(十三)

 夜来衆のカラマとスグリとの争いにより、あの夜メチャクチャになった道場については、その翌日の中学校でかなりの騒ぎとなっていた。床や壁への大きな傷跡のほか、なんといっても派手に割られた窓ガラスが、事の重大さを物語っていた。


 当然、この道場を最後に出たことになっていた時雨馬は、教師や警察からの厳しい聴取を受けた。時雨馬は、とにかく必死にしらばっくれたが、そんな彼をかばったのは、剣道部主将である風間心だった。彼女は、ひょっとして時雨馬の身に何かが起こったのではないかと考えていた。


「神条、本当に大丈夫なのか?」


「心配していただいてすみません、風間先輩。でも、何もありませんでしたから……」


「そうか。お前がそう言うなら、これ以上はもう何も聞かない。でももし、何か困ったことがあるのなら、遠慮なく教えてくれ。力になるぞ」


「はい、ありがとうございます」


 結局、道場の修理のためと、周辺の安全が確認されるまで剣道部の活動は中止となった。



 時雨馬は、部活がなくなったため、授業が終わるとすぐに下校の途についた。


「蘭風、待ってるかな……」


 学校からの帰り道を急ぐ途中、時雨馬は人通りの少ない路地へとさしかかっていた。そのとき彼は、ひとりの男が道ばたに立っているのに気がついた。


 その男は、公安調査庁の特殊活動調査室室長に抜擢されたばかりの、後藤田 政成だった。彼は、トレードマークである黒い上下のスーツに黒いサングラスという、シークレットサービスにお決まりの出で立ちだった。


「神条、時雨馬……だな」


 後藤田は、サングラスを外しながら時雨馬に声をかけた。はじめて見たときから、あからさまに怪しい雰囲気をかもし出していた後藤田に対し、時雨馬は警戒心をあらわにして身構えた。


「そうですけど……。誰、ですか?」


「もう少し、じっくり観察してみるつもりだったが、予想外にヤツらとの接触が早かったようなのでな。やはり俺は、単刀直入な方が好みだ」


「どういうことです?」


 そうたずねた時雨馬のもとに、後藤田はすばやく駆け寄ると、彼の背後に回り込んだ。


「!」


 時雨馬が気がついたときには、後藤田は懐から拳銃ハンドガンを取り出していた。彼は、時雨馬の首もとに銃口を突きつけながら言った。


「こういうことだ……。悪いが、君にはいまここで死んでもらう」

「な、なぜ……僕を……」

「さあな」


 突然の出来事に、声が震える時雨馬。百戦錬磨の殺し屋のような雰囲気を漂わせている後藤田の言葉は、本気としか思えなかった。


「離せっ!」


 意を決して、時雨馬は後藤田の手をふりほどくと、彼から二、三歩離れて向き合った。時雨馬は、背負っていた竹刀袋から、風雅を取り出した。


「ほう……その刀で、いったいどうする気だ」


 ベレッタM92FSの銃口を、時雨馬に向かって構えながら、後藤田はニヤリと笑った。


「まさか、日本刀で拳銃に立ち向かおうっていうんじゃないだろうな? アニメの見過ぎだぜ、坊や」


 時雨馬は、風雅を縦に持ち、柄と鞘をそれぞれの手で握ると、そのままゆっくりと刀身を抜きはじめた。半分ほど抜いたとき、時雨馬は目をつぶり、大声で叫んだ。


「蘭風!」


 すると、道場の時と同じように、風雅の刃が光り輝いた。その光の強さに、思わず目の前に手をかざす後藤田。


「クソッ、なんだこれは!」


 やがてその光は、風雅の刀身から時雨馬の目の前へと移動し、そこに人影を作り出した。光が消えると、そこに蘭風の姿が現れた。


「馬鹿な……」


 後藤田は、目の前で突如起こった少女の出現に、困惑を隠しきれない様子だった。


「お呼びですか、時雨馬さま!」

「蘭風……。なに、その格好?」


 そのときちょうど夕食の支度をしていたらしく、蘭風はセーラー服にエプロンをつけ、右手におたまを、左手に小皿を持って立っていた。どうやら、ちょうど味噌汁の味見をしていた途中だったようだ。


「またあやかしの狼藉者ですね! この鬼守 蘭風がお相手いたします!」


 蘭風は後藤田の方を振り返り、右手のおたまを逆手に持つと、身構えつつ言った。


「蘭風、おたま」

「あ」


 蘭風は、おたまを時雨馬に渡し、代わりに風雅を受け取った。


「……すみません、お借りします」


 そして再び身構える蘭風。


「さあ、かかっていらっしゃい!」



 そんなやりとりを見ていた後藤田は、ふっとため息をつくと、拳銃の構えを解いた。


「安心しな、お嬢さん。ホンモノじゃない」


 後藤田は、銃口を足元に向けながら二、三回引き金を引いた。カチカチという小さな音だけが聞こえ、銃弾は発射されなかった。後藤田のその姿に、思わず緊張を解く蘭風と時雨馬。


「駅前のおもちゃ屋で買ったエアガンだ。ほれ、君にやるよ」


 そう言いながら、その拳銃を時雨馬に向かって放り投げる後藤田。時雨馬が両手でキャッチしたものは、間違いなくプラスチックでできた、ただのおもちゃだった。偽物の拳銃にもかかわらず、後藤田のあの迫真の演技力によって、時雨馬はまんまとだまされていたのだった。


「さて、これで俺に戦う意志がないってことを、わかってもらえたかな?」


 両手を広げてそう言う後藤田に、再び真剣な顔になった時雨馬が答える。


「どういうことですか? 大人の悪ふざけにしては、ずいぶんたちが悪いですよ」


「そうですよ。あなたはいったい……」


 語気を荒げるふたりに、後藤田は言った。


「すまなかった。とにかく、君たちの本当の力が知りたかったのでな」


 後藤田の言葉を、黙ったまま聞いている時雨馬と蘭風。


「だが、これでよくわかった。お嬢さん……らんふう、いや蘭風らんぷうさんだったっけか。あんたの力はただものじゃなさそうだ。それから、時雨馬君」


「はい」


「君もな。……また、近いうちに会うことになるだろう」


 そう言いながら後藤田は、ふたりに背を向けて歩き出した。


「ちょっと待ってください!」


 時雨馬が後藤田を呼び止める。


「……あなたの名前は?」


 時雨馬の問いかけに、後藤田は歩みを止めた。


「まあ、名前くらいは教えといてやるか」


 彼は振り向いて言った。


「後藤田だ」

「後藤田さん、あなたは、僕の味方ですか……それとも、敵ですか?」


 予想外のストレートな質問に、一瞬考え込む後藤田。


「それは俺にも、いまんとこちょっとわからんな。……味方であることを祈っておいてくれ。それじゃ」


 去っていく後藤田の姿を見送る時雨馬。蘭風は風雅を鞘に収めると、何も言わずに時雨馬の腕にしがみついた。


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