第16話 Spring has come(16)

母との関係は落ち着いても


やはり二人でいることが慣れずに


交わす言葉もあまりない。



「・・いつ、生まれるの。」


母が小さな声で尋ねた。



「9月の終わりくらいやと思う。」



「仕事はどないすんの、」



「とりあえず、産休をもらって。 その後は預けるなりして続けるつもり。 やっぱり仕事は続けたいし、」


萌香は所在無く手で湯飲みを摩ったりしていた。



「そか。 ・・あたしは何も助けてあげられへんしな。 悪いけど、」



15で母になったこの人は


子育てと言えるようなものは、まったくできなくて。



5歳になった自分を施設から引き取ってからも


子供をひとりにして夜中に出かけたりしていた。


それが寂しくてどうしようもなかったことを思い出す。



「不思議な気分やな。 あんたが母親になるなんて、」



「あたしもそう思うわ、」


萌香はふっと笑った。



斯波が自分が親になることを不安に思っていた気持ちは


手に取るようにわかった。



自分だって


親に愛されずに育って


子供の愛し方がわかるのかって不安になることがある。



でも



「大好きな人の子供だから。 もう、その存在を手に抱きたい・・それだけで、」


萌香は素直な気持ちを口にした。




母が


大好きだった人の子どもを身ごもって


どうしても堕ろすことができずに自分を産んだ話を思い出す。



ただ


あまりに幼すぎた母は


理想と現実に押しつぶされて


子供を愛する余裕はなかったんだろう・・



「・・そう、」



母は小さく頷いて


少しだけ微笑んだ。



「え? お母さんが来たんですかあ? なんか久しぶりに会いたかった~~。」


夜帰ってきた夏希は言った。



「そうそう。 前の時は加瀬さんが不思議なもんじゃを作ってくれたのよね、」


萌香は思い出して笑った。



「だから。 不思議じゃなくって! あれがもんじゃなんですってば。」



夏希のおかげで


斯波が留守の間はすごく明るく過ごせた。



「まったく。 加瀬のヤツ勝手にデスクの上、動かしてったな・・」


帰ってきた斯波はリビングの自分のデスクの上を見て文句を言った。



「なんかお掃除もしてくれちゃったんで。」



「だからおれんトコは掃除すんなっつってんのに、」


怒る斯波に萌香はクスっと笑って



「会社にいるのとおんなじ、」


と言った。



「え、」


斯波はちょっと恥ずかしくなって黙ってしまった。



「ほんまに。 みんな支えてくれはって。 幸せやなあって、」


萌香はつくづく言った。



「萌・・」


「人とのふれあいがこんなに温かくて幸せなことやなんて。 昔のあたしはそれさえわからなかった。 ここへ来て、あなたとこうして暮らすようになって。 事業部のみんなと仕事をして。 いったいどれだけのことがあたしの中で変わっていったんやろって。 それは全部、自分が幸せな気持ちになっていくのと平行してそういう気持ちになれたんやなあって。 」



萌香はつくづくそう言った。



悲惨な少女期を過ごして。


自分しか信じられるものがなく



男を利用してのし上がって来た彼女は


こんな小さな


幸せでも


こうして本当に嬉しそうに微笑んでくれる。



「うん・・」


斯波はテーブルの上に置かれた彼女の手にそっと自分の手を重ねた。

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