第12話

 そして、デミの酒場に入って数分で俺は最悪の事態に陥っていた。俺がこの帝都で唯一心を許せる場所であるそこには、金髪を短く刈り込んだ筋肉質な体をした俺と同い年の青年を中心としたパーティが居座っていたのだ。


妙に色っぽい女や屈強な男達、合わせて五人のディアナギルドにおける最強ランクのパーティ『金獅子』を前に他の客は萎縮してしまっているようだ。


 そのリーダー、ビクターが嫌みたらしい声音で話しかけてくる。


「よう、リーフ。樹海で逃げ回る旅ごっこは終わったらしいな。ったく、どこに逃げたかと思えば、こんなしみったれた酒場を巣にしてたとはなあ。なあ、困るんだよなあ。テメエに帝都に居られるとよ。クソ雑魚に冒険者を名乗られちゃ、オレの格まで落ちる……イラつくんだよ」


 嫌味な顔つきをして俺を見下す様はいつまでも変わらない。こいつとも、もう二十年近くの付き合いか。腐れ縁というにはあまりに不愉快過ぎる関係だが。


「……別に俺がどこに帰ってこようが勝手だろうが」

「いいやぁ……その口調が気に入らねえ。このオレにタメ口使うような人間、もうディアナギルドにゃテメエくらいしかいねえんだよ。何だぁ? 故郷が同じな程度でオレと対等なつもりか? 方や将来が約束された『覇王』と、方や何をやってもダメな『無能』が同じ目線に立つんじゃねえぞ……潰すぞ」


 その圧は、悔しいが本物だ。今やビクターは数多の修羅場を余裕な顔してくぐり抜けてきた紛うことなき猛者なのだ。


 改めて帝都における俺の現状を説明しておくと、簡単な依頼一つを受ける際でも大っぴらにパーティを組めないようになっている。というのも……。


 その原因は、帝都で最強に至ると云われている『覇王』のビクターという男の存在にある。ビクターは俺の幼なじみで、二歳やそこらの頃は仲が良かった記憶があるが、幼い頃にビクターが偶然食べた『樹の魂』で、広大な樹海において歴代最強クラスと謳われる『覇王』というスキルを手にしてしまった。


 それからは何をするにも誰もがビクターを褒め称えた。それで増長してしまったビクターは数々の高難易度クエストを達成していき、最年少で最高ランク、白金級にまで上り詰めてしまったのだ。


 そして、ことあるごとに同じ環境で育った俺を引き合いに出すようになり、帝都には『無能』のリーフ、という不名誉な二つ名が広がってしまったのだ。それに加え、『覇王』に蔑視されている人間をパーティに迎えようなんて冒険者はそう居ない。


 おまけに俺を完全に見放しているディアナギルドの担当受付は、『金獅子』の支持者だ。ビクターの言う事を真に受けて銅級のクエストさえまともに回してくれないのだから、見返しようがない。


 これが、帝都で俺がぼっちになってしまった理由だ。そして、俺にとってビクターが天敵になってしまった所以でもある。今でもこいつには苦手意識を抱えていて……情けない事に、俺は口答えさえ出来ないでいる。


 その時、パン! と渇いた肉を打つ音が聞こえた。それはそう、まるで頬を打ったような……と思い、顔を上げる――いつの間にか俯いてしまっていた事にさえ、今気付いた。


「これ以上リーフ様を悪く言うのは許しません! 貴方達がどこの誰かは知りませんが……貴方なんかより、リーフ様はもっと立派な冒険者様です!」


 まさか。という思いだった。トゥイは……フードを被ったまま、あろうことか『金獅子』のリーダー、ビクターの頬を張ったのだ。周囲はどよめき、場の空気は凍り付いた。


 その当人……ビクターはひどく冷めた顔をしていた。そして、ガタリと席を立つと興が削がれたとばかりにスタスタと酒場の出口へ向かう。


「ウィレン、その女とクソ雑魚、殺しとけ。俺がわざわざ手を下すまでもねーわ。雑魚を相手にしてたんじゃ俺の格が落ちる」

「はっ。ビクター様のお心のままに」


 ウィレン。さすがに白金級のパーティメンバーともなると俺もよく知っている。素手で山を割ったという逸話さえある……通称、『怪力』のウィレン。鋼のような肉体をした彼は『金獅子』で最前線で働く盾役だ。


「じゃあな、クソ雑魚。もう会うこともねーか」


 そう言い残し、ビクター達は去って行った。そして、残るのは『怪力』のウィレン。対峙するのは体積で言って三分の一程度しかないウッドエルフの少女だった。


「ビクター様に刃向かった事を悔いながら死ぬといい」

「リーフ様は弱くなんかありません……彼は、『災害』をたった一人で討伐した男なんですから!」

「はっ、この段まで来て世迷い言を……くっくっく、愚かだな。小娘」


 全く……勝手な事ばっか言いやがって。トゥイだって怖かったはずだ。だけど、怯まずに手を上げたのだ。全ては俺の名誉のために。


 ったく、何をビビってる。今はそんな場合じゃないだろ。彼女の信頼を裏切れば、俺は本当に最低な人間になってしまう所だった。


 やはり、トゥイはいつだって俺を導いてくれる存在なのだ。だったら……無くすわけにはいかないな。この後に起きるであろう騒動を考えるとまた頭が痛くなるが……まあ、いいか。


「ひと思いに一撃で仕留めてやろう――!」


 そして、その腕力で振り回される大槌を俺は……構えることすらなく腹で受け止めた。だが、『蔓龍の皮膚』を貫通するほどの攻撃力は無かった。いくら力があろうと、所詮は盾役ということか。


 場には痛いほどの沈黙。そして、途端に狼狽えるウィレン。この攻撃の失敗が何を意味するか、そこに考え至ったのだろう。


「うちの地図師に攻撃した事を悔いろよ。ウィレン」


 もう出し惜しみなんかしない。もう二度とビクターに圧倒されたりなんかしない。俺には大した気概はないが……俺を信じてくれる仲間の期待にくらい、応えたいのだ。


「ぬぅ……手加減し過ぎたか? ならば、粉々にしてくれる……!」


 再び降りかかるその渾身の一撃を……俺は、右手一本で受け止めた。そして、どうやら大槌自体が反発したダメージに耐えきれなくなったようで木っ端みじんに吹き飛んだ。そして、その攻撃の衝撃は全てウィレンに送られる。


 やがてウィレンは目を白黒させて倒れ込もうとしていた。その隙を逃さず俺はその巨体に飛び上がるようにして床を蹴った。


「ば、かな……宝具『ミュレンの槌』だぞ……!?」


 そりゃ、お前の『怪力』が凄まじいんだよ。俺の体は衝撃吸収であり高反発の極地みたいなものだ。与えられたダメージがデカけりゃ、空を舞う龍だって地を這う事態になるほどの。


「そうかい。ビクターの野郎に言っておきな。今度俺の仲間を傷つけたら、容赦しねえってな」


 そして拳を構え、『筋力増加』を発動させてウィレンの頬を殴りつけた。あの悪魔の時以上の手応えを感じて……事は、一瞬で方付いた。


 最底辺の『銅級』が、ただの殴打で……白金級の『怪力』を打ちのめしたのだ。そのジャイアントキリングに……その場に居た全員が信じられないような顔をしていた。


 俺はようやく落ち着けたとばかりに、まだハーブの残るパイプに口づけた。ふー、とその味に背中を押してもらい、改めて詫びた。


「悪い、皆。女将さん。今度から、『金獅子』の連中がまた水を差しに来るかもしれねえ。プライドだけは大層なもんだからな。あいつら」


 俺のその言葉を受けても、ただ一人動けたのは、デミの酒場の店主……女将さんだけだった。彼女はウィレンの巨体を店の外に投げ出して、俺を見て笑みを浮かべながら、ふんと息を吐いた。


「ったく。うちの店で騒ぎを起こしたらどうなるかくらい知っておけってんだ。なあに、心配ないよ。あいつらは正式に出禁だ。もう二度と店にゃ入れやしない。奴も見下してたあんたにやられたなんて言えないだろうし、私が追い出したことにしておくよ」

「悪いな、女将さん。俺のせいで騒ぎにしちまって……」

「全くだよ。よりによって人手が少ない今日にケンカしやがって……この落とし前、どうつけるつもりだい?」


 その問いに、俺は先ほどメリッサにもらった金貨を差し出して、声を大にして告げた。


「皆、酒の席で無粋な真似しちまって悪かった! お詫びに今日の飲み食い代、全部俺が引き受けた! 好きなだけ飲め!」

「……お、おおお! すげえ、『金獅子』の盾を一撃で伸しやがった! これがあのリーフかよ! ああ、よく帰ってきた!」

「さっきの騒動の事も、今回の旅の話も肴にしてくれ。朝までまだ時間はある。ゆっくりたっぷりと旧交を温めよう。安心してくれ、今日は何杯でも付き合うぜ!」


 その声で、先ほどまでの冷たい空気は酔っ払い達の熱気によって平穏を取り戻そうとしていた。俺のよく知る、デミの酒場そのものだ。客層は種族もバラバラ。だが、全員でただ酒を楽しむという目的に集っただけの連中。だが、その距離感が俺には心地よかったのだ。


 さて、思わぬ邪魔が入ったが、これでようやく酒が飲める……っと、その前に。


 俺はフードを被ったままのトゥイの頭を撫でようとして……何だか小っ恥ずかしくなってぐしゃぐしゃと髪を乱した。


「わっ、わっ……り、リーフ様?」

「ありがとう。俺のために立ち上がってくれて。また俺はダメになる所だったよ。トゥイが動いてくれたから、俺も動けた。本当に助かったよ」

「……いいえ、貴方の従者として当たり前の事をしたまでですよ。そんなに褒めないでください。嬉しくなっちゃうじゃないですか」


 そうして、デミの酒場での宴会は始まった。そうなってしまえば、後はもう飲めや歌えやの大騒ぎだ。 

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