(五)

 ふたりがアパートの階段を下りていくと、そこには春希が待っていた。


 そう言えば昨日、彼女が学校に迎えに来ると言っていたことを、時雨馬は思い出した。女子ラクロス部に所属している春希は、部活で使用しているという、クロスというネットのついたスティックを背負っていた。時雨馬と違い、運動神経抜群の春希は、女子ラクロス部でもエース級の選手であるらしい。


「おっはろー、時雨馬!」


 昨日の葬儀のときとは打って変わって、いつもの調子を取り戻していた春希は、元気よく時雨馬に挨拶をした。


「やあ、春希……」


 そのとき彼女は、時雨馬のそばにいる蘭風の姿に気がついた。


「……あれ? 時雨馬、その人だあれ?」


 春希の急な質問に、適切な答えを用意していなかった時雨馬は、思わずうろたえてしまった。

「いや、この人は……」


「はじめまして。私、鬼守おにがみ 蘭風らんぷうと申します」


 蘭風はそんな時雨馬の様子にかまうことなく、春希に向かって丁寧かつにこやかにお辞儀をした。


「らんぷう〜?」


 春希の声のトーンには、明らかに不信感が含まれていた。時雨馬は蘭風に、このおせっかいな幼なじみを早口で紹介した。


「蘭風、これ、同じクラスの丸川 春希」


「……どうも、春希です」


 春希は軽く頭を下げながら、時雨馬と蘭風の顔を何度も見比べる。時雨馬は、何かを思いついたように話しはじめた。


「……そ、そう。イトコのお姉ちゃんなんだ」


 その言葉に、蘭風も調子を合わせる。


「イトコのお姉ちゃんなんです」

「母方のおじさんのね」

「母方のおじさんのです」

「家事の手伝いをしに来てくれたんだ」

「家事の手伝いをしに来ました」

「よろしくね♪」

「こちらこそ♡」


 そんな時雨馬と蘭風のやりとりを、さらに疑いの目で見つめる春希。


「イトコ、ねえ……」


 春希は、蘭風の胸に視線をやりながらたずねた。


「……お姉さん、そのおっぱい何カップ?」

「ちょっと春希、失礼だろ?」


 すこし躊躇ちゅうちょしながら、蘭風は答えた。


「え? あ、あの……Jカップです」


「じぇ、J?」


 春希と時雨馬は、同時に大声を上げた。


「A、B、C、D、E、F、G、H、I、J……のJ?」


「はい」


 両手の指を折りながらたずねる春希に、にっこり笑って答える蘭風。自分のバストサイズに比べるとケタちがいに大きい驚愕きょうがくのグレードに、信じられないといった様子で、春希はそのままふらふらとその場を離れていった。


「J……。J……」


「春希? ……じゃ僕、行ってくるね」


「はい、行ってらっしゃいませ!」


 春希のあとを追って歩いていく時雨馬を、蘭風は見送った。彼女は、時雨馬の姿が見えなくなるまで、手を振りながらずっとそこに立っていた。



 そんな彼らの様子を、物陰からうかがっているふたりの少女の影があった。


姉者あねじゃ、あれがそうか?」


「ああ」


「なんじゃ、まだガキじゃのう。チョロいもんじゃ。問題は、あの鬼神衆おにがみしゅうの女か……」


「まあ、女の御守刀など、しょせん我ら夜来衆やごろしゅうの敵ではない」


「それで姉者、いつになったら喰えるんじゃ?」


「今夜、あの小僧がひとりになるのを待つ」


龍神りゅうじんキモか……。ううーん、楽しみじゃのう〜」


「いくぞ、スグリ」


「あいよ、カラマねえ


 ふたつの影は、すばやくその姿を消した。



「で、誰なの? あの人」


 Jカップショックからようやく回復した春希は、学校への道のりを歩きながら、再び時雨馬に問いかけた。


「だから、イトコの姉ちゃんだって言ったろ?」


「ウソ! あんたにそんな親戚がいたなんて、あたしぜんぜん知らないもん」


「本当だって……」


「ま、いいけどさ」


 幼なじみなだけあって、しつこく突っ込みを入れてくる春希だったが、時雨馬のかたくなな様子に、結局それ以上の追求をあきらめた。


「それで、いつまでいるの? あのお姉さん」


「さあ、しばらく……かな」


 それは時雨馬にも本当にわからなかったので、適当に答えた。じつのところを言えば彼本人にも、蘭風の目的はほとんど判明していないのだ。


「ねえ、あの人がいるから、うちには来ないって言ったの?」

「別に、そういう訳じゃないけど……。まあ……そう、かな」

「Jカップがいいんだ」

「それは関係ないだろ」

「どうだか」


 貧乳の春希には、やはり蘭風のおっぱいが相当気になっているようだ。


 やがて春希は、自分のスティックと同じように、時雨馬が肩に竹刀袋を背負っていることに気がついた。


「ねえ時雨馬、あんたやっぱり剣道部続けるつもりなの?」


「あ、これは……。うん、まあね」


 中学に入学してから一年間続けてはみたものの、一向に腕が上達しない時雨馬は、本当は剣道部を辞めるつもりだった。しかし、まさかこの竹刀袋の中に、じつは本物の日本刀が入っているなんて、春希に言うわけにはいかない。


 だが、春希はちょっと安心したような声になって時雨馬に言った。


「そう。……がんばってね」

「ああ」


 春希は腕時計を見ると、時雨馬に向かって声をかけた。


「早く行こ、時雨馬」

「うん」


 ふたりは、校門に向かって走っていった。


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