一章 特定秘密
約20分前。
ライオンが〈彼〉の病室から出てから院長室へ戻った後の話……。
院長室は物々しい空気に包まれていた。
世間を騒がせている〈いじめ生配信殺人事件〉における重要参考人である〈黒衣の少年〉、その身柄がこの病院に緊急搬送されてきたからだ。
国の息が掛かったこの病院おいて、重大事件の関係者が搬送されたり、転院してくることは別段珍くはないのだが、それでも隣県から直接緊急搬送される事は未だ例を見ない。
この時既に嫌な予感はあった。
搬送時、既に少年の息は無く、コンバットナイフでの刺突によるものと思われる右下半身からの出血も完全に止まっていた。
だが、搬送を担当した救急隊員達は「彼はまだ死んでいません」の一点張りだった。
助かる見込みなど万に一つもあり得なかった。
だが、その鬼気迫る様相に医師達は誰も反発できず、遺体を集中治療室に運ぶことを、加えて血液の精密検査を強行させたのだ。
そしてあろうことか、死亡判定から2時間もせずに少年は息を吹き返し、驚異的な生命力で意識を取り戻すに至った。
結果、この部屋に法務省と防衛省のエリート官僚が揃って押し掛ける事態にまで発展したのだ。
加えて形式上とはいえ警視庁からも客が来るとなると、いよいよ事の重大性を感じさせてくれる……。
◇
園山院長はライオンと共に応接用のソファーに腰掛け項垂れる。
その目元には寝不足を誇張するような大きなクマが出来ていた。
「彼の症状はそこまで酷いのですか?」
スラっとしたスーツ姿の女性が、ティーカップを片手に問いかける。
「ええ。このままいけば、今回の事件においての証拠能力は否定されるでしょう。ご期待に沿えず、誠に申し訳ありません」
園山院長は膝に手を置き替えて深々と頭を下げる。
「お止め下さい、院長。彼自身も被害者である以上、この結果は想定されるべきでした。上の命とはいえ、先生方に負担を押し付る形になってしまい、我々としても頭が下がる一方です」
顔の剃り込みが深くガタイの良い長身男が園山院長に詫びて頭を下げる。
部屋の空気は重かった。
「彼に対する精密検査の結果が出揃った後だったからねぇ。タイミング的には最悪だ」
逆立つ髪を揺らし、Yシャツ姿の紳士はテーブルに出された餡八つ橋に手を伸ばし、口に運ぶ。
その姿を見てスーツの女性は物欲しそうにもじもじしていた・
「松橋さんも遠慮なさらずに召し上がって下さい。美味しいですよ」
「ありがとうございます。普段は会議の時間なので、どうしても気を張ってしまって……」
子供のように照れながら、いちご餡八つ橋を手に取り頬張る。
「すごく美味しいですね、この八つ橋」
「七瀬さんも甘い物好きでしたよね。食べなくていいんですか?」
「いえ……実は甘い物を控えるように言われておりまして、私は紅茶だけ……」
苦笑いを浮かべて長身男が答えるが、その目はテーブルに釘付けだった。
それを察してかただの嫌味か、紳士は紅茶を一口飲んで機嫌よく喋り始めた。
「にしても、紅茶で頂く八つ橋も中々に美味いものだねぇ。ちなみにリーフは何を?」
紳士の機転を察してか、院長もわざとらしく答える。
「ジャーマンカモミールです。鎮静効果と風邪予防に効きますよ。沢山あるので……よろしければお土産に」
「嬉しいねぇ。娘達にも飲ませてあげたい」
「ならばお茶菓子も欠かせませんなぁ……本店の餡八つ橋なんて、どうでしょう?」
「あー! 私も頂きます!! もう我慢できない!!」
ニコチンが切れたヘヴィースモーカーのようにイライラが沸点を超えた七瀬は、口調とは裏腹に、デパ地下のギフトコーナーでラッピングを行う女性店員のような優しい手つきで八つ橋を手に取り、一口で飲み込んだ。
「あぁ、生きてて良かった……」
「最初から我慢してなければ、可愛く見えるんだけど、いつもこうだからねぇ」
「いえ、十分可愛いと思いますよ」
院長と紳士を横目に松橋は笑いを堪えていた。
――プルルルル、と内線が鳴り、院長が席を立つ。
「お、来たかね」
「私達より急でしたが、案外早かったですね」
「あの古狸のことですから、暇な人間を寄こしたんでしょうな。期待はしませんよ」
院長が受話器を取る。
『お疲れ様です、院長。先程連絡を頂いた警視庁の方がいらっしゃいました。少々トラブルがありまして遅くなりました……今院長室にご案内しています』
若い男性の声と足音が聞こえてくる。その音は段々と距離を詰めていき……
「え、今扉の向こうにいる?」
『はい。重役の方がおられるのを忘れておりまして、一応入室前にご連絡をと……』
「お、おう。……まあいいや。入って入って」
ガチャ、と扉を開いて、助手と目される青年男性医師と共に2人の刑事がやってきた。
「先生、警視庁の方をお連れしました」
「どうも、お呼び立てしてすみませんね」
院長は受話器を戻してテーブルに戻る。
「来たみたいだねぇ。刑事課の方々」
院長共々立ち上がり、色物刑事コンビを迎えた。
「到着が遅れまして申し訳ありません。警視庁捜査一課の黒瀬巡査部長です」
「同じく赤塚巡査部長です。本日は宜しくお願い致します」
赤塚は頭に巻かれたネット包帯とガーゼを気にしながらも、失礼のない挨拶を述べた。
「法務省刑事局総務課企画室室長、松橋です」
刑事達に手を差し延べる。
簡潔な挨拶にフランクな姿勢。
黒瀬は「よろしくどうぞ」と簡単な社交辞令を、赤塚は分かりやすく赤面していた。
「防衛省防衛研究所副所長、七瀬陸将補です」
深々とお辞儀をする長身男を前にビビる赤塚。
法務省と防衛省のキャリアが揃う場では気後れしてしまうのも無理はない。
「私は院長の園山です。そしてこちらが、〈黒衣の少年〉の身元引受人兼養父を引き受けて下さった、私立六十学園学園長の長谷川六十氏です」
「よろしくねぇ。長谷川でも学長でも、六十爺)でもライオンでも、好きな呼び方で構わないよ。にしても、玄関口の柱に衝突とは、随分緊張してたんだねぇ」
赤塚は苦笑いする他なかったが、場を和ませるためのライオンの気使いに、内心気が楽だった。
「では、早速仕事に移らせて頂きます。〈彼〉からお話を伺いたいのですが……よろしいですかね?」
「いえ……無理ですね」
園山院長は重苦しい口調で答える。
「形式的なものなので、手短に済ませますが……」
「いや……そういうことではなくて、今の状態ではその段階にすら進めないんです」
「……つまり……どういうことでしょうか?」
「まぁまぁ、一から話すと長くなるので、まずはお茶でも飲みながら話しませんか?」
松橋が見かねて2人の刑事に声を掛ける。
赤塚は状況をいまいち読み込めず、すかさず黒瀬を頼る。
「……そういうことでしたら、ご相伴に預からせて頂きます」
「では皆さんお掛けになって下さい。〈彼〉ついての説明を……」
豪華なステンドグラスのテーブルを囲むように着席する面々。
助手の青年は、餡八つ橋や饅頭といったお茶菓子を広げ、紅茶を淹れ直して回る。
赤塚は空気を読まずにコーヒーを注文したが、快く淹れてくれた。
少しの沈黙、全員が紅茶に口を付けた後、ライオンが口を開いた。
「この一件ついて、我々だけではなく、彼自身にも聞かせた方が良いと思うのだが、どうだろうか?」
「賛成です。積極的な姿勢を見せれば警戒されにくいでしょうし、協力的になってくれれば我々としても助かります」
「どのみち彼の仲間達には感付かれてしまうでしょう。特に【殺気】と【邪気】の少女には。だったらこちらから話す方が心象は良い」
松橋と七瀬は冷静に意見を述べる。
「あの娘達の力は強力すぎる。常時あんな力が働いているチート持ちに対して嘘が付けるのは狂人かサイコパスくらいなものです」
「あの……今話に出てきた少女とは何ですか? 【殺気】とか【邪気】とか、平和とは程遠い単語が聞こえたんですが……」
赤塚が話に割って入る。全く内容が理解できていないようだ。
「お恥ずかしながら、我々は何の話も聞かされずに駆け付けましたので……お手間を取らせてしまいまして、すみません」
黒瀬も話が読めずに困惑していた。
「おっと、それはすまないことをしたねぇ」
顔を二人の刑事に向け、何か思い出したようにライオンが話を再開する。
「その前に……警視庁のお二方。君等に話しておかなくてはならない事があるんだ」
唐突に話題の対象が自分達に向けられた刑事達は一瞬、何事かと首を傾げた
「学長殿、我々に話とは一体……」
黒瀬が問う。
「いやぁ、この場に居る者全員に、特定秘密保護法の縛りが掛けられるだろうと思ってね。来てもらったというのに悪いのだが、君等の今後の職務に影響を与えるかもしれん。ここから先に進むともう後戻りはできない。それでも良いかね? 勿論、それ相応の褒賞は出ると思うよ。ハイリスク・ハイリターンってやつだ。その確認がしたくてね」
先程の穏やかな雰囲気は影を潜め、学長は真面目な表情で語った。
「特定秘密……って、防衛とか外交に関わる重要機密ですよね!? 今回の事件ってそんなにヤバい案件なんですか?」
赤塚は焦りを隠せずにいた。
その表情からは若気の至り特有の根拠の無い自信が消え、真っ青になっていた。
「加えて言えば、特定有害活動とテロリズムの防止……この4分野に関する情報ですな。七瀬殿がいらしている事を考えれば、当然といえば当然ですが……」
黒瀬が補足説明する。
「いや、防衛機密だけならどれだけマシだったか」
「まさか、違うのですか? 我々もニュースで事件の映像を拝見しましたが、今回の機密情報は、ナイフや銃弾を弾いたあの不思議な力の事ではないのですか?」
七瀬の苦言に驚きを隠せない黒瀬。
「大体は合っているよ。だが、秘密とするには防衛分野というカテゴリーでは狭すぎたのだよ。彼の存在はね……」
ライオンは重みのある言葉を吐き続ける。
「どうするね? 今回の事件、君達2人が中心となって解決してみる気はあるかね?」
二人の刑事は顔を見合わせる。
赤塚は唾を飲み込み覚悟を決めた。
「興味半分であることは先に宣告しておきますが、自分はこの件、捜査したいと思います。ここまで来たら事件の全容が知りたいです」
「うん。ありがたい答えだ、赤塚君。黒瀬君は、まだ決めかねているかね?」
黒瀬は右手の握り拳を頬に当てて悩んでいる。そして震えた口調で言葉を紡いだ。
「1つだけ……宜しいでしょうか」
「うん。聞こう」
「先程、院長先生が仰っておりましたが、学長殿は〈あの少年〉の身元引受人になられるのですよね?」
「ああ」
「彼は小学6年生……来年度はご自身が経営する学園に入学させるご予定ですか?」
「勿論そのつもりだよ。しっかりと入試も受けさせてね」
「……私の息子も受験予定なのですが、将来的に息子が彼と関りを持つ可能性を考えているのです」
その言葉にライオンは目を見開き食って掛かる。
「それは〈彼〉を何か怪物のようなものとして捉えて言っているのかい?」
「とんでもありません。ただ、私に守秘義務が発生することで家族にも何らかの影響が出るのではないかと思いまして」
黒瀬は冷静にライオンと向き合う。
「もし入学できた場合、行動を共にする機会はあるでしょうし、息子を無関係とするには不安が残るのです」
誠実な言い分で訴える父親の姿、その迫力を前にライオンは落ち着きを取り戻す。
「その心配の半分は解消できそうだ」
七瀬が八つ橋片手に割って入る。
「私の娘も今年六十学を受験するのだが、〈彼〉の存在を気に掛けてくれるように、それとなく頼むつもりだ。それ程心配することでは無くなるだろう」
「ほ、本当ですか! いや、しかし……」
「まだ不安事があるのかい?」
ライオンも八つ橋へ手を伸ばし、疑問をぶつける。
「その……お恥ずかしい限りなのですが、私の息子は性格的に問題のある奴でして、〈彼〉に対して暴力的な態度を取らないか心配なのです……」
黒瀬は俯(うつむ)きながら息子への不安を物語る。
そんな黒瀬を察してか、七瀬がライオンに顔を向け、自身の考えを述べ始めた。
「うーむ。確かに心配だ。ですが、実際どうなのでしょう? 記憶が無いどころか、全くの別人になってしまった〈彼〉が、あの動画のような力を生徒達に振るうような事態は想定しにくいのですが……」
「それはわからない。何事にも例外は付き物だ。黒瀬君のご子息への不安には誠実に向き合わなくてはならないねぇ……あ、紅茶のお代わりを貰えるかな?」
助手の青年がすぐさまライオンの元へ。
「私個人の意見としては、ご子息の態度が〈彼〉を刺激して、元の人格の記憶を取り戻してくれるのではないかと……あ、私もお代わりお願いします」
「それではご子息へのリスクが大き過ぎます。〈彼〉の内に秘めた力が暴走しないよう、あるいは押さえ込めるだけの力を持った人間を傍に置く必要が……あ、私もお代わりを」
松橋と七瀬も紅茶を新たに議論を重ねる。
「あのぉ……一つ宜しいでしょうか?」
唐突に赤塚が疑問を提示する。
「今、七瀬さんがおっしゃられた力を持った人間というのは、先程の【殺気】と【邪気】の少女、と呼称されていた存在と関係があるのでしょうか……?」
「っ!?」
あっ、と七瀬が言葉に詰まる。
松橋は頭を抱え、ライオンはやれやれといった具合で手を返した。
「もう、手遅れだねぇ。そこまで理解してしまったからには、全ての秘密を知り、保守してもらう義務がある!」
ライオンは立ち上がり高らかに宣言する。
「す、すみません先輩。自分、また余計なことを……」
「いや、私がもう少し表現を控えるべきでした。申し訳ないことをした……」
七瀬が黒瀬に向けて謝罪する。
「もう引き返せないということですね……了解しました。不安は残りますが、自分も本件の捜査を行わせて頂きたく思います」
刑事か父親か、覚悟を決めたその顔は、元の強面さとは違った柔和な笑顔を浮かべていた。
「よぉし、決定だねぇ。それじゃ、ここから先の話は場所を変えようか。〈彼〉も待ちくたびれている筈だ。多分ね」
ハンガーに掛けたトレンチコートを手に取り羽織り、カバンを手に取る。
「彼の病室に向かうのですね。では行きましょうか」
「さあ、感動の初対面と行きますかな」
キャリア官僚2人組も立ち上がり、荷物を抱える。
「ひとまず彼には診断結果と映像だけ見せることにしよう。理解が早いから、自力で謎を解き明かしてしまうだろうし、ヒントはこれくらいでいいだろう」
ライオン達は揃って院長室を後にする。
「先輩、俺、この一件が警察官人生を左右する程の大事になるとは思えなくなってきてるんですけど……原因はこの緊張感の無さですかねぇ?」
「お前の緊張感の無さの正体はなぁ……守るべきものが無い気楽さだよ。早く所帯を持って丸くなれ」
黒瀬は赤塚の楽観姿勢に不機嫌になりながらも、他の面々に続いて院長室の外に出る。
だが、赤塚はテーブルの傍で立ち尽くしたまま何か思い詰めている。
「どうしたんですか赤塚さん、皆様行ってしまわれましたよ?」
助手の青年が訪ねる。
が、その返答は最悪の事実であった。
「あの……差し出がましいってのは分かっているんですが、この部屋に居たあなたも今までの会話を一緒に聞いていたことになる訳で……その……特定秘密保護法の守秘義務が……」
「えええぇ――っ!?」
「あ、後、差し出がましいついでにお名前を伺っても良いでしょうか?」
「あ、青葉と申します。よろしくです。あ、LINE交換しませんか?」
「お、おk」
「おい、赤塚!! 先行ってるからな!!」
「はい! すぐ行きます!」
赤塚は余計な機転で巻き込んだ青葉と共に、少年の病室へ急いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます