(十六)
春希の姿が消えてから、三時間以上が経過していた。
彼女の自宅はもちろん、この街のどこを捜しても、春希を発見することはできなかった。別々になって春希の行方を追っていた時雨馬と蘭風は、待ち合わせていた時間になったため、西武新宿線の
「どうだった?」
息を切らせながら、時雨馬は蘭風に話しかけた。蘭風は、黙ったままかぶりを振って答えた。あたりはすっかり夜になっていて、帰宅する通勤客たちで駅前は断続的にあふれかえった。
時雨馬は携帯電話を使って、安尋和尚にも連絡を取った。
「どうした、時雨馬」
「
時雨馬の言葉を聞いて、いつになく安尋和尚のトーンが尖ったように変わる。
「……何かあったのか」
「わからないけど、僕の刀も、いっしょになくなってるんだ」
「本当か? ……よし、わかった。俺の方でも、心当たりを捜してみる」
「うん、頼むよ」
「いいか、これから何が起こるかわからん。とにかくお前さんと蘭風は、これからは絶対に離れるんじゃないぞ」
安尋和尚は、念を押すように言った。
「わかった、安ちゃん」
電話を切り、夜の街を見渡しながら考えをめぐらせる時雨馬。
「どこに行ったんだ、春希……」
「春希さま……」
蘭風は不安そうな気持ちを隠そうともせず、時雨馬の腕の袖口を握った。時間が経つにつれ、ふたりにはあせりの気持ちだけがつのっていった。
トゥルルルルル、トゥルルルルル、トゥルルルルル……
そのとき、時雨馬の携帯が鳴った。発信元は、春希の
「もしもし、春希? いまどこにいるんだ?」
しかし、電話の相手は春希ではなかった。
「ブッブー。ざんねーん、ちがいまーす」
「誰だ!」
「ヒントは、夜来衆美人姉妹のかわゆーい方、じゃ」
「まさか……お前、蒼雷のスグリ!」
「ピンポーン。第一ヒントで正解じゃ。賞品として、ぬしらを地獄の底へご招待ぃ!」
「ふざけるな! 春希をどこへやった!」
「へっへっへっ……。心配せんでも、ちゃあんと大事にお預かりしとるけん。……そう、この街のいっちばん高〜いところにのう」
「一番高いところって……」
時雨馬は、この街で一番の高さを誇る、スカイタワーの方角を見た。全高二百メートル近くにもおよぶその鉄塔は、明日の晴天を示す紫色にライトアップされていた。
「まさか、あのタワーの上に……?」
「へっへっへ。早く降ろしてやらんと、うっかり下に落ちてしまうかもしれんのう。あの高さから落ちたら、ちょっと無事ではすまされんのう……」
そのまま、電話は切れてしまった。
「時雨馬さま!」
「行こう蘭風!」
時雨馬と蘭風は、スカイタワーの方へと全速力で向かっていった。
時雨馬は、走りながら再び安尋和尚に電話をかけていた。
「もしもし、安ちゃん!」
「どうした時雨馬、何かわかったか?」
「春希の居場所がわかった、田無タワーだ!」
「何だって?」
「カラマとスグリっていう変なヤツらに、さらわれちゃったんだ」
その名を聞いて、一瞬押し黙る安尋和尚。
「チッ……夜来衆の生き残りか……」
「僕と蘭風はそっちに向かってるけど、どうすればいい?」
「待ってろ、俺もすぐに行く。……いいか、無茶なことはするなよ、時雨馬」
そう言うと、安尋和尚は電話を切った。
「急ぎましょう、時雨馬さま!」
蘭風は時雨馬の手を取り、ラストスパートをかけた。
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」
スカイタワーのもとへと、全力で走ってきた時雨馬と蘭風。このタワーに隣接したところには、科学館が建っていた。その敷地内に足を踏み入れたとき、タワーを見ていた蘭風が何かに気がついて叫んだ。
「時雨馬さま、あそこに春希さまが!」
「えっ、本当に?」
スカイタワーの最上部に備えつけられたパラボラアンテナの付近に、なんと縄でくくられた春希がぶらさげられていた。だが、近視の時雨馬には、それははっきりとは確認できなかった。
「ええ、間違いありません。気絶なさっているようです」
蘭風は、春希の様子まで正確に答えた。
「それに……あっ、時雨馬さま、風雅もあそこに!」
どうやら、春希とともに風雅も縛りつけられているようだ。
「くそっ……」
「どうだ、お前たちの探しているものは見つかったか?」
その声のする方に振り向く時雨馬と蘭風。物陰から姿を現したのは夜来衆のひとり、紅蓮のカラマだった。
「どういうつもりだ、カラマ!」
時雨馬の声に、ゆっくりと近づいてくるカラマ。その手には、あの鎖鎌が握られていた。彼女は右手で、分銅を回転させはじめた。
「我らのほしいものは龍神宗家の宗主、お前の
「
時雨馬は問い返した。
「それさえ喰らえば、我らは失われた妖力のすべてを取り戻し、夜来の一族を再興することができる。おとなしく命を差し出せば、あの娘だけは助けてやろう」
「そんな……春希……」
「時雨馬さまっ!」
「そこの鬼神衆の娘は下がっていろ。まあ、宗主の剣を持たないお前などに、なんの恐れもないがな」
言うとおりにしたところで、彼らが約束を守るとはとうてい思えない。しかし時雨馬は、どうすればいいかわからないでいた。
そのとき、時雨馬のそばにいた蘭風が、小さな声でささやきはじめた。
「時雨馬さま……」
「何? 蘭風」
「私、春希さまをお助けします」
「そんな、ムチャだよ。あんな高いところにいるのに」
「大丈夫です。その代わり……」
「えっ?」
「無事に春希さまをお助けできたら、ごほうびをくださいますか?」
「ごほうび?」
「はい」
時雨馬は蘭風の言葉に、思わず聞き返した。
「僕にできることだったら、なんでもしてあげるよ」
「本当ですか? ありがとうございます。でも……」
「でも?」
蘭風はひと呼吸置くと、こう言った。
「私の本当の姿を見ても、どうか嫌いにならないでくださいね」
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