第3話 異例づくめの隊商

 時は1年前にさかのぼる。

 ハッサンは、メクリンの谷へ向かっていた。これほど気の乗らない旅もない。親しい族長に対し、娘を寄越せとは言いづらい。ついつい足取りが重くなるが、険阻な山道なので、崖から落ちないよう気を引き締めねばならなかった。

 峠に近い草地で、兄妹が、大きなチベット犬とともに、羊と山羊の群れを見ていた。

 最初に異変に気付いたのは、妹の方だった。

「隊商が近づいてくる。ハッサンだわ」

そう言った妹の視力はとてもよく、隊商はまだ遠くにいた。

兄は応じた。

「ハッサンの隊商にしては、早すぎる。でも確かにハッサンたちらしい」

兄は妹に、父に知らせるよう頼んだ。妹は、石だらけの小道を、子山羊のように飛び跳ねながら走っていった。

 隊商は年に1度、秋になると、メクリンの谷にやってくる。谷で作られたフェルトや、鷹、そして鷲の羽などと、オアシスで作られたさまざまな生活必需品や工芸品、そして塩が交換される。ところが、今はまだ初夏である。しかも、ハッサン自身が隊商を率いることは少なく、いつもは彼の部下が代理人としてやってきていたのだった。

 異例づくめの隊商が、峠にさしかかり、ハッサンは兄に丁寧なあいさつした。

「若君にはご健勝でなによりです」

チベット犬は首だけハッサンに向けた。若君と呼ばれた兄は問うた。

「えらく早い時期に谷へ来たね」

兄はウイグル語も話せるのである。

 わずか400戸、人口2,000あまりしか持っていないメクリン族長に対し、ハッサンは彼らの背負っている月氏の伝統的権威を尊重していたし、また、彼らに畏敬の念を持っていた。

 にもかかわらず、娘をさし出せと、強要しなければならない。ハッサンは自分を呪ったのであった。

 ハッサンは、精いっぱいの作り笑いをした。こうしたことは得意なはずなのだが、どうも不自然だと、自分でも思わざるをえなかった。

「族長にご相談がありまして」

兄は言った。

「父は屋敷にいるよ。僕は家畜を見ていないといけないから、一緒に行けない」

ハッサンは、

「後ほどよろしくお願いいたします」

と一礼して、谷の奥へと向かった。

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