一章 悪鬼の目覚め 2

ベットから右向け右。

そこにあるテレビの電源を入れると丁度報道番組が始まったようで、軽快なリズムのオープニング曲が流れ始めた。

独特な曲調の……流行りのJ‐POPってやつなのか?

これから俺にとってショックな何かが始まるというのに、なんだこのふざけた曲は。

明らかにバラエティ向きであり、仮にも民放の報道番組には似合わない、そんな曲だった。

だがこの怒りは一瞬一時の感情。言わば単発消費型コンテンツなのである。

一視聴者である俺なんかと比べて、毎日毎日飽きもせずにスタジオで愛想良く振舞っている司会者や気象予報士、コメンテーター、キャスター達の気持ちを考えると、このオープニング曲は約2時間に渡る生放送の開始という羞恥系の拷問への序曲なのかもしれない。

日々の生放送の積み重ねによって、地上波全国ネットの視姦プレイに耐え抜く強靭なドMボディが形成されつつあるのかもしれない……。

なんて、もはやオープニング曲を耳障りな雑音程度の認識にしか感じなくなった浅はかで短慮な精神を反省しつつ、俺は真剣にテレビの画面を見つめていた。

体を起こした状態で観ようと思ったが、点滴に繋がれた右腕を立てたままという体制が思った以上に辛い。

体に針という異物が押し込まれている時点でだいぶ気持ち悪いのだが、加えて血が足りないのか、貧血の症状に似た目まいまでしてきた。

気を抜いているとコロっと気を失って、次に目が覚めたら、そこは天国か地獄か、現世にまだ存在を確立できているか、あるいは異世界に転生していたりの4択だったりして。でも正夢になるのは嫌だから、俺は考えるのを止めた。

「2010年12月25日土曜日、お昼の情報番組、サタデー14です。司会はいつもの通り私、稲本がお送り致します。そして……」

「ジャパンテレビアナウンサーの奈良です。宜しくお願い致します」

深いお辞儀に定型文のような挨拶。

だが、表情はどこか固く重苦しいものが感じられた。

「さて、本日はクリスマスという子供達にとっては大変めでたい日だったはずなのですが、昨日発生した事件のお陰で今年はブラッドクリスマスとなってしまいました。まずはその事件の映像を。編集が施(ほどこ)されてはおりますが、気分を害される方がおられると思います。苦手な方は目を瞑るですとか、音声を切るですとか、お食事中の方はチャンネルを変えるなど、ご理解とご協力の程宜しくお願い致します」

暗い背景に、〈小学生10人死傷、いじめ生配信動画の悲劇〉というテロップが画面左上に表示され、ナレーションの音声が流れる。

『今から流れる映像は、昨日の19時丁度に、動画配信サイトYourtube(ユアチューブ)にライブ配信された映像です』

そして事件の一部始終を撮影したと思われる映像が流される。

 

……そこには学校の教室が映し出されていた。

非常に暗いが、電気は使われていない。

ロウソクの火が暗い部屋に不気味な雰囲気もたらしている。

そして、一人の少女の姿が。

少女は黒板の前に置かれた椅子に縄で磔にされていた。

黒いパーカを羽織った、長い黒髪の子だ。

フードを被っている上に、俯いて前髪が掛かってしまっており表情は読めない。 

その周りをとり囲むように10人のクラスメイトと思われる子供達が立っている。

廊下側、黒板の右側に少年が5人、1人はナイフのような物を持っていた。

窓側、黒板の左側にも少女が5人。

……見るからにいじめの映像だ。

机の類は部屋の隅に寄せられ、教室前方に大きなスペースを確保している。

そして、いじめっ子達を取り囲むようにカメラや携帯、スマートフォンやPCを持った子供達がちらほらと確認できる。

どうやら、このいじめの動画を撮影しているようだった。

この番組で使用された録画映像を撮影した人間以外の人間である可能性が高い。

ということは、映像を撮影した人間は複数存在するということか?

なんて悪質ないじめなんだ!!

磔にされている女の子は泣き叫ぶでも、抵抗するでもなく、ただ大人しく座っているのが恐ろしいまでに不気味だった。

揺蕩う前髪の隙間からは、一片の光も通っていない虚ろな瞳が覗き込んでいるようだった。

きっと恐怖で声も出せなかったのだろう。

『〈あいつ〉まだ来ないの~? もう待ちくたびれたんだけど~』

いじめっ子のリーダー格と目される少年Aの台詞に字幕が付いて流れる。

『このまま来なかったらどうすんの? マジでこの女殺すつもりなの?』

少女Aが続けざまに答える。この子は女子のリーダー格なのだろうか?

『うーん、殺すのは変わりないんだけどぉ、折角ならぁ、〈奴〉の目の前で殺してあげたいんだよねぇ♪ こいつを人質にすりゃあ、流石の〈奴〉も手は出せないだろぉ? 無抵抗になったところを縛り上げて、目の前で解体してやるんだぁ♡」

少年Aは狂気に満ちた顔で話す。

『なんだかんだ言っても〈奴〉とはかれこれ6年の長い付き合いだ。〈あいつ〉の性格を考えれば、こんな楽しいパーティーの招待状を蹴るなんて馬鹿な真似はしないだろ。まぁ、もしバックレでもしたら、こいつの首を家まで届けてやるだけだよ、クリスマスプレゼントで~す、ってねぇ!!』

ケラケラといじめっ子達の卑しい笑い声が教室に満ちる。

ピー、という規制音でよく聞き取れないが、いじめっ子達の言う、〈奴〉というクラスメイトに対する暴言が飛び交っている。

この映像を撮影している子供達も、この異常な光景に対して何も口出しする者はいなかった。

勇気ある少年少女が止めに入ろうだとか、囚われの姫を救いだそうだとか、そんな正義感は映像の中に存在していなかった。

『こうなったのは全て、無能な教師共のせいだ!! 俺達が〈奴〉にどんな目に遭わされているかを分かっていながら、それを全て隠蔽しやがった!! 俺達がどれだけ怪我を負っても、聞く耳ひとつ持たなかった!!』

少年Aは映像を録画しているであろうカメラに向かって語り始めた。

『だったら俺達もやり方を変えないといけないよねぇ……。無能な教師共の愚行がもたらした子供達への悪影響を……その慣れの果てを、世間に知らしめてやらないとねぇ!!!!』

少年Aは手にしたナイフを掲げて天を仰ぎ見る。

いじめっ子達にも歓声が沸き上がる。内一人の少年を除いて。

少年Aの狂気が伝染したかのように、狂い、叫び、吠える子供達の姿、倫理観のタガが外れた様子は、狂人そのものだった。

撮影している子供達はただジッと耐えるようにしてその様子を撮影していた。

『な~んで今まで、精神的・肉体的に痛めつけるなんて回りくどいやり方してたんだろうねぇ……手段なんて選ばなければ、簡単に〈奴〉を貶められたのに……ねぇ!!!!!!』

思いついたかのように少年Aは磔の少女目掛けてナイフを持った右腕を振りかぶった。

距離にして1.5メートル程の至近距離からの投擲(とうてき)。

そのナイフはダーツの矢の如(ごと)く少女目掛けて飛んでいき……

 

 ガギィィィン!! 

 グサッッッッ!!

 ガンッッッッ!!

 

3つの衝撃音が一瞬のうちに重なった.

刃が突き刺ささり、肉を抉った鈍い音がカメラの映像越しにハッキリ聞こえる程、リアルに録音されていた。

だがそれは、磔にされていた少女から発せられた音ではない。

その左隣、少し離れた位置に立っていた少女Aのものだった。

何故か左側から横腹に刺さったナイフは、その向きのままに少女Aの体を吹き飛ばし、窓の転落防止用の手すりに打ち付けた。

『ぎゃあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

いじめっ子達に加えて、撮影している子供達、双方からの悲鳴が上がる。

『どこ投げてんのよあんた!?』

『なに――〈規制音〉――に当ててんのよ!!』

床に倒れた少女Aは、左腹部横に突き刺さった刃の痛みに耐えられずにもがいている。かなり深く刺さったようで、床にはかなりの血が流れていた。

少女B、Cが駆け寄るが、慌てふためくだけで何もできることは無かった。

『う……嘘……何これ……何なのこれ……私は……この女の…………』

少女Aは何とか意識を保ちながら、ギリギリ聞き取れる声量で口にした。

『ナイフが……なんで……私の……腹に……?』

映像を見ている視聴者にはわかる、だが少女Aにとっては何が起こったのか理解できていないようだった。

一瞬の出来事ではあったが、一視聴者である俺も見逃さなかった。

磔の少女に直撃する瞬間、黒い線状の光がナイフの刃の部分にぶつかった。

その後、ナイフの進行方向が左向きに変わり、近くにいた少女Aの左横腹を直撃して吹き飛ばしたのだ。

ナイフが弾かれる音、ナイフが少女Aの体を突き刺す音、そして吹き飛ばされた少女Aが転落防止用の手すりに直撃する音……。

ナイフが投げつけられてから1秒にも満たない時間の中で発生した音が、脳裏に焼き付いて離れない。

生配信映像であること、そして特別な機材が存在せず、モザイク以外の編集が施されていないことを考えると、今の映像はCGでも何でもない。現実の出来事だ。

にわかには信じ難いが、磔の少女は何らかの非科学的な力によって守られたのだ。

『ふっ、ふふふ、ふふふふ、ふふはははははははははっ!!』

少年Aは悪びれもしない様子で高らかに笑い上げた。

『ちょっと――〈規制音〉――、なんで笑ってんのよ!?』

『このままだとこの女より先に――〈規制音(少女A)〉――が死んじゃうよ!!』

少女D、Eが少年Aを責め、少年の中の一人に至っては、睨みつけているようにも見えた。

だが少年Aは気にも留めずにこう続けた。

『今の観たかい? 視聴者のみんな! 俺が投げたナイフが軌道を変えた瞬間をさ!』

あろうことか、再び視聴者に向けて語り掛け始めた。

『今の現象を一言で言えば……“異能力“って表現が正しいのかなぁ!? そうとしか説明できないよねぇ!!』

激しく興奮した様子で少年Aは続ける。

『まさかこの女まで使えたとは思わなかったけれど、今のはまさしく〈奴〉が使っていた技だ! この女は〈あいつ〉から使い方を教わりやがったんだ!!』

室内を行ったり来たりしながら、磔の女の子を晒し物にする勢いで少年Aの口調は強まる。

『なんでか知らないけれど、〈奴〉には今見た技の他にも“異能力”と呼ぶべき沢山の技が使える! 元は蟻も潰せないような雑魚だったが、俺たちが散々虐めぬいた結果、気づいたら俺(おれ)等(ら)と〈奴〉のパワーバランスは完全に逆転してた!!』

『……自業自得じゃないか。』

突然少年Aの演説に、第三者の少年の声が割って入った。

発音の正確さから、恐らくこの映像を撮影した主の声だと思われる。

少年Aは足と口を止め、視聴者の、恐らくは映像の撮影主の方を向いた。

演説を遮られたことへの怒りか、〈奴〉に対する憎しみの感情か、そこに映る少年Aは目を見開いて不敵な笑みを浮かべていた。

『先に仕掛けたのは――〈規制音(少年A)〉――、お前だ。お前等だ。その証拠も残ってる。どんな報復を受けても文句を言う権利すら無いことくらい自覚しているだろう?』

『あははっ、見事なまでの責任転嫁だよねぇ、――〈規制音〉――君。その下衆な性格はいい加減直したほうがいい。流石の俺も引くよ。あの〈化物〉を生み出した事に関して言えば、君達も同罪なんだよ』

『それは、〈あいつ〉を助けなかった、あるいは加勢しなかったって意味かい?』

『その通り! 分かってる癖にいちいち確認を取るあたり、君は本当に性格が悪いねぇ』

『……滑稽だな』

恐ろしいほどの静寂。

調子づいていた少年Aはその口を止め、撮影者を激しく睨みつけた。

『……何か言った?』

『聞こえなかった? 滑稽だなって言ったんだよ。お前の本質は、人を貶(おとし)めて精神的に優位に居続けたいだけの、ただの臆病者だよ。ピエロも此処まで来るとばかばかしくて笑えないよ』

教室中に嘲笑の声が充満する。

いじめっ子達ではない、その周りで撮影している子供達の声だ。

『なんだと……?』

少年Aの歯ぎしりの音が聞こえる。

『そもそもおかしいとは思わなかったのかなあ、俺等が素直に協力を申し出た事に対してさあ。まさかとは思うけど、本気で俺等がお前等みたいなクズ共に隷属してたなんて、思ってないよね? ああ、雑魚共の間違いだったか、あははははは!』

いじめっ子達を嘲笑う声が一層強まった。

……どうやら状況が変わってきたようだ。

いじめっ子の少年少女達はその異変を感じ取り、動揺を隠せないでいる。

一人を除いて。

思えば始めからこの状況はおかしかったのかもしれない。

10人のいじめっ子達を取り囲むように撮影している大多数の子供達、この大多数の子供達がいじめっ子達の共犯であると決めつけて観ていた……。

その前提から間違っていたのかもしれない。

そう考えると、真に数的優位なのは撮影者側ということになる。

先程の少年Aを馬鹿にした撮影者の少年の態度といい、いじめっ子達に対して嘲笑い続ける周りの子供達といい、この状況は始めから仕組まれていたのかもしれない。

〈奴〉を貶めるために少女を磔にしていたはずのいじめっ子達は、自分たちの愚かしさに気付くこともできずに世の晒し者にされていたのだ。

『……だから、何だ?』

少年Aは低い声で演説を再開した。

『別にどうでもいいよ、君達のことなんて。俺は〈奴〉を殺せればそれでいいんだから。この計画は、〈あいつ〉を晒し物にして殺す為だけに立てたものなんだ。君達の邪魔が入った所で俺の計画は狂わない。忘れたのぉ? こっちには人質がいるんだよ?』

磔の少女を指差して、開き直ったかのような口調で話す。

『この女がいる限り、〈奴〉も、お前等も、俺達には指一本――』

『触れられないとでも?』

教室中にどよめきが走った。

そして、少年Aの話を遮った声の主の方向に顔を向けた。

教室前方でスマホを構えていた子供達の目線が映像の方……。

それよりも後ろに向けられている。

『いやぁ、君のピエロっぷりがすこぶる面白かったから暫く見てようかなって思ったんだけど、流石に1時間以上前からスタンバってたから疲れちゃってね。もう飽きちゃったから、僕もそろそろ参戦したいなぁ……って』

『――〈規制音〉――ぁぁぁぁぁ!!!!』

怒号が教室の後ろの方に向けられ、少年Aが駆けていく。

ガタン、と勢いよく何かの戸が開いた音がした。

『あはははは! 残念、ハズレ~。そもそも今僕はこの教室にはいませんでした~』

再びカメラに映った少年Aは右手にスマホを手にしていた。

『てめぇ……何のつもりだ!! 今どこにいやがる!!!!』

少年Aは激しい怒りを通話越しの相手にぶつける。

……どうやらその相手が〈奴〉らしい。

『あぁ、それ俺のスマホだから返してもらえる? 音声だけ聞ければいいんでしょ?』

『その通りだよ――〈規制音(少年A)〉――君。彼に無理を言って電話を掛けさせてもらったのは僕の方だからね。彼に被は無いよ。だから、まずはその右手のスマホを彼に返してもらえるかな? ……でなきゃ、その右腕ごと斬り飛ばす』

〈奴〉は敬語で淡々と、少年Aを脅迫する。

いじめっ子達は恐怖で目が泳いでしまっている。

少年Aはチッと舌打ちをしながら、この映像の撮影者であろう少年にスマホを返した。

『うんうん。いい子だねぇ――〈規制音(少年A)〉――君。さぁて、何から話そうか。ここは君の大好きなクイズ形式で行こうかな!』

『俺の質問に答えろ!! 今どこに――』

『第1問! つい先日――〈規制音〉――で発生した交番襲撃事件、その計画を企て、――〈規制音〉――の――〈規制音〉――を使い、拳銃2丁を奪わせた挙句、その――〈規制音〉――までも口封じにある人間を使って殺させた真犯人は誰でしょうか?』

少年Aの話を無視して〈奴〉はクイズを始めた。

『お前……何を言っているんだ……』

『ブッブー! 正解は、――〈規制音(少年A)〉――君なのでしたー!』

〈奴〉によって少年Aの罪が暴露される。

そのほとんどは規制音にかき消されてしまったが、物騒な内容であることだけはわかった。

『だから……さっきから何を――』

『続いて第2問! ――〈規制音(少年A)〉――君が拳銃を手に入れるために雇った――〈規制音〉――、彼に仕事を斡旋(あっせん)し、若き警察官2名の命を金で売った上に、その彼を――〈規制音(少年A)〉――の指示で殺した共犯者は誰でしょうか?』

『……やめろ』

『正解は~』

『やめろおぉぉぉ!!』

少年Aは焦りを隠しきれなくなったようで、撮影者のスマホ目掛けて飛び掛かった。

しかし……


 ズシャッッッ!!

 ゴンッッッッ!!


投げだした身は、何かにぶつかったような鈍い衝撃音と、瞬間の黒い発光と共に進行方向を左に変え、壁に激突して落ちた。

その挙動は、少女Aがナイフに突き飛ばされた現象と非常に酷似していた。

これも磔の少女の力なのだろうか。

いじめっ子達の動揺は留まる事を知らず、少女B~Eに至っては遂に泣き出し始めた。

床に倒れた少年Aだったが、悶(もだ)える事なくすぐに起き上ろうとする。

受け身を取っていたのか、大きなダメージは負っていない様子だ。

そんな姿を気にもせず、〈奴〉は話を続けた。

『……正解は、――〈規制音(少年A)〉――君の父親、警視庁――〈規制音〉――、

――〈規制音〉――氏なのでした~』

その名を口に出された瞬間、再び少年Aは崩れ落ちた。

それは、クイズの答えが真実である事を認めていると思われても仕方のない、もはやどうしようもない、そんな行動だった。

恐ろしいことに、〈奴〉は少年Aが自身を殺すための武器を調達した事実を全て把握しているようだった。

この映像に映る、教室という名の空間で起こっている事象全てが、彼の手のひらで行われていることを、視聴者である俺も認めざるを得なかった。

『この事実を、警察内部じゃ既に揉み消そうと動き出してるみたいだけど、そうはさせないよ。君のクズ親も、それをかばおうとする奴らも、勿論君達も、何もかもを破滅させてあげるよ』

『ふ、ふざけるな!! 俺と親父は関係な――』

『それを踏まえて第3問。僕が今、考えていることは何でしょうか』

〈奴〉の声質が1、2段階低くなった。

その言葉には、悪意が籠っていた。

それまでの、少年Aを食ったような喋り方とは似ても似つかない、純粋な悪意だった。

『……もういい、もう沢山だ!! ――〈規制音〉――!! 今すぐここへ来い!! 来なければ、この女を撃ち殺す!!』

少年Aは懐から1丁の拳銃を取り出し、右手を磔の少女に向けて構えた。

撮影している子供達に動揺が走った。

いじめっ子達も、射線上から離れた場所に避難した。

『あー、その拳銃じゃ殺せやしないと思うよ』

『黙れぇぇぇ!! さっさと来やがれぇぇぇ!!』

『だから、そんな玩具じゃ僕等は殺せないって言ってるんだよ』

『ならいい。お前の代わりにこいつが死ぬだけだ』

『拳銃はリボルバー、装填できる玉は6発。強奪の際、警察官2名を射殺するために2度、協力者の口封じに1度発砲、残りの玉は9発……2丁の拳銃のどちらに何発残ってるかまではわからないけど、予備の玉は無さそうだから大した脅威じゃないよ。その程度じゃ――』

 

 バーン!! バーン!!

 ガガギィィン!!

 ズグシャッッ!!

 

〈奴〉の話を無視して少年Aは引き金を引いた。

凶弾が、右手に握られた拳銃から2発、磔の少女目掛けて放たれた。

だが、例にもよって銃弾は何かに当たったような音と共に軌道を左に変えて……

『ぎゃあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

白と、水色を基調とした可愛らしい洋服が、一瞬にして赤く染まっていく。

 重症の少女Aの傍で泣いていただけの少女B、Cの左胸に被弾し倒れ、そのまま何の反応を示すこともなく、事切れた。

阿鼻叫喚の嵐。

2人の少女の命が、こうも無惨に散ってしまっては無理もないか。

『『……殺せやしないとは言ったけど、本当に銃弾まで〈刻める〉とは思わなかったなぁ。』』

悪意に満ちた声が重なって聞こえ、教室前方の扉を開けて姿を現した。

咄嗟に銃口を構える少年Aだが、手は酷く震えていて全く狙いが定まっていないようだ。

『『その程度じゃ脅しにもならないよ。わかってるだろう、――〈規制音(少年A)〉――君?』』

声の主は、天使の輪の出来損ないのようなアホ毛と、磔の少女と同じようなパーカー、黒い手袋のようなものを着けた左手には通話中のスマホが、そして右手には刀身の長い黒い傘を装備していた。

伸びた黒髪のお陰で、声が無ければ女子と見間違えてしまいそうなほどの美少年だった。

『『こんばんは。殺人鬼さん♪』』

ニッコリとした笑顔で〈奴〉は少年Aを煽る。

『『でもぉ、女の子ばっかり殺すなんてぇ、男として感心しないなぁ。もっと好き嫌いせずに男も殺さなきゃ! それとも、元来そういう性癖の持ち主なのかなぁ? 可愛い女の子を無惨に殺して、興奮しちゃったりする悪趣味がおありなのかなぁ?』』

〈奴〉は通話を切り、歩み寄った。

それを許すはずもなく、またしても少年Aは拳銃を発砲し、2発の弾丸が〈奴〉目掛けて放たれた。

が、それを予見していたかのように〈奴〉は右足を前に、左足を下げ、右を背中側で切る半身の体勢で初弾を、さらに顔を傾けて次弾をも軽々と避けてみせた。

獲物を見失った弾丸は、〈奴〉の右後ろに固まっていたはずの少年B、Cの脳天に直撃して落ち着きを取り戻した。

バタバタと倒れていく少年達、恐らく即死だろう。

『君の性癖については来世で聞くとして、君の処遇について僕から提案があるんだ。君に残された選択肢は3つ、全ての罪を認め自首する、あるいは自殺する、はたまた無謀にも僕に……いや、僕等に挑み、無様に叩き伏せられ、惨めな姿を世に晒すかだ。さぁ、選んでくれたまえ!!』

〈奴〉は、放流された稚魚のように活き活きと、まるでこの状況を楽しんでいるかのように口を動かしていた。

『何様のつもりだこの野郎! お前、立場が分かってないみたいだなぁ!!』

少年Aは再び磔の少女に目を付け、今度はその頭に銃口を突き付ける。

『この女も〈あの技〉が使えるとはいえ、ゼロ距離からじゃ防げないだろ。こいつを殺されたくなければ、大人しく言うことを――』

『うん。殺していいよ』

思わず耳を疑った。

〈奴〉は何と言った? 殺していい、だと……?

だがそれは少年Aも同じだった。

『お、お前、何言ってんだ?』

『殺していいって言ったんだけど、聞こえなかった? 耳悪いの?』

『え、ちょっ、なっ……え?』

『分からないかなぁ、僕にとってその女は彼女でもなければ親友でもなく、友達ですらないただのクラスメイトだよ。ただの他人に対して人質的価値なんかある訳ないじゃん。情なんて微塵も、欠片も無いのに、お前等が勝手にラブラブカップルに仕立て上げて盛り上がってたってだけの話だろ? 勘違いって怖いよねぇ。そもそも前提から間違ってるんだよ。僕みたいな自分大好き人間が、どうして他人なんかのために命を張れると思ったのかなぁ。……悲しいなぁ。かれこれ6年目の長い付き合いになるのに、俺の性格何一つ分かってくれてないんだから。それでもいじめっ子の首領なの? バカなの? マジでバカなの? まぁ分かってたけどさ(笑)』

死人が出ている状況で、人命の掛かった状況でそれを軽視する発言。

いじめっ子達の計画そのものを根本から否定し、磔の少女に対する裏切りに等しい行為だった。

もはや清々しい程の悪。

〈奴〉は、本当にいじめられっ子なのか? 

そんな疑いすら出てきた。

真に虐げられている人間は、こんな極限状態を傍観者気取りで楽しむ余裕など持てるはずがない。

いじめを受けた事で多少なりとも性格は歪んだのかも知れないが、だとしても、〈奴〉の言動は常軌を逸していた。

少年Aは、自身を遥かに超越した真の狂人を目の前に、遂に目に涙を滲ませた。

『お前……どうかしてるぞ』

〈奴〉は教室の扉近くまで一気に飛び退き、黒傘を左手に持ち替え、斜め下に構えた。

『僕をどうかしていると思うのは、君の方こそどうかしているからだよ。成人なら3人以上殺せば確実に死刑判決が下るんだよ? とっくに4人も撃ち殺してる君に今さら正義面されても笑えないよ。あ、でも少年法はどうなんだろうねぇ? 無期刑くらいにはなるのかなぁ? あはははは!』

聞いているこっちが気分が悪くなってきた。

だが、どうにも〈奴〉を責める気にはなれなかった。

〈奴〉もまた、倫理観が大きく欠けているものの、正論に自身の価値観を重ねて喋っているだけであって、その実何一つ間違ったことは言っていない。

他人に対して無関心だろうと、それが悪に結び付く訳ではない。

もし悪としてしまったら、他人に無関心な都会に住む東京都民は全て悪人になってしまう。

だからこそ、真に責められるべきなのが少年Aであることも十分理解できる。

見てはいけないようなものを見ている自分への嫌悪感と、この状況を楽しんでいる〈奴〉を見て楽しんでいる自分への背徳感がごちゃ混ぜになったような、そんなタチの悪い感情に押し潰されそうだった。

『さて、そろそろ答えを聞かせてくれるかな。どうするの? 自首するの? 自殺するの? 僕等と戦うの? まぁ最後のは無いよね。もう銃弾も5発しか残ってないし、彼女の〈刃〉は後6本以上は残ってるから……断言するよ。君に勝ち目はない』

磔の少女に突き付けていた拳銃を〈奴〉に向けて、少年Aは震える口で返答した。

『だ、だったら、お、お前だけでも……み、道連れにしてやる……!!』

『嫌だよ。なんで君みたいな価値のない人間の為に僕が死ななくちゃならないのさ』

〈奴〉は黒傘を左斜め上に斬り上げた。


 ガギィィィン!! 

 ガギィィィン!! 


三度、黒色に光る何かが少年Aの右手に握られた拳銃を弾いた。

そのまま空に投げ出されたと思った瞬間、再び黒光が衝撃音とともに拳銃を弾いて〈奴〉の手元に渡った。

少年Aはすぐさまもう一つの拳銃を取り出し構えるが、その手は震えており全く狙いが定まっていない。

拳銃を奪った〈奴〉は、シリンダーを開いた。

『あれ、もう残ってないじゃん。君、空の拳銃を突き付けてたの? 弾の数くらい数えておこうよ』

〈奴〉は空の拳銃を少年Aに投げ返した。

が、少年Aには受け取る余裕など無く、そのまま床に落ちた。

目に潤んだ涙はボロボロとこぼれ、今にも爆発しそうだった。

そんな彼の心情を知ってか知らずか、助け船のつもりなのか、〈奴〉は大きく溜息をついてこう言い放った。

『はぁ……もういいや。つまんないから帰るわ。疲れちゃったし』

突然の興冷め宣言。

拳銃が空だった事に気分を害したのだろうか?

銃口を向ける少年Aに対して、あろうことか〈奴〉は背を向け扉に手をかけた。

『クリスマスイブにまでこんな血生臭いことするもんじゃないよ。知ってるだろ? 悪い子の所にサンタは来ないってさ』

『お、おい、冗談だよな? まさかこの状況で、本気で帰るつもりじゃないだろうな?』

撮影者の少年が苦言を呈する。

〈奴〉に飽きれたというトーンではなく、この場をどう収拾すべきか判らない、といった反応だった。

『僕はいつでも本気だよ。ケーキが家で待ってるんだ。帰らせてもらうよ。あぁ、道中は電話で話を聞いてあげるから、――〈規制音(少年A)〉――君も早く答えを出してね。警告しておくけど、残った彼等と戦うのは本気で止めたほうがいいよ。無駄に死人が増えるだけだし、第一、今や彼女の力は僕を凌ぐ勢いだ。その気になれば、いつでも君を殺せるはずだよ。それに、強いのは彼女だけじゃないしね。それでは、良い夜を』

そう言い捨てて〈奴〉は教室を出た。

流石は自分大好き人間を自称するだけのことはある。

周囲の注目、自身に向けられる殺気など、まるで無いものとして行動している。

ていうか、そんなにケーキ食べたいのかよ。

〈奴〉の消えた教室は、冷静さを取り戻すどころか、より一層の大混乱に陥った。

『あんたのせいよ――〈規制音(少年A)〉――!! あんたが手伝えなんて言うから!!』

『…………』

『うわーん!! ――〈規制音(少女B)〉――達を返してよぉー!!』

『もうどうにもできないよ!! すぐ救急車を呼んで――〈規制音(少女A)〉――だけでも助けないと!!』

いじめっ子の少年E、少女D、Eが寄ってたかって主犯の少年Aを責め立てる。

その発言には、自分達を正当化しようとする浅ましさが滲み出ていた。

『馬鹿野郎!! この状況は配信されてんだぞ! とっくに通報されるはずだろ!!』

根拠のない虚勢を張る少年A。

『ちくしょう……配信さえしてなきゃ、幾らでも揉み消せたのに……ちくしょう……』

『君はどうしようもないクズだね。あの親にしてこの子ありとはこのことだよ』

電話越しに悪意が漏れる。

その悪意の矛先は、やはりと言うべきか少年Aだった。

『何だと……』

『ねぇ、――〈規制音(少年D)〉――君達はどうして〈規制音(少年A)〉――みたいなクズの言いなりになってるの? 自分に都合の悪いことは親の力で何でもかんでも揉み消そうとするようなゴミクズ野郎だよ? そんな奴に今も付き従ってるなんて、友達だからなんて単純でつまらない理由じゃあ出来ないよね? 例えば、君達の親がそのクズの母親から脅されてたり、そのクズから『逆らったら標的にする』とでも言われたか――』

『聞くな! 洗脳されるぞ!!』

少年Aは〈奴〉の声をかき消すように叫ぶが、効果は無いようだった。

『脳を洗うなんて安っぽい表現止めてくれないかな。僕は彼等の勇気に問いかけてるんだ。君みたいな人殺しの恐怖政治という不条理から革命を起こすために……ね』

『黙れ化物!! 誰がてめぇの話なんて――』

『化物はてめぇだよ――〈規制音(少年A)〉――。これ以上付き合いきれねぇ』

『……は? ――〈規制音(少年D)〉――、お前何言ってんの?』

『馴れ馴れしく話しかけてんじゃねぇよ。好きでお前の味方してた訳ねぇだろ。みんなお前の母親に脅されて仕方なく友達として行動を共にしてただけだ。調子に乗るなよ、クズが』

沈黙を守っていた少年Dが口を開いたと思えば、衝撃のカミングアウトだった。

ギリギリ、と歯の軋む音。

少年Aは怒り狂っていた。

『さぁ、我が親友――〈規制音(少年D)〉――君はとっくの昔に自らの意思で――〈規制音(少年A)〉――と戦う覚悟を決めていたみたいだよ? 君たちはどうするの? 今なら僕という強くて優しい平和的な新たな信仰対象の信徒になることを許してあげるよ? 勿論今までの、俺と彼女に対する非人道的な行いの数々……その全ての罪を許した上で……ね』

これも全てシナリオ通りだと考えると、〈奴〉は恐ろしいまでの切れ者だ。

磔の少女に自身の身を守る術を授け、外野にも根回しをし、敵内部に内通者を設けるほどの用意周到さ。

戦力分析も、情報収集も怠ることなく、結果として〈奴〉側の子達には一切の損害は出していない。

素晴らしい程の統率者の才能。

そして何より、精神的にも肉体的にも攻撃手段を併せ持つ圧倒的強者としての存在感。

前世は軍師か詐欺師か、はたまた魔王か。

魔王は飛躍しすぎた。

軍師と足して2で割って、魔軍司令くらいにしておこう。

そんな〈奴〉からの慈悲の言葉に、いじめっ子達は縋らずにはいられなかった。

実際何にでも良かったのだろう。

死人が出ているこの状況で、どうすることもできないこの状況で、彼等はただひたすらに救いを求めていた。

『た、助けてくれ――〈規制音(奴)〉――!! ――〈規制音(少年D)〉――の言う通り、俺達はずっと――〈規制音(少年A)〉――の母さんから脅されてたんだ!! こいつの母さん、PTAの会長なのをいいことに好き勝手やりたい放題なの知ってるだろ!?』

『わ、私達、親まで脅されて無理矢理付き従わされてたんだよ!! 逆らったら組織ぐるみで村八分にするって!!』

『今まで酷いことした分、殴るでも蹴るでも好きなだけやり返して下さい!! だから助けて下さい!!』

泣きながら彼等は〈奴〉に縋る。

聞くに堪えない自分勝手な言い分。

……吐き気がする。

『うんうん。散々虐め抜いてきた相手に対する命乞いとは思えないほどの図々しさだね!! 自分達を正当化したいという魂胆が見え見えだよ。言葉はもっと慎重に使った方がいいよ? 消しゴムでもバックスペースでも消せないし、映像にもしっかり残るわけだからね』

『さっきからふざけたことばっかぬかしてんじゃねぇよ!! こいつらがお前の側に付くなんて、俺が認める訳ねぇだろうが!!』

『あれ、居たんだ、――〈規制音(少年A)〉――君。すっかり黙りこくっちゃったから、居ないものとして議論を白熱させてしまったよ。でも、君の意思とは関係なく彼等は僕の配下に加わったみたいだけど、どうするの? 元主様(笑)』

〈奴〉にとことん煽られる少年A。

計画が頓挫し、全ての罪過を暴露され、仲間にも見限られた彼には、もはや退くことことなどできなかった。

『処刑する!!!!』

銃口を元仲間達に向けた次の瞬間……。

「……映像は以上となります。えー、大変ショッキングな映像でしたね」

突然映像は終わり、司会者の強張った表情とスタジオの風景が戻ってきた。

「まさか小学生がいじめの様子を生配信するだなんて――」

…………。

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