第6話 Spring has come(6)

「彼は、ほんまに喜んでくれるんやろかって、」


萌香は泣きながらそう言った。



「え・・?」


志藤は萌香の言葉の意味がわからなかった。



「あの人は家族に絶望してた人やし。 私との結婚も、ほんまに勇気がいったと思うんです。 私は彼の子供が欲しいって・・ずっと思っていたけど。 彼は果たしてそう思ってくれていたのかって・・」



萌香は本音を口にした。



「そんなもん。 おまえと結婚って形を取った時点で、斯波は家庭を作ることに異存はなかったはずや。 そんなこと、」



志藤は反論したが



「私を家族として一緒に生きることを選んではくれましたけど。 彼は自分が子供のころに受けた心の傷を今でも引きずっていると思うんです。 ほんまに、子供ができたことを喜んでくれるかが・・怖かったんです・・」


萌香は少しだけ布団から顔を出してそう言った。



二人の


いや


彼女の


彼女だけしかわからない不安なのかもしれない。



志藤は萌香の本当の気持ちを聞いてそう思った。



「アホやなあ・・」



志藤はボソっと


それでいて、微笑を浮かべてそう言った。



「・・本部長、」


真っ赤な目で潤んだ瞳を志藤に向けた。



「もし。 斯波がそんなに小さい男やったらな。 おれがぶん殴るって。 お前は栗栖と一緒に家庭を作って行こうって思ったんやろって。 家族になるってことは、いつかは子供が生まれて、その子を育てながら、父と母として生きる覚悟もあるんやろって。 おれは、デキちゃった婚やし。 エラそうなこと言えへんけど。 でも・・ヨメと一緒になって、同時に子供の親となって。 ・・なんの後悔もしてへん。 ほんまに幸せやって思える。 愛することができる対象が、どんどん増えて。 それが家族なんやなって・・」



いつもの笑顔で


ふっと微笑んだ。




この人は


本当に不思議な人だ。



どうして何事もこうして落ち着いて


笑顔で


全てを解決してしまうんだろうか



萌香は手で涙を拭った。



「斯波はそんな男やないで。 おれは、あいつを心底信じてる。 そやなかったら、おれが大事に大事にしてきたあの事業部を手渡そうやなんて思わない。 おれよりもはるかに男気があって。 一途で。 栗栖を心から愛して・・全てのことを全部わかっててな、おまえのことめっちゃ大事にしたいって思ってるやん。 もし、おれやったらできるやろうかって、思えるほどに。」



優しい


優しい言葉に


萌香はまた涙が止まらなくなってしまった。



「・・もうひとつ、言えなかった理由があって、」


萌香は堰を切ったように志藤に言った。



「え?」



「もし、私が妊娠したって、言うたら。 本部長についていかれへんて・・」



「はあ?」


意味がわからなかった。



「私・・。 やっぱり、本部長とずっと仕事をしていきたいんです・・・」




真っ黒な瞳が


オイルに浮かんだように


光っていた。



「栗栖・・」



「子供ができたら、しばらく休まなくてはなりません。 だけど、私は事業部の仕事よりも、本部長の秘書として仕事をしていきたいんです、」



ずっとずっと


心に秘めていた決意だった。



志藤は黙って考えたあと


「ありがとう。 ほんまに嬉しい。 栗栖がそこまで言ってくれることが。 そのことでおまえを悩ませたのなら・・ほんまに申し訳なかった、」


萌香に頭を下げた。



「本部長、」



「このことは心配するな。 おれはおまえに子供ができたからって、辞めさせようとかそんなことは思わないから。 今はゆっくりと休め。」


志藤は優しく掛け布団を治してやった。




「斯波に。 連絡するから。」



その後にそう言うと、萌香は不安そうな顔をした。



「だから。 心配するなって。 精神的なこともおなかの赤ちゃんに伝わるで。」


彼女を安心させるように言った。



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