(二)
アパートの部屋に着き、傘を閉じると、時雨馬はポケットからカギを取り出してドアを開けようとした。しかし、その扉にはカギはかかっていなかった。
「あれ? やばっ、僕閉めていかなかったのかな……」
不思議に思ったまま、時雨馬はドアを開けた。部屋には明かりがついたままだった。
玄関を見ると、その
「お帰りなさいませ、時雨馬さま!」
その人物は時雨馬に頭を下げたまま、大きな声でそう言った。
「……」
時雨馬は、無言のままそのまま半歩下がり、ゆっくりとドアを閉めた。
ひと呼吸おいてメガネを外し、制服の袖で目をこすると、時雨馬はドアの横にある表札の文字を読んだ。
二〇一
(うん、合ってる)
まぎれもなく、ここが自分自身の部屋であることを指差しつつ確認した時雨馬は、首をかしげながらもう一度ドアを開けた。
「あのう……。ここ、僕んちなんですけど……」
確かめるようにそう話しかける時雨馬に、あらためて元気よく挨拶が返された。
「お帰りなさいませ、時雨馬さま!」
その人物は顔を上げて、時雨馬に向かってにっこりと笑いかけた。
そこにいたのは、ひとりの女子高生だった。つやつやとしたストレートの黒髪をポニーテールにしていて、ほどけば腰のあたりまでありそうな見事なロングヘア。紺色のセーラー服の上には、真っ白なエプロンを着用していた。
少女はすっと立ち上がると、丈の長いスカートをひるがえしながら、時雨馬の手をつかんで部屋の中へと迎え入れた。
「お待ちしておりました。さあ、どうぞお入りください。お夕食もご用意しておりますよ」
立ち上がってみると、その少女は時雨馬よりも頭ひとつ分以上も背が高かった。身長は百八十センチ近くはあると思われる。おそらくは、高校二年生くらいであろう。
しかも、制服の上からもはっきりとわかるほど、かなりの巨乳の持ち主である。彼女は時雨馬の腕を抱え込むようにして、その胸を彼の身体にぴったりと密着させてきた。
(わ、ちょ、ちょっと)
突然の、思いもよらないやわらかな感覚に、時雨馬は大きく動揺した。しょせん中学生に過ぎない時雨馬には見当もつかないことだったが、その少女はなんと九十九センチという、堂々たるバストサイズであった。
「いやー、今日は本当に寒かったですよねぇ。あ、いまお
そう言う彼女を両手で制すようにして、時雨馬は話しかけた。
「あ、あの、ちょっと待ってください。すみませんけど——」
「はい?」
「……あなた、いったい誰なんです?」
時雨馬のもっともな質問に、ようやくハッと気がついた様子のその少女は、両手を口に当てて彼の方に向き直った。
「申し訳ございません!
そう言うと、彼女は懐から一枚の名刺を取り出し、お辞儀をしながらうやうやしく両手で時雨馬に手渡した。
「自己紹介が遅れました。私、こういう者でございます」
時雨馬は、少女から名刺を受け取ると、その文字に目を落とした。
御守刀 鬼守 蘭風
名刺にはそのように書かれていた。しかしながら時雨馬には、すぐにその文字列の持つ意味が把握できなかった。時雨馬は名前とおぼしき文字列を、声に出して読んでみた。
「おに……もり……らんぷう、さん?」
「いえあの、おに『がみ』・らん『ふう』、です。あ、でもでも、時雨馬さまが『
その少女、蘭風はもじもじと指をこねくりこねくりしながら、そうつぶやいた。ようやく
「じゃあ、
「はい、時雨馬さま」
「それで、どうしてここにいるんですか?」
蘭風は首をかしげつつ、こう答えた。
「あの、ひょっとして……。なにもお聞きになっていらっしゃらない?」
「はい」
しばらく考えて、蘭風は再び深々と頭を下げた。
「それは大変失礼いたしました! 私、このたび時雨馬さまの『
「おまもり……がたな?」
「はいっ! 私こと不肖
「で?」
「はい、時雨馬さま!」
ようやく、少しだけ落ち着いた時雨馬は、六畳一間の1Kという、ささやかなこのアパートの一室の、真ん中に置かれたちゃぶ台の前に座り、あらためて蘭風と名乗るこの少女と向き合っていた。あいかわらず、雨は降り続いていた。
「つまり、どういうことなんですか?」
「でぇーすぅーかぁーらぁー」
蘭風は茶碗にごはんをよそい、時雨馬の前に並べられた夕食の脇に置いた。
「先ほどから申し上げておりますけど、御守刀なんです、私」
(だから、御守刀って、何?)
一向に話がかみ合わないまま、時雨馬は少々うんざりし始めていた。ため息をつきながら、彼はとりあえず、もうひとつの疑問から片づけてみることにした。
「この部屋、カギかかってたと思うんですけど、どうやって入ったんです?」
「はい。大家の方のおじいさまおばあさまにお願いして、開けていただきました」
「何て言って?」
「いえ普通に、時雨馬さまのお世話をしにまいりました、と」
(そんなに簡単に、見ず知らずの人を入れちゃうのかよ!)
それを聞いて、そう思わずにはいられない時雨馬だった。だが、天涯孤独となった中学生である自分を、格安の家賃で快く住まわせてくれているあの優しい老夫婦に対して、それ以上非難する気は起きなかった。
そもそもこの蘭風という少女は、どこか人に警戒心を抱かせない、独特の安心感を持ち合わせていた。どちらかというと人見知りしがちな時雨馬自身でさえ、まったく初対面にもかかわらず、普通に彼女と会話を続けていることが、その何よりの証拠だった。
「あ、冷めないうちに、どうぞお召し上がりくださいね」
蘭風はそう言いながら、急須から時雨馬の湯飲みにお茶を注いだ。
「え? あ、はい……」
時雨馬は、おいしそうな匂いを漂わせている食卓を見て、自分の腹が減っていることに気がついた。カラリとキツネ色に揚がったトンカツに、青くみずみずしい千切りキャベツ。付け合わせのキンピラごぼうに、香の物まで。
そう言えば、今日は朝から晩まであまりにも忙しく、ほとんどなにも口にしていなかったのだ。彼は黙ったまま、ゆっくりと食卓の上の箸を取った。
「……おいしい!」
時雨馬は味噌汁のお椀に口をつけて味を見ると、思わずそうつぶやいた。
「ホントですか? そう言っていただけると、私、うれしさ百倍ですっ!」
そう言って蘭風は、笑顔を輝かせた。
時雨馬は、あらためて蘭風の顔をながめた。
美人である。
っていうか、かわいい。
明らかに年上で、しかも自分よりうんと背の高い女性をつかまえて、『かわいい』なんていうのもどうかと思うが、正直びっくりするくらい、愛くるしい顔立ちだ。
その屈託のない笑顔のせいもあるのかもしれないが、彼女のそのまん丸で大きな瞳は、見る者をグッとひきつけて離さない、不思議な魅力があった。
さらに、ファッションモデルのように大胆かつ均整のとれたプロポーションに、透き通るような白い肌。まるで、時雨馬が日頃から読んでいる週刊少年誌の巻頭グラビアから、そのまんま抜け出してきたティーンズアイドルのような雰囲気だった。
「……もう、そんなに見つめられると、私、照れちゃいますよぅ」
蘭風は、両方の手のひらを自分の頬に当ててそう言った。
知らず知らずのうちに、時雨馬は蘭風を凝視し続けていた。赤くなった時雨馬は思わず視線をそらせると、あわてて口の中に白飯をかき込んだ。
そのまま一心不乱に食べ続けた時雨馬は、いつの間にか蘭風の作った夕食をすべて平らげてしまっていた。そんな彼の様子を、蘭風は幸せそうな笑顔で見守っている。
「ところで、
「
湯飲みにお代わりのお茶をつぎながら、蘭風は言った。
「僕の両親が亡くなったことと、なにか関係があるんですか?」
その言葉を聞くと、蘭風の動きがピタッと止まった。彼女は急に真面目な表情になって居住まいを正すと、時雨馬に向き直った。
「時雨馬さま」
「は、はい」
「このたびは、誠にご愁傷さまでございました。……まだこんなにお若いのに、いっぺんにご両親を亡くされるなんて……私、本当に……」
そう言うと、いきなり蘭風の目に涙があふれはじめた。時雨馬はそんな蘭風の様子に、驚きを隠せずに言った。
「あ、あの……。蘭風、さん……?」
鼻をすすりながら、蘭風は言葉を続けた。
「……
その言葉を聞いて、時雨馬は驚いて大声を上げた。
「え? それって、どういうこと? 父さんと母さんは、交通事故に遭ったんじゃないの?」
時雨馬は、思わず身を乗り出すようにして、蘭風の肩をつかんでいた。
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