第8話

 メリッサ・バロナーグは稀代の女剣士だった。齢六つにして大剣の宝具『リバンステイン』を扱い、倒木を真っ二つにした話は帝都の誰もが耳にした所だ。


 帝都中の冒険者が彼女が成長した暁には自分のパーティに、と言っていたらしいが、彼女はそもそもが冒険者になるつもりは無く、ただ剣の道を突き進もうとしていた。


 そして、赤い髪を振り乱し血化粧を浴びてなお笑みを浮かべて大剣を振るう様から、『紅姫』の異名を持つまでに至った。さらに十年後、ついにメリッサは『樹の魂』と巡り会う。父親が持ってきたその『樹の魂』を食べると、彼女には『剣神』のスキルが授けられた。


 周囲はこれでこそ名門バロナーグ家の子女だと大いに持て囃した。もはや、帝都ではメリッサとまともに目を合わせる者すら少なくなっていき、強くなるにつれてメリッサは孤独になっていった。


 そう。その瞬間、メリッサは思ったのだ。そんな称号を受け取って、自分はただの試合しかしたことがない。そして、闘技場ではもう負け知らずだ。ならば一体、何のために剣の腕を上げているのか……分からなくなってしまったのだ。


 武術を競わせるために人死には必要ない。それは当然の話だ。数多の武術大会で優勝し、メリッサは自分こそが最強の剣士である事を疑わなかった。


 そんなある日、父はメリッサに告げた。世界を知るには、やはり冒険者になるべきだ、と。最初は乗り気じゃなかったものの、「このままでは井の中の蛙になってしまう」という言葉が反抗期だったメリッサの精神を逆撫でした。


 そして、メリッサはウルドギルドに所属し、旅に出た。メリッサの理想は高く、広大な樹海を導いてくれる『地図師』を求めてウッドエルフの里を探しに出たのだ。勝手に護衛気取りの銀級冒険者が三人付いてきたが、邪魔をしないなら、と許した。


 しかし、やはり襲いかかってくる魔物は剣の錆びにもならないような雑魚ばかり。


「ふん。何が井の中の蛙よ。お父様も大げさね。あたしの敵なんか居ないじゃない」


 だが、いよいよウッドエルフの目撃証言があった辺りにたどり着いた時、悪魔と出会った。


 初狩りの悪魔ザ・キラーの名は冒険者になりたてのメリッサでも知っていた。だが、所詮脅威度はCランク。まさに初心者狩りの生物でしかないのだ。


 実際、自分達を狙ってきた悪魔を何体も討伐してきた。バッグに入っている悪魔の牙の数がメリッサの強さを裏付けていた。


 しかし、今回出会った悪魔は話が違った。通常より四倍はある体躯に、皮下に収まりきらないほどの筋繊維。食らった人間の数だけ成長すると云われる牙はメリッサの持つ牙の十倍はあった。


 そして、悪魔は一瞬の間に三人の銀級冒険者をバラバラにしたのだ。怯え、当惑、混乱……様々な感情が、メリッサを動けなくしていた。


「誰か、誰か居ないの!? 仲間が皆……!」


 そうして、童のように叫ぶことしか出来なかった。そして、確かに自分は蛙だった事を思い知らされた。世界にはこんな化物が蔓延っているのだと、痛感した。


 それはそうだ。今まで出てきた大会は全て年少の部。扱ってきたのは互いに刃を潰した訓練用の剣。魔物退治だって、宝具の切れ味に助けられてきた。そんなものが『剣神』など、笑わせる。本物の戦を、彼女は知らなかったのだ。


 だが、その化物がさらなる化物に吹き飛ばされた。その瞬間、メリッサはいよいよ死を覚悟した。


 だが、彼女の元に現れたのは、美白の肌に漆黒の髪の優しい笑みをした冒険者だった。装備からして銅級以下の、いかにも頼りない印象を受ける……それが、リーフだった。


「後は任せてくれよ。あの三人の事は残念だった。でも、必ず君を助ける」


 彼はそう言った。見ず知らずの自分のために、アレと戦うと言ってくれたのだ。その言葉に縋るしかないメリッサは、思わず涙を流していた。


 仲間が三人死んだことよりも、自分の命が助かることに安堵して涙が止まらなくなってしまったのだ。


「あ、あたしは……助かるのっ……?」

「約束するよ」


 そうして彼は走り去ってしまった。その背を見ながら……メリッサは自分の心の弱さが情けなくて悔しくてたまらなかった。


 たとえ数分でも、黙って閉じこもっている事に耐えられず、ようやく立てるだけの気力を取り戻したメリッサは怪我が無いか診てくれていたウッドエルフの少女に、こう告げた。


「……追うわ。あれは一人の力じゃどうしようもないもの。あいつがまだ生きてるなら、背中から斬るくらいの事はできるはず。これ以上、あたしのせいで人が死ぬのは嫌よ……!」


 この切り替えの速さに、メリッサの強者たる所以が垣間見える。涙を拭い去り、意志の強い瞳に戻ったメリッサを見て、トゥイもこれなら大丈夫だろう、と彼女と共に立ち上がった。


「いかにリーフ様といえど、確かに悪魔相手では不安です。ですが……無茶な横やりは入れないと約束してください。あの悪魔は弱い者から狙ってきます。リーフ様の戦いの邪魔はさせませんよ?」


 その言葉に、またメリッサの負けん気の強さが発揮される。悪魔は弱い者からいたぶる。それは常識だ。だからこそ、四人のパーティでメリッサだけが初撃を逃れたのだ。


 しかし今度は、あの頼りなさそうな男の方が圧倒的に格上だと、トゥイは口にしたのだ。メリッサとて、今は自分の程度を知ったとはいえ十年近く最強と呼ばれ続けてきたのだ。そんな気遣いは、無礼に他ならなかった。


 どうせ苦戦しているのだろうし、借りを返すためにも自分が討伐してやろう……そんな腹づもりでリーフが居た場所までたどり着いた。


 しかして、そこにあったのは完全に破壊され尽くした悪魔の姿と、その返り血をたっぷりと浴びて何かに驚愕したような、絶望したような瞳をしたリーフだった。


「流石リーフ様……いらない心配でしたか」

「あいつが、一人で……無傷で、勝ったっての?」

「見れば分かりませんか? あの方はたった一人で『災害』を討伐した男ですよ」


 いよいよ、メリッサは笑えてきた。世界は広い。『災害』といえば、現れるだけで国が一つ滅ぶと云われているほどの存在だ。だが……不思議と、それを疑う気持ちは湧いてこなかった。


 湧いてきたのは、同情の念だった。


「分かるわ。自分が一番上だと確信したら……次に何をしていいか、分からなくなったんでしょ。でも、安心しなさい。必ずこの恩は返すから。いつか私が本物の『剣神』になった時……あんたの遊び相手になってあげる。だから、待ってなさい。恩人、リーフ――」


 これを以てして、対悪魔戦は終了した。リーフは自分が確かに『災害』になってしまったらしい事を自覚し、トゥイは改めてとある決意を固め、メリッサは新たに出来た追うべき背中を見つけた。


 それがどんな結末を生むかは、きっと神にだって分からないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る