二章 異能との出会い 1
「…………」
病室の静けさは寒気を催しながら、俺と他の者達にプレッシャーを掛けていた。
「ねぇライオン、まさか寝ちゃったりしてないよね?」
「勿論だとも。何を話そうか決めてたはずなんだが、それが思い出せずに記憶の回廊を彷徨っていただけだよ」
「えー嘘だよ。1分以上俯いて固まっちゃったじゃん」
ミニサンタはライオンの寝落ちを疑い、ムスっとしている。
「確か、院長室では彼の診断結果と映像のことを話されていたかと……」
「おお、流石は院長!! やはり若さには勝てませんなぁ」
ライオンは膝に両肘を付き、顎を手の甲に乗せた司令官スタイルで話し始めた。
「では改めて自己紹介を。私は長谷川六十。都内で中高一貫の私立校を運営している教育者にして研究者だ。君との関係性は、君を養子として引き取った義父ということになるねぇ」
マジでか。
このライオン只者ではないと思ってたけど、まさか学校のお偉いさんだったとは!!
しかも、おれの義父かよ!?
面識は元々あったっぽいから遠い親戚とかそんな感じかな?
「そして私の左から、防衛省の七瀬さん、法務省の松橋さん、警視庁の黒瀬さんと赤塚さん、そしてこの病院の院長である園山さんと、助手の青葉さんだ」
ライオンからの紹介に次々と一礼する大人達。
「よろしくね。簡単には信じてもらえないと分かった上で話すが、我々は君の敵ではない。どちらかというと味方という枠組みになるかな。勿論君だけではなく、君達にとってもね」
七瀬さんが低い声で俺達に話しかける。
敵ではないと言われても、その圧倒的な威圧感に竦んでしまう。
「んで、そこのアクアマリンのパーカーを羽織った美少女が私の自慢の娘、紫(し)咲(ざき)陽(ひなた)だ」
「…………」
やっぱり娘だったのか!!
今思えば、ヒナタが一瞬だけ使った猫なで声はライオン譲りだったのか。
親子揃ってネコ科だったなんて……。
今からでも他人呼ばわりしたことを謝ったほうがいいかな……。
てか自分の娘を美少女って、親バカにも程があるだろライオンさんよぉ。
「さらに、ピンクのパーカーを着た金髪サイドテール美少女が、ミーティア・エリーゼ君だ。
そしてその隣の美少女が双子の妹、リーティア・エリーゼ君だ。二人ともイギリスからの留学生として預かっている子達だよ。見分け方は髪の結び方だ。姉が右結びで妹が左結び、或いは撫子と薔薇の髪飾りでも判別出来るよ。加えて言うと、たまにシャッフルして私を困らせるのが好きだ」
「「まぁ、困らせるだなんて。それは叔父様の私達に対する愛が足りない証拠ですわ♪」」
口を揃えて姉妹は笑った。
どうしよう……妹ちゃん改めリーティアちゃんだけは天使みたいに思ってたけど、今の話を聞く限りとんでもないドSの匂いがしてきた。
それが姉妹揃ってとか悪魔に見えてくる。
それと君達、仲悪そうにしてたけど、姉が口調を変えるとキャラも被るから必然的に仲良く見えちゃうのよね。
「加えて、そこのサンタ君とオレンジパーカーの美少女は、君の大親友にして最も長い付き合いである川内(せんだい)兄妹だ。右から勇(ゆ)也(や)君と柚(ゆ)香(か)君。彼等のお家には、今後お世話になることになるから、ママさんに宜しく伝えておいてくれると助かる」
「分かったか? ジュン。俺とお前は相棒にして、ガキの頃から育ってきた大親友なんだ。加えてお前は俺の下僕として――ゴフッ!?」
「兄の虚言に付き合う必要はないですが、今後とも仲良くお願いします」
ユカが勢いよくユヤのみぞおちにエルボーを喰らわせた。
「よ……よろしくな……ジュン」
ていうか下僕ってなんだよ。相棒じゃなかったのかよ。
「そして、白パーカーを羽織っているのが名門時雨剣術道場の跡継ぎ美少女娘達、ポニーテールが時雨(しぐれ)百合(ゆり)君、ロング髪に眼鏡をしているのが弥(み)刀(と)蘭(ら)菜(な)君だ」
「よろしく頼む。一応我々とも鍛錬を共にした仲なのだが、覚えていないようだから改めて伝えておく。私達の事は下の名前で呼ぶようにな」
「よろしく。ジュン」
「よろしくです」
マジでか。名門の門下どころか跡継ぎって……。
しかも名前がカッコいい。特に眼鏡ちゃん。
でも剣道っていう割には拳突き出してたのが違和感だな。
更に、俺が剣道やってたなんて驚きだ。
ていうか、この場にはまともな一般人はいないのか……。
「さぁここからは君の話をしよう。君は、自分が誰かわからない、自分の事が思い出せない……言ってしまえば、記憶喪失のような状態に陥っている。違うかね?」
「はい。間違いありません。多分」
自信が無い場合は語尾に多分を付けておけば何となく不安感を演出できる気がする。
「多分か……何故そう思うのか聞いてもいいかね?」
最悪だ。大して意味もない返答を掘り下げられても正直迷惑でしかない。
特に深い意味とか裏とか無いから。
あんたの寝首を搔こうとかそんな腹黒い考えは無いからね?
「強いて言えば、記憶が無いはずなのに、無駄に知識だけはあることですかね?」
「ほぅ……中々良い筋を辿っているね。素直に関心するよ」
……あなたは一体何に感心しているんですかね?
俺の知恵にですか? それとも悪知恵にですか?
「だが君の診断結果は後回しにしよう。それよりも、お昼のニュースは見てくれたかね?」
「一部ですが、見ました」
やっとだ。これで俺の全てが分かる。
「子供達は君のことをジュンと呼んでいるが、これが自分の名前であることは理解しているかい?」
「はい。多少違和感がありますが……」
ライオンの娘から最初に言われた時は自覚していなかったが、その後病室に押しかけてきたこいつ等(ら)のお陰で、それは充分理解できている。
「それらを踏まえて、君はニュースの映像に映っていた人物の誰に該当か……もう分かっていると思うけれど、答え合わせと行こうかな」
ライオンは目を見開き、俺を見る。
その目に一瞬ドキっとしながらも、俺は慎重に答えた。
「〈あいつ〉で合ってますよね。間違っても少年Aとか言わないですよね?」
「うん。正解だ。間違っても少年Aのような殺人者ではない。君は誰一人殺したりしていないからその点は安心していいよ」
「良かった……って何にも良くないじゃないですか!!」
思わず安堵の声が漏れてしまったが、何も問題は解決していない。
むしろ絶望の宣告だった。
「俺があいつなら、なんで俺は今病院のベットの上なんですか!! それに映像も途中で途切れちゃったし……第一、俺があんな性格悪いクズ野郎だなんて信じられませんよ!!」
俺は本心でそう叫んだ。
だって嫌じゃないか。
目の前で磔にされている女の子を助けようともせず「殺していいよ」だなんて、性格悪いで済まされるような問題ではない。
頭のネジが軽く2~30本外れてる。
とても同じ人間とは思えない。
正真正銘のクズ野郎だ。
「残念だけど、事実よ。あなたは外面が良いだけのただのクズ野郎よ」
声を出したのはライオンではなく、その娘だった。
こいつの一言一句は俺を罵倒するためだけにあるのだろうか。
そう考えると無性に腹が立ってきた。
「君、少し黙っててくれるかなぁ……」
「何故私があなたの指図で口を閉じなければいけないのか、その理由をA4用紙に400字以内にまとめてもらえるかしら。そうしたら黙ってあげるわ。納得するかは別の話だけど」
「あーもう、あんたは黙っててよ!! 話が進まないでしょ!!」
姉姫が割って入る。
ナイスアシストだ。見直したぞ!!
「あんな性格悪い姿は見たことないけど、間違いなくジュンだよ。内心めちゃくちゃブチキレてたんじゃないかな」
フォローになってるのかなってないのか、ミニサンタも加勢する。
「でも安心してよジュン。俺はジュンのどんな行動も肯定するよ。何故ならそこに勇気があるから――ゴフッ」
「兄さん、お願いだから黙ってて」
そう言って兄の口を塞ぐ妹。
本当に良くできた妹さんだ。
双子の筈なのに、どうしてこうも性格に違いが表れるのだろうか。
「……話を戻そうか。君の疑問には、ニュースの続きの映像を観てもらう方が早く答えられそうだ」
そう言って、ライオンは持参したビジネスバックから一台のパソコンと、コードを一式取り出した。
「テレビに接続して観よう。勇也君、台に置いてある物を退けてくれるかね」
「了解です!! あ、でも立て掛けてある傘だけは動かせませんよ。重過ぎるんで」
ん? 重過ぎる?
「重過ぎる? それはどういう事だい?」
「いや、言葉の通りに重いんです。俺等には持ち上げることすら出来ません」
「その傘については私が……勇也君は他の物をお願いするよ」
院長が立ち上がり、立て掛けている傘の方へ。
そして持ち手を手に腰を低く屈め、勢いよく持ち上げた。
「ぬおおぉぉぉぉ!!」
しかし、持ち手の方が浮くだけで、剣先が床から離れようとしない。
「あ、青葉君達も、手伝って……」
「「は、はい!!」」
青葉と赤塚、そして黒瀬が加わったことで、やっと傘は床から離れた。
「何ですかこの傘!! 馬鹿みたいに重いじゃないですか!!」
「何キロあるんですかこれ……子供が持てるような代物じゃありませんよ!!」
「……というかこの傘、どこに置けばいいんでしょうか?」
「あ、考えてませんでした……」
おい院長、何やってんだ。
……ていうか、なんでそんなに重そうにしてるのだろう。
「あの……その傘僕に持たせてくれませんか?」
「「ええ!? 絶対持てないよ!!」」
若手二人は口を揃えてそう言うが、俺、さっきその傘振るってたし。
正直、大の大人たちが傘ごときに苦戦している様子は地獄絵図だ。
「彼は先程、その傘で陽とミーティアの喧嘩を止めてくれたばかりなのです。是非持たせてあげて下さい」
「右に同じ。めっちゃ凄かった!!」
ユリとラナが俺を推してくれている。
評価されるというのは素直に嬉しいな。
眼鏡ちゃんは少し狂信的な感じがするけど……。
「そういうことなら、試してみます? 冗談抜きに重いですよ」
院長達は渋々と重そうな傘を俺の方へ寄せてきた。
俺は体を右に寄せ、左手でその傘の持ち手を捕らえた。
「離しますよ。重かったらすぐ手から離して下さいね?」
「分かりました」
そう言って大人達は手を離した。
が、予想された通りの事態にはならず、俺は軽々と片手で黒傘を持ち上げた。
「持ちましたが、どうでしょう?」
大人達に問いかけたが、どれもこれも驚きの表情を隠せないでいた。
「ちょ、ちょっと待ってくれジュン君。君の怪力を疑うわけじゃないが、その傘の重さを測らせてはくれないかい!?」
「おかしいですって!! 大人4人がかりで何とか持ち上がるってのに、それを軽々と!!」
「ずるいぞジュン!! お前専用武器なんてカッコよ過ぎじゃないか!! その魔剣、何処で手に入れた!! 俺も欲し――ぐはっ!?」
「お願いだから大人しくしてて兄さん。あと、私も専用武器欲しいです」
炸裂する回し蹴りに悶絶するユヤ。
妹ちゃんことユカが初めて自分の意思を喋った気がしたが、今はどうでもよさそうだ。
それよりも、何故俺だけが黒傘を持てたのか、その理由が俺にも分からない。
大人達の反応からして、この傘は本当に重いのだろう。
俺が怪力バカだったとしても、傘が持てることの説明にはならないと思う。
それに、傘は俺が左手を掲げると吸い込まれるように飛んできた。
今思えば、まるでアニメやゲームに出てくる異能力のような動作だった。
まるで意味が分からない。
俺は異能力者なのか?
だがそう考えると、子供達が見せた謎の現象の全てに説明がついてしまうのも事実だ。
……認めたくないものだな。自分自身の、力故の苦悩というものを。
「その傘についても後々調べる必要が出てきたねぇ。だがそれも後回しでいいだろう」
ライオンがパソコンのテレビへの接続を終え、再び椅子に戻った。
「ニュースではどの辺りまで流せたのかな、あの映像」
「各報道機関の規制ラインは、窓が割れるまでのようです」
規制ライン緩いな……
ナイフぶっ刺さったりはまだ許容できるかもだけど、銃殺映像はダメだろ。
てか放送事故だろあの映像。
だが、映像の中で窓なんて割れてたっけ?
「窓が割れるような所は映ってませんでしたよ」
「合ってましたか。ではそこから先の映像までスキップしましょう」
「君が戻ってきた後の映像だね。そして〈奴〉が現れた所の映像だ」
大人2人が確認を取っている。
やはり映像には続きがあったようだ。
ここでまた気になる発言が。
七瀬さんが〈奴〉と呼んだのは俺とは別の人間なのか?
そいつが俺を病院送りにしたのか?
正直、未知にはもううんざりだ。
俺は真実だけで生きていきたい。
「さぁジュン君、心の準備はいいかい?」
テレビには、少年Aが少年DとE、そして少女DとEに銃口を突き付けたあのシーンが映し出されていた。
「はい。お願いします」
その声と同時に、ライオンは映像を再生した。
◇
『処刑する!!!!』
バリィィィン!!
ドオォォォン!!
ゴンッッッッ!!
『ガハッ!?』
寝返った仲間達に制裁を加えようとした瞬間、黒いオーラを纏った物体が窓ガラスを突き破り、少年Aを直撃した。
その反動で少年Aは手にした拳銃を落とし、廊下側の壁に吹っ飛ばされて倒れた。
少し遅れて、丸い物体が床を転がってくる様子が映し出される。
……サッカーボールだ。
少年Aを襲ったものの正体は、どこかからか蹴り込まれたサッカーボールだった。
しかも紺色でガラのないデザイン……この病室にあるものと全く同じものだ……。
嘘だろ!?
教室の外から少年A目掛けてボールを直撃させるだなんて、とんでもない神業だ!!
しかもとんでもない威力。
教室が何階に位置するかは分からないが、それでも狙い撃ちしてみせる圧倒的技量には感服するばかりだ。
『メリークリスマス!! 僕からのクリスマスプレゼントは受け取ってくれたかい? あー、まさかとは思うけど、この程度でくたばったりはしてないよねぇ? するわけないよねぇ? 死なないように加減してあげたんだもん』
電話越しに〈奴〉の悪意が響く。
やはりボールを蹴り込んだのは俺で間違いなさそうだ。
すげぇや、俺。
プロサッカー選手顔負けの技量だ!!
「この性格の悪さは病気ね。吐き気がするわ。折角だからこの病院で診てもらったら?」
「黙ってろって言ったわよね?」
相変わらず喧嘩してるなぁ、ライオンの娘と姉姫は。
『皆、ボーっとしてないで、サッカーボールと拳銃を回収してね。勿論、シリンダーを開いて弾を取り除くことも忘れずにね』
『あ、ああ。わかった』
少年Aが吹き飛ばされる光景に茫然としていた元いじめっ子達は正気を取り戻し、〈奴〉の指示に従う。
少年Dが拳銃を拾い上げ、言われた通りの処理を施している。
『あれ?』
『ん、どったの?』
『いや、弾の並び順がおかしいんだよ。最初の一発、撃ち出されるべき弾が入ってないんだ』
……入ってない? 空撃ちか?
『ふーん、そういうことか。彼なりに僕を騙そうと工夫を凝らしたみたいだね。残った弾は5発、対して装填できる弾は6発。最初の一発をジャムったと見せかけて、僕の油断を誘おうとしたんだね。やるじゃん』
異様な緊迫感の中、冷静に分析する〈奴〉。
ここまでくると、その余裕が何処から来るのか、是非見習いたいものだ。
「ねぇ、ジャムるって何? いまのどういう意味?」
「弾詰まりのことだよ。後で教えてあげるよ」
だからお前は黙っててくれユヤ!!
『でも皆、まだ油断しちゃだめだよ。そいつまだナイフを4~5本隠し持ってるから、死にたくなければ大人しくしてな。あと弾とは別に、その拳銃ともう一丁空になった拳銃は窓の外に投げ捨てちゃって。予備の弾を持ってるとも限らないからね。あと、掴むときは手袋越しかハンカチにくるんでね。指紋は残さないように』
『大丈夫、ゴム手袋してるから』
そう言って、少年Dは落ちていた方と合わせて2つの拳銃を投げ捨てた。
『さて、今まで僕は君に何度も罪を償うチャンスを与えてきたけれど、どうしてそれを受け入れられずに抗い続けてきたのかなぁ? 君もバカじゃないんだから、僕にはどうあがいても勝てないことくらい、とっくの昔に気付いてると思うんだけど』
『誰が……誰がお前なんかに……』
『ごめーん。何言ってるのか全然聞こえなーい!! 電波悪いのかなぁ?』
『誰がお前みたいな化物の言いなりになるかぁぁぁ!!』
懐からナイフを2本取り出し、声を荒らげる少年A。
少年Aは〈奴〉の言葉に反応して立ち上がった。
執念深いというか、陰湿というか……。
「凄いや!! この子勇気に溢れているよ!!」
「悪いユヤ、ちょっと静かにしてて」
ホントうざったいなこいつ。
思わず口が出ちゃったじゃないか。
『そんなんで一体何するつもりなのさ。僕には勝てないって今さっき言ったばかりだよね?』
『そうだな……フフッ、認めるよ。俺はお前より弱い』
少年Aはどこか余裕を見せながら喋る。
『けどさぁ……刺し違えるくらいはできるんじゃないかと思ってさぁ!!』
『がぁぁぁあぁ!?』
少年Aは、凶刃に倒れた少女Aの腹を勢いよく踏みつけた。
「あの野郎!!」
思わず口に出てしまった。
「落ち着きたまえ。まだ先がある」
ライオンの言葉に平静を保とうとするが、いまいち怒りをコントロールできている感覚はなかった。
『何してんのよあんた!!』
『黙れ』
制止に入ろうとした少女Dをナイフで威嚇する少年A。
『誰でもいい。10秒以内に椅子を用意しろ。でなきゃ問答無用でこいつを殺す』
そう言って少女Aの首にナイフが突きつけられ、容赦なくカウントが始まる。
『10、9……』
『誰か~椅子を用意してあげて~』
〈奴〉はその様子に対して、少年Aの要求を呑んで指示を出す。
そして映像の後ろから、どこからともなく一人の少年が椅子を用意して戻った。
少年Aは、ぐったりした少女Aを無理矢理座らせ、その背後に回り、再び左右から首を絞めるようにナイフをあてがう。
『聞こえてるか。それとも見てるかって言った方がいいか? こいつこのままだと死ぬぞ。お前のせいでな』
『……言っている意味が分からないんだけど。僕の目と記憶が確かなら、彼女は君が投げたナイフのせいで死にかけてる筈(はず)なんだけどなぁ?』
『いいや、お前のせいだ。お前は逃げ出した。そのせいでこいつは死ぬ羽目になるんだ』
『えー、勝ち逃げが卑怯だなんて誰が決めたの? 君、兵法って知ってる? 大将自ら前線に赴くなんて、論外だからね?』
『黙れ』
少年Aはナイフでの刃先少女Aの首を傷つける。
『痛っっっ』
少女Aは痛みに悶(もだ)えている。
首からは少量だが出血しているのが確認できた。
彼の目は殺人鬼そのものだった。
『お前が来ないならこのまま殺す。邪魔が入ろうとも、確実にこいつの首を掻く』
『ねぇ、どうしてその子が僕への人質になると思ったの? 僕にとってどうでもいい奴ばっかなんだけど。それともただ単に僕を……俺を怒らせたい訳?』
〈奴〉は聞くからにイラついた口調で話している。
『そうだよ? よく分かってるじゃん。君は自分のせいで誰かが傷付く事に耐えられない。だからこいつに自分の技を教えたんだろう?』
『別にぃ。教えてってお願いされたから教えただけだよぉ? あと可愛かったから!!』
『御託はいい。要は誰でもいいんだよ。俺がお前のせいとして納得すれば、それはお前のせいになる』
『自己暗示ってやつ? 図々しいにも程があるけど、まぁ間違っちゃいないよ』
『だろぉ? 少しくらいは俺もお前の性格を分かってるつもりだからさぁ……』
『分かった分かった。今すぐ教室に戻るから、窓を完全に開けておいてくれないかい? さっき割った窓でいいよ』
『お前、今度は空でも飛ぶ気か?』
『いや、それは無理だった。でもジャンプして登るから変わりないよ』
ジャンプで登れるとかどんな超人だよ。
『あ、言うの忘れてた。君自身が窓を開けに来ない限り、僕は戻らないよ。その間、周りの奴等は一歩も動かないでね。フリじゃないよ? 絶対だよ?』
『……分かった。今開ける』
そう言って、少年Aは少女Aからナイフを離して片手にまとめる。
そして、割れた窓を慎重に開けた。
次の瞬間……
〈奴〉は窓の外を外壁の何かを伝って走ってきた。
少年Aはそのスピードに反応しつつも、ナイフを構える暇は無かった。
〈奴〉は勢いをそのままに、窓際の少年Aの顔面目掛けて膝蹴りを喰らわせた。
『ぶぐわぁぁ!!』
『おらぁ!!』
『げはっっ』
加えて〈奴〉は空中で前方宙返り蹴り……ムーンサルトをお見舞いし、さらに右手で逆手持ちにした黒傘を振り放って、空中に浮いた少年Aの体に追い打ちを掛けた。
『がっ……がはっ』
少年Aは〈奴〉の連撃を正面から受け、そのまま床に倒れた。
顔からは血が流れ、呼吸も荒くなっている。
少年Aを退(しりぞ)けた〈奴〉は、風のように軽い身のこなしで、重症の少女Aの元へ詰め寄る。
そして優しい声を掛けていた。
『ごめんね。僕は君を許してあげるって言ったけど、彼女が君を許す訳ないことを考慮してなかったよ。本当にごめんね』
『じ……君……ごめん……』
『謝らないでよ。これは僕のミスなんだ。せめてものお詫びに、これを渡しておくよ。少しは楽になると思うからさ』
そう言って、〈奴〉は黒パーカーの内ポケットから、真っ黒なカードを取り出した。
そして少女Aの左手に持たせた
『これを傷口に当てて押さえておいて。ちなみになんだけど、血液型は?』
『……O…………-(マイナス)……』
マイナスって抗原が少ない珍しい血液だよな……。
『マイナス? まぁOなら問題ない。念のため他の皆にも聞いておこうかな。この中でO-(オーマイナス)の人、手~挙げて』
〈奴〉は教室の者達に確認を取る。
『んー、やっぱ彼女以外にはいなそうだね。君も君で、輸血に応じるつもりは無いんだろ?』
磔の少女は反応一つ示さず、黙り込んでいる。
『……悪かったよ、殺していいだなんて言って。でも演技ってことくらい分かってるだろ?』
『言われなくても分かってるわよ。散々打ち合わせしたじゃない』
〈奴〉の謝罪の言葉にやっと反応を示した磔の少女は、縛られていた縄を例の黒い光で軽々と斬り裂き、立ち上がった。
〈奴〉と少女Aに向かって歩きだした元磔の少女は嘲笑うように話し始めた。
『ごめんなさいね。あなたに当てるつもりは無かったのだけれど、制御が難しくてね。弾いた後の軌道まで考える余裕は無かったの。本当にごめんなさいね』
『嘘つけ。君はそこまで弱くない』
『お褒めの言葉どうもありがとう。それよりもその女、じきに死ぬわよ』
磔だった少女はそう言って〈奴〉と少女Aの元へ歩み寄る。
『もう軽く1リットル以上出血してるでしょう? 冗談抜きでヤバいわよ』
『だったら輸血に協力しろ』
『どうして私がこんなクズの為に血を分けてやらないといけないのかしら? 私達のことを散々陥れておきながら、絶対に勝てないと分かって簡単に寝返るような腹黒女よ。それでいていつも被害者面。いいじゃないの。今その女、最高に被害者面が似合ってるわよ』
クスクスと、少女は笑う。
その嘲笑には積年の恨みや激しい憎悪の感情が隠しきれずに零(こぼ)れていた。
『それは困るなぁ。俺の血を分けてもいいんだけど、輸血する程の量を与えたらどうなるか分からないからなぁ……下手したら死ぬかも』
与え過ぎたら死ぬ血って、どんな中二設定だよ。
俺は鬼か何かなの?
『やるにしても、一回映像――』
バーン!!
ガギィィィン!!
〈奴〉の声を遮り、銃声と、それを弾く音が響き渡る。
それは、うつ伏せに倒れた少年Aの方から発せられたものだった。
伸びた右腕には、1丁の、グリップに円で囲まれた星マークが入った拳銃が。
リボルバーではない、別の種類の拳銃だ。
「54式!?」
黒瀬が驚きを隠せずに立ち上がる。
「なにそれ? あの拳銃の名前なの?」
ユヤがたまらず質問する。
「一般的にはトカレフ、あるいは黒星(ヘイシン)と呼んだ方が分かりやすい。中国で大量生産されたものが日本に持ち込まれた可能性が高い。そして元の持ち主は恐らく、交番襲撃事件の犯人だ」
「恐ろしいことですな。この日本国において、たった12歳の少年が拳銃を扱う映像が拡散されてしまうとは……」
七瀬もまた顔を強張らせて言い放つ。
それよりも、俺は〈奴〉が3丁目の拳銃の存在を把握していたかが気になる。
これもシナリオ通りなのかどうかが気になる。
『あれぇ、おかしいなぁ。君、まだ拳銃持ってたなんて。まぁ、君がゴソゴソと懐を漁っていたから予想はしてたけど』
分かってたのね。
流石は俺。
褒めるべきではないけど。
『でもどういうこと? 俺じゃなく彼女を狙うだなんて』
『私はこいつと同じ技が使えるのに、どうして殺せると思ったのかしら』
少女Aの前に立ち塞がる形で〈奴〉は左側、元磔の少女は右側に立ち、少年Aと相対する。
うつ伏せの状態だった少年Aは、立ち上がり拳銃を構えている。
呼吸は荒く、今にも気を失いそうだ。
『お前等を……まとめて殺す方法が……今……やっと分かったよ……』
『分かった? 思いついたの間違いじゃないのか? まあ無駄だろうけど』
『ふふふふはははははははっ!! やっぱりだ!! やっぱり気づいていないみたいだなぁ!!』
少年Aは勝利を確信したかのような笑い声をあげる。
『ねぇ、こいつ何を笑っているの? 頭おかしくなったの?』
『……なるほどねぇ。そういうことか。そろそろいい頃合いかもしれないね』
『は? 言ってる意味が分からないのだけれど?』
元磔の少女はこれから何が起ころうとしているのかを全く理解できていない様子。
そして〈奴〉もそれを分からせるつもりはないらしく、黒傘を左手に持ち直して構えた。
『分からないならいいよぉ……。分からないまま死ねばいいよ』
そう言って少年Aは、拳銃を連射した。
バーン!!、バーン!! バーン!!と銃声が響く。
そしてその狙いは全て、2人の間に位置する少女Aに向けられたものだった。
銃弾は今までと同じように黒い光に弾かれて、2人の正面の床目掛けて撃ち落されているのが分かったが、どうにも様子がおかしい。
例の黒い光は、銃弾に関係なく2人の間で花火のように発光しては消えを繰り返していた。
異変を察知したのか、元磔の少女はその場から右手に飛び退いた。
だがそれを少年Aは見逃さず、狙いを彼女に変えて撃ちまくる。
バーン!!、バーン!!、バーン!!、バーン!!
『くっ!!』
元磔の少女は黒い光の力で何とか堪えていたが、どうやら限界を迎えたらしく、頭を押さえながら足元から崩れ落ちる。
『きひゃははははははっ!!』
その様子を見て、少年Aは持っていた拳銃と懐のナイフを〈奴〉に投げつけ、牽制しながら左手にナイフを構えて少女Aに突進してきた。
投げつけられた武器に対して〈あいつ〉は黒傘を器用に振り回し、全てを撃ち落した。
が、その間、少年Aと元磔の少女の距離は歩幅歩程に迫っていた。
『させるか――』
『やめて!!』
『ぐっ!?』
突如、少女Aが椅子から起き上がり、元磔の少女にショルダーチャージを加えて突き飛ばした。
『馬鹿野郎!!』
『死ねぇぇぇぇぇぇ!!』
グサッッッッ!!
ナイフが腹に突き刺さった。
『……痛えな……おい……』
それは元磔の少女を庇いに入った少女Aの声ではない。
その少女Aの為に、黒傘を投げ捨てて庇いに入った〈奴〉……俺だ。
凶刃は少年Aの左手から、〈奴〉の右下腹……下半身に近い位置に突き刺さり、止まった。
『あんた……何してんのよ……』
『……何で……が……?』
少女Aは今にも気を失いそうに愕然とした表情で言った。
『きゃはははは!! 捕らえたぞ。もう技は使えない……お前は終わりだぁ。死ぬまでこの手を離さな――』
少年Aの卑しい声が響いたと思ったら、その声と体は急に固まり、痙攣をおこしているように見えた。
『うーん、どうしよっかな~このナイフ、抜いたら確実に出血酷くなるよなぁ……』
刺されている筈の〈奴〉は呑気に話始める。
『とりあえず、その汚い手を放してくれるかなぁ。あー、ゴム手袋しておいて良かったぁ』
〈奴〉は、少年Aのナイフを持つ左手の指を一本一本ほどいていった。
『悲しいなぁ……。学習能力の無い君の愚かしさを見ていると、僕は本当に悲しくなるよ』
そう言って、〈奴〉は固まった少年Aの顔面を1発、殴りつける。
だが少年Aは、その衝撃に対して顔が引きつるでもなく、恐怖の感情を露わにするでもなく、体ごと吹き飛ばされるでもなく、硬直したままの無反応を貫いた。
『な……何が起こってるの?』
元磔の少女は、その不可思議な光景に、たまらず問いかける。
『さぁ……何だろうね』
そう返答した後、〈奴〉は勢いよく左足を上げた。
『ぐわはっ!?』
瞬間、少年Aは先程殴られた勢いを再現するかのように顔がめり込み、後方へと吹き飛ばされた。
その光景に驚く映像の中と病室の一同。
何が起こってるのか、俺にはさっぱり分からなかった。
『て……てめぇ……何をした!?』
『当ててごらんよ。クイズ、好きだろ?』
低く怒りの籠った声で〈奴〉は少年Aの元へ歩み寄る。
『そういえば、3問目のクイズの正解発表がまだだったね。僕が今、考えていることは何でしょうか……さて、何だと思う?』
『黙って死――がっ!?』
少年Aはしぶとくも立ち上がり、殴り掛かろうと向かったが、〈奴〉の左足踏み一つで再び硬直してしまった。
『今度は縛るだけにしといてあげるよ。じゃないと答え合わせが出来ないからね』
縛る? まるで意味が分からない。
だがハッキリと言えるのは、少年Aの体の制御は〈奴〉の支配下にあるということだけだった。
『ひ……卑怯だぞ……こんな――』
『最後のチャンスだ。今僕が考えていることを当てられたら、君を許すどころか、逃亡の手助けをしてあげよう!! さぁ、答えたまえ!!』
『バカなの!? さっさとトドメを刺しなさ――がっ!?』
横槍を入れようとした元磔の少女は、〈奴〉の右足踏みで少年Aと同じように固まって動かなくなった。
……まるで時間が止まってしまったかのようだった。
『な、何を……』
『僕は今彼と話してるんだ。邪魔しないでよ。さぁ、答えてくれ』
『そ……そんなもの……決まってるだろ……』
『ほぉ。随分な自信だね。これは期待してもいいのかなぁ』
『お……俺を……どうやって殺そうか……だろ?』
『不正解』
『げはっ!!』
少年Aの回答を確認した瞬間、〈奴〉は再び殴り掛かる。
1発ではない。左右の拳による連続殴打だ。
一撃一撃のダメージを確かめるように、それは一定の同じ間隔を刻みながら合計10発、繰り出された。
同じ勢い、同じ威力で、〈奴〉は少年Aを殴り続けた。
少年Aは額から汗するように血を流し、意識も朦朧としている。
『ぁぁぁぁぁぁ……』
足は固まったまま、立ったままの姿勢で床に倒れることも許されず、声にならない掠(かす)れ声だけが聞こえる。
もはや彼は虫の息だ。
『正解はね……君をどんな風に殺人者に仕立て上げようか、だよ。僕は今まで君を更生させる為に色々と努力を積み重ねてきたけれど、君は何一つ受け入れようとせずに僕への憎悪の感情だけを溜め込んでいった。結果、僕は失望したんだよ。暇潰しの玩具にもなれない君に飽きたんだ。だったら、君が心の底から望んでいた悪人に!! 後戻りできない程の悪人に!! 堕としてあげようと思ってさぁ……』
少年Aの髪を掴み、顔を引き寄せて〈奴〉は続ける。
『けれどあまりにも簡単に事が運びすぎちゃって、拍子抜けっていうか、なんていうか…… 欲が出てきちゃってね。銃殺だけじゃ何かがもの足りないと思ってたんだ。考えてもみてよ。引き金を引くだけで簡単に人を殺せちゃったらさ……罪悪感なんか残る訳ないじゃない?』
左足を上げる〈奴〉。
そして少年Aの足元が崩れ、前傾姿勢なまま倒れそうになった所を突き飛ばした。
少年Aは窓際の壁に激突し、もたれかかるように座り込んだ。
『言っておくけど、僕は拳銃を使った殺人を否定するつもりは無いからね? 拳銃でも人を撃ち殺せばそれなりの罪悪感を覚えると思うし、それが故意だろうと正当防衛だろうと、酷けりゃ精神を患った挙句に自殺するかもしれない』
〈奴〉の正論節はとどまる事を知らない。
『でもね……それじゃダメなんだよぉ……しっかりと、はっきりと、その手に、その心に、その魂に、殺したという感覚を!! 感触を!! 実感を!! 残すためには、直接的な殺し方じゃなきゃダメなんだよ……』
腹にナイフが刺さったままであるにも関わらず、悠長に、狂気的に、〈奴〉は喋る。
『僕を直接刺し殺すことで、君という作品は完成する!! 作品名は……特に考えてなかった。〈12歳の殺人鬼〉とか、そんなシンプルな感じでいいんじゃないかな? あはははは!!』
『あ、あんた……まさか、わざと刺されたんじゃないでしょうね?』
突如、元磔の少女が硬直から解き放たれ、〈奴〉の元へ詰め寄る。
『いや、そのつもりだったけど、君を嫌っていた筈の彼女がまさか身を挺して庇いに入るとは思わなくてさ。結果的には事故だよ。全く、人を思い通りに動かすってのは、中々難しいものだね』
『ふざけないでよ!! だからって、あんたが庇いに入る必要はなかったじゃない!! そいつもこいつもあいつ等も、死んで当然のクズ野郎共なのに!!』
『そうだよ。こいつは死んで当然の事をして来たんだ!! 今まではお前の指示で誰も自分からはやり返さなかったけど、もういいだろ!! 何で最後の最後で庇うんだよ!!』
元磔の少女の眼には涙が、そして撮影者の少年も鼻をすすっていた。
それは悲しみというよりも、怒りの感情が勝った涙だった。
『君等の言う通りだよ。こいつ等はこの学校の中でも選りすぐりのクズ共だ。本来なら庇う理由なんて無いよ』
〈奴〉は彼らの言葉を受け止めて自分の意見を話している――
『でも……一息(ひといき)に殺しちゃったら、つまらないとは思わない?』
……は?
『簡単に殺しちゃったら、僕が今まで溜めに溜め込んだ暴力カウンターはどうなるのさ!! そこに転がってるクズの殴る蹴るだけでも3万4498発分のストックが残ってるんだよ? まだ200発も返してないんだよ? やられた分はやり返さないと割に合わないでしょ?』
そう言って〈奴〉は再びパーカーを漁り、黒いカードを少年Aの口に突っ込み咥えさせた。
少年Aは朦朧(もうろう)としていた目に光が戻り、受けたダメージが回復しているように見えた。
『簡単に死なせてたまるかよぉ。君は瀕死の状態と全快状態を行き来しながら、今までの僕に対する借金を全額返済するんだ。あ、借金って言い方には語弊があるね。それだと利息分だけで一向に返済できなくなっちゃうもんねぇ? あはははは!』
『……あなたの言っていることの意味を理解したくないわ』
『酷いなぁ。君の僕の唯一の……いや、唯三くらいの内の1人の理解者だと思って信頼してたのに、こうやって拒絶されたら、ピュアでウサギな僕は悲しくて死んでしまいたくなるよ』
『死ぬなら勝手に死になさいよ』
『言われなくてもじきに死ぬよ』
『えっ……』
『そりゃそうでしょ。刺されてんだよ? 俺はバチボコ強いけど、不死身じゃないんだよ』
『…………』
『まぁ、全部無かった事にもできるんだけど、そしたら真の意味で俺死んじゃうからさ……』
『今度は理解できないわ……』
うん。俺にも理解できない。
『そんなことよりも、まずはこの空間を何とかしないとね。皆を無事にお家まで帰さないと――』
『――!?』
何を思ったのか〈奴〉は左手を天に掲げ、黒傘がその手に戻った。
不穏な空気を感じ取った元磔の少女も右手を掲げると、映像の後ろの方から紅(べに)傘(がさ)が吸い込まれるようにその手に収まった。
『そこにいるのは誰だ。出てこい』
『始めからはいなかったわよね。何時入ってきたのかしら?』
2人は映像越しの俺達に話しかけるように声を張った。
すると教室の後ろの方であろう場所から、加工されたような声が聞こえてきた。
『無様ダナ、鬼』
『誰なのあなた?』
『誰カダト? ……特ニ考エテナカッタ』
『おいおい、じゃあ僕は君のことを何て呼べばいいんだい?』
『名前ナド必要ナイガ……折角ダ。オ前達ニ命名権ヲヤロウ』
何だ? 誰と話してる?
『おい!! そいつ映像に映ってないぞ!!』
カメラの近くから聞いた覚えのある声がする。
これは撮影者の声だ。
『へぇ。面白いじゃん。で、何の用なの? ファントムナイト』
『ファントム? ……ナルホド、幻カ。イイ名前ダ。気ニ入ッタ』
『で、何の用ですか?』
『君は僕等の敵なの? 味方なの?』
『……ソノ質問ニ答エルトスルナラ、ドチラデモナイ』
その声と共に2人は黒板の前までバックステップで飛び退いた。
すると、カメラの目の前で何かがはためくような音がした。
『私ガ来タ理由ハタダ一ツ。未来ヲ変エニ来タノダ』
『……つまり君は未来人なんだね? 凄いや!! ねぇ、俺が何歳で結婚するか分かる? ついでに誰と結婚するか、子供は何人できるか、戸籍に×はいくつ付くかも教えてよ♪』
『何興奮してんのよ。そんなことより、未来を変えるってどういうことなの?』
『……コウイウコトダ』
次の瞬間、2人は傘を構えて防御態勢を整えた。
その構えは意味を成したかどうかは分からない。
だが、映像の中にはショッキングな変化が見受けられた。
『ぎゃあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
叫び渡る悲鳴。それは周りでカメラを構えていた子供達からのものだった。
そしてその叫び声の矛先は、少年Dと少女Aを除いて生き残っていた4人のいじめっ子達、少年A、E、少女D、Eだった。
彼等の首元を黒い光が一閃し、血飛沫も、叫び声も上げることもなく、泣きながら座っていた彼女等の、そして黒いカードを咥えたままの少年Aの頭部を斬り飛ばしたのだ。
黒い光、あれは〈奴〉や元磔の少女が使用していた技と寸分たがわぬものだった。
そして元磔の少女は、その非現実的な殺人を前にして言葉を失っていた。
『……任務ハ完了シタ。私ハ失礼スル』
『待て』
〈奴〉が一歩前進して話し掛ける。
『何ダ』
『何で殺した』
『未来ノ為ダ』
『理解できない』
『知ル必要ハナイ』
『償いの機会を与えようとは思わなかったのか?』
『心ニモ無イ事ヲ言ウナ。コイツ等ノ事ハ暇潰シノ玩具程度ニシカ思ッテイナイノデハナカッタノカ?』
『そうだったね。じゃあハッキリ言うよ。勿体無いじゃないか。殺しちゃうなんて』
『コヤツラハ死刑囚ダ。本来デアレバ、コノ場ニ居ル全員、コ奴等ノ手デ皆殺シニサレテイタノダ。オ前モ彼女モ、例外無ク、ダ。コノ場デ魂ヲ狩リ取ル必要ガアル』
『それは君が元居た未来の話をしているの? だとしたら、ここは君の知ってる世界じゃないよ。よく似たパラレルワールドだ。君達の介入する余地は無かった筈だよ』
『……ドウ受ケ取ロウガ自由ダガ、余計ナ詮索ハスルナ』
『んじゃあさ、後3つだけ聞かせてよ。必ずしも答えなくていいからさ』
『……イイダロウ。言ッテミロ』
『なんで僕の事は殺してくれないの? 真に危険な奴を殺す必要があるなら、こんなクズ共より僕の方が圧倒的に驚異度は高いと思うけど』
『……オマエハ、死ニ場所ヲ求メテイルノカ?』
『君……質問を質問で返さないでよ』
『……殺スダケナラ容易ダガ、ソレハ世界ニトッテノ損失ダ。自覚ガアルダロウ?』
『ふーん、そういうこと。じゃあ次の質問ね。何でその技が使えるの? 未来の僕が君に教えたりした? 有り得ないだろうけど、君は僕じゃないよね?』
『……質問ハヒトツニシロ。ドチラカダケダ』
『では後者で。君は僕ではないんだね?』
『アア。オマエデハナイ。オマエノコトヲヨク知ッテイルダケノ、タダノ他人ダ』
『ありがとう、ファントム。その答えが聞けただけで充分だよ』
何を納得したのか全く理解できないが、〈奴〉は安堵の顔を浮かべた。
『……ドウシタ。最後ノ質問ガ残ッテイルゾ』
『ん? 言っていいの?』
『勿論ダ。私ニ名ヲクレタ礼ダ』
『じゃあ遠慮なく』
〈奴〉は右足を大きく上げた。
『何ヲスル……止メロ!!』
ファントムの制止の声も虚しく、〈奴〉はその場で地鳴らしをした。
不快なハウリング音が遅れてやってくる。
同時に、今まで画面に映らなかったファントムの姿が鮮明に映し出される。
黒ずくめの風貌のファントムは、全身を隠すようにフード付きマントを羽織っていた。
さらに顔には遮光グラスがはめ込まれた仮面と、左右にフィルターの付いた口元の大きな黒マスクを着けていた。
恐らくマスクの中にボイスチェンジャーを仕込んでいるのだろう。
加えて右手には黒い槍……いや、傘だ。
傘の先っぽの部分、石突きが普通の傘より長く作られている為、槍と見間違えてしまった。
『貴様……何故ソノ技ヲ今使エル……!?』
ファントムは驚きと怒りを隠しきれずにいる。
『最後のは質問というよりかは警告だよ。4人を殺した君を、僕が許すとでも思ってるの? あと、貴様っていうのは目上の人に敬意を込めて使う言葉だから覚えておくといいよ』
『ドウデモイイ!! 貴様、我々ニ本気デ喧嘩ヲ売ッタナ……!!』
その手の黒傘を〈奴〉に向けて構えるファントム。
『我々って飛躍が過ぎない? 僕は既に君等の正体が分かっちゃったよ』
〈奴〉は黒傘を右手に持ち替え、頭上で反時計回りに振る。
その回転が正面の位置に来る前、左斜め下に軌道を変え、体ごと態勢を低くして一回転、正面に戻ると同時に勢いよく斬りはらった。
だが映像を観る限り、特に変化は見られない……。
『ナルホド、ソレガ貴様ノルーティーンカ』
〈奴〉の言葉にファントムもやる気らしく腰を低くする。
一触即発の状況だ。
『待って!! 本気で戦うの!? 勝算はあるの!?』
元磔の少女は立ち上がり、〈奴〉の後ろから声を掛ける。
『左回転の君が横槍を入れなければ、勝てるかもね』
『っ……』
『図々しいようだけど、一つ頼んでもいい?』
『他ノ奴等ニハ手ヲ出サナイデクレ、ダロ』
『……察しがいいね。皆聞いてた通り、巻き込まれないよう端に寄っててね』
言葉の通りに教室の端に退ける撮影者の子供達。
撮影カメラもまた移動され、後方から教室前方をさらに見渡すアングルとなった。
『君には手加減してあげるつもりだけど、他の奴等を巻き込んだら楽には殺さないよ?』
『……来イ!!』
ファントムの声と同時に両者は右手で傘を天に掲げ、お互いの技を叫んだ。
『テン――っ!?』
『ダークテンペスト!!』
恐ろしく不吉な技名、それを理解した瞬間、〈奴〉は詠唱を中断し、懐から三度黒いカードを何枚も取り出し、勢いよく床に叩きつけた。
そしてファントムの詠唱が途切れない内に一瞬で懐に飛び込み、斬り掛かった。
次の瞬間、周囲一帯が黒い旋風で飲み込まれ、教室に存在する椅子や机、黒板から壁に至るありとあらゆるものが引き裂かれた。
周りの子供達は叫び声をあげつつも、何らかの障壁に守られている様子だった。
斬り掛かった〈奴〉の黒傘は、突如ファントムの左手に出現した2本目の黒傘に阻まれ、攻撃を防がれた。
一時的につばぜり合いの状態に持ち込まれたが、ファントムは技の詠唱を終え、その右手の黒傘を〈奴〉目掛けて振り下ろした。
〈奴〉はギリギリの所で後方へ飛び退き、攻撃を回避した。
ファントムは〈奴〉の回避の隙を見て、割れた窓の方に駆けていく。
それを逃すまいと〈奴〉は再び技を放った。
『黒影放雷!!』
〈奴〉の左手は大気を巻き取るようにして構えられた。
そしてその手から黒い稲妻型の光線が放たれる。
技の名の如く、雷が落ちるようなスピードでファントムを直撃した。
『グルルオォォォォ!?』
けたたましい悲鳴が聞こえた。
まるで本当に雷に撃たれ痺れているかのように見えた。
〈奴〉は技を継続しながら、追い打ちの攻撃を仕掛けた。
『黒影一閃!!』
右手の黒い傘が、その上さらに黒いオーラを纏い、そして真っすぐに斬り払った。
黒いオーラはかまいたちのように形を持って具現化し、ファントムに襲い掛かる。
『グッ…………ヌオオォォォォォ!!』
ファントムは痺れながらも、右手の傘を教室中央付近に投げ捨てた。
そして斬撃が直撃する直前、ファントムの姿は傘が投げ捨てられた位置まで左手の黒傘をその場に残して一瞬で移動し、斬撃から身をかわした。
ファントムにかわされた斬撃は、そのまま窓付近の壁を直撃し、ドゴーンという直撃音とともに大穴を開けた。
『ハァ……ハァ……』
ファントムは息も絶え絶えに、立ち上がる。
その光景は誰がどう見ても人の技とは思えない、超次元の戦闘だった。
『君……何でその技を使えるの? 強力過ぎるから、僕は使わないようにしてるのに……』
『マサカ……ソンナカード数枚デ防ガレルトハ思ッテイナカッタガナ』
『加えて、他の奴らも巻き込んで皆殺しにしようとは頂けないよねぇ……』
『他ノ奴等ニ手ヲ出サナイト約束シタ覚エハ無イ。私ノ存命ハ何ヨリ優先サレル』
『……本気で俺を怒らせたな』
『…………』
ファントムは左手の黒傘を宙に投げた。
その傘は空中で落下を止め、浮いたまま黒いオーラを溜め、その先を〈奴〉に向けている。
さらに、壁の大穴付近に落とされたもう一本の傘も同様に〈奴〉を狙っている。
ファントムは右手首を挙げて構える。
『最後ニ私カラモ警告スル。私ヲ見逃セ』
間髪入れずに〈奴〉は答えた。
『断る』
〈奴〉は再び黒傘を構えて応戦の構えをとる。
『ソウカ。ナラ、死ヌガ――』
ファントムは手を振り下ろして号令を掛けようとしたが、そのまま固まってしまった。
浮遊した2本の傘も、それと同時に床に落ちて静かになった。
それらの理由は、ファントムの号令よりも〈奴〉の地鳴らしの方が早かったからだ。
『ざまぁないね。どんな技も、どんな能力も、僕の力の前には無力に等しいのに』
〈奴〉はその場で大きく口を開いた。
よく見ると、口内は酷く出血しているようだ。
そして何を思ったのか、左手を口元に近づけだ。
そしてゆっくりと口内から取り出すように、鮮血に染まった禍々しい何かを取り出した。
それは細長い棒状のような、それでいて持ち手はしっかりと鈍重に、先は鋭い剣だった。
血で形作られた、片手剣だった。
その鮮血剣を手にすると、右に握っていた黒傘を床に突き刺し、余った手もまた鮮血剣の持ち手をくっつけるように添えて手にした。
すると、その剣は元々そう造られていたかのように持ち手の部分から刃が伸びて瞬く間に両剣へと変形し、さらに二刀流へと分離した。
『僕は基本的に博愛主義者のお人良しだけど、嫌いな人種が3つだけあるんだよ。常識のないバカと学習しないクズ、そして横槍を入れる無神経な奴、君の事だよ……ファントム!!』
〈奴〉は右手の鮮血剣を槍投げのようなモーションでファントムに投げつけた。
そして残ったもう一本の剣を持ち替え、懐に勢いをつけて飛び込み、連続斬りを放った。
投げつけられた剣は、ファントムに直撃した瞬間に血飛沫を上げて爆散し、そのマントと仮面を真っ赤に染めた。
そして放たれる連続斬り。
左切上からの右薙ぎ、右腕を正面で回すかのような逆風が2撃、2撃目の勢いで飛び上がっての袈裟斬り、そして最後にその勢いを逆再生するような右切上……。
合わせて6連撃の踊るよう な剣捌きがファントムを襲った。
『グギャアアァァアァアァアァアァアア!!』
ファントムは4撃目までは固まったまま動かなかったが、〈奴〉が飛び上がり床から完全に足が離れたタイミングで硬直が解け、痛覚を露わにしながら床に倒れた。
〈奴〉はファントムを足で踏みつけ押さえ込む。
『さぁ、もう動けないでしょ。お仲間を呼んだ方が良いんじゃない?』
『オ、オノレェ……オノレオノレオノレオノレェェェェェ!!』
『ソコマデニシテモラオウカ!!』
ふと、遠くの方から声が聞こえてきた。
撮影者の子供達が一斉にその方向に振り向く。
その声は壁の大穴の外から聞こえているようだった。
すると、今まで誰も居なかった筈の大穴の傍に、フッっと、突然3人のファントムが映し出された。
『やっと出てきてくれたね。僕の知らない他人さん達』
〈奴〉はファントムを踏みつけていた足を退け、距離を取る。
『お仲間を取り戻しに来たの? それとも連れ戻しに? いや、捕まえに来たって言った方が正しいかな?』
ファントム達のリーダーらしい者が、他の2人の仲間に指示を出している。部下かな?
2人は血まみれのファントムの元へ駆け寄り、左右から抱えて救助している様子だった。
『……此度ノ一件ハ、全テ我々ノ不手際ダ。ソナタハ、皆ノ安全ヲ守リ、奴等ノ暴走ヲ抑制スルダケデナク、我等ノ脱走兵ヲモ捕ラエテ頂キ心カラ感謝シテイル』
あろうことか、ファントムのリーダーは〈奴〉に対して頭を下げている。
全く状況が読み込めない……俺はあんな黒ずくめの不審者達の事なんか知らないぞ!!
『是非感謝状ヲ……ト言イタイ所ダガ、君モジキニ死ヌ様子ダナ』
『あぁ、刺された瞬間にちょっと禁忌に触れちゃってね。術が切れたら死ぬ状態だよ』
『……何モシテヤレナクテ、スマンナ』
2人の部下は、血まみれのファントムを抱えて窓の外へ飛び降りた。
『生マレ変ワッタラ今度ハ普通ノ人間ニナレルヨウ祈ッテイヨウ。来世デ……マタ会オウ!!』
そう言い残してリーダーも大穴から飛び降り、いずこかへ消え去った。
教室には混沌の後の静けさだけが残っていた。
『お……終わったのか?』
撮影者の少年が〈奴〉に向かって話し掛ける。
『あぁ。終わったよ。全て、終わったんだ』
〈奴〉はその場に崩れさる。
右手に持った鮮血剣は、剣としての形を失い、液体となって床に広がった。
『ジュン!!』
元磔の少女が俺を……いや、〈奴〉呼んで駆け寄った。
『……横槍……入れないでくれたね……ありがと……』
『そんなことどうでもいい!! 早く救急車を――』
『大袈裟だなぁ……倒れただけなのに……』
『嘘でしょ? あんた……本当に死ぬの?』
『全ての人間に平等なものは死だけだよ』
『ジュン!! すぐ元の世界に帰ろう!! 今頃学校の周りには救急車両が沢山来てるはずだ!!』
撮影者の男子を始め、少年Dや周りの子供達も集まってきた。
……元の世界?
『無駄だよ……どのみち血が足りない……僕も……彼女も』
そう言って〈奴〉は少女Aを指差す。
すると自然に皆の視線は元磔の少女に向けられる。
『……はぁ。分かったわよ。分ければいいんでしょ。でもあんたはどうすんのよ』
『…………』
その言葉に何かを考え込んだように見えた。
暫くの沈黙の後、〈奴〉はこう宣言した。
『見世物はここまでだ!! 映像を落としてくれ!!』
『聞こえたか!! みんな録画を切るんだ!!』
〈奴〉と撮影者の合図で、皆一斉に機器を操作し始めた。
そして、この映像を映した機械にも撮影者の少年の手が伸びて……。
映像はそこで途切れた。
「以上が、現状で分かる範囲の昨夜の出来事だ」
ライオンはテレビから接続ケーブルを引き抜いて、地上波放送に切り替えた。
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