(三)

 コンコン!


 そのとき、部屋のドアをノックする音が聞こえた。時雨馬が返事をする前に、ノックの主は勝手にドアを開けた。


「よう、時雨馬。元気か……っとぉ?」


 それは、先ほどの葬儀で別れたばかりの龍庵寺りょうあんじ住職、三島 安尋あんじんだった。彼は葬儀用の袈裟けさから、いつも着ている派手な花柄のアロハシャツに着替えていた。この格好でいると、やはり彼はヤクザのようにしか見えなかった。


 安尋和尚おしょうは、時雨馬のほかにこの部屋の中に、見知らぬ少女がいることに気がつくと、ニヤリと笑いながら言った。


「なんだよ、やるじゃねえかお前。ひとり暮らしをはじめた初日だってのに、もう部屋にオンナ連れこんでんのか?」


 安尋和尚は、やたらおっぱいの大きいこの女子高生を、もの珍しそうな目でまじまじと見回した。その視線を敏感に感じ取ったのか、蘭風は恥ずかしそうに両手を体の前で合わせるようにして胸を覆い隠した。


「ち、違うよあんちゃん! 僕は別に……」


 あわてる時雨馬に、蘭風は聞いた。


「あの、時雨馬さま、こちらの方は?」

「龍庵寺の住職の、三島 安尋さんだよ。安ちゃん、この人は……」


 蘭風は丁寧に頭を下げ、安尋和尚に話しかけた。


「はじめまして、安尋さま。私、時雨馬さまの御守刀おまもりがたな鬼守おにがみ 蘭風らんぷうと申します」


「ちょ、ちょっと蘭風……」


 そんな奇妙な自己紹介をする蘭風の姿に、あせる時雨馬。しかしなぜか安尋和尚は、そんな彼女の言葉を聞いても平然としていた。


「……あんた、『鬼神衆おにがみしゅう』か」


「は、はい。……ご存じなのですか?」


「まあな……。しかし、まさか女が御守刀とはな……」


 予想外のふたりのやりとりに、時雨馬は困惑を隠せない。


「えっ、どういうこと、安ちゃん?」


 それには答えず、安尋和尚は小さくため息をつくとこう言った。


「まあいいや。蘭風らんぷうさんとやら、時雨馬を守ってやってくれ。……じゃあな」


 そのまま、安尋和尚は出て行ってしまった。蘭風はその言葉に、深々と頭を下げた。



 時雨馬はあわてて彼の後を追い、部屋の外の廊下に出た。


「安ちゃん! ちょっと待ってよ!」


 時雨馬の呼び止める声に、安尋和尚は振り向きもせずこう言った。


「時雨馬。これからお前さんを、いろんな災厄さいやくが襲うことになるだろう」


「……え?」


 いつになく真剣な安尋和尚の言葉を、時雨馬は不思議な気持ちで聞いていた。


「だがな、お前は恐れずに、それに立ち向かわなくちゃならねえ」


「……」


 安尋和尚は少しだけ笑顔を見せつつ、時雨馬に言い聞かせるようにつぶやいた。


「大丈夫だ。あのを信じてやれ。……負けんなよ」


 そう言い残し、雨の降る中傘を開くと、安尋和尚は去っていった。


「安ちゃん……」


 訳がわからないまま、時雨馬は部屋の中に戻った。



 部屋では、蘭風が静かに時雨馬を待っていた。彼女は、これまでになく真剣な眼差しをたたえていた。


「蘭風……。君は、いったい……」


「時雨馬さま、失礼いたします」


 そう言うと蘭風は、時雨馬の体に手を伸ばし、彼を力いっぱい抱きしめた。


「え? わっ、ちょっと……」


「……」


 あまりにも大きくてやわらかな胸の感触が、時雨馬の顔を包み込んだ。それは、これまでに経験したことのない暖かな感覚だった。


(やわらかい……。それに、すごくいい匂い……)


 目を閉じたまま、時雨馬はその身を蘭風の胸に任せていた。彼女の心臓の鼓動が、しだいに自分とシンクロしていくのが感じられた。


「いまは、ひとつだけ。これだけは、信じてください。……私、どんなことがあっても、絶対に時雨馬さまの味方ですから……」


「……うん……」


「ありがとうございます、時雨馬さま……」


 まるで、遠くから響いてくるような蘭風の言葉を、時雨馬は黙って聞いていた。


(そう言えば、両親を失って、ひとりぼっちになってしまった最初の夜なのに、結局僕は泣かなくてすんだんだな……)


 いつの間にか、窓の外の雨は上がっていた。


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