第2話

 『樹の魂』というものがこの世界にはある。それは叡智の果実、万能の実、神の食物……様々な名前で呼ばれる事があるが、全てに共通しているのは、『一生に一つだけ食べることが出来て、人智を越えた力を授ける』というものだった。


 そして、最底辺の冒険者には分不相応な樹海の奥地までやってきて俺、リーフは『樹の魂』までたどり着いたのだった。だが……。


「よくぞ、この『樹の魂』にたどり着きましたね。冒険者様」


 『樹の魂』を手に取り考え込んでいると、ふと頭上から清涼な声が降りかかってきた。それと同時に、灰色の影がふわりと俺の背後に着地する。が、角度を間違えたのかころんと前転して俺の足下に這いつくばるような様になる。


 数秒の、気まずい沈黙。


「……よく、たどり着きました。私は森の番人。ウッドエルフの一族です」

「いやいや、無理がある。流石にそれは無かった事にならないだろ。今もっかい自分の姿を思い返してみな?」

「そう、ウッドエルフには『樹の魂』を誰かが口にするまで守る規律があるのです。万が一魔獣に食べられてしまっては危険ですからね。ついでに、貴方が得るスキルを鑑定させていただきます。今後の資料になりますから」


 すげー、どんなプライドしてるんだろう。絶対に認めない気だ。まあ、何でもいいか……。


 少女が立ち上がって木の葉を払っているのを見守っていると、確かに彼女が森の番人と名高いウッドエルフの一族だと分かった。耳は長く伸び、褐色の肌の内にある筋肉は鍛え抜かれている。


 おまけに、銀色の前髪を覗かせる額に水晶石のようなものが埋め込まれている。一説によると、ウッドエルフはその宝玉によって樹海の声を聞くらしい。


「これが、『樹の魂』であってるのか?」

「その通りです。いいから、さっさと食してください。私もいい加減この任務から離れたいんです」

「おまけにすげー素直……ま、あのウッドエルフ様の言うことなら間違いはないか」


 まあ、確証が取れたのは有り難いことだ。素直にいただこう。さてさて、どんなスキルが身に付くやら……。


「鑑定します……はい、貴方が得たスキルは、『ハーブマスター』ですね」


 すると、体に何の変化も感じられず、告げられたのは聞いて事も無いようなスキルだった。一瞬ぽかーんとしてしまう。


「……聞いたこともないな。旅の最中では『剣聖』だとか『火炎の魔女』とか、分かりやすいスキルというか力を聞いたけど」

「そんなもの、本当に一握りの奇跡ですよ。大抵は使い道も限られたものばかりです」

「ふうん。それで、その効果は?」


 それを聞くと、少女は初めて笑みを浮かべた。それも、嘲笑うような失笑だったけれど。


「植物なら何を食べても大丈夫になったようですね。どんな草葉や果実、キノコの毒性にも耐えきれる抗体が出来たはずです」

「ふんふん、それで?」

「それだけですね。良かったじゃないですか、樹海にいる限りは食事に困りませんよ?」


 ……。再び気まずい沈黙。しかしそれは、すぐに目の前の少女が発した笑い声によってかき消されてしまう。


「あははっ。人生でたった一度の進化で得られたのがそんなものとは、哀れなものですね。ここまでの長い旅路、お疲れ様でした」

「おいおい、勝手に俺の冒険を終わらせるな! 別に良いだろ、毒が効かないってのはあれだ。いつか森貴族にでもなった時に毒殺される心配が無くなるんだから」

「あら、そんなご予定がおありで?」

「これからそうするんだよ、くそっ……じゃあ、例えばこいつも食えるのかよ?」


 俺はその辺に生えていた顔ほどの大きさもある葉をちぎって口に詰め込んだ。草独特のもしゃもしゃ感と共に味が口内に広がり――


「まずっ!? 不味いぞ、これ! 何が何でも食えるだよ、ふざけんな! せめて美味しく食えたらグルメの旅にでも行けたってのに!」

「ふふ、ふふふっ……残念ですね。いえ、それでもその草は数滴の毒素で飛竜さえ麻痺させるほどのものだったんですよ? それを葉一枚口にして無事で居られる事が、スキルの恩恵です」


 いや、実験するにしてもそんなヤバい葉っぱなら止めてくれよ。もし俺のスキルを貫通してきたらどうするつもりだった……ああ、そうか。ウッドエルフは森の事なら熟知していて鑑定にも絶対の自信があったから見て笑ってたのか。


「ちっ……まあいいよ。『樹の魂』の力が無くたって世界樹は目指せるからな」


 俺はそうぼやきながら、懐からハーブの香りを楽しむためのパイプを取り出した。湾曲した吸い口に乾燥させた葉を入れるための小さな入れ物。これを吸えば、僅かにだが魔力や体力が回復し、集中力も増すと良いこと尽くめなのだ。


「あら、『魔香』ですか。それも持ち歩き型のパイプ……珍しいモノをお持ちですね」

「ああ。父が唯一遺していった俺にとって一番の宝だ。魔香でのヒーリングは冒険の基本だからな。助かってるよ」


 魔香とは、通称『吸うハーブ』と呼ばれるもの。通常ならばハーブから有効な成分を取りだし蒸気として部屋に満たし、一時的に体力を回復したり、直後の訓練の集中力を上げるために広く使われるものだ。


 それほど汎用性が高い魔香を、だが俺は昔憧れたとある光景に影響されて、このパイプでしか吸収しないと決めているのだった。


「しかし、あれは魔香炉があって初めて使えるものなはずでしたが……」

「ああ。だから葉を入れれば、その行程を全部一つでやってくれる持ち歩き型のパイプは貴重なんだ。ただの冒険者が持てるモノじゃないぞ。貴族の持ち物だ。どうだ、見直したか?」

「ええ、それはもう。お父様はすごい方だったのですね」


 殺すとは言わない。ただ一度だけ全力のデコピンを食らわしてやりたい。今俺の中にある感情はそれだけだった。


 そういえば……通常魔香では決められた葉しか使わないけど、毒が効かなくなったらしい俺なら、新たなる魔香を生み出せるんじゃないのだろうか。


 そう思い、先ほどちぎったばかりの龍さえ麻痺させるという葉を小さく刻んでパイプの中に入れてみた。


「プチファイア」

「あら。魔法が使えるのですか? 剣を持っているから剣士だと思っていました」

「魔香を浴びるにも色々やり方はあるけど、俺はこれが一番好きなんだよ。血反吐を吐く思いで習得したんだ」

「……本当に期待を裏切らない人ですね。そこまでしたなら中級魔法程度まで学んでおけばいいでしょうに」

「何を言ってる? 火種ならプチファイアで十分だろ」


 何がおかしいのか、俺の言葉を聞いて少女はやれやれと首を左右に振る。まあ、今はこっちの方が大事だ。蒸気が仕上がったタイミングで、俺は恐る恐るパイプを口に咥える。


 端的に言うと、この上なく美味かった。喉を通るハーブの香り、そして最上級の料理でも味わえないだろう深い旨味。それが血管を通るように全身を巡る。こんな幸せな気持ち……二十年以上生きてきて、初めてだ。


 ――『龍の加護』を習得しました。


 その瞬間、妙な声が脳内に響いた。加熱すると性質が変わるタイプの草だったか? まあ、毒が効かないと分かってるならなんてことはないが。


 第一、少しくらい毒があった方が何でも美味いのだから。


「どうかしましたか?」

「いや、何だか妙な声が……」

「あら、ついに幻聴を――待ってください。この声は、まさか……!?」


 聞こえたのか、と問う間も無く今度は俺の体を揺らすほど大きく、近くで何者かの咆吼が聞こえた。揺れる頭を押さえつけながら目をやると、そこには細長い植物で模られたような大型の魔物の姿があった。


「あれは、『災害』……本物の龍です! 私や貴方が敵う相手ではありません。いえ、一国の軍隊丸ごと相手でも……とにかく、逃げましょう!」

「そうだな。君は逃げるといい」

「ええ、こちらへ……って、何ですって?」

「冒険者の鉄則、その一! 可愛い女の子が背後にいるなら逃げるな、だ」


 もちろん、今作った。が……あいつの移動速度は尋常じゃない。声の近づき方からして、遥か上空からここまで一瞬で舞い降りたのだろう。そんな強靱な翼を持っている相手に足で逃げても無駄だ。だからといって、二人揃って死ぬことはない。


「ここは俺が食い止める。数秒くらいは保たせてみせるから、逃げて里の連中にも知らせてやってくれ。ウッドエルフは貴重な人材、俺はただの冒険者。後は分かるな?」

「でもっ――」


 その時、今度は明確な殺意を持って鋭い咆吼が暴風となって俺達の間を吹き抜けていく。どうやら、口論している暇はないらしい。俺はウッドエルフの少女の背を押し、自分から龍に向かって飛び込んでいった。


 それは、言葉通り可愛い女の子を守るためなんかじゃない……。足が震える前に動くためだった。そして、ハッタリのように声を大にして叫んだ。


「降って湧いた戦の場! 勝てば英雄、負けても死に花を咲かせられる。どっちにしても最期の一服は美味いだろうぜ。これを楽しまないなら、冒険者なんてやってる意味ねえよなあ!?」


 それが、俺という人間なのだ。たとえ死ぬと分かっていても、俺は何者からも逃げない。そう心に刻んである。そして、死ぬ気も無い。俺はまだまだ、魔香を味わいたいのだから。

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