第3話
一つ、爪が振るわれ三本の樹が倒れた。二つ、蔓龍が翼をはためかせ十本の大木をなぎ倒しながら近づいてくる。三つ、長い尻尾でなぎ払うようにして周囲一帯が更地と化した。
驚くべき事はその威力ではない。それほどの攻撃は……おそらく、動きやすい地形を作り出すためだけに行われたのだ。
これが、意志を持たない魔獣と思考する脅威、魔物の違いだ。
「ここが本当に俺の墓場かもなあ……ま、樹海に出た以上、どこに行っても栄養分になるって話だ」
――GYRRRRR!!
いかに『災害』と呼ばれる龍でも、人の言葉は扱えないらしい。「つまんねえなあ……」という呟きさえ馬鹿らしくなってくる。
反撃の一つでもしようと剣を抜いた瞬間……俺は、自分の体が焼け焦げている幻覚を見た。全力で蔓龍に対して横に転がり逃げると、数瞬後には数メートル離れても灼けそうな火球が吐き出され、直線上の焦土が出来上がっていた。
「こ、これが龍のブレスか……こりゃ確かに軍隊がどれだけ居ようと関係ねえな」
この世界の植物の中には、鋼より丈夫な物もある。おそらく、これだけ深い樹海層に来れば十や二十はあったはずだ。それさえも溶かし尽くす火球の温度には何者も耐えきれるわけがない。
「ウッドエルフの足は軽い。どの森に行ってもすぐに対応できる程の知識を持っているからだってな。なら、俺が稼がなきゃならない時間は……稼げる時間は、三十分くらいが限度か?」
これが一対一の正当な決闘なら話は違う。だが、今回はあくまで『災害』からの逃避が目的だ。戦うというより逃げるが正しい。ただ俺が、里にいるのだろうウッドエルフ達より龍に近いだけだ。
GUUU……!
そのうなり声に、俺はふと気がついた事があった。奴の体は植物で出来ている。なら、どうしてあんな温度の火球を吐いて無事なはずがあるだろうか、と。
その証拠に、蔓龍の口元はやや焦げて煙を上げている。徐々に火元が食い込んでいっては超速再生を繰り返している。だから自滅することは無いだろうが……もしかしたら。
「はっ――!」
俺はまだ熱気の立ちこめる焦土を走って蔓龍の懐に潜り込んだ。大型なせいで動きは鈍重。長距離飛行の移動速度と戦闘中の反射速度は違うのだ。
そして、思った通り……絶対に必殺であろうあのブレスは吐いてこない。連発が出来ない仕組みか、そもそも間近で放ってしまえば蔓龍自体が耐えきれないのだろう。
攻撃を加えるなら今のうちだ、と腰から剣を抜いて全力の上段斬りを打ち込んだ。だが……固い鱗に阻まれたわけでもないのに、剣はあっさりと跳ね返されてしまった。
確かに蔓龍の体は硬いのだろう。この剣だって別に駄剣ってわけじゃない。なのに……この蔓龍の皮膚はぶにょりとした、というのが一番正しい感触だった。固すぎて斬れないのではない。強固な柔軟性に腕力が耐えきれなかった、というか。
「……蔓一本も斬れないってのはショックだな。あと、出来る事と言えば……何か、何か!」
その時、俺の脳にある閃きが走った。ハーブマスターという新たに手に入れた力。そして、相手は植物の集合体だ。それなら……。
「捕食っ!」
思い切り噛みついてみた。理論上では、俺はどんな植物でも食える体になってるはずだ。なら、植物で出来ているこの蔓龍を食えないはずがない!
そして、その行為は良い結果と悪い未来を呼び込んだ。
俺の目論見通り、蔓龍の前足にあたる部分の蔓はあっさり食いちぎる事ができた。とはいえ、一束程度のものだが……この敵に関してのみ言うなら、やはり歯の方が効くらしい。
まあ、相変わらずえげつなく不味いのだけど……思わずくらりと目眩がするほど。
しかし、その一噛みが蔓龍の逆鱗に触れたのか、俺が体勢を崩した隙に反対側の腕が振り上げられるのが見えた。だが、今からでは回避もままならない――。
――GRYY!
大木を一撃でへし折ったあの爪が、容赦なく俺の横から襲い来る。メリ、と自分の体から聞いたこともない音が鳴るのが分かる。
ああ、ここまでか。本能的にそう悟った。まあ、俺にしては十分時間を稼げた方なんじゃないだろうか。ウッドエルフ達が無事ならいいんだけど……って、俺そんなガラじゃないんだけどな。
俺は思い切り吹き飛ばされ、焦土の熱に焼かれながらゴロゴロと転がる。そして、その際に……蔓龍があのブレスを吐いたのだけが見えた。人智を嘲笑うようなとんでもない炎が近づいてきて、悲鳴さえ出なかった。
あーあ……死にたくねえなあ。やっぱ、何の成果もなく誰にも看取られないってのは、虚しいもんだな。
――『龍の加護』が消費されました。
骨の髄まで焼かれた。そう思った瞬間……俺は、あり得ないことに気付いた。
樹海を焦土にしたあのブレスをモロに浴びたはずなのに、俺には傷一つ無かったのだ。さらには、先ほども脳内で聞こえたあの声が耳にこびりついていた。
そして、ふと閃く。
「さっきの……魔香の効果か? 聞いたこともないぞ、あんな威力の火球を防ぐスキルなんて……。いや、待て。確かこれって葉をパイプで吸った時に聞こえてきたから……!」
それはもはや直感頼り、わらにもすがる思いだった。もしこの隙を活かせなければ俺の命は無い――!
「プチファイア……!」
蔓龍から噛みちぎった蔓を数本パイプの中に突っ込んで火を入れた。蔓がパイプに入りきらないために、はみ出た蔓の端から炭になっていく。
その味は龍麻痺の葉より極上、香りもこの世の物とは思えないものだった。煙を吐き出すのも惜しいほど、体内に巡れと深く味わう。
その結果は……。それを思い描いて、俺は再びパイプの中身を一吸いして、蔓龍を見下した。
「はっ。残念だったな、『災害』の蔓龍。たった今、お前に勝つ準備が整っちまった。他ならぬ、お前のおかげでな」
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