(六)
「おはよう……」
そう声をかけながら、時雨馬が自分の教室の扉を開けたとき、生徒たちの声でざわついていた部屋の中が一瞬静まりかえった。
「……ございます」
一週間ぶりに登校した時雨馬を、クラスの生徒たちは極めて微妙な空気をもって迎え入れた。両親を交通事故で失うという経験は、中学生の彼らにとっては想像しがたいものだったらしい。教室にいっしょに入ってきた春希も、そんな雰囲気に対してなにも言い出せずにいた。
「……」
時雨馬と春希は、黙って自分の席に着こうとした。
「よ、時雨馬」
そのとき時雨馬は、肩のあたりを誰かにつかまれた。時雨馬は、そのまま教室の外の廊下まで強引に引っ張っていかれてしまった。
「なんだよ、
でっぷりとしたその少年は「ガース」こと、親友の
「時雨馬、これあげるよ」
「なにこれ?」
「
「え? ていうか今日って、まだぜんぜん誕生日じゃないんだけど」
「そうだっけ?」
そう言う
「いいから、開けてみろよ」
「うん。……あ、これ、
それは、
「へへ、俺、もう終わっちゃったからさ」
その顔を見ながら、何かに気づいて時雨馬は聞いた。
「
「ん? んん……」
どうやら彼は、時雨馬にこのゲームをプレゼントするために、超特急で最後までクリアしたらしい。なんだか悪い気になってきた時雨馬に、
「まあ、くれるって言うんだからさ、ありがたくもらっとけよ。……あとそれから、これはオレからな」
そう言って、
「こっちは、ウチに帰ってからゆっくり読め」
「
それは、中学生が手にすべきではないタイプの週刊誌だった。
「アニキの部屋からパクった。袋とじはもう開けちゃってるけど、まあ気にすんな」
「あ……ありがとう、ふたりとも」
時雨馬は、ふたりの親友に礼を言った。彼らなりに、傷ついているであろう時雨馬のことを気遣ってくれていたらしく、それが時雨馬にはうれしかった。
キーンコーンカーンコーン
そのとき、予鈴が鳴り響いた。
「おっと。じゃ行こっか」
「またあとでね、時雨馬」
三人は、教室に戻っていった。
「時雨馬」
自分の席に着席しながら、時雨馬のほうを指さしつつ
「巻頭特集の
「うん」
ふたりからのプレゼントをカバンにしまいながら、時雨馬は思わず笑顔になっていた。ちょうどそのとき、教室にドアが開いて担任の教師が入ってきた。
「
いつもの朝のように、日直の生徒が号令をかけた。
一日の授業を終えた時雨馬は、道場へと向かった。すでに部活の始まる時間となっており、そこでは剣道部の練習が始まっていた。
「おお、来たのか、神条!」
「
時雨馬の姿を見つけて、剣道部の三年生、
風間心はレッキとした女性でありながら、この剣道部の主将を務めていた。また、かつて時雨馬を剣道部に勧誘したのも彼女である。そんな縁もあって、風間主将は他の部員以上に、時雨馬にことを気にかけているようだった。彼女は、久しぶりに顔を見せた後輩に対し、いつもと変わらない様子で話しかけてきた。
「どうだ、久しぶりに一番?」
「いえ、今日は素振りだけにしておきます」
「そうか……。でも、お前が道場に来てくれてうれしいぞ、神条」
「はい、ありがとうございます、先輩」
時雨馬は、ロッカーにしまっておいた稽古着と袴に着替えた。久しぶりに袖を通した紺色のその道着は、相変わらずツンとくる汗くさい匂いがしたが、それが時雨馬にはなんだか懐かしく感じられた。
練習用の竹刀を持って、時雨馬は道場に足を踏み入れた。ヒンヤリとした床の感触が、裸足の時雨馬を迎え入れた。ほかの部員たちは、大きなかけ声を上げながら乱取りを続けていた。
時雨馬は、彼らの邪魔にならないように道場の脇で、竹刀の素振りをはじめた。
(イチ、ニ。イチ、ニ……)
ゆっくりと竹刀を振っているうちに、時雨馬はしだいに無心になっていった。
苦手意識ばかりが先行していた剣道だったが、こうして汗をかくのもいいものだと、彼は感じていた。
時雨馬はそれからしばらくの間、ひとりきりで素振りを続けていた。
「ようし、本日の練習はここまで!」
やがて夕方になり、風間主将は部員たちにそう告げた。練習を終えた彼らは、それぞれに帰り支度をはじめていた。
「神条、お前も上がっていいぞ」
そう声をかけてきた風間主将に、時雨馬は汗を拭きながら答えた。
「あ、あの風間先輩。僕に、道場の掃除をさせてください」
「どうしたんだ、急に? 掃除なら新入生が……」
「いえ僕、しばらく部活に来なかったし、みんなにもお詫びも込めてちょっと……」
時雨馬のそんな申し出を、黙って聞いていた風間主将は、笑顔を見せてうなずいた。
「……そうか。じゃあ、あとはお前に任せる。頼んだぞ、神条」
「はい!」
剣道部員たちは、練習後の掃除を時雨馬に任せて、道場をあとにした。時雨馬はホウキを使って床のホコリをきれいにすると、水を入れたバケツと雑巾を用意した。
「……ようし、やるか!」
時雨馬は、無人となった道場の床の、雑巾がけを開始した。
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