(八)

 ノックの音がした。


「ん、入りたまえ」


「失礼いたします」


 オフィスのドアを開けて入ってきたのは、おそらく五十代半ばと思われる、黒ずくめのスーツに身を包んだ男だった。その目つきの鋭さと、顔に刻まれたシワ、そして何より鍛え抜かれた体型が、彼のエージェントとしての実力とキャリアの深さを物語っていた。その部屋のデスクの前に座っていた太めで白髪の男性は、彼の姿を確認すると、ゆっくりと椅子から腰を上げた。


後藤田ごとうだ君、また今度も、ずいぶん派手にやってくれたようだね」


「ですが部長、今回の件については、やむを得ない事情がありまして……」


 後藤田と呼ばれた男は、部長の言葉に直立不動のまま答えた。


「君の言い分については、提出された始末書でさんざん確認させてもらったよ。だが、死者ゼロとはいえ、重体ふたりに重傷七人、おまけに軽傷十六人というのは、正直ちょっといかがなものかな」


 手元の書類をめくりながら、部長は言った。その言葉を、微動だにすることなく聞いている後藤田。


 しばらくの沈黙のあと、デスクのそばから歩みを進めてきた部長は、後藤田の耳のそばまで口を近づけると、ドスの効いた低い声で言った。


「……お前さん、やり過ぎなんだよ。知っての通り、ここは公調こうちょうといってな。諜報活動が任務なんだ。誰もテロリスト退治なんて、要求しちゃいないんだよ」


 部長と目を合わせることなく、後藤田は言った。


「十分に反省しております」

「ほう、そいつはよかった」


 部長は再びデスクに戻り、自分の椅子にドカッと体を預けた。


「そんな殊勝な後藤田君に、私からとっておきの役職ポストをプレゼントだ。後藤田ごとうだ 政成まさしげ君、君は本日付をもって、わが公安調査庁の特殊活動調査室へと配属される」


「特殊活動調査室?」


 その言葉を聞き、後藤田ははじめて部長の顔を見た。


「このたび新たに開設された部署だ。おまけに室長だぞ、めでたく昇進だな。とは言っても、部員は目下もっかのところ君ひとりだが」


 部長はデスクに両肘をつき、指を組みながら、見上げるようにして後藤田に向かって話し続けた。


「私はそこで何を?」

「いま、東京湾沖ほか日本のあちこちで頻発している火山活動のことについては知っているな」

「ニュースで見た程度ですが」

「そいつと、これだ」


 部長はそう言いながらデスクの引き出しを開け、一通の封筒を取り出すと、デスクの上に放り投げた。


「彼らとの関連性を調べてもらいたい」


 後藤田は、封筒の中から『重要機密トップシークレット』と書かれたファイルを取り出した。そこには、ふたりの人物の顔写真に、簡単なプロフィールが記されていた。


「……何者ですか、いったい?」


「なんでも、今回の火山活動に密接に関係すると言われている、『龍脈りゅうみゃく』の秘密を握る一族の末裔まつえいだそうだ」


「龍脈? これまたずいぶん、オカルティックな話ですが……」


「まあそれについては同感だが、こちらとしても予算カネがついた以上、調べんわけにもいかんからな」


「それが、私の役目というわけで」


「不満かね?」


「いえ」


「とにかく、それを詳細かつ綿密に調べるのが、今回の君の任務だ。……内容は理解したかね? 理解したら、速やかに行きたまえ」


 すでに話は終わったとばかりに、部長は懐から煙草の箱を取り出して、その中の一本を口にくわえると、ライターで火をつけた。後藤田はファイルを封筒の中にしまい、頭を下げて言った。


「それでは、失礼します」


「おっと、後藤田君、もうひとつ」


 扉から出ようとする後藤田を呼び止めると、部長は人差し指を向けながら言った。


「報告をおこたるな」


「……了解しました」


 後藤田は、静かに部長室のドアを閉めた。



 後藤田は、走行距離十万キロをとっくに超えたシルバーのセダンのドアを開けると、部長から預かったばかりのファイルを助手席に放り込んだ。そのまま運転席に腰を下ろし、シートベルトを締める。


 そして彼は、ファイルのプロフィールに書かれた住所を確認すると、再びその用紙をシートの上に放った。


「やれやれ。新興宗教団体の次は、子供ガキのお守りか……」


 そう言いながら、グローブボックスからサングラスを取り出して、顔にかける後藤田。彼はキーを回してエンジンを始動させると、車を西東京市方面へ向けて発進させた。


 ファイルに記されていた、その人物の名は、『神条 時雨馬』と『鬼守 蘭風』だった。


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