくらいあるさ。だけどそうしねえ。それが人間の理性ってもんだ!」

「ふん。何を言おうが俗物まみれの人間など妾の手にかかれば簡単に転ぶというわけじゃ。ま、『神の力』を持つセシリアを洗脳できていればこんな事しなくても良かったんじゃがな……ウルス、お主は戦う気はないのじゃろう?」


 その言葉を受けたウルスはあぐらをかいて座り、退屈そうに大口を開けて欠伸していた。


「二対一なんざつまらねえ事を俺ぁしねえ。勝った方と戦うぜ。どちらかを殺した後、正気に戻って仇討ちに燃える奴と殺し合いした方が楽しそうだ。横やり入れる気ぃねえから、じっくり仲間同士で殺し合ってくれよ。それはそれで楽しめる」

「全く、お主という奴は……」


 ヒーローが手を出してこないのは助かるが……こいつはこいつで厄介だな。闘争を求めるだけでなく、他人同士の殺し合いも肴にしちまうわけか。


「トゥイもマリンも、得意分野がある――だけど、あたしは必要無い――リーフは、あたしを欲していない――」

「……そうか。そんな気持ちもあったのか」


 だが、嘘で塗り固められるよりは……どれだけ歪んでいても正直な気持ちであることだけが救いだ。


「良いぞ、好きなだけ吐き出しな。お前の素直な気持ちが聞けるなんて、これ以上無い機会だぜ!」

「……あたしは、あんたのライバル――なのに、どんどんどんどんどんどんあんたは先に行ってしまう――」

「いつまでも一緒だよ。俺達は『銀狼』じゃないか。大事なパーティメンバーを置いてなんかいくもんか」

「あたしはあんたの遊び相手になってやるって付いてきただけ――トゥイはあんたが連れ出した――マリンはあんたが欲した――あたしは、あたしは……」


 その合間もメリッサからの剣戟は止まらない。だが、その勢いは明らかに落ちている。俺はパイプを咥えて、魔香に火を点ける。こんな時でもスムーズに吸えるのは喫煙家の登竜門みたいなスキルだな。


 魔剣の珠は煙を吐いて回り出し刃が研ぎ澄まされていく。


「だったら! 今ここで見せてくれよ、お前の力って奴を! お前が捨てられるだあ? そんな事はあり得ないって証明してやるよ。全身全霊の俺の剣でな!」


 俺は『災害』の力を込めた剣でメリッサの大剣を受け止める。それだけで止まる――そんなちんけな刃ではない。


 剣を逸らして暴力の塊のような一撃をいなす。俺が本気を出した事でメリッサも警戒したのだろう、床の大理石を切り裂くほどの斬撃だった。


 そりゃそうだ、こいつはかつてどんな敵も斬れと命じれば斬ってきた人間。『剣神』の名は伊達じゃない。『蔓龍の皮膚』なんて防御特化のものと比べるから余計な劣等感を感じるのだ。


 俺は究極の防御、メリッサは究極の一点攻撃。それでいいんじゃねえのか?


「っ――!」


 そして、返す刃で振られたその斬撃を……俺は『蔓龍の皮膚』の力を使わず受け止めた。


 背骨近くまでえぐり取られるような大剣が鮮血にまみれる。それを見て、僅かにメリッサの目に光が戻った気がした。


「ごほっ……どうした、俺にはまだ『超速再生』があるんだぜ。これしきの傷で倒せるとでも思ったかよ!」


 ダメージも気にせず俺は斬りかかる。メリッサはその剣を弾いて肩口からバッサリと俺の全面を斬りつける。が、その傷もすぐに癒えていく。


「――リーフは、あたしが倒す――嫌、殺したくない――だけど、打ち合いたい――」


 まるで訳の分からない言葉の羅列。だけど、それは誰しもが持ちうる矛盾なのだろうと思う。


「ああ、もっと、もっとだ! ったく、内に秘めるなんざお前らしくねえ。俺達は一番正直に言い合える仲間だったじゃないか。なあ、そう思ってたのは俺だけか……?」


 メリッサの体には傷一つなく、俺の剣はことごとく封じられ、ただひたすらに斬られ続ける。それでも、俺は『蔓龍の皮膚』は使わなかった。今この瞬間だけは使ってはならないと感じていた。


「あたしは……あたしは、いつの間にか、あんたと真正面からケンカするんじゃなくて、隣に立ちたいと思っていた――」


 メリッサの声が震えている。洗脳が解けかけてるか……? そうだよ、他人を切り裂くのがメリッサの本音なわけがない。その瞬間。


「もっと狂え、小娘め……」


 先ほどとは比べものにならないほどの洗脳魔法が偽聖女から繰り出される。俺でさえ意識が落ちそうになるってのに……これ以上メリッサの洗脳が深まってしまえば……!


「あたしは――!」

「……ああ、聞かせてくれよ。お前の話を」


 平たい、だけど鋭い大剣が俺の腹を突き抜く。いくら『超速再生』するったって、痛いことに変わりはないんだけどな……。


 だけど、ようやく間合いを縮められた。俺はメリッサの小さな体を抱きしめる。ズブスブとさらに大剣が突き刺さっていくが、構わない。


「……ごめん、リーフ……あたしは、あんたの事が……いつの間にか……好きになってた……」

「お前の心の痛みに比べりゃあ……こんなもん、どうってことねえよ。俺が不甲斐ないせいで……辛い思いをさせてたんだな」

「あたしは……あたしには、剣しか無かったの。あんたに与えられるものは、他に何も……あんな魔法に惑わされて、あんたを痛めつけて……もう、『銀狼』には――」

「お前がいないと、俺は最強になれねえ。だから、必ず戻ってこい。もうお前を子供に見たりしねえ……酒でも飲みながら、じっくり語り合おうぜ」


 ドサリと、メリッサの体が崩れ落ちる。洗脳魔法を自分で解いた反動だろう。返り血と涙にまみれた顔を拭ってやるが、それ以上に俺の血を付けてしまった。


 拭っても拭っても、血の香りが大きくなるばかりだ。


「何が何も与えてやれねえだよ……俺の方だっての。俺はいつだって、お前らの支えられて生きてきたんだぜ」


 ゆらりと立ち上がり、大きくパイプから魔香を吸い込み……煙を吐き出して『道』を作った。


「『森羅万象』……煙道」


 そのまま俺は煙の流れと共に高速移動し、偽聖女に『災害』の力を込めて魔剣を振るった。


「よくもまあ、うちの大事な仲間を好き勝手に扱ってくれたな……お前はやっちゃいけねえ事をした。その報いは受けてもらうぜ」

「ぐぅっ……な、何じゃこの傷は……治らん、治らんぞ!」

「お前がその血まみれになった聖女の椅子に座るために使った力だ。卑怯と言ってくれるなよ?」


 そして……と俺はいつの間にか高く飛んでいたウルスを睨み付ける。いつものような飄々とした態度はどこへやら、その瞳には戦意だけが満ちていた。


「ハンディキャップはこれくらいで十分か? 男なら真正面から殺し合おうぜ、なあ。ひーロー」

「ああ……そうだな。そこの狐の粗相は殺した後で詫びよう。だが、だが……もう抑えきれん! その再生速度、防御力、俺の全力をぶつけても問題なさそうだ! さあ、殺し合おうぜ。喜べよ、テメエが止めたがってた戦争は八割方潰れつつあるぜ。そのラストを飾るのはこの俺、『天翔る脚』のウルスだ!」

「俺は『銀狼』のリーフだ。安心しろよ、殺しまではしねえさ。これまでの悪事を吐いてもらわなきゃなんねえからな」


 羽を散らしながら飛び込んできたウルスと、俺の刃が入り乱れる――その瞬間、最終決戦は始まったのだった。


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