第9話

 それから二週間。成り行きのままに一緒に行動するようになったメリッサという剣士とトゥイが薬の材料を集めてきて俺は調合に専念するという日々が続いた。


 まだメリッサとはよく話していないが、何やらトゥイと二人で仲良さそうに夜中まで話し込んだりしていたので、邪魔はしないようにしていた。


 元々俺は樹海を歩くという危険な行為に伴うトゥイの護衛も兼ねていたのだが……先日、簡易的な試験でメリッサが俺の皮膚に傷を付けた事で二人だけで出歩く許可を与えた。まあ、そんなものなくても二人とも躊躇いも無く樹海の中へ入っていっただろうけど。


「うんうん、調合はもう慣れたみたいだね」


 調合の師匠である薬師のサリンは俺の作った薬を見て満足げに頷いた。


「この調合書の通りにやっただけだよ。原材料から調合に使う量まで細かく書いてるんだから、できなきゃ馬鹿だろ」

「はは、そりゃそうだ。難しいのは最初だけ……それでも、その最初を乗り越えられず薬師の道を諦める奴は多いんだよ。特に、ウッドエルフの調合は余所とは大きく違うからねえ。知識のある奴ほど諦めやすい」


 それ、言外に俺が世間知らずと言ってないか? そんな恨めしげな視線が伝わったのか、サリンはまた笑って話を続けた。


「要は、あんたが特別伸びしろがあったって話だよ。ま、これだけ出来れば後は自分で勉強していけるだろう。ウッドエルフが数千年かけて集めた知識が詰まった調合書だ。ありがたくもらっていきな。極意までたどり着けたら、万能薬と猛毒を作れるようになってるさ」

「それは……有り難いけど、本当にいいのか? 大事なものなんじゃ……俺はこれ以上ウッドエルフに迷惑をかけるつもりは無いぞ?」

「迷惑だなんてとんでもない! あんたは確かにアタシらの恩人だよ。いいんだよ、こうすることで一瞬でもあんたを見捨てかけたアタシらの罪悪感は薄れるんだからさ。アタシらのためにも、もらってやってくれ。別にその一冊しか無いわけじゃないしねえ」


 そういう話なら……と話がまとまった所で、トゥイ達が帰ってきたようだ。


「リーフ様、調達してきましたよ。リベンジ草にヨミガエリの葉にエムノ樹の葉と……」

「あたしはとにかくヤバそうなの集めてきたよ。まだよく分かってないけど、これ食べればあんたは元気出るんでしょ?」


 俺は二人に礼を言いつつ、原材料を箱に詰めて晩飯にしよう、と一緒に食堂まで歩いた。


「さて……これからどうするかなあ」


 それは、ここ最近思うようになった事だ。いくら俺がウッドエルフ達に感謝されているとはいえ、本来なら部外者は立ち入らずの種族の里にいつまでも居座るのは良くないだろう。


 だというのに、俺が助けたことでメリッサという新たな部外者も迎えてしまっている。これ以上はウッドエルフの面目が立たないだろうという話だ。


「リーフ様、余計な気は回さなくてもいいのですよ? 長老だっていつまで居てもいいっておっしゃっているんです」

「いいや、俺はウッドエルフの文化を壊す気はないよ。規律ってのは一度でも例外を許したら後は崩れていくだけだ。ここらが離れ時だよ」

「そんな……」


 それはある意味でトゥイとの決別宣言だった。だから、しっかり目を見て告げた。トゥイが何を思ったのかは分からないが、彼女は頷いてくれた。


「それで……メリッサちゃんは?」

「ちゃんはいらないわ。メリッサと呼んで。あたしは何と言われようとも、あんたに付いていくわよ」


 串焼きを何本も頬張りながら言うメリッサに、また俺は困惑する。たかが魔物一匹から守ってやっただけなのに、一生モノの恩義のように言われると、重いものがある。


「ダメ、かしら。正直、この樹海を一人で歩けるとは思ってないの。だから、頼れるのがリーフしかいないのよ」

「ううん、そう言われると……まあ、いっか。旅路は賑やかなくらいがちょうどいい。そもそも俺は一人でここまで来たけど、それって他の冒険者に見捨てられてたからだしな。仲間になりたいと言われて悪い気もしない」


 むしろ、大変気分が良かった。強敵を倒した後の一杯に付き合ってくれる奴が増えたと思えば胸も踊るというものだ。


 しかし、メリッサという名前には聞き覚えがある……が、こんなにか弱い少女の知り合いはいない。どこで聞いたんだったか……幼なじみのアイツに他の冒険者との縁を絶たれてから帝都の情報には疎いから、仕方ないか。


「あの時にも少し聞いたけど……メリッサは帝都から来たんだろ? 俺の巣も帝都でね。ちょうど良いし、久しぶりに顔を出そうかと思ってるんだよ。知ってる道だし、地図師無しでも大丈夫だろ」

「? 何言ってるの、リーフ。地図師ならここにいるじゃない」


 そう言ってメリッサが指さしたのは、人形のように整った顔に似合わない寂しげな表情を浮かべていたトゥイだった。指された本人も、「えっ?」と驚愕の声を漏らしていた。


「トゥイほど樹海を知ってる奴なんか居ないでしょ。居たとしても、付いてきてくれそうなのはトゥイだけよ。トゥイだって毎晩のようにリーフと一緒に行きたいって――」

「わー、わーわー! ひ、秘密にしてって言ったじゃないですか! メリッサ、ひどいです!」

「でも、そんなに思ってるならここで離ればなれなんて馬鹿らしいじゃん。二人の間に何があったかは知らないけど……この広い樹海で別れたら次いつ会えるか分からないわよ。それでトゥイはいいの?」


 メリッサも俺も、数秒トゥイの返事を待った。だが、それが間違いだったことに俺は気がついた。こういう時、誘うなら男からだろう。傲慢かもしれないが、リーダーとなる俺の役目だ。


「でも、私なんか付いていっても何のお役にも――」

「いいや、もらっていく。トゥイがいいなら、最後に里の禁忌を破ってでも連れ出してやる。俺はまだ、どの葉が何なのか分からない。『ハーブマスター』としても助かるし……この先樹海を歩いて行く俺には、お前が必要なんだ。あの日、俺を信じてくれたお前が」


 実際、俺はここに来てからいつもトゥイに導かれてきた。パーティを導く誰かが必要なら、トゥイが良い。その気持ちは、きっとこの先も変わらない。


「……私も、出来る事ならそうしたいです。でも、私にはウッドエルフの里を守る使命が――」

「話は聞かせてもらったぞい。リーフ殿、そういう話なら……トゥイを連れていくがよろしいじゃろう」


 ぬっ、と現れたのは長老だった。いつも神出鬼没だが、もしかして里で一番暇なんだろうか。


「長老、また盗み聞きですか……?」

「まあまあ、良いではないか。聞けば、リーフ殿は世界樹を目指しているとか。それは、トゥイにとっても夢だったはずではないか? この世の全ての植物を知りたい。そう何度も語っていたではないか。リーフ殿になら、儂らも安心してお主を任せる事ができるわい」

「そんな勝手が……許されるのですか?」

「わはは、何を言う。元よりお主は、伝統だとかを嫌っていただろう。古い規律も時には悪になる。それに、これは追放ではない。世界樹を見てくるまで、という期限付きの遠征じゃ。なに、ウッドエルフの寿命は長い。またいつの日にか、再会できることじゃろうて」


 そして長老は、最後にトゥイの頭を撫でて話を締める。トゥイはいつの間にか俯き、ポロポロと涙を零していた。


「そもそも、最初の条件通りじゃよ。リーフ殿に与えるはずだった調合の極意はウッドエルフの監修が無ければ厳しい。全てを伝えると言った以上、約束は履行せねばならん。そして……この里で一番外に出たがっていたのがお主だと言うことくらい、皆知っておる。じゃから……もう、自分の思うとおりに動けば良い」


 その言葉に、トゥイはずずっと鼻をすすって顔を上げ、長老に向かって口を開いた。実の所、俺はてっきりトゥイは里の事があまり好きではないのかと思っていた。だが、そうではなかった事を思い知ることになる。


「おじいちゃん……私、外に出たい。広い世界で、色んな事を知りたい。世界樹を目指す旅に、一緒に行きたい。だから……私、行くよ」

「……ああ。行ってこい。お主はいつまで経ってもウッドエルフの子じゃ。それを忘れるでないぞ。何、また近く合う日も来るじゃろうよ」


 俺は何も言えなかった。とても事情の知らない俺が口を挟める雰囲気ではなかったからだ。ただメリッサは泣きじゃくるトゥイを抱きしめていた。


「さあ、恩人の旅出だ。今夜は盛大な宴を開こう。そのくらいは付き合ってもらうぞい、リーフ殿」

「ああ……里中の酒を持ってこいよ。全部飲み尽くしてやるからさ」

「わっはっは。そりゃあ結構じゃ」


 その日、ウッドエルフの里は中央に焚かれた大きな焚き火を囲って、飯を食い酒を飲み踊り明かした。その輪の中心に居るのは有り難いことにこの俺で、少し離れた場所でトゥイが別れを告げては乾杯してウッドエルフと抱き合っていた。


 ああ、本当に……良い里に転がり込めたものだ。そう思いながら、俺はいつまでもその宴の光景を目に焼き付けておくように眺めていた。


 そして、明日から……俺達は、帝都に向かうことになるのだった。

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