終章――変わらない明日、変わっていく明日

 なんだか何時もと変わらないように思う日常。

 何時もと変わらず電車に乗り、何時もと変わらずスシ詰めになり、何時もと変わらず駅に着いた。電車が停車して、乗客が降車する。そして大量に改札から吐き出されていく。

 大きな荷物を背負った年配の女性、ヘルメットをぶら下げた工事現場の人、自分と同じ制服を着た学生達。様々な人々。

 その中の一人に自分がいる。雑多な人間の中に紛れた、何の変哲も無い少年。

 少年は振り向いた。今くぐって来た改札の辺りを見る。

「……」

 雫那と待ち合わせをしたり、円と手を繋いだまま現れて雫那に変な顔をされたり、ここ数日で色んなことが起こった場所。自分の胸を触ってみる。昨日の夜、まだ丸一日も経っていない時間、この場所を飛矢マジックミサイルに貫かれた。その傷口はうっすらと残っている。同じように矢が突き刺さった左腕も同様。更にそれ以前に浅く裂かれた傷が体中にある。雫那が禁忌を侵してまで使ってくれた霊薬エリクサーのおかげで命は取り留めたが、傷口は残った。雫那に鍵剣で薄く切られた首筋の傷も、まだほんの少し残っている。

 そんなとんでもない時間を過ごしてきた自分。多分自分はこの特異な街でも、更に一番の特異なことを体験しているのだろう。しかしこの街にいると、そんな特別なことも、日常の一つとして処理されていくような気がする。

 立ち止まったままずっと改札を見続ける少年の脇を、訝しがりながら、それでも気にしないで、様々な人々が通り過ぎていく。それが日常。この街の日常。迷宮仕事人なんて特別すぎる仕事に就いたけど、それも変わらない日常の一つになっていくのだろう。

 それがこの街の持つチカラ。


「おはよ~」

 そして本日、この錫白高校一年生の教室も、何時もと変わらない。

 昨日はその後、雫那に抱えられたまま自室に急送され、円が敷いてくれた布団に載せられた直後、真二は気絶するように眠りについてしまった。心身ともに限界だったらしい。何しろ体自体は一度限りなく死に近い状態にあったのだ。無理は無い。

「わーい男子寮だぁー」とはしゃいでいる円の首根っこを掴まえて部屋を出て行く雫那が「多分キミはもう肉体的に大丈夫だから、我々はこれにて失礼する」と言い残して出て行くのをかろうじて頭の片隅で感じていた真二は、気づくと次の日の朝を迎えていた。

 翌日は特に大きな体の痛みなどは残っていなかった。胸と左腕の傷も小さく疼くだけで我慢できない痛みじゃない。これなら半日も経てば痛みも気にならなくなるだろう。

霊薬エリクサーってすごいなぁ」と思いながら真二は布団を出ると、寝やすいようにと思ったのか制服とワイシャツを脱がされた下着姿で自分は寝かされていたのを知った。昨日ボロボロになった制服は一応洗濯され、ハンガーにかけられていた。

「これで楠木さんとはお相子だね……」

 胡原さんも僕の服を脱がすのを手伝ったのかなぁ? などとと恥ずかしく思いつつ真二は代えの制服をダンボールから見つけると、登校のために着替えた。ついでに傷口に絆創膏を貼る。薄く裂かれた頬や右腕は何てこと無いのだが、矢に貫かれた傷、特に左胸を刺し貫かれた貫通創に胸と背中の表と裏に絆創膏を貼るのはなんともいえない気持ち悪さがあった。

 そんなこともあり今日は大事を取って休もうかと思ったが、体は特に不調を訴えていないので、やっぱり学校に行くことにした。元気ならばその元気な姿を二人に見せるのが一番良いからだ。そして何時ものように電車に揉まれて学校にたどり着き、朝の挨拶をしながらドアを潜った真二が見たものは――

「はい!?」

 真二が教室に入った瞬間、中にいた全員がその声に反応して、こちらに振り向いたのだった。

 男女合わせて八〇個を越える視線が突き刺さる。何だか毎日同じ目に合っているような気がする。本日再び食らったその潜在的恐怖は、胸と左腕に矢が突き刺さった時を越えるのではないかと思うほどだ。真二は嫌な予感を察して回れ右をして離脱を図ったが、真二の動きを予測して飛び出してきた数人の男子生徒に昨日と同じように簡単に捕獲されてしまう。欲望に突き動かされた男子は、アイアンゴーレムなど足元にも及ばぬほどしつこい。生け捕りにされた真二はそのまま昨日と同じように自分の席へと搬送される。そして、彼の席の周りに教室内の全員が集合した。何だかそれはこのクラスの日常的な光景になっているような気もする。

「お前、見損なったぞ」

 真二の前の席からその声は聞こえてきた。背中を向けたまま腕組みの姿勢の伍郎。

「お前は楠木に一途な男だと思っていたのに」

 伍郎の言葉に一同がうんうんと頷く。

「え? ……なにが、どうしたの?」

「昨日の夕方、お前は何をしていたのか――覚えているな?」

 クルリと振り向きながら、伍郎が問う。

「え? 昨日の夕方?」

 昨日は朝から深夜までとんでもない事の連続で、一体何時の時間帯に何があったかなんて、正確に覚えていられないくらい凄まじい一日だった。だから夕方何をしていたかといわれても、直ぐには思い出せないのだが……

「え、えーと……なんだっけ?」

「白を切るなら、あたしが教えてあげるわ」

 人垣を分けて一人の女生徒が登場する。狼たちの手から胡原円をずっと守り続けている、我らがクラスの学級委員長である。

「うちの円と手を繋いで、駅前を歩いていたでしょ?」

 そして突きつけられる事実。

「……は!? え、あ、それは!?」

 あの時危惧していた事が現実になってしまった。誰かに見られていたのだ。駅前という繁華街であれば、このクラスの生徒の一人くらい人込みに混じっていてもおかしくはないのだった。

「あんたぁーっ!?」

 ぐわっと目を見開き、真二の胸倉を掴み上げる委員長。引っ張られるように真二も立ち上がってしまう。それを起点としてクラス中の真二への罵声が始まる。揺れる教室。

「よっくも、うちの円に手をつけてくれたわね! しかも楠木さんって彼女がいるのに、二股とは何事よぉ!

「ちょっと、まってこれにはわけがっ!? あと楠木さんが彼女って言うのも!?」

「問答無用!?」

 なんとか言い訳をしようとする真二に対して、振り上げられる委員長のかいな。それは真二に忘却の椅子オヴリビオンの腕部が振り下ろされた時以上の恐怖を与えた。クラス中もやれーやれーと、武藤真二完全にアウェーである。

「……待ってください」

 しかし、そんな共通の敵に対して一体感を見せていた教室内の間隙を縫うように、か細い声が通り抜けた。誰にも聞こえないような小さな声。しかしその声は確かに全員の耳にも届いた。

「円!?」

 人垣の腕の下を潜り抜け、胡原円本人が委員長の隣にやってきた。

「こ、胡原さん!?」

 一縷の望みが繋がったとでもいうように、うるうるとした瞳で円を見つめる真二。彼女が弁護してくれれば、これでようやく助かる。

「円、いったいコイツにどこまでされたのよ? 正直に言ったほうが良いわよ」

 委員長が真二と円の間に昨日いったい何があったのか問い詰めてくる。もちろん円にしても全ての真実を話すわけにもいかない。でも嘘をつくのも苦手だし。そこで彼女が口にした言葉は

「えーと、あのあとは、武藤さんにひざまくらをしてあげました」

「……」

「……」

「……」

 一瞬で凍りつく教室内。その、彼女の言葉には、時間すらも氷結させる威力があった。そして徐々にその氷が溶け始めると

「武藤―っ!」

 教室内の全員が彼の名を呼んだ。力一杯の怒気を込めて。

(あ……僕は、今日死ぬのか)

 昨日半死の状態になり、その後なんとか蘇生に成功したのだが、結局それは半日ほど寿命を延ばしただけだったようだ。それ位クラスメイト全員の目は殺気立っている。全員の眼光を一転に集中すれば、人一人射殺せるのではないだろうかと思うほどに。

 そんな究極ともいえる絶体絶命の中で、真二が昨日以上に死を覚悟したその時

「彼の手を離してくれないかな? 委員長殿?」

 生徒の垣根の中を冷艶とした声が響く。そして全員が見た。まるでそこに忽然と現れたように、委員長の隣に楠木雫那が立っていた。

「わーっっっ!?」

 まるでバケモノを見たかのように悲鳴に包まれる教室内。いや、これだけの注視の中をすり抜けていきなり現れるという行動は、実際バケモノじみているのであるが。余りの驚きに真二の胸倉を掴んだままの姿勢で止まってしまった委員長の手を取ると、彼の胸元から指を離させた。

「今まさにみんなの注目を彼は浴びているようだが、ちょっと私用で彼をお借りしたい。よろしいかな?」

 そんな雅やかな言葉使いを繰り出しつつ、今度は真二の腕を掴み、みんなの顔を見回す雫那。そんな圧倒的存在感を叩き付ける彼女の要求に対して、教室内の全員、蛇に睨まれた蛙のように固まってうんうんと頷くしかできなかった。しかしその中で一人だけ動きを止めていない者がおり、雫那はその唯一の人物の方へ顔を向けた。

「それと円、お前ももうちょっと考えてものを言え」

「えーっ、わたしは本当のことを言っただけだよ~?」

「それがダメなんだと言っている」

 その二人の不可思議なやりとりを聞いて、委員長がなんとか通常活動を取り戻す。

「……というか楠木さん、なんであなたが円のことを『まどか』だなんてなれなれしく呼んでるのよ?」

 公の場では今までなんの接点も見せなかった二人である。そう思うのは自明の理だ。

「私たちは幼馴染だ。文句はあるまい?」

 委員長の異議に対して、雫那がなんの躊躇いもなく事実を告げる。自分たちはもう己に枷をかけて、友人を作らない努力をしないでも良いのだ。それ位の秘密を明かしても、今後の迷宮仕事人としての活動に差し障ることもない。

 しかしその結果はとんでもない事態を引き起こす。様々な意味でこのクラスで注目される二人が、実は幼少時からの知り合いということが発覚したのだ。驚愕の事実をさらりとのたまう雫那に、教室内が再び騒然となった。そしてその混乱を突き、雫那は脱出を図る。この状態の演出も彼女の策だったのか?

「楠木、お前俺のダチを連れてどこへ行くんだ?」

 委員長の次に復活していた伍郎が、混乱に乗じて真二の腕を引っ張って教室を出かかっていた雫那に問う。

「今日、外せない用事ができてな、それにはどうしても彼の協力が必要なんだ。だから彼のことは借りる。すまんな」

 そう答える彼女は非常に良い表情をしていた。はっきりいって可愛い。こんな良い顔が見れたのは、雫那と三年間同じ学び舎で過ごした伍郎にも初めてだった。やっぱり真二は凄い力を持ったヤツだった。こんな短期間であの楠木雫那にこんなにも女の子っぽい顔をさせられるようになったんだからな。だから伍郎には二人の逃避行を止める権利なんてないのだった。

「良いって、良いって、俺のことなんて気にしないで存分に愛を育んでこいよ」

「伍郎!?」

 当事者の一人であろう自分のことは置き去りのまま話が進んで行くのに、思わず抗議の声を上げる真二。しかし今となってはそんなもの、誰の耳にも入らない。

「では失礼する」

 そう言葉を残し雫那は風のように消えていった。もちろん彼女に腕を捕まれたままの真二も、悲鳴だけ残してそのまま一緒に消えていく。

 そんな二人の後姿を嬉しげに見つめている女の子が一人。彼女は何かを大事そうに持つ仕草をしていた。昨日までそこには古ぼけた書簡があったのだが、今はもうそれはない無い。代わりに、彼女だけに見える切符が一枚。

「ありがとう、武藤さん」

 変わらない明日へと進むチケットを本当にくれた彼に、円は心から感謝するのであった。


 登校の為に急ぐ錫白高校の生徒達の中を逆走するように、駅に向かって走る二人。

 雫那も真二に合わせる為に速力を落として走っているが、それでもかなりのスピードだ。

「はぁはぁ……学校、サボっちゃうの?」

「今日ばかりは仕方ない。今日は例年通りなら降雨の特異日だったんだが、見ての通り快晴だ。調べてみたら今現在日本の周りには積乱雲の一つも無い。つまり今日一日は完全に晴れだ」

「それがどういう……」

「雨の特異日が晴れた日に精製を可能とする魔法薬というものも存在するのだ。だからその手の薬は今日のような特殊な条件が揃わないと作り出せない。ある意味霊薬エリクサーよりやっかいだな。そして急遽決まった本日に精製に必要な触媒を用意するにはどうしても人手がいる」

 つまり、学校を休まなければいけないのは確定しているという事らしい。昨日あんな大変なことがあったというのに、休む暇も無い。しかしそんなドタバタとした日常が始まったという事は、変わらない明日が来たという証拠でもある。だから真二も今の忙しさも嬉しく感じていた。そして二人は程なくして駅前に着く。

「キミは電車賃の方は大丈夫か?」

 赤になっている信号の手前で二人は止まり、その間を利用して雫那が真二に尋ねてきた。

「うん、持ち合わせはあるから大丈夫だけど……そんなに遠くまで行くの?」

「ああ、今日はキミの住んでいる街を越えて高雄山まで行く。そこに精製に適したポイントがあるからだ」

 雫那の「山」という言葉を聞いて、真二が少し顔を輝かせた。

「あ、山なら任せて、僕は山育ちだからね。食べられる野草とかも判るよ」

「うん、キミならそうやって頼もしいことを言ってくれると思っていた」

 そして居ずまいを正すと、前触れも無く雫那は深々と頭を下げた。

「改めて、礼を言いたい」

「わ!? どうしたの楠木さん!?」

 突然自分に対してこうべを垂れてきた雫那に対して、真二がどうして良いか判らず慌てる。

「キミがいなければ私はここにはいなかった。予定に定められた命数だけを本当に生きていたならば、昨日私は迷宮の底で自分が殺した幼馴染の隣で、首を掻き切って死んでいた。だからこうやって次の日が来るなんて無かったはずなんだ。降雨の特異日が晴れたからと言って、こんな風に学校をエスケープしてまで急ぐ日も来なかった」

 頭を上げながら雫那が言う。通行人が青になった信号の手前で頭を下げたり驚いたりしている二人を訝りながら横断歩道を渡っていくが、それが気にならないかのように雫那は続ける。

「私があのとき熱で倒れ魔物に食われていたのなら、円は本当に己の手で命を絶つしか選択肢が無かった。彼女の自決により一体どれだけ殉死の呪いが及んだか判らない。そしてそれを悔やみながら自分の命を絶つ瞬間の彼女の気持ちを考えると、死んでも死に切れなかった。だから本当にキミには感謝している。本当に、ありがとう」

 彼女が微笑む。

「だからもう一度誓う。私の命数尽きるまで、キミのことを守ろう」

 それはあの時の夕焼け空に見た玲瓏ブリリアントそのままの微笑み。心からの感謝の言葉。自分のみならず、円もそして他のみんな全てを護ってくれた彼に対する真っ直ぐで透明な想い。本来雨の降る日に太陽が顔を出した今日の空と同じように、雫那の気持ちもどこまでも晴れ渡っていた。

「い、いいよ、べつに、そ、そんな、ぼ、僕あたり前の、ことを、しただけ、だし」

 雫那にはもう定められた命数は存在しないのだ。彼女は自分の寿命が尽きるまで、生きることができるようになった。だからその言葉は一生キミのことを守ると言ったに等しい。一般常識が少し欠けていると思われる雫那自身は、そんな事とは露知らず、彼に対する礼意の気持ちを最大級にぶちまけただけなのだろう。しかし普通に考えたら告白とほぼ同義の台詞に、真二は思いっきり声が裏返ってしまった。こんな台詞を面と向かって言われて、平常心でいろという方が無理な相談だ。

「で、でも僕も、楠木さんに、霊薬エリクサーで助けて、もらったんだから……お相子じゃ、ないの?」

「ならばキミは、二度も私のことを救ってくれたのだ。一つは帳消しになってもやっぱり一つは残る。それに最初に私がキミに助けてもらわなかったら、そこで全てが終わっていた。だからやっぱりキミのおかげだ――」

 そんな恥ずかしい台詞をさらりと言ってのけた雫那は少し考え込むようにして一瞬黙った。そしてすぐに、何かを思いついたように再び口を開く。

「同じ仲間になった者に、いつまでも『キミ』では失礼だな」

 雫那は真二のことを、最初に出逢った時のまま「キミ」と呼び続けていたのに気付いたのだ。

「さて、なんと呼ぼうか?」

 命の恩人と同時に掛け替えの無い仲間となった彼。何時までもそんな呼び方では失礼だ。

「……あれ? 楠木さん忘れちゃった?」

 何とか落ち着きを取り戻した真二は、しかしそんなことは何でもないことのように言う。

「なんのことだ?」

「僕のこと、ちゃんと名前で呼んでくれたことあるよ、一回だけ」

 そう、真二は覚えていたのだ。雫那がたった一度、自分の事を「キミ」では無く違う呼び方をした時の事を。

「……あ」

 全てが始まった、あの日、あの時。地下迷宮の奥底で、倒れる瞬間に口を吐いて出た、その呼び名。それは自分の気付かない内に雫那が差し伸べていた、救いを求める気持ちだったのかも知れない。彼はそれを受け取り、今こうして、彼女の隣にいる。

 ――だから

 雫那は再び姿勢を正すと、真二の前に向き直った。真二も彼女に合わせて向き直る。

「これからもよろしくお願いする」

 そして微笑みながら、その名を呼んだ。

「武藤くん」


 ――Fin――

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龍焔の機械神09 迷宮仕事人(ダンジョンワーカーズ) ヤマギシミキヤ @decisivearm

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